仏青大会の初日
このところ、法座・行事が目白押し。参加の皆さんも、たいへんであろう。だいたい、うまく選んでられますがね。
聞法旅行のあと、先々週は、日高支部、大阪支部、東海や東京でも支部法座が開かれ、先週の4日・5日には、聖典講座に、北陸支部に、広島支部法座があった。今日からの3連休、華光仏教年会である。父は、西法寺報恩講へ出かけた。来週には、東京講演会があり、輪読法座を挟んで、華光大会へと続き、その後も宿泊法座が続いて、華光誌の編集が始まる。さぞかし、潤いそうなものだが、貧乏暇なしの典型である。
参加は30名弱ほど。久ししぶりに、M先生にご講師をお願いした。導入の雰囲気や司会ゲームが、とてもやわらかく、まさに癒し系というか、脱力系という感じの、ゆったりした雰囲気に変化していることに驚いたおられた。ぼくも同感の思いだ。そのことで、最近、読んだ、諏訪哲二氏の近代の教育論の変遷、森岡正博氏の草食系男子、そして片山洋次郎氏のものを思い出して、すこし話させてもらった。
近代化、個の自立が進み、経済至上主義、消費社会的近代が、老若男女とわず、その上に実現しているがために生じる、さまざまな自我と社会とのズレや歪みが、さまざな問題を引き起こしている。自立することにより、孤立した個々のからだは、常に、臨戦態勢で、緊張の極度に置かれている。特に、骨盤がねじり固まり、胸の緊張が強く、呼吸が浅くなり、過呼吸的な状態が続き、意識はトランスしやすく、リアリティが欠如している。そのため極度の興奮思考がやまず、さまざまな依存状態に陥り易いからだになっているという。そのため、何とかそのテンポを遅くし、胸の緊張をゆるめようとするよう動きが、癒し系や脱力系、そして草食系という流れではないか。その雰囲気が、華光の仏青の20代、30代の若い人達にも顕著にあらわれてきているように思う。逆に、オウムなどのカルト教団は、その緊張や不安を悪用して、過緊張系というような修行や活動を強いている。一度、はまると、真面目で、しかも知的水準(高学歴)が高く、真面目な人ほど、強迫観念が強く、依存的な状態に陥り、なかなか抜け出すことは容易ではない…。
なんか難い話しになってきたが、そんなことを全体会の自己紹介の時に、ひとつ話させてもらった。ほかにもあったのが、早くしないとせっかくの懇親会が終わってしまう。今夜はここまで。
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コメント
「仏青大会」かぁ~、いいなぁ~

私も若い(独身)の時に華光に出会いたかったものだ。
もっと言うと子供の時に出会って、「子供大会」に
参加して、大きくなって仏青で青春したかったなぁ~
懇親会間に合いましたかぁ~?
投稿: 蓮華 | 2008年10月12日 (日) 06:42
蓮華さん、ようこそ。
沖縄からのコメントですね。ありがとう。楽しかったかな? おかげげて、地域ランキングで上位にきましたわー
仏青大会も、なんとか3日間終わりました。ずいぶん、今回は、雰囲気が違う仏青大会になりましたね。参加の意識にずいべ、バラツキがあって、なんか戸惑いというか、固さがあって、遠慮で、ゆるくなんか気がします。
残念ながら、「若いっていいな」なんと思わなずに、「若いことって、生きづらくし、つらいなー」なんと思うことがシバシバ。
投稿: かりもん | 2008年10月13日 (月) 23:01