『おくりびと』&『納棺夫日記』
大手シネコンで、『おくりびと』を観る。モントリオール世界映画祭のグランプリ受賞 作。世界3大映画祭がとかく注目されているが、このモントリオール映画祭の受賞作も秀作、佳作が多い気がする。一般にも評判になっているのか、平日なのに満席に近い。映画の間も、笑い声が絶えない一方で、ハンカチを出して泣く人もいる。泣き、笑い、そして生きること、死ぬことを明るく、暖かい視点で考える、これがヒットの要因か。映画が終わり、出口に向かうと、ノロノロ
行動する人達が多い。「すぐにでも『おくられびと』になる人が多い映画やなー」(失礼!)と、わが身の無常は棚上げして苦笑した。まあ、いろいろな意味でオススメです。
念願のチェロ奏者になり、1800万もの楽器を購入した途端、オーケストラが解散、借金を残し失業した本木雅弘は、傷心のまま故郷の山形に戻る。それでも、愚痴らずに寄り添う優しく、けなげな妻(広末涼子)。仕事を探していた彼に、『旅のお手伝い』という求人広告が目にとまる。「年齢、経験問わず、高級保障、実質労働時間わずか」と、好条件だ。でも、旅は旅でもあの世への旅だった。「旅立ちのお手伝い」の誤植だという社長の山崎努(この人の個性がいいです)に、強引に採用されてしまう。実は、葬儀屋の下請けで、遺体を浄め、最後のお別れを厳粛に、威厳を保ちながら演出する「納棺師」の仕事だったのだ。これが見ていて、なかなか感動的だ。感じたことや面白かった点をいつくかあげると、
肉親、近親者の死というと、グリーフ-悲嘆や悲しみのイメージばかりだが、実際は遺族の反応はいろいろだ。もちろん、死にざまもさまざま、年齢もさまざまである。死後、何週間も経過した腐乱した孤独死、自殺や事故死、性転換した元男の女性死、妻や愛人に囲まれた死もをれば、子供の死も長寿まっとうした死もある。惜しまれる死、明るく笑顔でおくられる死、もちろん、悲しみのあまりに怒り、憤る遺族もいる。ほんとうは、悲しみの感情にだって、いろいろあるし、実際は一色ではない。その意味で、そのあたりの多様性が、うまく描かれていたと思う。
しかし、これは亡くなった故人より、その遺族のさまざまな姿が描かれていて、ある意味、「死」を扱った映画のようで、「死」そのものは扱ってはいない。だから、臨終の場面は出て来ないし、登場するのは、それまで生きていたが、いまは「死体」となった(もうこの時点では人ではない)ものと、その遺族たちである。そういえば、坊さんも(1シーン、火葬場でただ立っている僧侶がいた)もほとんど登場しない。臨終勤行(枕経)も、通夜や葬儀の様子もない。ただ、その以前の納棺の儀式が、いちばんのメーンイベントのように扱われているのだ。しかし、実際、それだけの誠心誠意な対応をしている。遺族の悲しみを尊重し、遺体に最大の敬意をもって接する厳かな態度は、感激ものである。撮影もたいへんだったと想像する。だって、死体役がメーンになるわけでしょう。やはり一部は、ほんとうの人間以外で撮影しているそうだ。
これは、富山が山形になっているが、妻に「汚らわしい!」と拒否される場面など、間違いなく、青木新門著の『納棺夫日記』が原作、もしくは参照されたものだと思ったが、エンドクレジットをじっくりみたが、どこにもその文字はない。パンフレットにもまったく出ていない。ただ主演の本木雅弘が、「インドでの体験と、ある本を通して、納棺の世界を知って、企画の発案をした」とあった。もともとの発行元の桂書房(いまは大手の文庫本になっている)の関係者の'ブログで、「そうだ」と公言しているのに、なぜ、「ある本」と伏せられているのだろうかな。(写真のものが原点で、いまは「定本」になったり、文庫本のものが手にはいります)
それはともかく、映画自体は、納棺師そのものに焦点があたり、青木さんの宗教的立場、深く浄土真宗を理解し、親鸞聖人や宮沢賢治の思想に言及する点には、まったく触れられていない。でも、これほどまでの仕事ぶりは、単なる金儲けや遺族の感謝、やりがい程度のモチベーションだけでなせるものではないだろう。その背後になんからの信仰、宗教的な背景があってこその業(わざ)だと思う。ぜひ、本書の併読もお勧めしたい。
あいわからず、「死」は、日常生活では最大の禁忌(タブー)である。一般の人達が、死に接する機会は限られている。ましてや、死体に触れる仕事は、「穢れた」ものとして、妻や友人からも疎まれ、また遺族からも差別的に見られていく。ここにも、仏教本来とは異なる、日本人の死生観の一端が現れて来る。同時に、このタブーを扱うからこそ、面白さがある。ちょっとしたことがユーモラスな行為に見えて、笑いが絶えなかった。
もう一点の注目は、「食」べるという行為が、何度もクローズアップされていることだ。生と死を考える点では、これはよかった。初めて人間の死体(しかも腐乱死体)を扱ったあとで、シメたニワトリの鍋料理が出てきて、思わず嘔吐してしまう主人公。それが、いつのまにか、仕事の後のクリスマスでフライドチキンを貪るようになるのである。「生きもののいのちを食らわなきゃ、死ぬ」そして、それが「困ったことにうまい」というところが押さえていたのは、好感がもてた。所詮、人間の死体も、フライドチキンも、白子も、みんな同じだよというメッセージとも読めた。
そしてもう一点、火葬場で、小窓から母親が焼く猛火が映る。「死ぬことは終わりではなく、そこをくぐり抜けて、次ぎに向かう『門』だ」と、火葬場の職員がつぶやく。
そうなんだなー。でも、でも、みんなその『門』の先に、明るい、安らかな、ユートピアを間違いなく想像しいるけれど、そうは問屋が卸さないぞー。真実の鏡の前にたったら、ゾーとするんだけどなー。最後の看取りやお別れが誠実で、暖かく、人間的であれば、きっとその先の行き先も明るいという、なんの理由も根拠のない楽観的な幻想なんだけどなー。
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コメント
「おくりびと」最近モックンがやたらと
で宣伝
してるし私も観たいな~と思っていた映画です。
行く機会があればいいけどなぁ~。
最悪DVDになってからでも観たいなぁ
投稿: 蓮華 | 2008年9月28日 (日) 22:14
蓮華ちゃん、すごいぞ、三夜連続の登場、ありがとう。
これは、けっこう楽しいので、おすすめできますよ。まあ、若い人よりも年配の方、しかも後期高齢者の率が非常に高かったです。本も、文庫本が手軽です。
投稿: かりもん | 2008年9月29日 (月) 00:38