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東京講演会の反響

 「東京公開講演会」の反響が、メールや電話でいろいろと届きだした。当日も、ある程度の手応えを感じてはいたが、こうして言葉や行動になって現れて来ると、やはりありがたい。

 東京から宅配便が戻り、当日記入いただいたアンケートを読んだ。果たして記入してくださる方があるのかと思っていたが、意外にも、同人の方よりも、初めての方が協力してくださっていたのには、驚いた。もちろん、全員ではないけれど…。

 この集いをどこで知られたのか。これも、あるルートの方が多いのじゃないかと予想していたが、意外にも、各々のきっかけが違っていて、正直、驚いた。多種多様の動機だっところが、なんともうれしい。
 たとえば、在家仏教の広告を見た初老の男性。華光会のHPで知ったという若い方。老齢でいまは不参加が続くものの地元でポスターを貼りを協力してくださた華光同人に誘われたという女性。また親戚の方の案内状をたよりに、(その方に黙って)参加された方は、質疑応答でも発言もされ、「またこんな集まりがあるのなら教えてほしい」とも言ってくださったそうだ。もちろん、親の勧めでこられた方も数名あったし、別の浄土真宗の団体に所属されている方も何名かおられたようだ。なかには、会場前のポスターを眺め、何度も何度も、行ったり来たりしながら、躊躇に躊躇を重ね、結局、自分の足で、「ネットを見てきました」と飛び込んで来られた若い男性もおられた。「もっと詳しく聞きたかった」と書いてくださった方もある。『仏敵』が読みたいという人もあったし、華光誌の申込みくださった方もある。さっそく法座にお参りするとの声も届いている。もちろん、声にならない、さまざまな声もあるのだろうし、なにも残さず後にされた方もある。それでも、講演の内容も、別に特別なものでもなく、いつもとそう変わらないのに、皆さんが真剣に求め、最後までしっかり耳を傾けてくださったことがうれしかった。

 華光の法座は、(定員や締め切りがあるもの、真宗法座の集いのようにクローズにした少人数のもの以外だが)すべて公開されているのだが、やはり初めての方にはどことなく敷居が高いということも反省材料となった。それは、お誘いする皆さんにしてもそうかもしれないなー。その意味でも、年に1度でも公開講演会を定期的に開くことが意義深いだろう。継続は力ですからね。他の支部や地方でも一度どうですか。

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コメント

おはようございます。昨日はありがとうございました。かりもん師より、東京講演会の様子・反響を直に聴かせていただき、あらためてここ数日に書かれた師のブログを読み返してみました。昨日、師の話を直に聴かせて頂きながら、反応今一のわたしに、わたし自身“キョトン”(あれーなんだ今日の僕)としたものを感じていました。人は真実のことば(ボデイーランゲージ含)を前にしたとき、正直(素直)になるものです。かりもん師の静かなことばにこもる「ことば(こころ)の力」を感じて、共鳴していたんですね。だからわたしのことばは“すごい”と南無阿弥陀仏とぼそぼそとでした。師が、講演会、ブログを通じて真摯に関わっている姿を目にし、「今生の傷を癒すことはできないくても、そのことなら、お伝えさせてもらえるかもしれません。分かろうが、分かるまいが、いまも、「南無阿弥陀仏」に願われ、つながってるんですね」を素直にいただきました。ありがとうございました。南無阿弥陀仏 

投稿: 稜 | 2008年10月22日 (水) 10:42

 綾さん、昨日はどうも。東京講演会では、ポスターやチラシの印刷で、お世話になりました。会場前に貼っていたボスターをじっと見つめ、何度もためらいならだもはいったくれた青年がいたんですね。それだけでも、ありがたいです。

投稿: かりもん | 2008年10月22日 (水) 18:19

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