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『敵こそ、わが友』~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~

  映画の最後、「なるほどね」と、思わず声がでてしまった『敵こそ、わが友』~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~この手の切り口は、ぼくの好み。

Tekitomo_01  タイトルの示す通り、第二次世界大戦のナチスの非道な親衛隊将校であったクラウス・バルビーの、戦前と戦後の三つの人生を追いながら、正義だ、悪だと単純に善・悪の二項対立の一面だけで人を裁き、すべてが分かり、終わったと思っても、実はそのことで本質が隠れ、時に真実に目を背くこともあることを示した秀作だ。現実は、ハリウッド映画のような、ナチス(悪)対連合国(善)という単純な構図ではないのだ。

 クラウス・バルビー。ナチス・ドイツのSD将校として、特に、占領下のフランス、リヨンの治安責任者として、ユダヤ人狩りをおこない、何の罪もないユダヤ孤児院の子供たちを多数虐殺し、政治犯の取り締まるために、レジスタントの英雄や共産主義者も、次々とおぞましい拷問や殺戮で抹殺し、時に自ら手を下してもいた。人呼んで、リヨンのブッチャーが、彼の第一の人生だ。当然、ドイツ敗戦と共に、その戦時中の非道行為によって戦犯として裁かれるはずだ。

 ところが彼自身は、(欠席裁判で有罪にはあるが)裁かれることなく、堂々と戦後も裕福な生活をおくり続ける。なぜなら、彼を戦勝国の大国が庇護したのだ。
 戦後、フランスを逃れてドイツに戻った彼に、第二人生が訪れる。アメリカ陸軍情報部(CIC)の反共産運動の秘密工作員として活躍する。全体主義との戦いを終えた世界は、アメリカ対ソ連、つまり自由主義対共産主義の冷戦が激しさをましていく。資本主義陣営も、社会主義陣営も、非合法だろうが、犠牲があろうが、利用価値のあるものは積極的に活用するのだ。彼のナチス時代の人脈、拷問や尋問のノウハウは宝の山だ。

 それはフランスも事情は同じだ。右派的な政権の時は自由主義陣営として目をつぶるが、左派的な政権では、彼が逮捕し殺害した、ジャン・ムーランがジレスタントの英雄として崇め、当然、彼の身柄受け渡し要求が強まってくる。その時、南米への亡命を手助けをしたのは、やはり反共で一致するバチカンの保守の神父だ。多くのナチスの戦犯たちが逃れていた。

 こうして、50年代~80年代の30年間以上も、南米のボリビアを中心に、反共勢力に対抗するため軍事政権のクーデターを画策し、アメリカの情報機関と、欧州の軍事産業の仲介役する実業家として活躍するのだ。キューバ危機の時代、南米での彼の役割は小さくはないのだ。反共のためには、第四帝国創建をもくろむナチスや戦犯者とも手を結ぶのである。そこには、理念や正義のかけらなどない。ただ国家のエゴと、おそろしいまでの利害の一致があるだけだ。
 そして、なんとボリビアでゲリラ活動中だったチェ・ゲバラの殺害計画も立案したと、彼は胸を張るのである。

 ところが、冷戦の終焉と共に、ボリビアには民主的国家が生まれ、左派的な政権がフランスに誕生すると、用済みとなった老齢の彼は逮捕され、フランスに送還された。87年7月、大戦中の人道に対する罪で、とうとう終身刑を言い渡されるのであった。

 映画は、彼の家族、また彼自身のインタビュー映像も交えながら、戦後史の闇を浮き彫りにしているが、同時に、リオンのブッチャーと恐れられた、彼の人間として、また温和な家庭人としての一面も浮かんで来る。また、最後の裁判の過程がいい。彼を弁護するのは、皮肉にも、ベトナム人の人道派の弁護士が無罪を主張するのだが、ここはおもしろい。

 彼だけを戦犯として裁くだけで、すべてが終わりでないことは、ほんとうはみな分かっている。彼は、ただ職務に忠実だっただけだ。またそれぞれに事情がある。フランス内部の事情も複雑だ。ナラチのユダヤ人殺害には、(ヨーロッパでは)多くの人達が熱狂し、賛同のムードがあった。レジスタントの運動内部にもさまざまな陰影があり、彼らを利用した勢力もある。もちろん、戦後のアメリカや世界情勢においても同様である。ひとつだけハッキリしているのは、ヒトラーを信奉し、第四帝国建設を夢見る老人の、利用価値がなくなったのである。

 そして、いまも世界情勢はなにも変わらない。中東をみても、アフリカの紛争地域をみてもそうだ。紛争のあるところ、対立のあるところ、ただただ自身の陣営の都合のよい第二、第三のクラウス・バルビーが生み続けられている。まさに、敵の敵は味方、敵こそ、わが友なのだ。ただ、ときに彼がら肥大化し、手に負えなくなると、友が敵となってますます混迷が深まっている。敵が友に、そしてまた敵となり争いを繰り返す、この連鎖こそがいまの世界の紛争なのだ。

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コメント

こんばんは、希死念願です。

かりもん先生の今日のブログを拝読して、「あぁ、かりもん先生は本当に映画がお好きなんだなあ。本当に映画を楽しんでおられるんだなあ」と思いました。おそらく、かりもん先生に映画を語らせたなら、もう本当にとまらなくなってしまわれるのではないでしょうか。


ところで、私には、かりもん先生における映画のようなものが、まったくないのです。

私の心は、常に冷え切って、白け切って、います。

楽しいことが、ないのです。


ある浄土真宗を名乗る団体で「苦しみの新しいうちを楽しみといい、楽しみの古くなったのを苦しみという」と教えられました(手元に資料がないので、正確な引用ではありませんが……)。


とにかく、私は、生きているだけで、くるしい。

くるしいのは、いやだから、早く、終わりにしたい。

それだけなのです。


今日のかりもん先生のブログを拝読して、こんなコメントを書き込んでしまう私は、やはりどこかおかしいのかもしれないのではないかとも思います。

ですが、本当にこのように思ってしまったのです……。


乱文、失礼しました。

投稿: 希死念願 | 2008年10月23日 (木) 21:17

 希死念願さん、なにはともあれ、「ようこそ、ようこそ」です。

 映画は、最近好きですね。でも、ぼくのシネマディクト(映画中毒)は、非常に歴史が浅い。40歳を過ぎてからのことで、たかだか5、6年ぐらいのこと。だから、悲しいかな、底が浅い。蓄積がないです。でも、その分、新作を中心に、年々加速していているようですね。

 それと、まったくコメントの書き込みを、ぼくは、おかしいとは思いませんよ。むしろ、ウェルカム。

 だって、いま、心が冷えきり、白けきってるんでしょう。 
 そして、生きているだけで、苦しい。その苦しいのがいやだから、早く終わりたいと、感じてるんでょう。ただそれだけなんですよね。

 つらいだけだけれど、それをごまかしも、かざりもしないで、ありのまま、いまの「希死念願さん」が感じている、からだを覆っている「苦しい、つらい」という気分を、書いていただいたと聞かせてもらっます。

投稿: かりもん | 2008年10月24日 (金) 23:24

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