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本願招喚の勅命

 華光誌に並行しながら、聞法旅行の準備。これも、事務所にスタッフが2人いるおかげで、随分、大助かりだ。昔は、父と二人、もしくはひとりで作業をしなければならなかった。もう、前夜の深夜まで資料づくりや準備に必死だったものだ。もちろん、地元同人の皆さん、運営委員の方には、随分、助けていただいいたが、皆さんにも仕事や家庭があるので、そう無理は頼めなかった。

 今回は、山陰の妙好人のみ跡を慕う。長い行程を敬遠されて、パスされた方も多い。でも、これもまた一興だ。華光の念仏の同人の旅は、車中もまた楽しい。ゲームもする、『大悲の呼び聲』なども共に歌う予定だ。日頃、ゆっくり話せない、同人とも語ってみたい。31名と、極端に少ないが、これもまたこじんまり楽しいではないか。京都や東海、日高、九州の同人の参加者は、各1名だけと、ちょっと寂しい。あとは、地元に立ち寄る広島の方も、行事疲れか2名だけで、もう少し参加してもらいたかった。せっかく、広島市内で昼食し、広島駅にも寄るのね。逆に、遠方の東京方面の參加者が8名(1/4やね)と最多なのが、おもしろい。8月の東京支部法座の時に、ひとりひとりに招喚したら、一気に増えた。

 「皆さん、参加してください」と、大勢を前に、大きく声をかけただけでは、みんな人ごとに聞いている。それが、直接、「○○さん、お願いします」と名指しされて、初めて、自分の問題になってくる。直接、熱心に誘われると、断るにせよ、ちょっと理由もいわねばならない。初めて、ぼくたちは、わが身に問う。
 これは、聞法も同じでしょう。いつも、だいたい弥陀の本願招喚の勅命を人ごとに聞いている。みんなを救う阿弥陀さまじゃない。私ひとりに呼びかけておられる。「○○よ、早く来いよ!」と、名指しされ、頼まれているのだ。ならば、いま、すぐその呼びかけには、応えねばならない。しかも、人間の断れる命令じゃない。「勅命」なんです。もう嫌でも、不本意でも、「南無阿弥陀仏」と応えるしかない。ほんとは逆らえない。でも、大馬鹿ものは、屁の突っ張りにもならない妙なプライドで抵抗する。そんなに「私」にって大切なんですかね。自意識過剰も、甚だしいが、これで、ズッーとズッーと、ズッーと、ズーッと迷い続けてきた。そして、迷い続けていくとしたら、こんな恐ろしい話はない。

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