『整体 楽になる技術』
最近、極度の緊張が伴うストレス社会の中で、ヨガや整体、またはリラクゼーションや癒しの立場から、からだを扱った本がブームだが、かなりお手軽なHow toものや、「ありがとう」と言えば、水の結晶が云々に類似するトンデモ本も多く、西洋医療や医学を、その程度のエセ科学でこき下ろしているのだ。それに、からだは、死生観にもモロに直結するテーマだが、その多くが、仏教の立場からは眉をひせめるものばかりで、がっかりすることもある。
本書は、タイトルだけみると、リラクゼーションか、簡易なマッサージ法でも伝授するお気軽な本かと思ったが、著者は、体験的な実践例も豊富で、同時に、自身の使命、哲学的な背景をもとに、近代科学の概観に、医療、心理学、音楽、ダンスやスポーツ等の分野にも言及して、現代思想の中で、整体、身体コミニケーションを位置づけようとするもので、なかなか読みごたえがあった。かなり引用部分もしっかりしていて、たとえば、身体コミニケーションを論じるところでは、精神科医の神田橋條治氏の『精神科診療面接のコツ』をとりあげて、神田橋の「自己アンテナ法」を紹介したり、身体を意識しておく姿勢が、自他の「距離感」に与える影響について注目したりしている。
一読しただけで、すべてを読み取ることは難しかったが、臨床経験から語られる身体論には、かなりのシンパシーを感じる項目が多く、刺激的だった。
ここ100年で、身体をめぐる環境や見方、つまり外側からの見方は激変したが、実は、身体そのものの本質は、そう簡単には変わっていない。生きることも死も、外側から定義されているが、実は、身体の内側からの(見えるわけではない)見方でしか分からないのだが、自らの生きることや死ぬことを定義するのは難しい。しかし、他所との共感の中で、おぼろげに浮かび上がる可能性を示唆している。では、身体の内側の動きをいかに観るのか。それは、X線やCTでスキャニングするような見方ではなく、「聞く」という感覚に近い。つまり、「内側の響き」を聞く、頭や耳で聞くのではなく、「全身で聞く」という感覚であるという。全身で共感し、共鳴するわけである。うまくいけば、お互いに「良い響き」を引き出すことができるのだ。
そして、社会的制約、外側からの眼差し、外部時間の圧倒的な強制される社会の中で、いかに内側(身体)からの眼差し、時間を取り戻すのか。 「ひとにとって、生きるということは外側の機械的で均質な時間に合わせながらも、自らの内側のかけがえない時間に生きるということである。」
また、「聞く」姿勢から始まる(57頁)の項では、以下のように述べられている。
よくカウンセリングで、一番大切なことは「聞く」姿勢だといわれる。「よく聞く」ことを、「耳を傾ける」という。「耳を傾ける」とは、実は「首を傾げる」姿勢をとるということである。この姿勢は、胸の緊張を緩め、感情的共感を高める姿勢である。上手に「耳を傾ける」ということは、互いの身体の空間的感覚でいえば、左右(横)の空間に反応するということであり、「横に並ぶ」という身体の共感的位置関係=言葉の始原のコミニケーションに立ち戻ることである。このような姿勢は、カウンセラーだけに求められるものではなく、誰にとっても大切な姿勢である。能動的に、他者をさえぎってまで表現する=主張することが、これまでのコミニケーション能力とされてきたが、「聞く」という共感的身体の間合いを「からだでつかむ」ことは、より重要なコミニケーション能力であり、そういう共感的姿勢を基礎に、はじめて「何故人を殺してはいけないのか」という問に答える倫理観(互いによりよく活かす共同性)を再生する可能性がある。」
真宗法座とは、単なる知的でも、感情でもなく、両者を含めた讃嘆コミニケーションの場だという提唱しているぼくとしては、この「身体で聞く」、「響きを聞く」、「響き合う」などのところは、信仰座談会でのお勧め姿勢や、ご聴聞の態度にも通じる気がしている。
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コメント
片山さんには一度お会いしたことがあります。非常にハラの座った人で、齋藤孝さんに通ずるところのある「カラダの先生」でした。私のガニ股(凹脚)について相談したところ、「無理にまっすぐにしようとしてもダメ。あなたの脚は、もともと外向きについているんだから、気にすることないですよ」と一言。高校時代からの悩みが一気に解消したのを覚えています。道場は、新築したばっかりで、檜のにおいがぷんぷん、壁は珪藻土……と、とても気持ちのいいところでした。
投稿: はらほろひれはれ | 2008年9月 5日 (金) 21:24
こんばんわ。東京では、お世話になりました。
やっぱり、そうなんですね。正直、これを書くときに、はらほろひれはれさんのことを、ちょっとだけ思いました。悩みも解決して、印象がよくてよかったです。この手の世界は、かなりあやしい人や、いい加減の人も、多いでしょうからね。
ぜひ、またお話聞かせてくださいなー。
投稿: かりもん | 2008年9月 6日 (土) 00:43