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日曜礼拝の法話

 日曜礼拝。常連に加えて、うちの子供たちの保育園や小学校のお友達、そのまた友達の参加があって、行事なみの盛況ぶり。大人も、初参加の方もあったり、かなりお参りがあった。

 法話は、初めての試みで、常連の先生以外の方にお願いすることになったようだ。この試みは悪くないと思った。それぞれの分野で仕事をする大人にしても、また専業主婦のお母さんだって、子供たちにはまだ経験したことのない、その世界の専門家だもの。そんな方のところから、発信されるご法話や感話が、たまにあってもいいんじゃないかなーとも思う。担当があたった方も、かなり真剣に取り組むだろうしね。たぶん、日頃のご聴聞よりも、身のはいったご聴聞になるんじゃないかなー。 

Img_3471  今回は、Tさんが初挑戦。初めての法話に、緊張気味だったようだが、それなりの大人ですからね。なかなか立派な、ハッキリした態度がよかったし、話し方もゆっくりと、はっきり聞き取れた。大勢の前で、それだけでも、立派なものだ。

 冒頭、数字が並ぶ。「6,700,000,000」(67億)。これなんの数字からわかりますかとの質問。子供たちの、ユニークな答えが飛び交うが、結局、正解はでない。ちなみに、ぼくは恥ずかしながら、(あ、Tさん、間違ってるよ。それもいうなら、56億7千万だから、最初5が抜けているぞ)。まあ、寝ぼけたことを考えてました。でも、シャッキとしたアタマの大人もおられて、「世界の人口の総数です」とキッパリ。

 次ぎに出されたのは、「60,000,000」(6千万)。 まあ、ここでも子供たちは、「世界の国の数」「日本の人口」。「わかった!動物の数」、などとトンチンカンに答えていたが、正解はでない。でも、今度は、ぼくもわかった。日本の人口で1億2千万で、1年間に約100万弱(0.8%)が死亡するからと推理して、ピントきた。誰も答えがでなかったので、「1年間での世界の死亡者」と、解答。今度は、ボケずにOK。1日にすると、約16万5000人。1秒あたり、約2名ほどが亡くなっているという。無常、無常と遠くにおいているけれど、この数分の間にも、世界中で、日本で、すでに何百人もの人が亡くなっていることになる。ただ、自分や自分の周りで、たまたまいまは起こっていないだけなのだ。いつでも、どこでも、そして必ず死ねばならない。必ずやってくるのだ。

 で、死んだらどうなるのか。お葬式に出た子供たちも多かった。なかには、火葬場に立ち会って、「白骨」になる姿を見たことのある子供もいた。でも、それで終いではない。生き死に、生き死にを繰り返し、繰り返してきた。今も白骨の身となれば、その迷いを繰り返していかねばならない。
 と無常から、罪悪、そして後生の一大事へと話は展開し、最後は、阿弥陀様のお救いへと進み、悟朗先生なみに、「阿弥陀様」が、「南無」してくださっているという、南無阿弥陀仏のおこころについて、力強くお話くださった。さすがに、保育園や低学年の子供たちには難しいだろうが、高学年や大人の人達には大切なところを押さえたお話だった。

  もう少し前半の無常のところだけを深めても、子供たちには充分インパクトがあったんじゃないかなとも思える内容だけれども、それでも、南無阿弥陀仏のお心について、キッチリとお伝えくださっることも大切だ。

  Tさん、初めての大役、どうもお疲れさまでした。

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今日は日曜礼拝。結構大人数の子どもたちと、初めて法話担当するTさん目当てか、いつも以上の多くの大人のお参りでにぎわった。もっとも、数の多少が大事なんじゃないけれど、多くの人が同じところで同じお話を聞いているってのは、そのことからも味わうことがあったりする。 緊張しながらも初法話を担当したTさんのお話は、その言葉は使わなくとも無常・罪悪・因果の道理・本願のお心とフルコース。私自身も経験しているが、じっくり練ってきたものを理路整然と話するのは難しく、結局最後は「私が聞かせていただいているもの」がそのま... [続きを読む]

受信: 2008年9月 8日 (月) 02:11

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