『天井桟敷の人々』を観に行って、「ドッコイショ」ババァに会う
昨年九月にイタリア映画祭(http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_5c96.html)があった京都駅ビルシネマで、今年も九月の1ケ月、今度は、フランス映画祭で、新旧あわせて36本の映画か上映される。先攻ロードショーやアニメを除くと、最近の映画はほとんど、名作もけっこう劇場で見ている。でも、未見のものも、7~8本はある。今日は、その中でも、名作中の名作の誉れ高い、『天井桟敷の人々』。いまや、当D
VDは500円で手に入る時代だ。有り難ことなんだけれども、名作自体がディスカウントされるような気もして、どこか複雑な値段。でも、劇場で見れば、今回は会員割引もあるが、それでも800円也。臨時の劇場でいい環境とはいえないけれど、それでもスクリーンで見ておきたい1本だった。内容は、なかなか満足のいくものだったし、これが、第二次大戦間のドイツ占領下のフランスで撮影されたと聞くだけで、いろいろと感じるところもあった。それはまたの機会として、その間の出来事をひとつ。
2部構成の約190分と長い映画。1部が終わり、10分間のイッターミッションを挟んで、すこし休憩。その間、テレビのカメラが入ってきた。誰も、何も言わなかったが、トイレが戻ってきたオバさんが、大声でカメラマンに話かけている。
「アー、テレビ?テレビ? ヘーエ、どこの局?」
(場内を気にした小声で)「京都放送です」
「エ?」
(まだ小声で)「京都放送です」
「エ?」
(少し大きく)「京都放送です」
「エ?」
(さらに大きく)「京都放送です」
「エ?」
(きっぱりと)「京都放送です!」
「ハハハハ、わたし耳と遠いから」と、明るく笑ってながら座席へ。そして「ドッコイショ」と、腰をかけた。
もう、その間が絶妙なのだ。場内のみんなも小声で苦笑するかしない。
でも、このオバちゃんとの縁は終わりじゃなかった。映画も感動的に終わって、帰りのエレベーターを、3人ほどで待っていると、横のトイレから現れた。いきなり、隣の女性に 「ねえ、ここのトイレ狭いわね。これじゃ車イスの人は使えんと思わへん。それより、○○のトレイの方が……」とトイレ談義を始めたと思ったら、「ねえ、今日は、テレビで大雨と言ってから傘持ってきたけれと、降ってないなー。あんた、傘もってきた…」と、しゃべりつづける。最初、知り合い?と思ったけれど、困惑している女性をみると、まったく接点がないようだ。でも、そんなことにお構いない。やっとエレベーターが到着する。「ヤレヤレ、ドッコイショ」。座るんでも、登るんでないし、ただ1、2歩歩くだけなのに、なんでこの掛け声なの?と、突っ込みたくなる。
それが、ぼくの横にいる。なんかいやな予感は当たる。やはり、横から、親しげに話しかけてきた。(同じサイズのTシャツを重ね着し、薄いマフラーを巻いていた)ぼくのファッションが気になったらしい。「ねえねえ、お兄ちゃん。なんで、首に巻いてるの。寒かったん? 若い女人はよくそんな垂らしたはるわー。あんたシャツも2着てるやん。 寒かったん? ああ、風邪引いてんの? 若い人はいいけれど、わたしも年でこのことろな…。でも、なんか今日は、冷房効いてなくて暑かったなー」。その間、ただ「ハァ」とか「エエ」とか、困惑して空返事をするしかない。妙に長くかかったエレベーターが1階へ。ドアが開いて降りるときも、やっぱり、「ドッコイショ」。そして、降りるなり、そこにいた別の人に、「ああ、あんたなー」と、長年の友人のように、話しかけたいたことはいうまでもない。
話かけられている間、ぼくの中で、「今日のネタは決まったなー」と笑うしかなかった。まあ、明るい話し方で、別段迷惑をかけるわけではないですがね。でも、「ドッコイショ」ババァとして、あるところでは有名なんではないかなー。ちなみに、「ドッコイショ」は、霊山に登るときの、「六根清浄」から来た仏教用語という説もあるんですが…。次に出会うことがあったら、カメラに收めたいものです。
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