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2008年10月の25件の記事

地獄の仕事、地獄の道中

足でなすことも地獄の仕事
手でなすことも地獄の仕事
心に思うことも地獄の仕事
口でゆうことも地獄の仕事
耳で聞くことも地獄の仕事
目で見ることも地獄の仕事
鼻にかぐことも地獄の仕事
夜の寝息まで、出る息入る息が
みな地獄の仕事なる」

「この善太郎は、
落ちる落ちんのという間はないげに候う
この善太郎は
このなりゆきが地獄の道中、
きのうも地獄の道中、
きょうも地獄の道中、
今宵も地獄の道中
この善太郎は、
このなりゆきが、落ちるばかりの善太郎なれど…」

「縦からながめてみても、
横からながめてみても、
地獄ならではゆくべき方もない善太郎なれど…」

「この善太郎がために
阿弥陀様のお体、
千本の釘を打ち込んで
その釘を抜いて、
あとの穴に油をついで
ともしび(灯火)を入れて、
火をとぼして下されたとは
この善太郎がためとは、ありがたい」

   (『妙好人 有福の善太郎』より)

「地獄行きが実感できません」とおっしゃる強者、極重悪人の皆様。
いよいよ華光大会が始まります。

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聴聞は具体的に

 今月も、伝道研究会で、羽栗行道先生の『心身の革命』を読んだ。残念ながら、とうに一般では入手できないが、罪悪観について、詳細で具体的なお示しがある。『子供の聖典』にも図表が引用される「罪悪のめあて」のところだ。ご恩で飾られた悪心煩悩の私が、いかに罪を造っていくのかが、極めて具体的に、きめ細かくご指南くださっている。それには、外面の飾られた、文化や教育の教養心ではなく、自己本意で、損得だけの真っ暗な感情の固まりの内面に、真実の光りを当てて観なくてはわからない。死ぬまで離れられない生活の上での十種類、すなわち、衣・食・住・金銭・名誉・知識・財産・妻子眷属(家族)・生命・娯楽に分類して、またそれぞれが、得意(積極的な面)と、不得意(消極的な面)とに分けて考えていくのである。
 たとえば、一例の衣服にひとつでも、単に「服で欲を起こす」と簡単に括らないで、具体的に考えていく。どんなものがあるか。普段着、一寸出、よそ行き、流行物、式服に、それぞれ合い物、夏物、冬物があり、生地に、色合いに、形に、サイズに、そしてブランドにこだわり、そこに、洋服や着物があり、付随の、帽子、靴、アクセサリー、下着に、寝間着、さらに寝具にまでこだわるなどなどが加わり増す。それが、幼年期、少年期、青年、中年、老年と、どんどん変化してやまず、それぞれに積極的(思い通りになって造る罪)、消極的(不本意で造る罪。お気に入りが汚れたとか、高くて手に入らないとか、嫌なひとが同じものを来ていたとか、高価で買ったものがパーゲンで半額になったか)
に造る罪がある。それを具体的に考えていくと、衣装ひとつだけでも、これまでにどれだけの罪を造ってきたは計り知れないのだ。このように、この10種類だけでも、積極、消極で、日夜、瞬間瞬間に、数々の罪業を作り通しなのである。

 伊藤康善先生が、「仏法は具体的に聞け」と常々仰っていたことが、『伊藤先生の言葉』の中に示されている。そのなかに、「無常観、罪悪観の実修」という項目がある。

「ラッキョの皮をむくように、毎日、一皮一皮、自分の心をむいてゆけ。ごまかさず、ありのままにむいていけ。一日一日の無常を観てゆき、親子兄弟、夫婦、隣近所の人々、勤め先の人々に対して、毎日、どんな心で接している自分なのか。ごまかすことなく、自分の心を観ていくことが大切だ。
 たえず、無常観、罪悪観を実修していくこと。これをはずしたら、仏法の求道はありませんぜ。(略)
 たたかれても、けられても、執念深く仏法にかじりついてゆけ。(略)
 毎朝仏壇を拝み、お給仕をしてゆく美しい心を観てゆくのではなく、その反対に、下へ下へ、自分の地獄行きの姿を観てゆく。それには、毎日、どれだけの罪を作っている自分であるかを、観てゆくことですわー。(略)
 信心を得ように、手をかけなさるなー。「こうして求めてゆけば、信心が得られる」と心得るのではなく、ただ、地獄行きの自分を観てゆく。信心が喜べるか、喜べんかは、如来様のお仕事だ。凡人が、手をかける仕事ではない。」

 まあ、今度の華光大会でも、どんなに聴聞を熱心で、「今回こそド真剣に、命懸けで聞こう」と凡夫が決めても、まず聞けやしない。法座の最中の心境のときに無常がやってくるのではなく、日常生活の凡夫の生地の上に、罪悪も、無常もあるのだから、そこのありのままを問題にしていかないと、地獄行きの姿も、如来のご本願も遠くかすむばかりである。

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『芸術都市 パリの100年展』

Img_3934 午前中、河原町六条のひとまち館で、自力整体のレッスンを受けてから、岡崎の京都市美術館に足を延ばした。急に肌寒くなったけれど(たぶんこれが平年並でしょう)、自転車を飛ばすのには快適な季節。遠いかなーとも思ったが、拍子抜けするほど近い。帰りは、25分ほどで自宅に戻ってきた。あらためて中心部は、コンパクトな街ですね。途中、建仁寺や祇園や白川、そImg_3937_2 して知恩院などを通る。いつもは車なので、かなり新鮮。路地では、ほんものの(なりきりではない)舞子さんも歩いていた。

 久しぶりの美術館。秋の日差しに、東山もの山並みもきれいだった。『芸術都市 パリの100年展』。日仏交流150年と、京都とパリの姉妹都市50周年の記念事業だ。なぜか、京都仏教会が後援しているので、招待券をいただいた。

Paris 有名な大作は少ない。ただ、芸術の都パリ が、産業革命を経て第二次大戦直前の、鮮やかに花開いた1830年から1930年に間の絵画(たとえばルノワールやセザンヌ=といっても、彼らの作品はほんの数点だけ)、彫刻(ロダンなど)、そして写真を中心に、パリの香りがする作品を集めていた。ちょうど、パリ万博でエッフェル塔が建ち、今日、パリを代表する歴史的建造物が建てられた時代だ。特に、産業革命以降、さまざな科学発展が生活に応用され、近代的な都市が生まれ、メディアも発達したことが、人々の生活を変え、同時に精神や芸術にも、深く影響をUtrillo_3与えることになったのだという。

   ちょっと心を動かされたのは、ユトリロの有名な引品のひとつ、「コタン小路」。別になっということのない殺風景な路地風景なのに、不思議に目を引きました。そのあと、彼の自由奔放に生きた母親の作品。彼女は、18歳で父親不詳のユトリロを生み、何度も結婚をしたが、時に息子の親友と懇ろになって同棲を始めて、息子が精神不安定にあってアルコールに溺れた時に、母親のそれではなく、画家の目で焦燥した彼の肖像画を描いているのにも、こころ引かれたなー。エピソードもすごいね。
 もうひとつ、小作品だったけれど、
藤田嗣治の少女を描いた肖像が、なんとも不思議な魅力を発していた。

Img_3933 向いの国立近代美術館では『生活と芸術~アーツ&クラフッ展』をやっていた。これは次回の機会に行けたらいいけど…。

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『グー、グーだって猫である』と、『ネコナデ』と、番外の『ミリキタニの猫』

Gougou_03 今月は、ネコが主役級の映画を続けてみた。小泉今日子の『グー、グーだって猫である』  と、大杉 漣の『ネコナデ』だ。複雑な人間関係に疲弊した現代人は、ますますペットに癒され、慰めれるという面があるだろう。信用できるのは、動物(ペット)だけという、かなりお寒い世相を反映しているかもしれない。そうそう、映画自体も、観ても観なくてもお好きなようにという映画で、犬好きという人もあるけれど、なんとなく癒し系はネコじNekoゃなくっつちゃという、ネコ派の方はどうぞ。映画のチラシをあげたら、 ネコにまっしぐらのTさんが、事務所にペタペタと貼っている。

 あくまでぼくの好みだが、『グー、グーだって猫である」は、久しぶりに金返せッて感じの映画。せっかく犬童監督なのに…。なにが嫌って、これだけスボンサーを露骨に画面に登場させちゃー、白けますよ。金を払って観てるわけですから。最初から、TV用に作っているのなら、観衆をバカにしいる。それに比べれば、まだ『ネコナデ』のほうが共感する面があった。

 ほんとうは、自分のキャラクターも、けっこうさまざまな面があり、多様性があるし、環境や立場が変わると、いろいろな面が出るのが人間だ。でも、どこかで、終始一貫している自分というのがあると思いたいのだ。自分のキャラと合わないところ(実は、会社でも家庭でも厳格な上司であり、父である人が、実は優しい、涙もろい弱い一面をあわせもっていると)あまり見せたくない。男性、特に中年の社会的な地位のある人ほど、妙なプライドがあって、けっこう心境はややこしい。そんなツボを映画はついていた。確かに、立場に関係なく、その人のもつ本質的は、常にディテールに現れるのは事実だ。でも、それとても、ある種造られたもの。その意味では、ある程度、一貫した自分というのもあるのも事実だけれど、さまざまな多様的な面、ネガティブなイメージも含めて、その、いま、起こっているところに柔軟であるほうが、人生を豊かなに見ることが出来るのじゃないかなー。
 まあ、そんなことを思った。

Neko1  昨秋の映画で、生きた猫が主役ではないけれど、『ミリキタニの猫』は、示唆にとんだドキュメンターだった。これはぼくと波長の合う人(そんな物好きはおらんか)には、オススメ。
  NY在住の日系の路上アーティストの頑固さと、権力への反骨精神が潔い。いまは、「長いものには巻かれろ」、「空気を読んで多数派につけ」という風潮が強くて、ある意味、それが上手な人が、コミニケーション能力にある人のような錯覚さえ起きている。

 その視点からいえば、ミリキタニさんは、空気の読めない困ったさん。アーティストといえば聞こえはいいが、要するに高齢の頑固なホームレス。彼は、9、11の混乱の真っ最中でも、身の危険に無頓着に、いつも同様、路上で絵を描いている。そんな彼に、関心をもった女流監督との絆、愛情から生まれた映画だ。彼は、カリィフォルニアはサクラメントの出身で、父の故郷の広島で幼少期を過ごすが、時まさに戦争突入前夜。軍国主義に嫌気が差して、米国に戻るが、彼に待っていたのは、日本人としての強制収容所送りと、そして故郷への原爆の投下だ。二つの祖国と人種差別、激動の戦争の世紀に生きた彼のアイデンティティとは?そして国家とは、また家族とは? 強制収容所への旅は、静かながらも、なかなか感動。隣にいると、きっと困ったさんでしょうが、とても魅力的で、偉大な反骨のアーティストですね。題名の猫は、彼の得意な素材。

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華光大会の準備

いよいよ華光大会まで、数日に迫ってきた。

 だいだい、2泊3日間の行事の準備でもたいへんなのに、華光大会は、1年に1度、華光同人の集う「総会」がある。来年度の計画を煉らねばならない。関係者に電話連絡をとって、来年の行事、計画、そして予算案を詰めている。運営委員長や会計業務の担当者が交代したので、打ち合わせを念入りにしないといけない。今回は、いつもの会議に加えて、おまけに2日目の昼食時に、インド旅行の説明会まである。
 もっとも、大会自体は、東海支部が当番なので、ベテランも若手も揃っていて、心配のない心強いメンバーだ。信仰体験発表のお願いもすんで、これも安心。
  初日は、法座(法話-座談)、会議、法座(法話-座談)、分級座談会の反省会、懇親会。
 2日目、法座(法話-座談)、説明会、法座(法話-座談)、会議、信仰体験発表(司会)、分級座談会の反省会、懇親会。
 3日目、総会、法話(法話担当-座談)、閉会式と、続く。

 ハアー、これはかなりハードだ。永代経法座と違って、法要がないだけ助かるけどなー。食事や休み時間の会議は、全国各地から集うこの機会ではないと、なかなか顔を合わせられないので、これも致し方ない。初参加の方も多いが、分級座談が異なると、懇親会の時にお話するしかないなー。また、遅くなる?

 いま合わせて、『念仏の雄叫び』の増補再版計画の作業を勧めている。ちょっと焦り気味だが、いまは、総会や大会準備が優先だ。その上、かなり気がかりな問題も、まさに降って湧いてきたのだが、これはなるようにしかならないので、腹を括って待つしかない。気がかりな一面、これを機会に、とうとう虎が野に放たれるきっかけになるかもしれないなと、前向きに考えている。かなりへたれの虎ではありますが…。

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無量劫の御養育

 10月の輪読法座。昨日は、華光会館で、講師(僧侶)を交えないで同行だけの京都支部法座があった。今日は、名古屋方面での東海支部法座と、華光会館での輪読法座とあった。ちなみに、明日(27日・月曜日)は、ゆうこが講師で、聞きあい、話し合い(暮らしのなかのカウンセリング)の集いがある。人によっては、三連ちゃんの方もあるかもしれない。

 天気は小雨。昨日の京都支部に比べると、半数以下の人数だったが、昨日に引き続きの方ばかり。中には、京都から名古屋に移動した方も数名あったという。皆さん、ほんとうに熱心で、頭が下る。13名たったが、輪読するには手頃の人数だと思う。

 67-4号の巻頭言「お育ての眼差し」(松岡宗淳師)を読む。結局、約3時間30分かけて、今日はここだけを味わったが、いろいろと話題が展開した。 

 冒頭の『香樹院講師語録』-江戸時代のお東の講師(西の勧学)で、香樹院徳龍師の語録の一節から、現代の真宗念仏者がご法を伝える上での対人的態度について、温かくも優しい法の眼差しをが生まれる、その根源に言及されていくのだ。

 「南無阿弥陀仏の口にあらわるるも、五十年、百年、千年くらいじゃない、無量劫の御養育」というお言葉がある。このお言葉がいまの私にとって、阿弥陀さまのご苦労を知る秤(はかり)となり、法の鏡となり、またお念仏のご催促にもなっててくださっている。
 信前信後をとわず、たとえ口真似や儀式や現世利益のためであっても、その一声のお念仏が、今、称えられるのは、無量劫のお育てがあってのことだと言われる。なんと尊いことではないか。

 まったくそのとおりである。もうこう聞かされたら、ほんとうは何も言うことはなくなる。ただ、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と、申すだけである。
 悲しいかな、ぽくたちの限りある智慧では、今生の法に出会うためのお育て、ご苦労なら、ひとつとひつを具体的に振り返ってお示しいただくと、もしかすると頷き、理解出来るかもしれない。しかし、そんなちっぽけな話ではないだ。無量劫にわたる阿弥陀様のお育ては、まさに、宿世の縁を、「遠く宿縁を慶べ」の世界である。
 凡夫の限りある、迷いの眼で、絶対に分かるはずのない世界なのに、自分の称え心ばかりを問題にして、その称えている念仏にかけられた願いをまったく聞いていない。有り難かろうが、砂をかむ念仏であろうが、絶対にこの極重悪人のこの私から生まれるはずのない、尊い真実の「南無阿弥陀仏」の呼び聲が、わが口を借りて出るまでの、そのお育ての尊さ、勿体ないよである。当たり前のことだが、「南無阿弥陀仏」そのものは、真実の阿弥陀様がご成就されたもので、名号には自力も他力もなく、真実そのものであるのに、そのお心を穢すのは、実は、「自力だ、他力だ」とこだわる、わが小さな計らいの心だというお心にも通じるのではなかろうか。

 ところが、筆者の眼は、そんな尊い念仏を称えながらも、自力の心で、グズグズ駄々をこねている未信者に向かうのではなかった。ここは意外な展開。むしろ、たとえ、「口真似や儀式や現世利益」の自力心の念仏であっても、念仏を称えている人をこそ、無条件で尊重し、温かい眼差しで受容しない、「我得たり」という邪見驕慢の自己自身に、その破邪顕正の刃を向けておられるのだ。

 いまはまだ真実にいたらねども、念仏を称えている人を、肯定的に見ていける眼差しをいただく、この温かい優しい法の眼差しがあってこそ、その人のご法の歩みが進む。自他力廃立という絶対否定の念仏道を歩むためにこそ、肯定的な、温かい人間関係の質が、そ根底になくてはならない、と言われるのである。

 特に、時代は、とりわけ若い世代(いや、中年や壮年もかわりないなと、ぼくは体験的に感じるけど)、「傷つきやすい心性を抱え、否定されることに敏感で、すぐ自己防衛に走って心を閉ざしてしまう傾向が強い」ので、そのお育ての眼差しによって、「今の自分が全面的に受容されているという安心感の持てる関係、雰囲気」が、これからは重要で、そのなかで、しっかりと自己と向き合え、仏法と取り組むエネルギーが出て来るというのだ。そのことが、親鸞聖人の御同朋、御同行の精神を具現化する上で、重要な態度だというのであろう。

 いろいろと実際の法座経験での困難さや、自分の質のところで、さまざまな意見が出た。ぼくなりの、真宗カウンセリングのところでも、お伝えできる態度などを話した。しかし、ここは言葉で語り合っても詮ないところである。結局、この法座自体が、先生が示されるような対人的な態度、雰囲気の法座に向かっているのかが、問われているのである。それでこそ、この文章を輪読する意味があるように感じした。

 特に、僕自身は、仏青大会の座談会の時に味わった課題をあらためて思い出し、その時、相手の方に示せなかった関わりを、今回、あらためて示すことが出来たようだ。相手の防衛的な外側の言葉に反応するのではなく、相手の心根の部分に、ほんの少しでも触れることが出来た。やはり、固い態度と比例して、心は傷ついておられることが分かったし、その寂しさを聞いて、互いの理解が少しは進んだ気がしたのだ。未消化だった部分が、ほんの少し解消させてもらえる機会をいただけたのも、この文章が秤となったおかげである。

 泥凡夫のぼくには、相手を思いやる優しい心などない。冷たい、特に恐れや不安をいだく、そんなネガティブな心なのである。それでも、阿弥陀様のおこころに支えられて、恐れることなく、相手にしっかりと眼差しを向け、大切にお聞かせに預かろうという思いに心を寄せていくことで、それが温かい法の眼差しにと変じていくのである。つまりは、恐れたり、飾ったり、軽蔑したりするのではなく、ただ、しっかりと、いま、ここに、この私の前に座ってくださっている、それも昿劫からの不思議なご因縁に結ばれた御養育のたまものとしたなら、ただ、しっかりと眼差しをむけ、しっかりと耳を傾け、静かに口を開かせていただくという、至極当たり前のことなのではないだろうか。もっもと、言うは易し、行なう難しである。結局、それを実践したものだけが、味わえるのだろうなー。

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映画『蟹工船』

 小林多喜二の小説『蟹工船』がブームとなっている。昭和初めの非人間的な労働条件が、現代の格差社会やワーキング・プアと重なって、若者を中心に共感を呼んでいるという。時まさに、世界同時の株の大暴落が続き、もし歴史が同じ道をたどるのなら、世界大恐慌時代の前夜という危機的状況。それにしても、まさか80年も前のプロレタリア文学が、高度成長期後の21世紀の日本で、再び脚光を浴びることになろうとは…。

 ただし、今日の状況と単純に重ね合わせることは出来ないとは思う。なぜなら、映画では、(支配者)国家=軍隊、資本家 対 (抑圧される)労働者と、すごくわかり易い支配構図だ。鬼監督の背後には会社があり、軍隊・国家があるのは一目瞭然。しかも、弾圧の仕方も、直接的で、露骨で、これなら怒りの方向も極めて単純で、力も団結しやすい。相手側も、最後は単純に力で押さるだけだ。
 ところが、今日は、高度情報化時代、価値観も多様化している。その分、支配や搾取の構造がより巧みで、複雑になり、情報も高度に操作されている。そのなかで、支配や搾取の構造を見抜くことはますます困難になっている。自己責任、自発的に選んだつもりが、実は巧妙な支配者側の操作による産物ということも多いだろう。怒りの方向も、巧みに分散させられ、バラバラに力を削がれている。それが真綿で首をしめられるがごとく、支配や操作と気付かぬうちに、静かに進行しているとしたら、これほど恐ろしいことはないのではないか。

 まあ、前置きはこのぐらいで映画の話。ブームのおかげで、1953年(昭和28年)製作の映画『蟹工船』まで、リバイバル上映されることになった。やはり映画化されてたんですね。まったく知らなかった。かなり、思想色に色濃い作品。これは、50年代という時代の空気もあるんでしょう。古い映画なのに、みなみ会館もお客の入れが上々。いま、話題性がありますからね。
 監督、脚本、主演は、山村 聰。ぼくには、晩年の、総理大臣とか大学教授、温厚なじいちゃん役のイメージしかなかったので、これはかなりビックリした。ただし、フィルムが古いせいなのか、それも滑舌が悪いのか、一部でセリフがよく聞き取れないところがあったのは残念。 

 昭和はじめ、函館から、カムチャッカ沖での操業に出発する蟹工船。ソ連と争って蟹を取るのだ。母船式漁業で、何カ月も洋上の生活が続き、水揚げした蟹の缶詰を生産する工場船が舞台だ。

 劣悪で、不衛生な環境で働らかされる労働者たちは、陸では契約金も、飲んだくれ、博打や女に浪費する無頼の輩。大震災で借金だらけになった元店主は上等な部類。ほとんどが、脱走した元炭鉱夫に、凶状持ちに、都会の失業者、ヤクザまが乱暴ものと、みんなひとくせもふたくせもある荒くれた男たちだ。その中に、極貧困の家族を助けるために無理やり員数合わせで調達された少年たちも混じっているが、少年たちはさらに劣悪な環境にほうりこまれている。

 会社の幹部は、海軍と手を結び、ソ連の領海侵犯をしてでも利潤追求を至上命令にしている。それが、のろまなロシアを出し抜き、缶詰で外貨を獲得する国策とも一致する、御国のためたと訓示をたれているが、利潤追求以外はなにもない。

 その会社の命を受け、労働者をモノとして扱い、会社の利益と、自身の保身のみを考える鬼監督。彼の存在そのものが、凄味があって圧倒される。まさにこの映画を締める演技だ。会社から、船の成績が悪いと指摘されると、昼夜であろうが、悪天候であろうが、人を人とも思わず搾取し、人命も無視し、暴力や銃で、船員たちを徹底的に抑圧し、危険きわまりない作業を強制していく。しかも、大時化のなかで事故にあったものも自己責任なので、弔い料はなし。船を失ったのも、不注意だったからと、賃金から棒引きする徹底ぶりだ。病人続出のなかで、病人やけが人に温情をかける常識ある医者を強引に交代させ、SOSを出し続ける遭難した仲間の船の救出のために、漁場を離れようとした船長を銃で脅し、軍艦をバックに領海侵犯をさせて密猟をさせる。反抗的な労働者は、便所に監禁し、時に陰湿なリンチでなぶり殺し、事故にみせかけて海に投げ出して証拠を隠滅したりと、もう非合法のオンパレードだ。

 病死した仲間の弔いをめぐって、ついに労働者たちの怒りが爆発した。彼らは、極めてまっとうな要求を突きつける。銃で脅した監督も、暴徒とかした荒くれ男を止めることはできない。溜飲を下げたのもつかの間、とうとう海軍の助けを求めたのだ。駆逐艦をみて、当初は喜んだ労働者たちだったが、彼らに待っていたのは、抵抗するものは、子供も容赦なく撃たれ、煽動者たちも甲板で射殺されるという、過酷な定めだ。
 当然といえば、当然だわー。治安を維持するためにこそあれ、労働争議に味方する軍隊があるわけはない。
 軍艦にはためく、血潮に染まった旭日旗のラストが、なんとももの悲しい。

 「労働者が、北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいいことだった。資本主義がきまりきった所だけの利潤では行き詰まり、金利が下がって、金がダブついてくると…どんな事でもするし、どんな所でも、死物狂いで血路を求めてくる」(『蟹工船』)

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弁当の試食

 華光大会を前に、弁当の試食をした。

 昔、といっても華光会館が完成直後は、自炊をしていた。子供大会の持ち物にも、「米2合持参」とあった。その名残で、いまも会館には、カレー皿やスプーンがたくさんある。でも、みんな豊かになってきた。さらに参詣の人数も増え、みんなに聞法に専念してもらうことから、弁当屋をたのむようになって、久しい。ところが、これがなかなか難しくなっきた。人数も多く、食事代の制限もある。それにみんな贅沢になってきたのだ。2泊3日間となると、食事だけでも6回ある。同じところが続くと飽きてくるのだ。「別に、グルメに来ているんじゃない、贅沢は言わない」という人間の出来た人格者ばかりじゃないんだなー。

 「み仏と皆様のおかげにより、このご馳走を恵まれました。深くご恩を喜び、有り難くいただきます」と言って、10秒後に弁当の蓋をとったら、もうその言葉を見事にすっかり忘れている。「からい」、「少なすぎて寂しい」、「脂っこい」、「まずい」、「多いな」、「この値段でこれか」と、とかくあれこれ注文が多いのである。 

 もっとも、華光会館の周辺、200メートル以内には、リカーショップもあれば、コンビニに、食料スーパー、和風に、中華のファミレス、回転寿司、イタリアン、ラーメン屋と、まあ残念ながら洒落たお店はないが、手頃に食べるところはいろいろとある。仏青の集いなどは、もう各自で自由にという手も使っている。ただ、この人数ではさすがにそうはいかない。短時間で、全員がそうすると混乱する。まあ、2、3日食べなくても大丈夫なんだし、おかゆだけの断食というのもスッキリするんじゃないかとも思うけれど、それでは夜の懇親会が寂しくなるしなー。昼食は、うどんや丼程度の軽食のほうがいいけれど、残念ながら、人数が多くて出前が難しいものね。

 そこで、正食系のベジタリアンの弁当を頼んで、いろいろと交えて工夫をしている。そして、いつも新規開発に勤しんでいるのだ。
Img_3914 いうわけで、今回も、華光大会用に、四条新町のお店から運んでもらった。1,050円と、1,300円の2種類を注文して、いざ試食。まあ、見た目も上品な感じで、味も悪くなかったが、ちょっと男性にはボリューム不足かとの意見が出た。一度は、昼食に取ってみてはどうかということでまとまった。写真は、おり風のものだけど、当日は、回収できる弁当箱で登場する予定だ。

 

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『敵こそ、わが友』~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~

  映画の最後、「なるほどね」と、思わず声がでてしまった『敵こそ、わが友』~戦犯クラウス・バルビーの3つの人生~この手の切り口は、ぼくの好み。

Tekitomo_01  タイトルの示す通り、第二次世界大戦のナチスの非道な親衛隊将校であったクラウス・バルビーの、戦前と戦後の三つの人生を追いながら、正義だ、悪だと単純に善・悪の二項対立の一面だけで人を裁き、すべてが分かり、終わったと思っても、実はそのことで本質が隠れ、時に真実に目を背くこともあることを示した秀作だ。現実は、ハリウッド映画のような、ナチス(悪)対連合国(善)という単純な構図ではないのだ。

 クラウス・バルビー。ナチス・ドイツのSD将校として、特に、占領下のフランス、リヨンの治安責任者として、ユダヤ人狩りをおこない、何の罪もないユダヤ孤児院の子供たちを多数虐殺し、政治犯の取り締まるために、レジスタントの英雄や共産主義者も、次々とおぞましい拷問や殺戮で抹殺し、時に自ら手を下してもいた。人呼んで、リヨンのブッチャーが、彼の第一の人生だ。当然、ドイツ敗戦と共に、その戦時中の非道行為によって戦犯として裁かれるはずだ。

 ところが彼自身は、(欠席裁判で有罪にはあるが)裁かれることなく、堂々と戦後も裕福な生活をおくり続ける。なぜなら、彼を戦勝国の大国が庇護したのだ。
 戦後、フランスを逃れてドイツに戻った彼に、第二人生が訪れる。アメリカ陸軍情報部(CIC)の反共産運動の秘密工作員として活躍する。全体主義との戦いを終えた世界は、アメリカ対ソ連、つまり自由主義対共産主義の冷戦が激しさをましていく。資本主義陣営も、社会主義陣営も、非合法だろうが、犠牲があろうが、利用価値のあるものは積極的に活用するのだ。彼のナチス時代の人脈、拷問や尋問のノウハウは宝の山だ。

 それはフランスも事情は同じだ。右派的な政権の時は自由主義陣営として目をつぶるが、左派的な政権では、彼が逮捕し殺害した、ジャン・ムーランがジレスタントの英雄として崇め、当然、彼の身柄受け渡し要求が強まってくる。その時、南米への亡命を手助けをしたのは、やはり反共で一致するバチカンの保守の神父だ。多くのナチスの戦犯たちが逃れていた。

 こうして、50年代~80年代の30年間以上も、南米のボリビアを中心に、反共勢力に対抗するため軍事政権のクーデターを画策し、アメリカの情報機関と、欧州の軍事産業の仲介役する実業家として活躍するのだ。キューバ危機の時代、南米での彼の役割は小さくはないのだ。反共のためには、第四帝国創建をもくろむナチスや戦犯者とも手を結ぶのである。そこには、理念や正義のかけらなどない。ただ国家のエゴと、おそろしいまでの利害の一致があるだけだ。
 そして、なんとボリビアでゲリラ活動中だったチェ・ゲバラの殺害計画も立案したと、彼は胸を張るのである。

 ところが、冷戦の終焉と共に、ボリビアには民主的国家が生まれ、左派的な政権がフランスに誕生すると、用済みとなった老齢の彼は逮捕され、フランスに送還された。87年7月、大戦中の人道に対する罪で、とうとう終身刑を言い渡されるのであった。

 映画は、彼の家族、また彼自身のインタビュー映像も交えながら、戦後史の闇を浮き彫りにしているが、同時に、リオンのブッチャーと恐れられた、彼の人間として、また温和な家庭人としての一面も浮かんで来る。また、最後の裁判の過程がいい。彼を弁護するのは、皮肉にも、ベトナム人の人道派の弁護士が無罪を主張するのだが、ここはおもしろい。

 彼だけを戦犯として裁くだけで、すべてが終わりでないことは、ほんとうはみな分かっている。彼は、ただ職務に忠実だっただけだ。またそれぞれに事情がある。フランス内部の事情も複雑だ。ナラチのユダヤ人殺害には、(ヨーロッパでは)多くの人達が熱狂し、賛同のムードがあった。レジスタントの運動内部にもさまざまな陰影があり、彼らを利用した勢力もある。もちろん、戦後のアメリカや世界情勢においても同様である。ひとつだけハッキリしているのは、ヒトラーを信奉し、第四帝国建設を夢見る老人の、利用価値がなくなったのである。

 そして、いまも世界情勢はなにも変わらない。中東をみても、アフリカの紛争地域をみてもそうだ。紛争のあるところ、対立のあるところ、ただただ自身の陣営の都合のよい第二、第三のクラウス・バルビーが生み続けられている。まさに、敵の敵は味方、敵こそ、わが友なのだ。ただ、ときに彼がら肥大化し、手に負えなくなると、友が敵となってますます混迷が深まっている。敵が友に、そしてまた敵となり争いを繰り返す、この連鎖こそがいまの世界の紛争なのだ。

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華光大会の締め切り

 子供を保育園に送った帰り、京都駅前を通ったら長蛇の観光バス。昨日は、弘法さんで賑やかだったが、今日は、時代祭と、夜には鞍馬の火祭りがある。午後から、京都市立美術館に行く予定にしていたが、その時間帯は岡崎周辺はかなり混雑しているだろうから、取りやめにした。そのかわり、久しぶりに寢室(もっともぼくはそこで寢ないが)の整理をした。掃除機をかけて雑巾がけもする。ここまではよかったが、昼すぎから雨になったのに、しばらく気付かなかった。早朝は天気がよかったので、これも久しぶりに子供たちの布団も干していたのだ。ちょっと曇り空になってあやしい雰囲気がしので、昼食を食べてからと思っていた。声をかけてもらえたので、どうにかびしょ濡れは免れたけれど、せっかく干したのに、余計、湿っぽい布団になってしまったようだ。珍しいことはするもんじゃないのかなー。

 ところで、今日は、華光大会の宿食の締切り日。大会は、11月1日(土)~3日(祝)の3日間だが、1週間前から申込みが多数あって、特に宿泊をお断りするほどの盛況ぶり。それでも、今日締切りの定例総会の出欠表(委任状)での同人の申込みがあるかもしれないので、ちょっとヒヤヒヤした。安く泊まれる宿を教えてもらい、いくつかあたってもらったが、連休中で、どこも満員の様子。これでも、京都、大阪の同人は原則、通いってもらい、一部、近くの同人宅にもお宿をお願いをせねばならない。皆さんには、3日間、狭いところでご不便をおかけするが、ご容赦いただきたい。

 もちろん、通いとか宿をご自分で探してくださるのなら、参加はOKです。どうか、奮って、ご参加いただきたい。食事の申込みはまだ可能だけれど、こちらもお早めにどうぞ。楽しみですね。

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東京講演会の反響

 「東京公開講演会」の反響が、メールや電話でいろいろと届きだした。当日も、ある程度の手応えを感じてはいたが、こうして言葉や行動になって現れて来ると、やはりありがたい。

 東京から宅配便が戻り、当日記入いただいたアンケートを読んだ。果たして記入してくださる方があるのかと思っていたが、意外にも、同人の方よりも、初めての方が協力してくださっていたのには、驚いた。もちろん、全員ではないけれど…。

 この集いをどこで知られたのか。これも、あるルートの方が多いのじゃないかと予想していたが、意外にも、各々のきっかけが違っていて、正直、驚いた。多種多様の動機だっところが、なんともうれしい。
 たとえば、在家仏教の広告を見た初老の男性。華光会のHPで知ったという若い方。老齢でいまは不参加が続くものの地元でポスターを貼りを協力してくださた華光同人に誘われたという女性。また親戚の方の案内状をたよりに、(その方に黙って)参加された方は、質疑応答でも発言もされ、「またこんな集まりがあるのなら教えてほしい」とも言ってくださったそうだ。もちろん、親の勧めでこられた方も数名あったし、別の浄土真宗の団体に所属されている方も何名かおられたようだ。なかには、会場前のポスターを眺め、何度も何度も、行ったり来たりしながら、躊躇に躊躇を重ね、結局、自分の足で、「ネットを見てきました」と飛び込んで来られた若い男性もおられた。「もっと詳しく聞きたかった」と書いてくださった方もある。『仏敵』が読みたいという人もあったし、華光誌の申込みくださった方もある。さっそく法座にお参りするとの声も届いている。もちろん、声にならない、さまざまな声もあるのだろうし、なにも残さず後にされた方もある。それでも、講演の内容も、別に特別なものでもなく、いつもとそう変わらないのに、皆さんが真剣に求め、最後までしっかり耳を傾けてくださったことがうれしかった。

 華光の法座は、(定員や締め切りがあるもの、真宗法座の集いのようにクローズにした少人数のもの以外だが)すべて公開されているのだが、やはり初めての方にはどことなく敷居が高いということも反省材料となった。それは、お誘いする皆さんにしてもそうかもしれないなー。その意味でも、年に1度でも公開講演会を定期的に開くことが意義深いだろう。継続は力ですからね。他の支部や地方でも一度どうですか。

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『こころの天気を感じてごらん』

092b  東京法座の前日、連れ合いが、表紙の絵と、四コママンガを書いた書籍=土江正司著 『こころの天気を感じてごらん』~子供と親と先生に贈る、フォーカシングと「甘え」の本~(コスモス・ライブラリー刊/1800円+税)が送られてきた。表紙は、何度かやりとりがあって、いくつかのパターンを描いたようだが、なかなか彼女らしい雰囲気のする、かわいくも温かい表紙だ。中には、四コママンガだけでも、約40個も収録されているが、ゆうこの掲示板にあるように、学業と育児の合間に、短期間で頑張ったようだ。

 東京への車中で読み出したが、行きは教案を考え、帰路は体調不良もあって、読む切ることはできなかった。それでも、未知の分野ではないので、一部の「心の天気」と、「甘え論」までは興味深く読み進んだ。著者の意気込みが感じられる力作だ。著者の土江正司さんは、島根在住のスクールカウンセラー。でも、その肩書では収まらないような方で、インドでヨーガの修行をし、また在家でありながら浄土宗の僧籍をもち、在野にあるフォーカシング研究、実践家、フォーカシング指導者として、特に、スクールカウンセリングや、子供相手のフォーカシング、グループフォーカシングの分野では、日本の最先端を走っておられるとのもっぱらの評判。残念ながら、すれ違いで、ぼくはお会いしたことはない。でも、来年度の真宗カウンセリング研究会の1日WSの講師として、「こころの天気」の実践をお願いしてはといま相談中なので、ぜひ、実現できればと念願している。その「こころの天気」については、ご本人が関係に紹介されているサイトがわかり易いかな?→http://www.focusing.org/jp/newsletter/jp_sif_2003-1_1.html

 ただ、これだけ四コママンガがあると、本文よりも、先にマンガを読んでしまう。ぼくなど、「このキャラクターは誰がモデル?」なんて考えると、クスクス笑えて仕方がない。それと、相変わらずの彼女の趣のある「字」がおもしろい。誤字ギリギリという反則もあるけれど、これを活字にしなかった編集の方も、なかなか洒落のわかる味のある方だね。

 これから、ネットでも、一般書店でも入手できますが、華光会館でもおわけできるので、関心のある方はぜひお読みください。 なお、ゆうこの絵ブログhttp://bonbon18.at.webry.info/にも、土江さんのHPがリンクされてます。

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共鳴し、響きあう念仏の声

  体調不良で、今夜の打ち上げはパスしましたが、盛会のうちに、そしてお念仏の静かな十重二十重の響きの中で、今回の法座を終えることができて、大悲のおこころの一端が、この胸にも届き、とてあついものが込み上げてきます。

  お世話くださったみな皆さん、ご参加くださった皆様、ほんうとにありがとうございました。
 まず、東京駅では、最近仲間になられたばかりの方に、(どうやら同じ新幹線だんたらしい)お声をかけられ、茗荷谷駅へ。すると、道案内のポスターを掲げて立ってくれているO君が目につきました。会館前でも、昨年の講演会でご縁のできた高齢の方が、立って待ったくださる姿に、感銘しました。会場に入ると、すでに花やビデオなどの準備も出来、イスもきっちりと並んでいました。古株の同人に混じって、ご縁が出来て半年ぐらいの皆さんが、自主的にテキパキと作業をされていてくださる姿が、ほんとうにうれしかったです。
 しかも、開場すると、いつもの常連に混じって、久しぶりの同人の方もお出でになる、初めてお見かけする方も、次々と入ってこられました。結局、総勢で50名ほどでしたが、同人の関係者やお子さんなどもあり、ポスターか広告をご覧くだされたと思われる方もあり、また、別の会の会員さんや元会員さんもあって、たぶん12名~3名は、初めての方だったように思いましたが、正直に、反響にビックリしました。

 講演の途中で休憩をいれましたが、お帰りになる方もなく、最後まで皆さんご静聴してくださいました。なかには身を乗り出してご聴聞される姿勢にも、ちょっと打たれましたね。
そのあと、一方的な質疑応答ではなく、思い切って2重、3重でも車座になってみましたが、ほとんどの方が残ってくださり、同人の師弟の初めての方などがご質問されたりで、これもまた温かい雰囲気でよかったです。終了後には、30年来の進まぬ聴聞の心境を告白というか、質問もされる方もおられたり、有線放送でお世話になっている、サウンドプラネットの担当者の素敵な女性にもお会いできるなど、準備段階ではバタバタと不安もあり、課題もあった講演会の出発でしたが、皆さんのお力と、ご法のすばらしさをあらためて知らされる、充実した集いになりました。ご参加くださった、ひとりひとりにお礼をいいたいです。
ほんとうにありがとうございました」。すぐにはご縁と結びつかなくても、長い目では、これからの聞法のご縁のきっかけにはなったという、手応えを感じました。

 ただし、出発前から少し風邪気味だったのもあって、張り切りすぎてホッとしたのか、夜には声が出づらくなり、珍しく懇親会もすぐに退散しましたが、なんとか今日の法座までは、終えることができました。

  そして最後には、東京支部の菩薩方と、響きあう、共鳴しあう、百重千重のお念仏のワークを実践しました。これまで九州や広島で、もう少し小人数でやったことがあります。これには、ぼくなりの狙いがあったのですが、なにかそんなものを超えて、ただただ尊く、皆さん、お一人お一人から、大事に大事に大事に、受け継がれてきたお念仏が、私にも届き、それを仰ぎ、押しいただき、そしてまた大切にお渡しするということを、理屈でなく、体で聞かせていただきました。勿体ない一杯でした。

  これまでの人生が、つらくて、ずっと死ぬことだけを考えているという方がおられました。よく話してくださいました。ほんとうにつらい人生を送っておられるのでしょう。でも、その方にも、確かに温かく、尊い、南無阿弥陀仏のお念仏が、大事に大事に届けられ、そのお念仏でしっかりとつながっているということを、理屈を超えたところで、聞いてくだされたらば有り難いです。

  無漸無愧のこころも、いまは温かい大悲のお心が満ちていますが、たぶんそのせいではないと思うけれど、微熱があるので、今夜は早寝しましょう。

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いよいよ「東京公開講演会」

2008tokyo_2   明日は、東京講演会法座だ。昨年に引き続き、2回目。昨年は、宗教法人の50周年記念を兼ねた集まりだったが、今年の講師はぼくだけで、參加者も関東や東京近郊の方が中心で、こじんまりした集いになる。それでも、それなりに準備はたいへんだった。連れ合いが、進行役で、配布物などの準備から、会場の世話、東京同人との打ち合わせのために、子供を早く保育園に送って、早朝から東京に向かう予定だ。

 でもぼくの今日の仕事は、8月の子供大会の「はちす」の校正作業が中心。日曜礼拝のS君が頑張ってくれたもので、そのままでもよかったが、少しだけ校正をして、印刷所に届けた。これで華光大会には間に合った。

 講演会の内容は、夜になってからボチボチと考えた。先日の仏青大会の法話をベースにする予定だが、雰囲気を見て、修正していくだろう。講演会といっても、なにも特別なことはないし、いつものような法話の延長だが、あまり聖教の言葉ではなく、生身の声のところてお伝えしたい。当然、しばらくは一方的に聞いていただかねばならないが、同じ時間だけ質疑の時間をとっているので、もし人数が少ないようなら、車座になって座談会に移ってもいい。すでに、初めての方からの問い合わせもあるし、東京で学生生活を送っておられる華光同人の師弟が、参加されるとも聞いている。ほかに、不思議なご縁が整って、初めて出会える方があるのなら、それが楽しみだ。ただ、顔を見に来てくださるだけでもいい。さらに、少しでも触れ合えたり、交流がきるならば、それこそうれしいかぎりだ。
 昨年同様、この様子は、サウンドプラネットという有線放送で放送されるそうで、その担当者とも明日はお会いできる。こちらも楽しみだ。なんかドキドキ、ワクワクです。

 講演会のあとは、明日(18日)の夜と、19日(日)はいつものような支部法座。今回は、高山からの助っ人もあるので、法話は明日の1度だけにして、グループ座談会を中心にしたい。一方的に、話を聞いてもらうだけなら、ある種、樂だとは思うけれど、前回の反省じゃないけれど、信・未信に関わらず、誰もが安心して、話し易い雰囲気の法座を作りあげていくことは、なかなか難しいことだ。でも、皆さんと協力して、そんな温かくも、それでいてごまかしのないそんなご法座をめざしてたいものですね。できれば、最後には、お念仏の合唱ワークを予定しています。これは、ぼくのオリジナルで、それをやってみたいと思えるような雰囲気になればいいのですが…。法座の詳細は、以下のHpで。講演会は無料なので、お気軽にご参加いただけますよ。↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/top_menu/2008tokyokoukai.htm

 

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宝塚歌劇のご招待

 整髪剤や育毛剤の大手メーカーから、ぼく宛にダイレクトメール(DM)が届いた。努めてアンケートや応募などはしないようにしているし、基本的にクレジットカードも使わない、携帯も持たないという生活なので、仏教や心理学の学会関係から来る以外は、案外、個人宛のDMは少ない方だ。それも封を切らないで、そのままゴミ箱に直行することが多いのだが、今回は仏青大会の直前だったので、未整理の箱に入ったままになっていた。何気なく封を切って、驚いた。

 『宝塚歌劇ご招待会 ご当選のお知らせ』とあって、「いつも弊社の製品をご愛用くださりありがとうごさいます。このたび実施いたしました宝塚歌劇観劇のご招待企画にも、さっそくご応募いただきありがとうごいます。たくさんのご応募の中から抽選の結果、あなた様がご当選になりました。」と、ペアの招待券(S席)が入っている。

 まったく身に覚えはない。連れ合いも知らないと言っている。もっとも、このメーカは知っている。でも愛用したことはない。ましてや、応募などしていない。新手の振り込め詐欺か? 当選商法か? でも、誰もが知っている大手企業だ。改めて、宛て名を見直す。確かにぼくの名前と住所。誤配ではない。もしや、どこかから、あいつ髪が薄くなってますぜという情報でも漏れたか? しかし、お知らせ文をいくら眺めても、怪しいところはない。その回の公演自体が貸し切りで、スポンサーになっている正真正銘の招待券だ。ならば、やはりぼくが以前になにか送ったことがあったのか。かなり昔のことから考えてみたが、やっぱり思いあたるものはない。なら、どうする? 返送するか、電話で問い合わせるか。大手企業の名前を語った詐欺とも思えないが(調べたらちゃんとHPでも告知していた)、電話は止めておいたほうがいいかもしれんなー、などどいろいろと悩んだ。まあ、とりあえずは、無視することにしたが、かなり気持ち悪い。

 でも、真相は思わんところから解明した。
  その夜の食事のこと。父が、同じ封筒を持っている。
「あんたら、これ行くか。私ら行かんし…」。
「エッー! ぼくにも来たけど、もしかして…」。
「ああ、そうやったなー。応募券が何枚かあったんで、あんた名義でも送ったかもしれんなー。言うの忘れてたわ」。
 
ヤレヤレ、まったく想像してないところに、真相がありました。おかげで、モヤモヤは一気に晴れた。でもね、いまのご時世、いくら親子とはいえ、勝手に個人情報を持ち出されたら、ちょっと困りますよ。ましてや、自分たちが行くつもりもないものに、応募するかなー。

 ちなみに、父の当選分は、2階のA席のペアだった。
 9月から、パレエを始めたばかりの長女が興味津々で、連れ合いと出かけることに話はまとまり、一応、めでたし、めでたしか。

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最小限度伝わる

  8月は休会、9月は仕事で休んだので、久しぶりの月例研究会。キャンパスは、キャンドルで飾られたり、学祭の準備が始まっていた。見事な満月。大きく、皓々と美しい。しばし立ち止まり眺めてから研究室へ。

 ロジャーズ論文を輪読する。建設的な成長に関するカウンセラーの態度の仮説に、クライエント側に存在しなければならないひとつの条件がある。いわゆる「伝達」、クライエントの知覚である。つまり、カウンセラーの純粋性や、クライエントに対して経験している受容や共感的理解を、クライエントが「最小限度」知覚する時に、パーソナリナィーの発達と行動の変化がおこると予測されるという。たとえ、カウンセラーが自己一致や、受容、共感と並べてみても、それがクライエント側に知覚されることがないのなら、自己満足にずきない。カウンセラー自身も経験されているある種の心理的雰囲気が、クライエントの関係のなかで、ある程度、知覚され、経験されたときに、成長や変化が起こるというわけだから、カウンセラーも伝える道に充分な配慮が必要なのである。もっとも、ここでいう、「ある程度」とか「最小限度」という言葉に意味深いと思う。すべてが分かるはずはないし、その必要もまったくないが、同時にすべてでないところが尊い。

 これは、弥陀の本願をお伝えする時にも通じるものがあるのではないか。たとえ、常に昿劫より我を照らすみ光りも、障りは衆生の側にある。しかし、さまざまな善巧方便によって、この無慈悲な心にも、その大悲のおこころに初めて触れ、それが涙となり、南無阿弥陀仏の声となって響く。まさに、大悲のおこころに貫かれた瞬間だ。それにしても、その大悲のお心のどれだけを聞き、気付いたというのだろうか。きっと、そのみ光りのあまりの神々しさに直々に触れたなら、この無明の眼などつぶれてしまうだろう。広大無辺で果ても、涯りもない大悲のおこころが、凡夫の限りある無漸無愧の心に、分かるはずなどないのだ。その何兆分の1どころですまないほど、大悲のおこころのほんのほんのほんの一旦に触れさせていただくただけで充分なのである。そこに、他力のお心によって、すべてがヒックリかえるだけの膨大なお徳が備わっているのだ。それを、たった一言を聞くだけである。そして、たった一声で、すべてがすむのである。でも、この最小限度の一言がないかぎり、闇は闇のまま、迷っていかねばならないのである。

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仏青大会~未消化の気分~

  仏青大会終わりました。3日間の法座、かなり疲れました。

 その外側の原因のひとつは、夜の懇親会だなー。日頃、夕食時に軽い晩酌しかしないのに、2日間とも、ついついそれなりに飲んでだり、食べたりしてしまう。日頃は、間食もしないのに、座談会の時も、すぐに飴やお菓子に手を伸ばすというあさましさ。いつも、いつものことなのに、なかなか学習効果がないなー 0時30分で、すんなり寝ることもなしいしね。いつも、始まる前は、「今夜は早く寢よう」とか、「懇親会は欠席しよう」なん思っているのにね。話すだすと楽しい。だから、分かっちゃいるのにやめらない、凡夫そのもの姿になるわけ。でも、これは体力の問題。

 そして、もうひとつは、分級座談会のグループが、後味悪く終わったことかなー。ちょっと凹むぐらい。こんなことは最近では、かなり珍しい。このところの法座や真宗カウンセリングのグループでは、暖かさを味わったり、触れ合いや響きあうことが多い。たとえ、動きが少なくても、また逆に厳しいぶつかりあいや紆余曲折あっても、3日間、じっくりかかわると、それなりの出会いや気付きがあるもの。

 それが、少人数で、3日間固定、気心が知れ、長年互いに信頼し合える人達が大方のメンバーで、ぼくも安心して、静かに構えていたのにね。初日は、それなりにのスタート。ちょっとぶつかりかかったり、初めての人への関わりもあったけれど、まだ遠かったり、硬かったり、遠慮を抱えた感じでは、ごくごく普通のこと。これから、これから。ところが、結局、2日目、3日目と、その雰囲気のまま、最後まであまり出会うこともなく、ぶつかりそうな場面での自己表明も少なく、しんどい人と全員でじっくり関わることもなく、誰かと時間をかけて聞きあうこともなく、なんとなく3日間が終わった。いや、この顔ぶれで、メンバー間の交流や反応が薄いセッシッンも、なかなか珍しい。3日目のラスト15分前に、「ほかのグループに移ってもいいですか」なんて発言がでる始末だもの。よほど退屈だったんだろうなー。最後まで、響きあったり全員でひとつの法味を共有しあうことが出来なかったのは、残念。

 もちろん、自分の態度のところでは反省点がある。受け入れ難い点があったし、この雰囲気の原因もある程度は説明がつく。もっとも、いろいろな要素が重なったことなので、ここで書いても仕方がない。せいぜい、この嫌な感じ、後味の悪さを味わいつつ、思いどおりに進まなかったことも、逆にいえば、操作的に頑張れば、もう少し有意義に進んだろうし、熱情込めて話せばもっと動いたかもしれないけれど、まかせることを選択した結果が、自分の思い描いたものではなかったと味わえなくもない。そのことを味わえたという意味では、これもまた替えがたい貴重な経験といえるわけだし、それだけ、反省や学ぶ材料も多かったわけです。その意味では、いつも以上に、「尊い経験を共有してくださって、ありがとう」と、御礼申さねばいけませんね。

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仏青大会の初日

 このところ、法座・行事が目白押し。参加の皆さんも、たいへんであろう。だいたい、うまく選んでられますがね。

 聞法旅行のあと、先々週は、日高支部、大阪支部、東海や東京でも支部法座が開かれ、先週の4日・5日には、聖典講座に、北陸支部に、広島支部法座があった。今日からの3連休、華光仏教年会である。父は、西法寺報恩講へ出かけた。来週には、東京講演会があり、輪読法座を挟んで、華光大会へと続き、その後も宿泊法座が続いて、華光誌の編集が始まる。さぞかし、潤いそうなものだが、貧乏暇なしの典型である。

 参加は30名弱ほど。久ししぶりに、M先生にご講師をお願いした。導入の雰囲気や司会ゲームが、とてもやわらかく、まさに癒し系というか、脱力系という感じの、ゆったりした雰囲気に変化していることに驚いたおられた。ぼくも同感の思いだ。そのことで、最近、読んだ、諏訪哲二氏の近代の教育論の変遷、森岡正博氏の草食系男子、そして片山洋次郎氏のものを思い出して、すこし話させてもらった。

 近代化、個の自立が進み、経済至上主義、消費社会的近代が、老若男女とわず、その上に実現しているがために生じる、さまざまな自我と社会とのズレや歪みが、さまざな問題を引き起こしている。自立することにより、孤立した個々のからだは、常に、臨戦態勢で、緊張の極度に置かれている。特に、骨盤がねじり固まり、胸の緊張が強く、呼吸が浅くなり、過呼吸的な状態が続き、意識はトランスしやすく、リアリティが欠如している。そのため極度の興奮思考がやまず、さまざまな依存状態に陥り易いからだになっているという。そのため、何とかそのテンポを遅くし、胸の緊張をゆるめようとするよう動きが、癒し系や脱力系、そして草食系という流れではないか。その雰囲気が、華光の仏青の20代、30代の若い人達にも顕著にあらわれてきているように思う。逆に、オウムなどのカルト教団は、その緊張や不安を悪用して、過緊張系というような修行や活動を強いている。一度、はまると、真面目で、しかも知的水準(高学歴)が高く、真面目な人ほど、強迫観念が強く、依存的な状態に陥り、なかなか抜け出すことは容易ではない…。

 なんか難い話しになってきたが、そんなことを全体会の自己紹介の時に、ひとつ話させてもらった。ほかにもあったのが、早くしないとせっかくの懇親会が終わってしまう。今夜はここまで。

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吉祥果

Img_3861  ひさしぶりに、石榴(ザクロ)を食べた。珍しいので、子供が欲しがったのだが、1個400円もしたが、なかなか見事なものだ。あまり食べることはないので、欲しがったわりに、中を見せると、「わー、キショ~」と、逆に気持ち悪がっている。それでも、食べだすと、二人とも喜んでいた。

 ザクロといえば、お約束だが、鬼子母神の逸話を思い出す。元は鬼神・般闍迦(はんじゃか)の妻で、500人もの子の母でありながら、毎日1人ずつ、他人の子を捕えては食べるという、極悪非道の鬼神だった。それが、釈尊によって、彼女が最も愛していた末子を隠され、たとえ何百人いようとも、たったひとりの子供の行方不明のために、狂ったようになり歎き苦しむ。ついに、子を失う母親の苦しみを知らされ、懺悔して、仏法に帰依したという。その後、仏法を守護し、安産や子供の守る善神として、広く信仰されるようになった。そのとき、子供が食べたくなったら、その代わりに、石榴の実を食べることを教えられたのだそうだが、吉祥果ともいわれ、もともと実に種が多いことから、多産や豊穣の象徴でもあるそうVw_15_3だ。 

 華光誌の表紙の写真(この写真はちょっと拝借したもの)にしたこともあるが、ジャワ島のチャ ンディ・ムンドゥという仏教遺跡で、鬼子母神の見事なリリーフを見たことがある。なんとも、豊潤で、温かな母親像である。そこでは、父親としての毘沙門天と対称的に奉られていたが、いまや、仏教のカケラもないこの地で、なんとも懐かしい不思議な気がしたものだ。

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広島法座~無常観~

  日曜日の広島法座。常連の欠席を聞いていたが、お友達を連れてきてくださる方が多くて、24、5名の参加。ここには、カルト的な真宗教団に行っておられた方のご縁は誰もない。初めての方でも、在家の念仏者で育てられた方や、別院やお寺参りにも熱心な方、小さなときにお寺の日曜学校に参加されていた方など、なんらかの方で浄土真宗に触れおられる方ばかりである。さすが、安芸門徒の地である。

 それでも、法話はわかりやすいものに努めた。再来週の東京を意識して、久しぶりに、法話を一から考えた。聞法の基本の基本といったところ。白骨のご文、無常を手がかりに、四門出遊、良寛さんの「捨てる」真似事の話、力なくして終わる時を目にもの見せられた病床説法の老婆の話など、人間は…」という、一般論ではなく、「私」ひとりと聞くことを、エピソードを交えながら話した。法話も以上に、そのあとの座談会での質疑がなかなかよかったが、法話の流れから追っていく。

 結局、「人は」「世間は」「みんな」はというところからしか、無常も、罪悪も聞いていない。「人は産まれたなら、必ず死ぬ」ことぐらい分かっていると思っている。自分の浅ましさも知っているつもりだ。でも、ほんとうに「地獄行き」だと聞いているのか。明日もいのちも分からぬ身だと聞いているかと詰めていくと、ほんとうはなにも分かっていない。人のいのちにかぎりがあることは充分分かっているという患者と、「癌で余命3ケ月」と宣告する医者の笑い話風の会話ではないが、「それ」(一般論)と「これ」(わが身)とは別なのである。
 そんな調子で、いくら「後生の一大事」と口で気張っていても仕方ない。それは、お救いにしても同じだ。十方衆生を「みんな」を救う阿弥陀様程度の、大様なところ、人ごとで喜んでいる。でも、法蔵菩薩のご思案、ご修行も、「親鸞一人」の「いちにん」、「私ひとりのため」とお聞かせに預からないかぎり、絶対に、そのおこころに触れることできない。みんなつもりの求道、聞法、お救いなのである。だから、いつもどことなく気持ちが悪かったり、薄皮があったり、今生が交わったりしていくのだが、なかなかそこに心を振り向けて聞く人は少ない。それが、お釈迦さまの四門出遊で、知っている「老、病、死」から、わが身の一大事になってきた。それで最初は、目を背けて逃げたかったわけ。でも、凡夫と違うところは、釈尊はすべてを捨てて出家する道を選ばれたわけだが、それは凡夫には真似できない。

 ところが、真面目に求めている人は、「なかなか無常が身に迫らず、まだまだです」とか、「どすれば後生の一大事、地獄行きが実感できるのか」などと、なんとか死や無常を取り詰めようと気張っている。それが、ほんとうに無常が分かっていない迷いの姿。ほんとうは、刹那無常、一刻、一刻変化していく今この一瞬の中に、一期無常、このいのちが終わる大無常があるのに、どこかで、「無常が取り詰まり」「いつかわかる日がくる」と轉倒している。その轉倒している姿を聞かせていただく。ほんとうに、聞いたことも、蓄えたことも、死ぬことが実感できようが、できまいが、例外なく、何もかもごっそり、根こそぎ、なにもかも持っていかれる。「言葉」も、「見える目」も、「聞く口」も、「歩く」ことも「動く」ことも、「考える」ことも、「感じる」ことも、この世で身につけたものは、この世にすべておいていく。役立つものは何一つないのだ。そこが、一大事なんでしょう。それがほんとうの私の姿そのもの。死ぬことが実感できたとしても(この腐っていく頭でしっかり分かっても、それがどうしたの?)、いつも迫ってくることがわかったとしても、そんなものは無常観でもなんでもないのだ。

「『されば、人間のはかなき事は、老少不定のさかいなれば』(無常迅速、それで何を急ぐのか)『だれの人も』(まったく例外の人はなく)、『早く』(グズグズしている時間はない)『後生の一大事を心にかけて』(今生事ではない、また後生が心にかかってからではもない「こころをかけて)、『阿弥陀仏ふかくたのみまいらせて』(深くとは他力のこころ、自力で祈願請求、願いではなく、阿弥陀様におまかせする身となって)『念仏申すべきものなり』(他力の身となり、念仏申していく)」。

 老少不定のさかいなので、「早く無常観を取り詰めろ、そう実感してから、南無阿弥陀仏と聞け」などとは仰っていない。「だれの人も、早く」なのである。もちろん、後生の一大事がかかってからではなく、いま、たったいま「後生の一大事を心にかけて聞け」との仰せである。

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決算期

 朝から、会計士の先生を交えて、決算、予算の相談があった。

 華光会は9月決算なので、年度末を終えて、総会に向けていろいろと準備が慌ただしい。特に、今年は、11月1日~3日が華光大会(3日目が総会)なので、急がないといけない。先月末から今週にかけて、来年度の役員を運営委員長との相談、リニューアルして2年経過した華光会HPの見直し、会館の維持管理のために建築士の先生との相談もあったりと、いろいろと続いている。

 特に、経理は、長年、華光会の経理・税務を担当者も、税理士の先生も、交代が重なったので、これまでとは違った形式で対応している。もともと、華光会のサイフはひとつなのだが、税務上、非課税の伝道事業と、華光誌などの収益事業部門に分けねばならない。それで、これまでは調整勘定という科目や両建てしていたのだが、今年からスッキリと1本化することになり、年度末も、在庫と、給与のみの按分するだけで終わる。減価償却も月々行なっているので、年度末も楽だ。もっとも今年は内部留保して計上しない方向で検討している。かなりシンプルなやり方なので、素人でも多少はわかりやすくなっているのではないか。ただ、これまでの比較という意味では、科目や両建ての廃止などで、今年だけは、予算と決算に、多少のデコボコができているが、相変わらずの貧乏所帯ながらも、現金ベースではどうやら赤字にはならずにすんだ。少し活動が活発になったので、(昨年と同じ科目で比較をすると)収入も若干上ったが、それ以上に支出が増えたので、なんとか赤字にならなかったというところである。それでも、数年前に比べると、専属の職員と、バイトを1名ずつ雇えるようになっただけでも、有り難いことである。

 ただし、いろいろと改善していける問題点もあることが分かった。これも、新しい視点からの指摘をいただいて、閃いたことだ。なんとか、もう少し安定した財源を確保していくことも大切で、その結局、不測の事態がおこった時に、寄付等で同人の負担が軽減されることになるのだが、これには、無い智恵を絞らねばならない。そのためには、皆さんに啓発し、ご理解いただくところから始めないと、なかなか難しいところだ。みな、それぞれが、自分の物差しでしか、物は計れないものね。

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広島新球場

 広島支部法座へ。毎月、広島法座あるが、9月は、支部大会が開かれるので、ぼくはお休みだが、今年は、9月の聞法旅行でも立ち寄ったので、毎月1度は訪問している。

Img_3857  新幹線から、いつも新しい広島球場の様子を見る。月1度だと、どんどん球場の形になっていくのが、なかなか面白い。更地から、急に球場の形になっていた時には、ちょっと驚いた。実は、この球場に、まさに隣接する場所Img_3858 に同人がおられて、家庭法座を開いてもらっていたので、その意味でも、工事の進捗具合が気になるのところだ。

 広島出身の連れ合いは、市民球場に年間指定席を購入するほどのファンたったので、市民球場がなくなるのことに、惜別の情がひとしおというところだ。

Img_0115 もっとも、ぼくにはまったく感慨はない。でも、たまたま2月に沖縄に行った時、近くでキャンプをしてImg_0118 いていたので、ちょっとのぞいてきたことがある。それでも、別にファンになったわけではない。その時だけ、ちょっとは親しみが沸いた程度かなー

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お叱り

 子供を寝かせて、「さあ、ブログ」と思った矢先、華光誌の記事で、お叱りのお電話をいただいた。事実に偽りがあったとか、内容がおかしいの類ではなく、記事の中にお名前が掲載されたことに対するものだ。

 実は、掲載にあたって、その部分は、充分に検討し、イニシャルにする、もしくは省くなどの処置を相談していた。しかし、著者の「お参りくださり、ほんとうにありがとうございました。これからもご一緒にご聴聞して参りましょう」という温かい気持ちを汲み、あえて、原文のどおり參加者全員へのメッセージとして、掲載することにしたのだ。

 もちろん、個人情報保護の視点から、今年から、住所や電話などの連絡先は掲載は中止している。しかし、華光誌は、一般の仏教雑誌ではなく、華光同人誌である。その創刊も、華光同人の通信や消息の連絡のための手段として出発した歴史がある。原則、一般に販売はせず、華光同人、華光誌友、ならびに寄贈者のみがその対象になっている、身内向けの雑誌だといっていい。したがって、体験記などは、個人の氏名のオンパレードになるものも少なくない。そこで、一応の原則を立てていて、法座のなかでおこった場合、第三者のことは、イニシャルで対応するケースがある。また、華光同人、誌友以外の場合も、イニシャルにしている。あとは、適宜判断する方針で、場合によっては、ご本人に掲載の有無を確認するケースもあるが、なるべく、臨場感をそこなわない方向で掲載することにしている。その意味では、今回のケースは、普通なら、問題になるものではない。

 それでも、(まだ文章を読まれたのではなく、ある方からの報告を勘違いされた電話だった)、事実として不快な思いをされたのだから、ひたすら、その気持ちをお聞きして、謝罪することにつとめた。もちろん、文面に氏名が掲載されることの確認を取らなかった当方に責任はあるのだ。その意味では、いまも、その点では「申し訳ありません」とお詫びするしかない。誰の記事であっても、それを発表した責任はぼくにあるのだし、今回の掲載に関しては、実は、かなり迷って何度も検討した上での掲載だったので、冷静にお話をお聞きすることができた。ただし、事実の誤認や中傷誹謗の類ではまったくないので、回収するまでの責任はない。それで、いろいろとお話をお聞きした結果、華光同人向けだけならなんら問題かないことは分かってきた。それなら、第三者の目に触れて、万が一不利益を蒙られるようなことがあるのなら、「『華光会とはまったく関係ない。勝手に掲載されて困っている。まったく勝手なひどい団体である』と、仰ってください。」との提案をすると、逆に、驚いておられた。

 結局、午後11時すぎまで、90分近くお付き合いしたが、しっかりお聞きすると、声のトーンが変わってくるのが分かる。ほとんどが華光会のことではなく、他の団体の批判を話し続けられる。ぼくが理解できないところも、丁寧に説明されていた。もちろん、電話を変わる際に、ぼくは自分の氏名を名乗っているが、興奮されているのか、通話者を、夜間の事務職員だと思っておられたのだろうか(確かに、夜の事務職員だ)、後半近くに、やっと相手がぼくであることが分かられたのか、また声のトーンが変わった。これまでも電話でお話したり、ご挨拶程度だが面識のある方だ。 

 翌朝には、逆にお詫びのFAXや電話までいただいた。

 たぶん、とりまく環境や個人的な事情により、その情報に驚かれ、そして、その個人のたいへんな状況を理解してほしかったのだろう。ただ、その逆縁でも、直接、お電話をいただいたことで、ぼくには、いろいろと人の姿が知れ、「ほんと世間虚仮で、仏説まことやね」と、教えていただくご縁だった。「お電話いただき、ありがとうございました」と、お切りした。

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同人会加入のお願い

 華光誌、67-4号が完成してきた。朝から発送作業の準備にはいり、午後からは助っ人2名交えての発送作業だ。今回は、折り込みは、「年賀交歓」の申込書だけだが、聞法旅行や壮年の集いの写真をいれたり、いろいろ出来たご縁の人に配布したり、かなり時間がかかった。早いところで明日、遠方は月曜になるかもしれない。広島の方は、日曜日にぼくが手渡します。
 ところで、目次には、「同人会加入のすすめ」とあるが、今回は折り込むことができなかった。ちょっと一言、ここに触れておこう。

 ご存じのとおり、華光会は、葬式や法事を中心にした死者や先祖儀礼の仏教ではなく、いま、生きている人達に、お念仏をお伝えすることを第一としている。誰もが、それが釈尊や親鸞さまをはじめてすべてのお祖師方のお心であることに、疑う余地を挟むものはないのだ。しかしである。それが、経済的裏付けとしっかり結ぶつくかというと、今日の寺院仏教の問題点がここにある。やはり、葬儀や年忌、永代供養などの仏事がない(よほど強力な檀家があるか、副収入があれば別だが)と、なかなか寺院経営は難しいのが現状ではないか。

 そこで、檀家をもたず、葬式や法事を中心としない華光会では、少しでも安定した活動を行なうための原資を、同人会という会員制度を取って行なっている。もちろん、無理な勧誘や、お布施の強要などは一切していない。法座の参加費用も、いたって良心的な低額だと思っている。そして、同人会設立当時から、半期ごとには、各同人の代表者には、中間の収支報告を行い、年に1度の総会では、全会員に決算報告を行なっている。それをご覧いただくとわかるが、収入は、同人会収入、法座法礼や参加費と、懇志、それに出版やテープ販売の収益の収入がある。一方、支出は、華光会館の維持や修繕、講師や職員の給料などの管理費、そして法座や華光誌出版などの法座活動の費用があって、赤字にはならないが、収支はトントン程度という感じで、ささやかな余剰もあるが、何十年にわたって、少しずつ蓄えられてきたもので、将来の不測の事態を考えると、とうてい充分と言い難いものだ。

 実は、このところ新しい參加者がかなり増えてはいる。しかし、華光誌友は多少増えたが、華光会の会員は、現状維持程度か、もしかするとマイナスになるかもしれない。たぶん、高齢や死亡で、同人会員の自然減も多いかもしれない。

 もちろん、「去る者は追わず、来る者は拒まず」が、華光会のいわば会則のようなものだ。だから、維持、継続するご縁があれば続いていくだろうし、またご縁が尽きれば、それは消え去っていくものだ。お参りされればわかることだが、華光会の同人会員で、「会」の拡大や、会員数を増やすことを第一に考えている人など、誰もいない。無理な勧誘や活動も一切ない。ただ、念仏広まれの精神で、この末法末世にあって、ひとりでも真実に目覚める法友が増えることを願ってやまないだけなのだ。その同信念仏で結ばれた人達が、信、未信にかかわらず、その法蔵菩薩の願心に生きるものが集う、念仏の故郷、華光同人の念仏精舎である華光会館を護持し、はじめての方でも気軽に法座に参加できるを場を提供するためにも、ひとりでも多くの同信の同人会員が生まれることを願うだけである。小さな組織だけに、まだまだやらねばならない課題や、やりたいこと、そして皆様の要望も山積みなのだが、そのためにも、華光の伝道精神に賛同し、その活動を共に援助しようとする、皆様方のお力添えが必要になってきている。

 まあ、そんなことをお誘いでも書こうと思っていたが、結局、発送には間に合わなかった。次回には、なんらかの形でまとめて、呼びかけていきたいと願っている。

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『今夜、列車は走る』

 久しぶりにアルゼンチン映画を見た。久しぶりといっても、これまで観たことのあるアルゼンチン映画はなんだろうかと、記録をたどってみると、『ある日、突然。』と『僕と未来とブエノスアイレス』を、06年に京都みなみ会館で、昨年は『ボンボン』を、京都シネマで観た程度。あとはなかなか思い出せない。アルゼンチンを舞台にしたものなら、『エビータ』とか、『ブエノスアイレス』、『モーターサイクルダイヤリーズ』など、浮かんで来そうだが、だいたいがハリウッド製のもの。正真正銘のラテン諸国の映画は、日本ではアート系の劇場でたまに上映される程度で、大手のシネコンではまずお目にかかれない。それも、東京でコケたら、まず京都に入ってくることもない。それだけに、どれも印象に残る佳作だ。

Salida_01  『今夜、列車は走る』予告編(公式ページのTRAILERで見れるもの)を、たぶん10回以上は見せられたので、かなり期待していたが、これがなかなかよかった。
 冒頭、ティーンエージャーの男女3名が、土砂降りの雨の中を走るシーンで、「ああ、これいい映画だわー」との予感。だいたい、これは8割以上当たる。実際、このシーImg_3853_2 ンは、感動的なラストへとつながる大切なシーンだった。廃線になった路線に、彼らが突然、列車を走らせる。ただ、列車が走るだけ。それだけなのに、ジワーと涙が溢れてくる。原題の直訳は、「次の出口」だそうだ 。やられました。

 社会派のヒューマン・ドラマだが、庶民の生活感覚にリアリティがあり、それがアルゼンチンだけの話ではなく、いまや日本も含め世界中でどこでも、通用する普遍的なテーマとなっている。お勧めですが、東京や大阪は今春に終了し、地方ではなかなか上映されないでしょうから。残念やね。

 ある地方の鉄道員たち(鉄道マンではなく、まさに鉄道員だな)、けっして高給でも、設備も古く、安全とも言い難い職場だが、誰もが、鉄道を愛し、その仲間と、自らの仕事に誇りを持っている男たち。しかし、社会は民営化の嵐が吹き荒れる中で、国鉄も例外ではない。経営者が民間に変わると、利潤追求が最優先となり、採算重視で赤字路線は、老朽化を利用に都合のよく廃線となっていく。彼らも、次々と体よく自主退職(リストラ)をされていく。

 貧しいながらも、それぞれが家庭をもち、さまざまな事情を抱えていた男たちの生活は、一変してしまう。うまく立ち回ったり、立場を利用して冨を得るものもがある一方で、多くの男たちは追い詰められていく。労働組合を代表していた男は、「どんなに闘っても、運命を変えられない」と、自ら命をたってしまう。唯一、抵抗して、サインせず工場に寝泊まりする孤独な男もいれば、すぐにタクシードライバーに転職するものの、その前途は多難も男もいる。ぜんそくの息子を抱えて、治療費にも支払えない若い夫婦も、次々と起こる難題に喘いでいる。そして、停年間近の初老の男は、長年の娼婦との別れを告げ、その日のバイトで糊口をしのいでいる。家庭を抱え、仕事探しも望むものが得られず、家の立ち退きまで迫られる中年の男は、妻や子供との諍いが絶えなくなる。そして、一旦、転がりだした負の連鎖は、さらなる悲劇へと続いていく…。

 失業はなにも経済的な痛手だけはないだなー。もっと深いところで、鉄道員として誇りや、これまでのキャリアのすべてが一瞬で否定され、人間性の喪失にまでつながる深い絶望となっている。これは、いまの日本も人ごとじゃない。まさに身に詰まらせられる。いわば、中産、中流階級が消えて、二極化し、下層社会が膨らんでいく格差社会のなかで、いかに政府(国)が無策で、世間も、わが身にふりかからないかぎり、冷たく無関心でいるかがよくわかる。

Img_3851  でもね、「どんな長いトンネルも出口のないものはない」。絶望を歎き、運命を呪うのではなく、ほんとうに勇気を出して、声にし、行動するなら、必ずその出口には光が射しているのだという力強さが、この映画の主題だ。そして、そこに、ホロッとさせる人のもつ暖かさの一面が、コッソリと忍ばせてある。このコッソリ具合がなんとも絶妙だ。

 昔、廃線あとのハイキングコースを歩いたことがあるが、長いトンネルに入ると、ほんとうに真っ暗闇になる。すぐ横の人の姿も見えない。そのとき、不安があっても、必ず先に出口があると信じているから、声をだして励まし合い、どんなに長くても、前へ進む勇気が出て来るのだろう。でも、いま、いちばん、これが欠けているかもしれないね。

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