« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »

2008年9月の27件の記事

オウム返し

 ある法座で、奥さんが立腹されていた。なんでも、このところ、カウンセリング学習会で学びだした夫が、(妻に夫が)『カウンセリングしてやる』(つまり夫が「困っている」妻を助けるイメージだ)と態度で話を聞くというのである。だから、「○☆*○※*△◇だ」と言ったとしたら、「『○☆*○※*△◇だ』と思ってるのだね」とオウム返しされる。「お前、バカにしてるとー」というと、「バカにしていると思っているのだね」と、オウム返しは続くよ、どこまでも。だから、ほんとうに腹が立って仕方がないという。
 まるで笑い話のような話だが、ご本人同士はいたって真剣だ。

 でも、それゃ、そうだなー。子供の時、友達をからかう時に、誰もよくやったでしょう。3、4回も口真似し続けると、子供でも腹を立てる。まして大人になったらどうか。別に悪意がなくても、ぼくの真横で、ぼくの発言内容を、そのまま何度も何度もオウム返しされ続けたら、とても話しづらくなってしまう。そんな経験もしたことがあるが、ましてや、そんなことを知らない人には、なおさら悪意にしかとれないかもしれない。

 その場では、「より正確に聞こうとされる一生懸命なんです。ダンナさんのレスポンス(返答)が不自然で未熟なだけで、もうちょっと暖かい目で見守ってあげてください」といったアドバイスなどがあったが、カウンセリングというものを通じて、夫への不信、怒りは収まる様子はなかった。

 あるカウンセリングの本の中には、カウンセラーの返答の技法として、「オウム返し」という文言で示しているものもある。しかし、「オウムは返しませんよ」と、西光先生はよく言われていた。ここでの返答は、オウム返しとは違うのだ。『暮らしの中のカウンセリング』でも
 「この内容のくりかえしは、ともするの形式的・機械的な『オウム返し』になりやすいのです。前の『簡単な受容』もそうですが、心がともなわない言葉だけの模倣が、いかにぎこちなく、またしらじらしい感じをを与えるかは、少し実習してみるだけでも、実感としてつかめます」と(86頁)で述べられている。
 さらに、話し合いの基本ルール(221頁)にも、「正確にいい直すということは、必ずしもオウム返しにすることではなく、相手の言おうとした気持ちや意図の核心を明確化することを意味する」とも、言われている。

 にもかかわらず、少しミニ・カウンセリングの学習が進むと、「ああ、カウンセリングって、言葉を正確にオウム返しするんだなー」程度の理解に留まって、しばしば上記のような悲劇といか、喜劇がおこってしまう。確かに、その場合も、より正確に、誠実に言葉に寄り添う、聞こうとする誠実さの現れなのである。が、すこし相手の立場に立ってみればよくわかることだ。当たり前のことだが、「カウンセリング」=「ミニ・カウンセリング」という理解では、実は不自由分なのである。とはいっても、この不自然さを意識しながら、やはりそうしていくプロセスを経ないと、なかなか聞く態度は身につかないのも事実だろう。そのためには、頭の片隅に、正確にレスポンスすることは、決してオウム返しとは違うんだということぐらいは、置いておいていい。決して、「オウム」は返さない、私も、相手も人間なのだと。そうでないと、正確に「オウム返し」することだけに神経を募らせて、ただ言葉のうわつらだけを捉え、相手には、単なる言葉を模倣されているというメッセージしか伝わらず、聞いてもらっている実感も薄いだろう。聞くという営みは、実は、言葉そのものではなく、その言葉の出所や、その響きこそ聞くのである。そのために、その言葉を大切にするのことが、実は相手を大切にすることなのであって、そのことを忘れては、喜劇のような言葉の模倣に終わってしまうのだ。

| | トラックバック (0)

大阪支部法座~三つの量~

  日曜日。朝、約束していた個人相談を中止したいとの連絡。午後から、大阪支部の予定だったので、ちょっと余裕ができた。

 年に1度、大阪支部といいながら、京都の華光会館で法座がある。久しぶりにお参りくださる方、少し体調を崩しておられたのに、元気に顔をだしてくださった方もあった。また、初めての方が、4名あったが、お友達と一緒にお出でくださった方以外は、例のルートである。法話は、歎異抄の12章の「学解往生の異義」のところを、少し長めにご法話したあと、座談会。ちょっとご法話が、長くて、しかも内容が盛り沢山すぎたようだ。「庄松、お前を助けるぞ」の話が印象に残ったという人が多い。初参加の20代前半の若い女性から、「後生の一大事」とか、「無常」とか、「罪悪」という言葉がバンバンである。普通ならありえないことで、まさに有り難い話だし、ちょっと斜めからみると、おかしな話でもある。

 座談時もそうだったが、その後も小一時間、その疑問に答えた。正直に、わからないことや不審に感じていることを話されたのはよかったが、ちょっと疲れた。別に答えが難しいからでなく、外側の「○○会では××ですが、華光会はどうですか」という類の質問が中心なので、まだまだ自分に触れていかないからだ。ほんとうは、その、いわば思考の負のスパイラルから一歩でなければ、○○会であろうが、△△寺であろうが、そして華光会で聞法をしても、意味はないということを分かってもらいたいのだ。そのためには、このプロセスを一度は通っていかないければならないのもわかる。ただ、「教学の根拠はどこにありますか」「親鸞聖人の聖教上では、どこにありますか」を連発されと、逆に心配になる。本人にしたら、騙されたくない、ほんとうのことを知りたい、いちばん、整合性のありそうな、納得できる話を信じたいの一心なのだろうけれども、その金科玉條の「教学的根拠」にしても、聖教を都合よく取ったり、つなぎ合わせて、再構築したもので、簡単に丸め込まれる危険性もあるのだ。他者への批判にしてもその通り。一見、客観的なような根拠に、聖教が悪用されるケースだってあることを、頭にいれておかないと危険なのだ。

 もちろん、聖教量は大事だ。それが法の鏡であることはいうまでもない。同時に、いま、わたしの上に届いている「現量」がなければ、これまた空しい。でも、聖教だけなら、偏狭な教条主義、学解往生に陥るし、一方で、ただ体験だけなら、独善的な心理主義になる恐れもある。その意味で、友同行と、喜びを分かち合い、響きを聞き合う「比量」という「三量」がイキイキとしていることが、その中心にある法(ダルマ)が躍動している姿である。それが生きた法座なのだ。すると質問がでる。「その教学的根拠は、どこにありますか」と。ヤレヤレだ。いま、ここに届いている、生きた「南無阿弥陀仏」を聞きながらも、小さな迷いのこの人間の頭に収まるように、切り刻んで標本にして、保存しておくつもれなんだろうかなー。

 その意味でも、一度、冷静になって、俯瞰的な視点、第三者の目で、自分のいまの姿を眺めてみることをおすすめしたい。「後生の一大事の解決こそが、人生の究極の目標」と、必死になって「正しい」ことと疑わずに求めているが、そのわが姿そのものが、ほんとうに「真実」なのかを、一度、鏡に写して、確かめてみる必要がある。目の前にぶら下がる「信心」というニンジンを追い求めて、鬼のような形相で、餓鬼のような心を持ち、畜生同然の愚かな姿を、しっかりと聞かせてもらうしかない。もう、それを聞かされれば、「うんも、すんも」なくなる。いま、ここの自分を抜いて、外側ばかりを比べ合う聞法や発想から抜けることは難しいけれど、まずそこが出発点なのだ。ウーンと皆さんを困らせて進んでいくしかないかなー。
 その意味でも、この先のご縁は、もう宿縁としかいいようがない。面々の御はからいなのである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『アメリ』を観ることになった1日

 今日は、長女の運動会。下の子の運動会は、聞法旅行とかち合って、涙の欠席。すごーく、練習に練習さかねて鼓笛隊(小太鼓)や、リレーバトン、器械体操に挑戦するのに、残念ながらビデオ観戦となった。上の子からのこれまでの6年間、土・日曜日が法座のわりに、学芸会も含めてうまく参加できていたのに、初の黒星となった。

 だから、今日の運動会は楽しみにしていた。でも、植物園の帰りから雲行きが怪しくなって、1週間みごとに学校を欠席した。悲しいかな、小さなときのぼくと同じ体質を引いて、季節の変り目には疲れから風邪になり、その後、ひどく咳き込む。特に夜がかわいそうなほど、咳をする。先生とも相談して無理はさせられなかった。結局、2年続けて運動会を欠席。駆けっこも早い方だし、体力はないが、運動神経は人並み程度なのだが、本人はあまりこの手の行事に興味が薄いのか、休んでもサバサバしている。親も、残念なようであり、楽できてうれしいような、複雑な心境だ。

 おもわぬ時間が出来て、事務仕事を少した後、カットに行き、その足で、京都駅ビルシネマのフランス映画祭へ。まだ未見だった、フランス映画『アメリ』を観る。補助席がでるほどの盛況。最後の方で、なんとか座れた。甘いだけの恋愛映画かと思っていたら、どうして、なかなか面白かった。神経質な母親と、冷淡で愛情をうまく表現できない父親の間に育ち、学校にも行かずに、周りとコミニケーションがうまくとれないまま、空想の世界に生きていた女性が、ある事件をけっかけに、周りを温かく、幸せにしながらも、自身も不器用ながらも成長していく、ラブストーリー。一筋縄でいかない映像と、色彩トーン、ディテールへのこだわりも、なかなか魅力的だった。なによりも、アメリを含めて、みな一癖も、二癖もある個性豊かな人物描写で、夢想と現実の織り込み方がうまくて楽しめた。

Img_3835_2  満足して京都駅の劇場をを出ると、6時前なのに、もう日が落ちている。すっかり秋なのだ。あまりにも見慣れた京都タワーも、今夜はきれいに見えた。
 そのまま東
Img_3837 寺保育園へ子供のお迎え。やはり、ライトアップした東寺もカメラに收めた。長袖1枚では、ちょっと肌寒い。まだ半袖のまま、自転車の補助イスのナナが、「寒いなー。帰って、おフロであったまって、長袖きて、布団にはいりたい」と言っている。
 知らぬ前に夏、終わっていた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『おくりびと』&『納棺夫日記』

 大手シネコンで『おくりびと』を観る。モントリオール世界映画祭のグランプリ受賞Okuribito 作。世界3大映画祭がとかく注目されているが、このモントリオール映画祭の受賞作も秀作、佳作が多い気がする。一般にも評判になっているのか、平日なのに満席に近い。映画の間も、笑い声が絶えない一方で、ハンカチを出して泣く人もいる。泣き、笑い、そして生きること、死ぬことを明るく、暖かい視点で考える、これがヒットの要因か。映画が終わり、出口に向かうと、ノロノロImg_3838 行動する人達が多い。「すぐにでも『おくられびと』になる人が多い映画やなー」(失礼!)と、わが身の無常は棚上げして苦笑した。まあ、いろいろな意味でオススメです。

 念願のチェロ奏者になり、1800万もの楽器を購入した途端、オーケストラが解散、借金を残し失業した本木雅弘は、傷心のまま故郷の山形に戻る。それでも、愚痴らずに寄り添う優しく、けなげな妻(広末涼子)。仕事を探していた彼に、『旅のお手伝い』という求人広告が目にとまる。「年齢、経験問わず、高級保障、実質労働時間わずか」と、好条件だ。でも、旅は旅でもあの世への旅だった。「旅立ちのお手伝い」の誤植だという社長の山崎努(この人の個性がいいです)に、強引に採用されてしまう。実は、葬儀屋の下請けで、遺体を浄め、最後のお別れを厳粛に、威厳を保ちながら演出する「納棺師」の仕事だったのだ。これが見ていて、なかなか感動的だ。感じたことや面白かった点をいつくかあげると、

 肉親、近親者の死というと、グリーフ-悲嘆や悲しみのイメージばかりだが、実際は遺族の反応はいろいろだ。もちろん、死にざまもさまざま、年齢もさまざまである。死後、何週間も経過した腐乱した孤独死、自殺や事故死、性転換した元男の女性死、妻や愛人に囲まれた死もをれば、子供の死も長寿まっとうした死もある。惜しまれる死、明るく笑顔でおくられる死、もちろん、悲しみのあまりに怒り、憤る遺族もいる。ほんとうは、悲しみの感情にだって、いろいろあるし、実際は一色ではない。その意味で、そのあたりの多様性が、うまく描かれていたと思う。

 しかし、これは亡くなった故人より、その遺族のさまざまな姿が描かれていて、ある意味、「死」を扱った映画のようで、「死」そのものは扱ってはいない。だから、臨終の場面は出て来ないし、登場するのは、それまで生きていたが、いまは「死体」となった(もうこの時点では人ではない)ものと、その遺族たちである。そういえば、坊さんも(1シーン、火葬場でただ立っている僧侶がいた)もほとんど登場しない。臨終勤行(枕経)も、通夜や葬儀の様子もない。ただ、その以前の納棺の儀式が、いちばんのメーンイベントのように扱われているのだ。しかし、実際、それだけの誠心誠意な対応をしている。遺族の悲しみを尊重し、遺体に最大の敬意をもって接する厳かな態度は、感激ものである。撮影もたいへんだったと想像する。だって、死体役がメーンになるわけでしょう。やはり一部は、ほんとうの人間以外で撮影しているそうだ。

Img_3848  これは、富山が山形になっているが、妻に「汚らわしい!」と拒否される場面など、間違いなく、青木新門著の『納棺夫日記』が原作、もしくは参照されたものだと思ったが、エンドクレジットをじっくりみたが、どこにもその文字はない。パンフレットにもまったく出ていない。ただ主演の本木雅弘が、「インドでの体験と、ある本を通して、納棺の世界を知って、企画の発案をした」とあった。もともとの発行元の桂書房(いまは大手の文庫本になっている)の関係者の'ブログで、「そうだ」と公言しているのに、なぜ、「ある本」と伏せられているのだろうかな。(写真のものが原点で、いまは「定本」になったり、文庫本のものが手にはいります)

 それはともかく、映画自体は、納棺師そのものに焦点があたり、青木さんの宗教的立場、深く浄土真宗を理解し、親鸞聖人や宮沢賢治の思想に言及する点には、まったく触れられていない。でも、これほどまでの仕事ぶりは、単なる金儲けや遺族の感謝、やりがい程度のモチベーションだけでなせるものではないだろう。その背後になんからの信仰、宗教的な背景があってこその業(わざ)だと思う。ぜひ、本書の併読もお勧めしたい。

 あいわからず、「死」は、日常生活では最大の禁忌(タブー)である。一般の人達が、死に接する機会は限られている。ましてや、死体に触れる仕事は、「穢れた」ものとして、妻や友人からも疎まれ、また遺族からも差別的に見られていく。ここにも、仏教本来とは異なる、日本人の死生観の一端が現れて来る。同時に、このタブーを扱うからこそ、面白さがある。ちょっとしたことがユーモラスな行為に見えて、笑いが絶えなかった。

 もう一点の注目は、「食」べるという行為が、何度もクローズアップされていることだ。生と死を考える点では、これはよかった。初めて人間の死体(しかも腐乱死体)を扱ったあとで、シメたニワトリの鍋料理が出てきて、思わず嘔吐してしまう主人公。それが、いつのまにか、仕事の後のクリスマスでフライドチキンを貪るようになるのである。「生きもののいのちを食らわなきゃ、死ぬ」そして、それが「困ったことにうまい」というところが押さえていたのは、好感がもてた。所詮、人間の死体も、フライドチキンも、白子も、みんな同じだよというメッセージとも読めた。

 そしてもう一点、火葬場で、小窓から母親が焼く猛火が映る。「死ぬことは終わりではなく、そこをくぐり抜けて、次ぎに向かう『門』だ」と、火葬場の職員がつぶやく。
 そうなんだなー。でも、でも、みんなその『門』の先に、明るい、安らかな、ユートピアを間違いなく想像しいるけれど、そうは問屋が卸さないぞー。真実の鏡の前にたったら、ゾーとするんだけどなー。最後の看取りやお別れが誠実で、暖かく、人間的であれば、きっとその先の行き先も明るいという、なんの理由も根拠のない楽観的な幻想なんだけどなー。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

佐味田の教行寺(2)補足編

 ある同人から、「摂津富田の教行寺って、『富田殿』のことですか」という質問をいただいた。そうなんですね。コメント欄に書きかけたが、改めて一言だけ。

 『蓮如上人の御一代聞書』16條に、
 「一、十二月六日に富田殿へ御下向にて候ふあひだ、五日の夜は大勢御前へまゐり候ふに、仰せに、今夜はなにごとに人おほくきたりたるぞと。順誓申され候ふは、まことにこのあひだの御聴聞申し、ありがたさの御礼のため、また明日御下向にて御座候ふ。御目にかかりまうすべしかのあひだ、歳末の御礼のためならんと申しあげられけり。そのとき仰せに、無益の歳末の礼かな、歳末の礼には信心をとりて礼にせよと仰せ候ひき。」

 とある。さすが蓮如さまやね。今生の挨拶やお礼、形式ではなくて、そんな暇があるのら、「信心獲得せよ」といわけですね。その身になる人がひとりでも増えることが、最高の御礼になるというわけです。まあ、ぼくたちだって、座談や示談が時間切れで終了した時に、相手から「ありがとうございました」とか「長時間、わたしひとりのために」などと言われると、「いや、そんな今生の気兼ねやお礼なんかより、早く『南無阿弥陀仏』の身になってよ」といいたくなるものね。焦点は、そこに当たっているわけです。

 まあ、とにかく、『聞書』にはほかにも「富田殿」と出てきます。この「富田殿」が、摂津富田の教行寺です。この地で、蓮如上人が『教行信証』を書写されたので、「教行寺」といわわれるようになり、寺内町(寺といってもある種の城)も含めて、たいへんな繁栄をし、出口(枚方の)光善寺(京阪の駅ありますね)と並んで、畿内、播磨などへと爆発的な教線拡大の足場となった重要なお寺です。
 それが、石山合戦に破れて移転した先が、佐味田の教行寺だったというわけですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

佐味田の教行寺

Img_3828  今日は、法座の内容ではなく、真宗大谷派の安静山「教行寺」(佐味田の教行寺)のご紹介。2年前の聞法旅行で参詣された方もおられようが、ちょっと雰囲気を味わいください。実は 奈良県のこの界隈には、「教行寺」という由緒ある真宗大派のお寺が多数あります。
 ここも蓮如上人ゆかりの古刹です。蓮如上人開基のお寺が移築したもので、石山本願寺が織田信長との戦いに敗れた天正8年(1580年)に、摂津富田(高槻市)の教行寺(なお名塩の安静山「教行寺」はここから分かれたもの)が、佐味田の場所に移り、佐味田教行寺となり、そして、さらに移転して、田原本(「田原本の教行寺」は大和第一設の教行寺と呼ばれる)、さらに、箸尾御坊と呼ばれる「箸尾の教行寺」になったといわれており、当時は、藩主と争うほどの力をもっていたそうで、来たり、去ったり繰り返していたそうだ。
 ほかにも、奈良には、(真宗大谷派)信證山「教行寺」や(真宗大谷派)安静山「山上教行寺」などの「教行寺」があるようですが、その関係までは知りません。ただ、山号まで同じところがあるのをみても、歴史的なつながりを感じさせますが…。。

Img_3805  さて、ある意味、奈良県内では本家の佐味田の教行寺は、いまや大寺Img_3822_2 ではありません。でも、なかなかの品のある風貌のお寺です。先生やご家族の方が、お庭の手入れをされているそうですが、なかなかよく行き届いています。本堂は、重層の入母屋作り、火災にあって天保年間に再建されImg_3812 たものだそうですが、なかなか立派なものです。「鼓楼」はImg_3833ちょっと逆光でトンでしまってますね。掲示伝道は、「真実の教えにであえぬ人は、不満と不安の一生で終わる」。確かにね。念仏の教えにあって、不平不満だけで終わったら、これまたあまりにもお粗末ですが…。

 ご法話のあと、ご本尊の阿弥陀如さまも、撮らせててもらいました。光り輝いてます。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

アクセス御礼

   さきほど、最終に近い近鉄で、孤杉先生の教行寺から帰ってきました。一年ぶり、先生もお元気で一安心。昼、夜と法話を2席ずつ。帰路、お寺からのタクシーを呼んだら、朝、行きの駅から乗車した人。やっぱり田舎なんですね。もちろん、1台だけというわけじゃないでしょうが…。お寺の様子は、また明日にでもね。

 日曜日の夜から、子供が、体調を崩して、母親はたいへん。今夜も「コンコン、シクシク」やってました。ぼくも、同じだったので、そのつらさはわかるのだけれど、改めて両親のご恩徳を思います。子供心に、全幅の信頼をよせて、迷惑をかけているとは思うけれど、自分のしんどさの方で一杯でしたし、親の心、子知らずでしたからね。報じても報じ難きなんですがね…。なかなか。

 ところで、ブログを開くと、アクセスが10万台に突入してました。2年2ケ月ですか。いつも応援ありがとうごさいます。一時、このあたりがひとつの区切りかなーとも思ったりしてましたが…。いまはのところ、もうしばらくは、相変わらずのお付き合いをお願いしますね。これからも、よろしく。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東京講演会に向けて

   昨夜は、高山市から運営委員長が、うん十万円もするという自転車を担って来館された。朝から琵琶湖を自転車で一周してから、華光会館入りだ。さすがは、華光の運営委員長、高山から自転車で来るぐらいの体力がないと勤まらん超ハードな仕事?てなわけはないのだが、とにかくこの同教生は「すごいやー」と感心するばかり。 

2008tokyo  昨夜はちょっと呑む方に熱心だったので、朝から、来年の相談をする。主に、差し迫った東京公開講演会(10月18日(土)、急きょ決まった、11月の東京法座の打ち合わせだ。それに、これからの運営委員会の相談、問題点などを聞いてもらった。東京の方は、その場で関係各位に電話して、仕事を詰めていく。流れの確認もしたり、進行の確認もした。グーンと話が進んだ感じだ。東京の皆さん、ご協力をお願いしますね。早くも、「講演会の模様を放送させてください」という有線放送からの打診もいただきいているようだ。もちろん、昨年のような規模の講演会ではないので、少人数だが、東京一円に進学や就職、結婚されているお子さん、お孫さん、お友達がおられたら、ぜひお声をおかけください。もちろん、同人ご本人が、夜からの支部法座に合わせて参加していただくのもいい。年に1度は、東京以外でも講演会形式での法座も行なっていきたいと思っているが、いまは、ここでやる意義は大きいと思っている。「かりもんってどんな奴」と思っておられる方も、ぼくの顔を見物にきてもらう、興味本位でも歓迎ですよ。

 午後からは、華光誌輪読法座。華光誌67-3号。初めてお会いする方もあって、20名の参加。7~8名のこともあったので、最近は盛況ですが、逆に、悟朗先生もおられたり、聖教の言葉もあったりで、なかなか自由発言とはならなかったのが悩みどころ。祝日ということもあって、日曜日の聖典講座から同人宅に泊まり込んで参加された方もあった。神奈川や東京方面からの参加もあった。ただ、一時はあれだけ熱心に参加されていた仏青の若い人達が、地方に移られたり、就職されたりなどで、急におとなしくなられたのが、寂しい。「聞いた」というところで、腰を下ろしていなければいいのだけどなーー。信の一念の体験も大事かもしれないけれと、信の相続もそれ以上に尊い有り難いことですからね。せいぜいご聴聞させてもらいましょうや。今日の輪読法座の内容にも触れたいけれど、明日の出講の準備がまだなので、今夜はこれくらいで。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『いま ここにある風景』

 朝いちで、京都シネマへ。『いま ここにある風景』と告げると、窓口のスタッフが、「今日は1本だけですか」と聞かれた。午後から予定が入っていたので、残念ながら1本だけです。

  カナダの写真家エドワード・バーティンスキーは、産業廃棄物のある風景や、採掘されImakokoつくした鉱山、乱開発による環境破壊の現場など 、人類の反映の裏にある、負の遺産ともいうべきものにカメラを向けている。ところが、ほんらいは醜悪であるものが、彼の手にかかると美しいアートになっているから不思議だ。しかも、単なるごまかしの美しさではなく、その美の背後にある異様さや不気味さも同時に感じさせる。まさに、百聞は一見にしかずで、凡庸な百の言葉よりも、一枚の写真が、雄弁にその本質を語ることもあるのだ。

 本作は、彼が、「世界の工場」として、人類史上、最速の経済発展を遂げ、急変している中国を中心に、その歪な風景を撮影する姿を捉えたドキメンターリーだ。まさに、映し出される数々の風景の、その巨大なスケールと、異様さに圧倒させられた。

Imakoko_01 冒頭、工場内のラインをカメラが平行移動で写し出すシーンが始まる。さまざまなラインに大勢の黄色のユニフォーム(そうでない人もいるが)並び働いている。別に普通の工場風景。でも、ここでビックリしたのは、その何列も並び工場のラインが、いつまでも終わらずに、延々とつづくことだ。たぶん10分近く、歩行スピードほどで移動して長回し撮影されるのだけれども、このワンフロワーの工場は、どれだけ大きさなのか。そして、ここにどれだけの人が働いているのだろうも想像がつかない規模なのだ。やがて建物の外見が明らかになるが、それを一枚の写真で見せるのもすごい。しかも、その敷地内には同様の建築物が延々と並んでいる。もうはるか向こうがかすむかのような風景が続き、たぶん何万というおびただしい人達が、それぞれの班の朝礼のためにどんどん集結しているのだ。少し前に、ロイ・アンダソーンのローテクの物量、人海戦術でせまる映画(http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/07/post_472b.html)でも、延々と同じ光景が続くシーンがあったけれど、現実は、そんな非ではないほどの巨大さ、果てし無さだ。世界の工場のほんのひとつの実体。大量生産、大量生産というけれど、これは超大量生産だなー。

 もちろん、そのために、原材料の資源が必要になる。中国の国内外から大量の原材料のために、さまざまな自然が破壊されていく。

 当然、その資源を運ぶ船がある。巨大タンカーも必要だ。タンカーはリサイクルの優等生だという。バングラデシュのある浜では、人力、手作業で、超巨大タンカーの解体作業がおこなわれるが、このシーンもなんともすさまじい。作業時に出るであろう有害物質への対処などもない。未成年の子供たちが、からだを原油に沈ませながら、タンカーの残り原油を素手でかきだしているのだ。しかも、その日給も恐ろしく安い。

 また、中国でも、一握りの貴重な資源のために、大量の有害物質を含む廃棄物の山。その山の劣悪な環境の中で、素手で廃棄物を分類して、非常な危険な作業を行なっている。みんなカメラにニコニしている。子供たちも楽しいそうに有害廃棄物で遊んでいる。その危険な作業が、土壌や水質を深く汚染してるのだが、そのことの認識がまったく伝えられていなように見えるのが、なんとも不気味。

 超大量生産され、超大量消費され、超大量廃棄されていく。先日、ぼくが「安い、安い」と喜んでかった家電量販店の品物そのものなのだ。そして、ぼくたちは、「リサイクルされている」製品ときいただけで、エコになった気分だけれども、その実体は、環境破壊であり、その地域の人達を蝕むしかない。すべて貧しい国の、弱者に、嫌なものを押しつけているだけだなのだ。

 中国の三峡ダム建設のために沈む町の、まるで爆撃後のような荒廃して光景も異様だ。金をもらって、自分たちの住んでいた町を、自らで破壊しているのだという。そこで働く人達の環境も、また賃金も抑圧されている。まさに、ジャージャンクの『長江哀歌』だ。→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post_b33c.html
 一方で、上海のように超スピードで超近代化、加速する都市化、メトロポリスの光と陰にも、カメラが迫っていく。

 エドワード・バーティンスキーは言っている。
「ぼくは自分の仕事を、もっと政治化すべきだと考えたこともあった。しかし声高に訴えれば、人々の反応は単に賛成や反対をみせるだろう。だから言葉ではなく、ただ写真を見せる。そうすることて、見えなかった何か、違う世界うを見せられると思うから。
 人間は今、居心地の悪い場所に座っている。一度、手に入れたものを手放すことができす、同時に、そのことが問題を深刻化ささせていのもと知っているからだ。
 良いとか悪いとかの問題じゃない。全く新しい発想が必要なんだ」
と。

 そうだなー。みんな仏説を聞くしかないんだよなー

| | コメント (0) | トラックバック (0)

土砂降りの植物園

 日曜日。久しぶりの聖典講座ということもあって、なかなかの盛況。例によって、新しいお参りの方も、緊張気味で参加されていたようだ。「ようこそ、華光会へ」という奇しき因縁の方もおられたようたったが、ぼくは不参加。

Img_3726_2   久しぶりに、少し子供サービス。京都は朝から土砂降り。それが、10時すぎから曇り空ながら雨もあがったので、お昼を済ませて、北山にある京都府立植物園へ。ちょっとあやしい空模様に、駐車場もガラすき。子育てサポートで幼児を連れていると、大人は無料になる。長女のImg_3730チケットだけ買って、入場して途端に、雷鳴がなってポッンときた。エーどうする? もう何も見ないうちから、雨が降り出した。入るのが5分遅かったら、ぜったいに入場しなかっただろう。もちろん傘の用意はあるのが 、せっかくiなので、温室に入場して、雨宿りすることにした。ここもカードがあると、大人ひとりは無料だった。ここに入るのは、何十年ぶりかなー。雷鳴が轟き、土砂降りになっきてた。こんな日に、植物園をめざす選択が間違っていたなー。

Img_3733  ところが、子供たちは、ここでもかなり喜んでいる。特に、長女は、スケッチブックを持参して、珍しいものをみつけたら、気軽にスケッチし、メモをしている。なかなか促さないと動かない。この研究熱心さ、観察力の旺盛さには、親も脱帽。さすがに、下の子はあきてきたと思ったら、「大丈夫、クレヨンもっているか」と、長女のカバンからクレヨンが出てきて、二人で絵を描きだした。えらいなー。ぼくも、けっこうImg_3788 、ゆっくり見ていくと、面白いもの、珍しいものも多くて楽しめたなー。でも、雨はますます強くって止む気配もない。

 結局、ちょっとだけ弱まったのを見計らって、出ることにした。予定外だったけれど、北白川のカフェ「Gades」によって、お茶することにしたが、ちょっと雨に濡れたのもあって、車の中は、子供たちは「コンコン」と咳の合唱。ヤレヤレ、明日は病欠かなーと、あやしい雰囲気ー。Img_3758 Img_3773

Img_3734

 左上は、「アリストロキア、サルバドレンシス」という日本では珍しいものらしい。Img_3771 左下は、有名な食虫植物(ウツボカズラ系)ですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

汚染米

 産地偽装や表示のごまかし、賞味期限の改ざん、毒物混入などが、次々と発覚して食の不安は増すばかり。それが、とうとうここまで来たかの感がする「汚染米・事故米」の事件。「儲かるならばそれでいい。バレないならば何でもあり」という風潮が、なんとも恐ろしい。

 先日、ぼくたちの学区の中学校(その周辺も含めて)でも、汚染米が学校給食に使われていたのことが発覚した。学校給食のルートの解明は初めてという。直接、赤飯にして供給した会社が、ファースト・フーズ(『いちばん』ですね)という、長い間、華光会館の行事の時にお弁当をお願いしていたご近所の会社(最近は違います)。問題の汚染米は、接着剤の会社から卸されたもので、複雑な経路を通って来ている。「国内産」と信じて仕入れていた米問屋も、この会社もある意味で被害者。何より、実名公開されて、会社の信用という意味でも大打撃だろう。

 ぼくは、「米」という字、(ほんとうの字源はともかく)「八」「十」「八」という字から来て、八十八もの手間をかけられていると教えらた。そして、そのお米のおかげやご恩徳を教えていただいた。お仏飯(ぶっぱん)をいただき、「一粒一粒に仏様が宿っておられのだから、粗末にしてはいけないよ」と、育てられてた。そして、「み仏と皆様のおかげにより」恵まれた御馳走なのだと、食前食後には手を合わられるようにと育ててもらったのです。そのことから思っても、ずいぶん、悲しい事件が続きます。

 ところで、「勿体ない」という言葉は、まだ聞きます。食べ残し再利用していた業者も、「勿体なかった」と、コメントを出してます。でも、「冥加」(みょうが)という言葉は、死語になっていますね。まだ、「冥利」は残っているか。つまり、神仏からの目に見えないが確かにある加護の意味である「冥加」。その冥加を受けたことに対する謝礼として寺院や神社への喜捨のことを「冥加金」と言ったりします。(このことは少し前に「冥加」と題して書いてますので、こちらをクリックしてください)http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_0c71.html

 つまり、利益優先ということから、都合のよい「勿体ない」という言葉は残ったけれど、一方、神仏に対する畏怖の念は薄れて、「冥加」という言葉が使われなくなっていることも、今回の事件の背景と関連している気がして、どことなく悲しいんです。みんな、みんな、阿弥陀様のいのちでないものはないんですがね。そう考えると、ただ安全、安心という面だけでなく、なにかやりきれいな世相になってきたと感じます。仏法に耳を傾ける人が、少なくなっていくのも、末法五濁なんでしょうが…

| | コメント (0) | トラックバック (0)

家電量販店のオープン

 近所に、家電量販店が開店。1日早く会員向けにオープンした。世間の家電やパソコン好きの男性に比べると、ぼくはかなり淡白な方。それでも、まったく無関心な連れ合いに比べると、買い物時には、何店舗かの広告の比較ぐらいはする。今日も、近々、購入予定のものがあったので、これ幸いと子供を保育園に送った後で出かけた。少し出遅れたが、すごい人出だ。お目当てのものは、台数制限もあって、アッという間に売り切れていた。まあ、それでもいろいろ探し回るのも邪魔臭いので、次ぎの選択肢で購入した。

 ところで、京都の電器街といえば、四条寺町通がその代表だったが、それが、1号線を中心に郊外型の家電量販店が増えて、地元資本店が次々と大手に吸収されて、随分、様変わりした。

 それが、このところ、京都駅周辺(半径500メートル以内)に、次々と大型店の出店ラッシュが続き、競争が激化している。まず、昨年の夏にJR京都駅30番ホームと直結する形でオープンした「ビックカメラ JR京都駅店」。それに対抗するように、京都駅北側(京都タワーの並びですね)の近鉄百貨店を買収した「ヨドバシカメラ」。ここは、京都では老舗の元丸物があったところで、いまは見事に更地になっている。こうしてみると、かなり広くてびっくり。それにしても、流通業界、小売業の栄枯盛衰。百貨店が、家電量販店に買われる時代になるなんて……その昔には、想像も出来なかたものなー。当然、近鉄百貨店に入っていた「ソフマップ」は売り場を失い、京都駅八条口の東側のアバンティに移転。そこから少し南へ、地下鉄烏丸線・九条駅の側に、「上新電機」が、今日オープンした。さらに加えて、八条口の西側にも、京都最大級のシュッピングセンターが建設中だ。長女の小学校の横なので、その大きさがよーくわかる。ただ、ここにきてかなり計画がスローダウンしている模様。もちろん、それ以外の大手も黙っちゃいない。今日の新聞チラシは、「徹底対抗!」「他店オープンチラシをご持参ください」なんて、「ケーズデンキ」や「ヤマダ」などの広告の山。それに、わざわざ足を運ばずとも、ネットで安く手に入るご時世だ。もう生き残りは熾烈そのものだ。

 確かに、消費者にとっては、競争原理が作用すると、いい商品が安く手に入り、そしてサービスの向上と、利便性も加わり、有り難いかぎり。まったくいいことづくめじゃないのか。でもね、なんかぼくとしては、この猛烈なスピードに、腑に落ちなさを感じなくもない。結局、競争の果てにあるものはなんなのか。そのしわ寄せはどこに来るの。そして、「安い、安い」と、結局は、踊らされてるんじゃないのかー。大量生産、消費消費、そして大量廃棄。拡大し続けねば生き残れない時代って、強迫症的というか、恐怖や不安に支配される時代じゃなかったか。そんな反省のもとに、新しい社会を、ポスト消費社会をめざしているのだけれど、その指針はまだ不確定だ。
 なーんてね。ほーんの一瞬だけはそんなことを考えているけれど、結局は、「安かったなー。便利になったわー」と、ただただ能天気に喜びながら商品を広げて、「賢い買い物をしたわい」と、ご機嫌になるのでした。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

今週・来週の法座案内

 華光誌、印刷所に渡りました。これからは、発送日に向けて、折り込み広告の作業や発送の準備にはいります。10月2日には発送したいです。

 さて、今週末と来週の法座です。先週は、聞法旅行があったので、今週の週末は割と静かに、聖典講座だけですが、それ以降は法座か続きます。

1)聖典講座 9月21日(日)昼1時30分~5時 華光会館 増井悟朗先生の『御文章』の詳細な講話あります。新しいご縁の方がお参りくださるようです。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/seiten2008-9.htm

2)華光誌輪読法座 9月23日(祝)昼1時30分~5時 華光会館 華光誌67-3号の誌上法話の輪読の続き。ぼくがお世話します。先月に続き時間が許せば、悟朗先生もゲスト参加されるかもしれませんよ。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/rindoku2008-9.htm

3)教行寺永代経法座 9月24日(水)昼2時と、夜7時 奈良県河合町 教行寺。法座案内ハガキに間に合いませんでしたが、今年もぼくが出講します。ご法話中心ですが、孤杉先生のお寺の雰囲気も味わえますし、華光の方のお参りも歓迎してくださいます。http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/kyogyoji2008-9.htm

4)仏青臨地法座 9月24日(水) 昼3時 上記と同じ日で、平日なのに、仏青の例会あります。といっても、キャンプ地でバーベーキューをし、宿泊も出来るというもの。行き先も決まったはずなので、HPでも追加してもらっておきます。詳しくは、仏青までお問い合わせください。親睦を兼ね、リラックして、ご仏法を聞きあう集いということでしょうかね。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/bussei2008-9.htm

5)日高支部法座 9月27日(土)~28日(日) 日高支部の報恩講法座です。増井悟朗先生の他、T山さんや、すでに何名かのエントリーあります。宿泊を希望される方は、必ず、事前にお問い合わせください。ただし、各自で宿を探してもらう場合もありますので、ご注意ください。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/hidaka2008-9.htm

6)大阪支部法座 9月28日(日)昼1時30分~5時 華光会館 大阪支部法座ですが、年に1度だけ、華光会館であります。ぼくが担当します。毎月お邪魔する広島、宿泊なので1度の法座で、3~4席は法話する東京などの支部法座に比べると、地元の大阪、京都の方にご法話を聞いてもらう機会は、一番少ないと思いますね。ここにも、新しい方のご縁の問い合わせがあります。楽しみです。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/osaka2008-9.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「かいわれ大根の日」の仕事

 朝、ナナを保育園に送るために、車に乗る。ナビを起動すると、「今日は、9月18日。かいわれ大根の日です」とのメッセージがある。ナビでスケジュール管理しているわけではないが、その日、最初に車に乗ったら、必ず、「今日は、○月○日。×××の記念日です」との、冒頭のメッセージが入るのだ。でも、いろんな日があるもんですね。例の0-157の風評被害で、イメージダウンしこともありましたが、もうかなり過去になりました。その間、完全に食の安全に関する神話が崩れてしまいました。もう次ぎから次ぎですものね。まあ、それだけのことですが--。

 さて、昨日、今日と、華光誌の編集作業が大詰め。ムラ君が編集ソフトを使って作成してくれています。正直、細かなところはうまくいかなくて、難しいなかで、頑張ってくれています。明日、午後いちばんに、印刷所に渡す予定で、みんなエンジン全開です。

 ちょうど「聞法旅行」も同朋観光さんが、請求書も持参されました。參加者が少なかったので、会計を心配してましたが、毎年、不参加の方で、喜捨してくださる方が、数名あって、おかげで、今年もどうにか赤字にならずにすむようです。トントンですが、ほんと、皆様のおかげさまです。
 それにしても、ある方からメールいただきましたが、ほんの3日だけでも、共に旅行をすると、「裏を見せ 表を見せて 散るモミジ」の一端が味わえます。まあ、裏も、表も見せても、散ってないと後味悪いだけですから、しっかりと死に切ることが肝要かなー。

 さて、少しだけもう一頑張りましょうか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

聞法旅行(3)因幡の源左同行の巻(写真編)

Img_3481Img_3480

  ▷(左 初日の昼食)うどんでもない、そばでもない「もちむぎ」を食する。 ▷(右 柳田國男の生家) ただし資料館はちょっとがっかり。柳田というより、生まれの松岡家がいかに立派なのかを教える。

Img_3510▷(左 源左同行の青谷の風景)

Img_3487_3

▷(右 生家へと続く道)柿泥棒のために、梯子を かけた、柿の木もある。源左さん、フラッとあらわれそうな雰囲気。Img_3500_2            ▷  (源左同行の像と写真) 寄進者は池原氏だが、羽栗行道先生が世話人になられている。羽栗先生には、源左同行の行実を綴った本(絶版)もある。そのご縁で、源左同行の縁戚にあたる華光の同人にもおられた。天保13年(1842年)に生まれ、昭和5年(1930年)に往生。Img_3501晩年の写真が現存するが、長年の野良仕事のためであろう、からだのわりに厚い大きな手がとても印象的だった。  

Img_3498▷(願正寺でご住職のお話 を窺 う)Img_3512Img_3502_2

          ▷(日本海に沈む夕日)
▷(源左同行の言葉) というわけで、三朝温泉でご馳走をいただくことに。どの写真もクリックすると拡大します。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

聞法旅行(2)因幡の源左同行の巻

 聞法旅行の初日。あいにくの雨。8時50分に華光会館に観光バス。前日華光会館泊の同人と共に、集合場所の京都駅へ。いきなり福岡の參加者が、新幹線に乗り遅れて現地で合流となったり、ちょっとドキッとすることもあって、少々波瀾含みでスタート。それでも、茨城、東京、千葉、神奈川の関東方面に、高山、愛知、福井、奈良、京都、日高、大阪、和歌山、そして広島、高知の同人が集った。名神高速から、中国道に入ったところで、17㎞の渋滞に巻き込まれる。さすがに連休初日で、車は混んでいる。昼食会場まで60分以上の遅れ。昼食は、柳田國男の生家と顕正記念館の会場で。ここで合流することになった同人を待つ間、生家などを散策する。あとは一路、鳥取(因幡)の青谷の源左同行の願正寺へ。車中、久しぶりに十八番の手遊びゲームを次々と披露、また源左同行讃仰する前住職のビデオ鑑賞して、事前勉強をする。予定より30分遅れの16時30分に、やっと願正寺に到着。

 鄙びた田舎は、因州和紙の産地だか、源左同行がいなければ、絶対に観光客が訪れることはない。生家や柿の木を見て、本堂で、ご住職のご説明を聞くことになる。いきなりご住職から、「華光会さんですか。増井先生もお出でですか」と言われてびっくり。3度目の訪問で、覚えて下さっていたようだ。実は、昔、源左同行の縁戚にあたるこの村の出身が、華光同人にもおられた。源左同行の像は、羽栗行道先生が発起して造られたものだ。

 丁寧なご説明(ご法話)をいただく。柳 宗悦・衣笠一省編「妙好人因幡の源左同行」に詳しいが、これは、彼の獲信体験から始まっている。有名なエピソードだが、18歳の時、昼間で一緒に仕事をしていた父親が、ちょっと気分が悪くなって家に戻って寢ていたが、その夜には亡くなってしまう(コレラ)。死ぬ間際に、「おらが死んだら親様をたのめ」と遺言する。「死ぬということはどうゆうことか」「親さまたのめとはどうたのむか」の2つが苦になって、仕事が手につかず、思案しづけ、19歳の春に、とうとうお寺参りを始める。それから、手次ぎの寺だけでなく、京都の本山へも再々上って真剣に法を求めるようになるが、むつかしく、「しかられたり、どまかされた」したり、お寺のご隠居は、「源左、もう聞こえたなー、有り難いなー」といつも言われるが、どうしても聞こえず、ほとほと困り果てる。そんなことが、何十年もの続く。結局、自力の計らいで自分でむつかしくしているのだ。それが、ある時、野良仕事の最中のこと。デン(牛)に、草刈りした草を、一把、二把と負わせ、自分も一把なりと負わとしたが、重たくて、それをデンに負わせようと、荷をつけたら、すとんと楽になって、「ふいっと、これが他力か」と分からせてもらわれるのである。うれしくたまらないが、しばらくすると疑問が湧いて来る。その時「われは何をくよくるするのか。仏にしてやっとるじゃないか」という如来さまの声がして、ハッと思ったというのである。まさに、求めて、求めて、求めて、そして捨てるというより、日常の何気ない最中に、ハッと捨てさせられた時に、同時に転ぜられる体験を語ってられるのである。ともすれば、後の行実や人間的な善行だけが、取り上げられるが、「難しい、難しい」という自力が、他力に転じていく一念が尊い。そして、「珍しいことだ、珍しいことだ、凡夫が仏になるということは。こんな珍しいことが外にあるものか。ようこそ、ようこそ、南無阿弥陀仏」と喜んでおられる。感情的な法悦でも、行実でもない。泥凡夫が、仏にならせていただく一点を喜んでおられる。これは、どの妙好人にも共通するところで、同時に、人の姿を尊ぶのではなく、私ものその身になったのかどうかが、一番の肝要なのである。

 ともかく、源左さんが、いまにもフイッと出てきそうな土地柄だった。

 青谷をあとに、泊まりは三朝温泉。ここは、なかなか豪華でよかった。時間が押して、法話と分級座談会が1時間しかとれなかったのは残念だったが、ご馳走をいただき、ゆったりと露天風呂に入浴出来て◎。懐かしい米子の同人もお訪ねくださり、短時間でも再会を果たせてうれしかったです。(写真編つづく)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

聞法「旅行」戻ってきました。

 聞法旅行から、さっき帰ってきました。さすがに、疲れました。特に、終わりの方は、渋滞に巻き込まれ、皆さんの接続の列車の時間もあって、やきもきしたのもあって、体力的にも、精神的にも、お疲れさまでした。

 ほんとうに久しぶりの聞法「旅行」でした。1日に1ヶ寺をめぐるために、ひたらすバスを走らすという、かなりハードな旅行で、バスの中も、ゲームや法話、仏教詩歌集、そしてビデオ法話や解説と、ほんとうに盛り沢山の内容だったと思います。このところ、あまり長距離の移動はしない、同じ宿舎に連泊する、中日は法座中心という、「聞法」旅行がながらく続いていたので、今回のような、移動中心の聞法「旅行」は、何十年ぶりだったでしょうか。

 今日など、山陰の浜田8時に出発して、才市同行の安楽寺を出発したのが、朝10時。あとは、広島駅経由で、ひたすらバスを走らせる。その間、PAでのトイレ休憩と、昼食以外は、走りに走って、まったくどこにも立ち寄らないで、京都駅に、ギリギリ夜7時に到着というのですから、なかなかのたいへんな巡礼でした。もっもと、バスに乗るだけで、歩くわけではなく、次か次へと食事をしり、お茶飲んで休んだり、車中で寝たりというわけですら、さんな気楽なことはありません。3日間で、鳥取で1ケ寺、岡山にどもり1ケ寺、そして島根で2ケ寺だけを、3日間でめぐるという、考え方によっては、とても贅沢極まりない旅でした。バスの走行距離も、1,200㎞を超えていたそうです。ちなみに、これで旅は終わりではありません。京都から東京まで夜行バスに乗り込む強者もおられましたが、この時間でも、まだ車中でしょう。最高齢、91歳の老婆は、京都駅から、生まれて初めて新幹線に乗車して、さらに名古屋から夜行バスに乗車中。頭が下ります。

 なんかそれだけ聞くと、面白くなさそうですが、それがどうして、とても充実した、「至れり尽くせりの旅」(參加者の談)で、尊かったですね。まさに華光の「聞法」「旅行」でした。これも一重に、仏縁が整ったおかげでした。やはり、「裏もみせ、表もみせて、散るもみじ」で、一緒に旅をし、大笑い、泣き、そしてお念仏に触れ、共にお念仏しないと味わえいなものがたくさんありました。

 詳しい訪問記は、明日以降に、1ケ寺ごとにご紹介したいです。今夜はこのあたりで。お休みなさい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『闇の子供たち』

 『闇の子供たち』を観たのは8月25日だから、かなり時間がたって、衝撃も薄らいでいるが、そのぐらいの方が、冷静に考えられるかもしれないほど、インパクトが強かった。改めてパンフレットを眺めつつ、書きかけの文章をし仕上げた。
 半分、観たくない気持ちもあった重いテーマの社会派ドラマだ。小さな子供をもつ身としては、中途半端な気持ちでは見ないほうがいいような、眼を背けたくなるようなシーンやセリフも多い。

Yamikodomo_01  「血と骨」の梁石日の小説を原作にした映画の主な舞台は、タイ・バンコクと、南部の田舎町。タイ駐在の新聞記者(江口洋介)が、闇ルートで行われている子供の生体臓器移植の取材を始める。その過程で、調子のよいフリーカメラマン(妻夫木聡)を知り合い、紆余曲折があって協力者となる。一方、NGO職員として、子供たちの援助活動のために現地にはいた若い女性(宮崎あおい)は、典型的な「自分探しボランティア」で、世間知らずの青臭い正義を振り回す(この青臭さがリアル)とも絡み合いながら、闇の世界、そして裏社会の現実を目の当たりにすることになる。

  そこは入れば入るほど、想像をはるかに超えた現実の悲惨だけが待つ世界だ。貧困からおこる児童(幼児)買春に、人身売買、数々の犯罪。その末路は、エイズとなって捨てられるか、きれいな洋服を着せられれば生きたままの臓器摘出をされていく。たとえ生き残っても、ヤクザとして人間性を喪失した虐待する側としてしか生きていけいないのだ。

   供給があるのは、需要があるからだ。そこには、金を持った先進国の人々の薄汚い欲望と、あるいはかわいいわが子の命を救うために、外国の貧しい子供たちの命が引き換えにしたいとう親のエゴという現実だ。だから、どこかに異常性愛の変質者がいるという問題だけではすまないのだ。それをただ糾弾するだけでは、問題は解決しないことは明白だ。認識する、せずにかかわらず、それぞれが密接に絡み合い、今、私達の生活と無関係とは言い切れないということだ。

 たとえば、15歳未満の子供への脳死者からの臓器移植は、日本では禁止されている。あくまで日本ではの話。外国では、巨額が動くビジネスにもなる。当然、臓器の売買やいかがわしいバイヤーが介在するのも現実であろう。極貧困であるがために、生きたまま(つまり殺される)臓器提供される子供たちもいるのである。難病のわが子のために、犯罪に加担し、モラルに反することに葛藤しながらも、現実を覚めてみている父親役の佐藤浩市もいい味がででいたが、簡単に「親のエゴ」と攻めるだけで解決する問題ではないのだ。

 それにしても、売春宿に動物同然に監禁され、エイズに罹患して邪魔になると、ゴミ袋のゴミとして生きたまま捨てられていく少女。泥水をすすり、なんとか必死の思いで実家にたどりつくのだが、この少女の身に待ち受けているものは、まさに悲惨そのものである。そして、こころの中で呼び合うその妹は、身綺麗な洋服をきて病院に連れていかれるだが、その姿も悲劇以外になにもない。

   この映画を見ていると、日本はいま、競争原理の格差社会と言われているが、それでもその大半は光りの中の世界になるのだろう。だか、世界の現実は、光りのまったく届かぬ闇の世界もあるということなのだ。そして、それは、社会的構造であると共に、先進国に私達、ひとりひとりの中にも、存在している闇にほからない。

 ラストも衝撃的で、打ちのめされて画面を眺めていたが、突然、桑田佳祐のエンディング曲が流れてきて、ぼくにはかなり興ざめだった。もし単独で聴くのなら、彼の歌は大好きだ。でも、この映画の後ではゴメンだ。イメージソングとして、メッセージ色の強い歌詞なので、押しつけがましく、個々人の思いに浸食してくるからだ。これだけのテーマを、各々の「心の闇」に投げかけているのだから、無音のエンディングロールの方が、さらにインパクトが強かったのではないか。まあ、このあたりは、人それぞれの趣味でしょうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

本願招喚の勅命

 華光誌に並行しながら、聞法旅行の準備。これも、事務所にスタッフが2人いるおかげで、随分、大助かりだ。昔は、父と二人、もしくはひとりで作業をしなければならなかった。もう、前夜の深夜まで資料づくりや準備に必死だったものだ。もちろん、地元同人の皆さん、運営委員の方には、随分、助けていただいいたが、皆さんにも仕事や家庭があるので、そう無理は頼めなかった。

 今回は、山陰の妙好人のみ跡を慕う。長い行程を敬遠されて、パスされた方も多い。でも、これもまた一興だ。華光の念仏の同人の旅は、車中もまた楽しい。ゲームもする、『大悲の呼び聲』なども共に歌う予定だ。日頃、ゆっくり話せない、同人とも語ってみたい。31名と、極端に少ないが、これもまたこじんまり楽しいではないか。京都や東海、日高、九州の同人の参加者は、各1名だけと、ちょっと寂しい。あとは、地元に立ち寄る広島の方も、行事疲れか2名だけで、もう少し参加してもらいたかった。せっかく、広島市内で昼食し、広島駅にも寄るのね。逆に、遠方の東京方面の參加者が8名(1/4やね)と最多なのが、おもしろい。8月の東京支部法座の時に、ひとりひとりに招喚したら、一気に増えた。

 「皆さん、参加してください」と、大勢を前に、大きく声をかけただけでは、みんな人ごとに聞いている。それが、直接、「○○さん、お願いします」と名指しされて、初めて、自分の問題になってくる。直接、熱心に誘われると、断るにせよ、ちょっと理由もいわねばならない。初めて、ぼくたちは、わが身に問う。
 これは、聞法も同じでしょう。いつも、だいたい弥陀の本願招喚の勅命を人ごとに聞いている。みんなを救う阿弥陀さまじゃない。私ひとりに呼びかけておられる。「○○よ、早く来いよ!」と、名指しされ、頼まれているのだ。ならば、いま、すぐその呼びかけには、応えねばならない。しかも、人間の断れる命令じゃない。「勅命」なんです。もう嫌でも、不本意でも、「南無阿弥陀仏」と応えるしかない。ほんとは逆らえない。でも、大馬鹿ものは、屁の突っ張りにもならない妙なプライドで抵抗する。そんなに「私」にって大切なんですかね。自意識過剰も、甚だしいが、これで、ズッーとズッーと、ズッーと、ズーッと迷い続けてきた。そして、迷い続けていくとしたら、こんな恐ろしい話はない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

華光誌編集作業中

   毎年のことながら、9月は華光誌作業と、聞法旅行の準備が、同時にやってくる。昨年は、東京公開講演会だったなーと思いながら、1年が経つ時の早さに驚く。でも一方で、1年前のことが、遥か大昔の出来事のようにも思えるから、なんとも時の流れとは不思議なものだ。効率とスピードばかりを求める社会の中で、その感覚がかなりおかしくなっているのかしれない。

   今日も、遅れ気味の華光誌の編集作業。あとは、聞法旅行の座談会や部屋割りなどもした。華光誌の作業は、わりと快調に作業がすすんでいる。でも、聞法旅行があるのと、僕自身がちょっと(気持ちの面で)疲労していることもあって、発行が、4~5日遅れかもしれないと思っているが、その節は、お許しを。

  誌上法話は、松尾先生。巻頭言は、松岡先生。共に、〆切も守り、長さもきっちり書いてくださって、大助かりだ。もちろん、内容はいまうでもない。ありがとうございました。
 体験記は、前号の続き。でも、前号で大ミス((中)を載せるべきところを、(下)を載せてしまった)をしたところは、(中)(下)同時掲載にした。また、新潟北陸支部の感想が、準備段階の顛末も含めてかなりの量があったので、少し編集の必要があった。それだけ、活気というか、興奮状態が伝わって来る。華光の行事ではないが、7月の広島の真宗カウンセリング研究会の参加感想も、長い。いつも長々と、FAXで感想を送らねばならないこの方は、その湧いて来る思いの丈をなんとか綴ろうとされて、臨場感のある、その思いの深さがその文面から充分伝ってくる。これもまた捨てがたいが、紙面に限りがあるので、少々短くしないといけないのが残念だ。一方で、随想、エッセイの得意の方が、いつもスッキリと短いパンチのきいた文章を綴ってこられる。これもまたいい。どちらの方も、ここをよく覗いてくださる常連さんなのだが、このあたりにその人柄が出るのか、なかなかそれぞれの味があって面白い。

  華光誌は同人誌なので、(自称)信・未信にかかわらず、また法座の当番記でなくてもいいので、いろいろな華光同人に原稿をお願いしたいのだ。特に、体験記や、日頃の生活のお味わいや法悦など、いわゆる法味随想(エッセイ)があれば、一番うれしい。長さは、気軽に、原稿用紙4~5枚の短いものでもいい。上手、下手ではなく、何か思いの丈が伝わってくるものなら、大歓迎。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

歯切れの悪い話

Img_3476  今日は、寝起きからなんともしんどい1日。

 映画もやめて、午前中から華光誌の作業。これはわりと順調。調子が出てきたところだけれども、午後からは大事な相談。せっかくなので、気分転換で、外で食事をとりながらImg_3475_2…。いつもの東本願寺前ではなく、西本願寺前の「むとう」というフレンチのお店。ぼくは、初めて。残念ながら、時間があまりなかったので、ゆ っくりとはいかなかったけれど、雰囲気も、料金のわりに料理もよかったです。その点は満足。

Img_3478_3  その後、車を御所(京都御苑)の駐車場へ。「大文字」、ここからは、こんなハッキリ見えるんですね。ちょっと写真の位置では木が邪魔してるかー。ロケーションもいい、天気もよかったんですが…。この近くで、プライベートの用件を済ませて、ほどなく帰宅という感じかなー。

 疲れましたね。肉体的というより、精神的なものかな…。もう傷つきたくないし、また傷つけたくもない自分がいるのにね。娑婆の凡夫は、なんとも悲しいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日曜礼拝の法話

 日曜礼拝。常連に加えて、うちの子供たちの保育園や小学校のお友達、そのまた友達の参加があって、行事なみの盛況ぶり。大人も、初参加の方もあったり、かなりお参りがあった。

 法話は、初めての試みで、常連の先生以外の方にお願いすることになったようだ。この試みは悪くないと思った。それぞれの分野で仕事をする大人にしても、また専業主婦のお母さんだって、子供たちにはまだ経験したことのない、その世界の専門家だもの。そんな方のところから、発信されるご法話や感話が、たまにあってもいいんじゃないかなーとも思う。担当があたった方も、かなり真剣に取り組むだろうしね。たぶん、日頃のご聴聞よりも、身のはいったご聴聞になるんじゃないかなー。 

Img_3471  今回は、Tさんが初挑戦。初めての法話に、緊張気味だったようだが、それなりの大人ですからね。なかなか立派な、ハッキリした態度がよかったし、話し方もゆっくりと、はっきり聞き取れた。大勢の前で、それだけでも、立派なものだ。

 冒頭、数字が並ぶ。「6,700,000,000」(67億)。これなんの数字からわかりますかとの質問。子供たちの、ユニークな答えが飛び交うが、結局、正解はでない。ちなみに、ぼくは恥ずかしながら、(あ、Tさん、間違ってるよ。それもいうなら、56億7千万だから、最初5が抜けているぞ)。まあ、寝ぼけたことを考えてました。でも、シャッキとしたアタマの大人もおられて、「世界の人口の総数です」とキッパリ。

 次ぎに出されたのは、「60,000,000」(6千万)。 まあ、ここでも子供たちは、「世界の国の数」「日本の人口」。「わかった!動物の数」、などとトンチンカンに答えていたが、正解はでない。でも、今度は、ぼくもわかった。日本の人口で1億2千万で、1年間に約100万弱(0.8%)が死亡するからと推理して、ピントきた。誰も答えがでなかったので、「1年間での世界の死亡者」と、解答。今度は、ボケずにOK。1日にすると、約16万5000人。1秒あたり、約2名ほどが亡くなっているという。無常、無常と遠くにおいているけれど、この数分の間にも、世界中で、日本で、すでに何百人もの人が亡くなっていることになる。ただ、自分や自分の周りで、たまたまいまは起こっていないだけなのだ。いつでも、どこでも、そして必ず死ねばならない。必ずやってくるのだ。

 で、死んだらどうなるのか。お葬式に出た子供たちも多かった。なかには、火葬場に立ち会って、「白骨」になる姿を見たことのある子供もいた。でも、それで終いではない。生き死に、生き死にを繰り返し、繰り返してきた。今も白骨の身となれば、その迷いを繰り返していかねばならない。
 と無常から、罪悪、そして後生の一大事へと話は展開し、最後は、阿弥陀様のお救いへと進み、悟朗先生なみに、「阿弥陀様」が、「南無」してくださっているという、南無阿弥陀仏のおこころについて、力強くお話くださった。さすがに、保育園や低学年の子供たちには難しいだろうが、高学年や大人の人達には大切なところを押さえたお話だった。

  もう少し前半の無常のところだけを深めても、子供たちには充分インパクトがあったんじゃないかなとも思える内容だけれども、それでも、南無阿弥陀仏のお心について、キッチリとお伝えくださっることも大切だ。

  Tさん、初めての大役、どうもお疲れさまでした。

| | コメント (0) | トラックバック (1)

9月の法座の追加

 9月に入って、不安定な日が続いてますね。今夜も、妙に蒸し暑いと思ったら、遠雷。でも、昼間は、赤とんぼが飛んでいるのを発見。夜の虫の音色も、秋の訪れを感じさせます。

 さて、今週末の法座案内です。

 1)もうすでに始まっていますが、今日(6日)(土)と、、明日(7日)(日)は、広島支部大会です。年に1度の、増井悟朗先生の宿泊行事。高知、福岡、大分、そして東京からもお参りがあるんだそうです。 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/hirosima2008-9.htm

 2)明日、7日(日)は、京都では、日曜礼拝。ぼくも、仏参は顔を出しますが、華光誌の作業のために、後は欠席の予定です。 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/nitirai2008-9.htm

 3)同日には、東京でも、東京支部の例会があります。詳細は、華光会館までお問い合わせくだい。

 ところで、9月の法座案内のハガキには未掲載ですが、その後、9月24日(水)(昼、夜)=平日に、教行寺の永代経法座に出講が決まりました。孤杉英章先生のお寺です。かならずしも交通の便はよくないですが、連絡の上、お参りください。ただし、一般の門徒の方に向けた法話が2席あるだけで、座談会はありません。でも、休憩時間には、個人的に、少しはお話させてもらえると思います。詳しくは、以下か、華光会館までお問い合わせください。前日が輪読法座で、2日続く法座になってしまいました。http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/kyogyoji2008-9.htm

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『天井桟敷の人々』を観に行って、「ドッコイショ」ババァに会う

Img_3470  昨年九月にイタリア映画祭(http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2007/09/post_5c96.html)があった京都駅ビルシネマで、今年も九月の1ケ月、今度は、フランス映画祭で、新旧あわせて36本の映画か上映される。先攻ロードショーやアニメを除くと、最近の映画はほとんど、名作もけっこう劇場で見ている。でも、未見のものも、7~8本はある。今日は、その中でも、名作中の名作の誉れ高い、『天井桟敷の人々』。いまや、当DImg_3469 VDは500円で手に入る時代だ。有り難ことなんだけれども、名作自体がディスカウントされるような気もして、どこか複雑な値段。でも、劇場で見れば、今回は会員割引もあるが、それでも800円也。臨時の劇場でいい環境とはいえないけれど、それでもスクリーンで見ておきたい1本だった。内容は、なかなか満足のいくものだったし、これが、第二次大戦間のドイツ占領下のフランスで撮影されたと聞くだけで、いろいろと感じるところもあった。それはまたの機会として、その間の出来事をひとつ。

 2部構成の約190分と長い映画。1部が終わり、10分間のイッターミッションを挟んで、すこし休憩。その間、テレビのカメラが入ってきた。誰も、何も言わなかったが、トイレが戻ってきたオバさんが、大声でカメラマンに話かけている。

 「アー、テレビ?テレビ? ヘーエ、どこの局?」
(場内を気にした小声で)「京都放送です」
 「エ?」
(まだ小声で)「京都放送です」
 「エ?」
(少し大きく)「京都放送です」
 「エ?」
(さらに大きく)「京都放送です」
 「エ?」
(きっぱりと)「京都放送です!」
 「ハハハハ、わたし耳と遠いから」と、明るく笑ってながら座席へ。そして「ドッコイショ」と、腰をかけた。

 もう、その間が絶妙なのだ。場内のみんなも小声で苦笑するかしない。

 でも、このオバちゃんとの縁は終わりじゃなかった。映画も感動的に終わって、帰りのエレベーターを、3人ほどで待っていると、横のトイレから現れた。いきなり、隣の女性に 「ねえ、ここのトイレ狭いわね。これじゃ車イスの人は使えんと思わへん。それより、○○のトレイの方が……」とトイレ談義を始めたと思ったら、「ねえ、今日は、テレビで大雨と言ってから傘持ってきたけれと、降ってないなー。あんた、傘もってきた…」と、しゃべりつづける。最初、知り合い?と思ったけれど、困惑している女性をみると、まったく接点がないようだ。でも、そんなことにお構いない。やっとエレベーターが到着する。「ヤレヤレ、ドッコイショ」。座るんでも、登るんでないし、ただ1、2歩歩くだけなのに、なんでこの掛け声なの?と、突っ込みたくなる。

 それが、ぼくの横にいる。なんかいやな予感は当たる。やはり、横から、親しげに話しかけてきた。(同じサイズのTシャツを重ね着し、薄いマフラーを巻いていた)ぼくのファッションが気になったらしい。「ねえねえ、お兄ちゃん。なんで、首に巻いてるの。寒かったん? 若い女人はよくそんな垂らしたはるわー。あんたシャツも2着てるやん。 寒かったん? ああ、風邪引いてんの? 若い人はいいけれど、わたしも年でこのことろな…。でも、なんか今日は、冷房効いてなくて暑かったなー」。その間、ただ「ハァ」とか「エエ」とか、困惑して空返事をするしかない。妙に長くかかったエレベーターが1階へ。ドアが開いて降りるときも、やっぱり、「ドッコイショ」。そして、降りるなり、そこにいた別の人に、「ああ、あんたなー」と、長年の友人のように、話しかけたいたことはいうまでもない。

 話かけられている間、ぼくの中で、「今日のネタは決まったなー」と笑うしかなかった。まあ、明るい話し方で、別段迷惑をかけるわけではないですがね。でも、「ドッコイショ」ババァとして、あるところでは有名なんではないかなー。ちなみに、「ドッコイショ」は、霊山に登るときの、「六根清浄」から来た仏教用語という説もあるんですが…。次に出会うことがあったら、カメラに收めたいものです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

『整体 楽になる技術』

9784480059192_2   博多の車中、片山洋次郎著、『整体 楽になる技術』を読む。

 最近、極度の緊張が伴うストレス社会の中で、ヨガや整体、またはリラクゼーションや癒しの立場から、からだを扱った本がブームだが、かなりお手軽なHow toものや、「ありがとう」と言えば、水の結晶が云々に類似するトンデモ本も多く、西洋医療や医学を、その程度のエセ科学でこき下ろしているのだ。それに、からだは、死生観にもモロに直結するテーマだが、その多くが、仏教の立場からは眉をひせめるものばかりで、がっかりすることもある。

 本書は、タイトルだけみると、リラクゼーションか、簡易なマッサージ法でも伝授するお気軽な本かと思ったが、著者は、体験的な実践例も豊富で、同時に、自身の使命、哲学的な背景をもとに、近代科学の概観に、医療、心理学、音楽、ダンスやスポーツ等の分野にも言及して、現代思想の中で、整体、身体コミニケーションを位置づけようとするもので、なかなか読みごたえがあった。かなり引用部分もしっかりしていて、たとえば、身体コミニケーションを論じるところでは、精神科医の神田橋條治氏の『精神科診療面接のコツ』をとりあげて、神田橋の「自己アンテナ法」を紹介したり、身体を意識しておく姿勢が、自他の「距離感」に与える影響について注目したりしている。
 一読しただけで、すべてを読み取ることは難しかったが、臨床経験から語られる身体論には、かなりのシンパシーを感じる項目が多く、刺激的だった。

 ここ100年で、身体をめぐる環境や見方、つまり外側からの見方は激変したが、実は、身体そのものの本質は、そう簡単には変わっていない。生きることも死も、外側から定義されているが、実は、身体の内側からの(見えるわけではない)見方でしか分からないのだが、自らの生きることや死ぬことを定義するのは難しい。しかし、他所との共感の中で、おぼろげに浮かび上がる可能性を示唆している。では、身体の内側の動きをいかに観るのか。それは、X線やCTでスキャニングするような見方ではなく、「聞く」という感覚に近い。つまり、「内側の響き」を聞く、頭や耳で聞くのではなく、「全身で聞く」という感覚であるという。全身で共感し、共鳴するわけである。うまくいけば、お互いに「良い響き」を引き出すことができるのだ。
 そして、社会的制約、外側からの眼差し、外部時間の圧倒的な強制される社会の中で、いかに内側(身体)からの眼差し、時間を取り戻すのか。 「ひとにとって、生きるということは外側の機械的で均質な時間に合わせながらも、自らの内側のかけがえない時間に生きるということである。」

 また、「聞く」姿勢から始まる(57頁)の項では、以下のように述べられている。

 よくカウンセリングで、一番大切なことは「聞く」姿勢だといわれる。「よく聞く」ことを、「耳を傾ける」という。「耳を傾ける」とは、実は「首を傾げる」姿勢をとるということである。この姿勢は、胸の緊張を緩め、感情的共感を高める姿勢である。上手に「耳を傾ける」ということは、互いの身体の空間的感覚でいえば、左右(横)の空間に反応するということであり、「横に並ぶ」という身体の共感的位置関係=言葉の始原のコミニケーションに立ち戻ることである。このような姿勢は、カウンセラーだけに求められるものではなく、誰にとっても大切な姿勢である。能動的に、他者をさえぎってまで表現する=主張することが、これまでのコミニケーション能力とされてきたが、「聞く」という共感的身体の間合いを「からだでつかむ」ことは、より重要なコミニケーション能力であり、そういう共感的姿勢を基礎に、はじめて「何故人を殺してはいけないのか」という問に答える倫理観(互いによりよく活かす共同性)を再生する可能性がある。」

 真宗法座とは、単なる知的でも、感情でもなく、両者を含めた讃嘆コミニケーションの場だという提唱しているぼくとしては、この「身体で聞く」、「響きを聞く」、「響き合う」などのところは、信仰座談会でのお勧め姿勢や、ご聴聞の態度にも通じる気がしている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

触光柔軟…~九州法座(2)~

  静かなお念仏に包まれながら、その足で、九州支部法座へ。最近、ちょっと參加者が寂しい九州の集いですが、今回は、平日にもかかわらず、20名ほどの参加。常連の九州支部の方だけでなく、東京や広島からの参戦で、かなり活発な法座でした。1日だけですが、まったく仏法聴聞が初めてという青年に、初参加の本派の布教師の方。「父の遺品にあった『親指のふし』を読んで、ぜひ、悟朗先生にお話を窺って後生の一大事を解決したい」という年配の方も初参加。この方は、感銘を受けたと、1日だけの予定が、翌日も参加して、華光誌も定期講読、さらに今週末の広島支部も申し込まれました。若手僧侶の方も多かったし、ほんとうに久しぶりに参加の方もありました。それぞれ年齢(20代~80代まで)も、性別も、仕事も、バックボーンも、趣味もそれぞれ異なる人たちが、一同に集って、お念仏のおいわれを聞き、そして称え、喜びあいました。特に、最後の法座の分かち合いが有り難かったです。一方的な法話だけでは味わえない、ひとりひとりの身を通して発せられるウソ、偽りのない言葉が尊かったですね。ウソ、偽りだけらの虚仮の身なのにね。

 初日、ぼくの迎えのために、博多駅で待っていてくださった彼女は、夫への怒りのエネルギーがすさまじく、何時間も愚痴一杯を吐き出されました。いや、「王舎城の悲劇」ならぬ「博多A家の悲劇」だなーと思いましたね。親子の愛憎劇ではなく、夫婦の愛憎もからんで、お互い業を果たし合ねば、別れるにも別れられない。まったく不思議なものです。まあ、我が身に詰まらせれもしました。それに、その怒りの矛先は時に、華光へも向きますからね。「お釈迦様、お釈迦様はどうして、あの極悪人のダイバダッタの親類なんですか…」と始まるイダイケ夫人じゃないですが、ぼくもお釈迦様ならぬ、A家のイダイケ夫人の愚痴のありったけをお聞かせにあずかりました。でも、これも権仮の仁でした。ご法の偉大さ、不思議さに触れさせてもらえることになりました。

 それが、2日間、法席につらなられ、お念仏を称えられると、最後の分かちあいで、お同行さん方の励ましに応じて、素直にその相手に頭垂れ、感謝の言葉を口にされました。その姿に、正直、驚かされました。博多駅までお見送りくだされ、お別れした時には、ほんとうに満面の笑みを浮かべておられました。こんな現世利益もあるんですね。ご法の暖かさ、やわらかさに触れた気がします。まさに触光柔軟の願だなー。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

力なくしておわる時…~九州法座(1)~

 博多から帰ってきました。

 華光の法座は、内容がタップリありますから、かなり疲れます。ひとりで、法話も3回キッチリお話しするし、もちろん座談もある。懇親会も思わず遅くなる。今回は、余命数カ月と宣告され、まだ混沌としながらも意識がある(耳は聞こえている)内にということで、急いで老婆へのご示談もありました。しかも、そこにいくまでには、行き違いからヘビーな痴話喧嘩をお聞きするというおまけもあって、心身ともに、ハードな3日間でした。でも、充実した内容で、温かで、尊いもに触れて、お念仏が溢れ出ます。

 尊かったです。死んでからのお葬式ではなく、体も不自由になられ、言葉も出すこともできず、当然、口でお念仏を称えることも、手を合わすこともできないけれど、まだ耳が聞こえる内に、お念仏のお心を届けにいく機会をいただきました。そのご縁をつくってくださったご家族の方に御礼申さずにはおれません。辛うじて、瞼が動き、口がやっと動く(声は出ない)ことができる状態ながら、先生も「耳は聞こえています」とのこと。それで、目を覚まされたのを確認して、三帰依文をあげ、阿弥陀様のお徳を讃えさせていただきました。安心して、なんの煩いも、疑いも、遠慮もない。南無阿弥陀仏の国、ほんとうの安らぎの世界、安楽の国、いま聞こえている南無阿弥陀仏ひとつで、迎え取り、摂めとってくださる。「安心してまかせてくれ」と、南無してくださっている仏様のお心をお伝えしてきました。最後に、「願以此功徳、平等施一切、同発菩提心、往生安楽国」の回向文と、ご家族の方で一緒に、お念仏しました。

 「来いよ、来いよ、出て来いよ、そのまま来いよ、出て来いよ」と、如来様は、十劫も声を枯らしてお待ちなんです。いますぐ、帰られてもらいましょう。娑婆の縁つきて、力なくして終わるのは、臨終に床にある老婆ではなんです。まさに、私の姿そのものじゃないですか。誰もが、例外なく、裸で生まれ、目も見えず、しゃべれず、寝返れもうてず、まったく無力で生まれたきたように、最後もまた、目も見えず、しゃべれず、体も動かず、病に倒れ、老い、そしてまっ裸で死んでいく。この世で身につけたものはすべておいていくんのに、たらふくためた悪業だけはもっていくんですからね。まだ、皆さんは、幸いにして、耳も聞こえる。お念仏を称える口も達者じゃないですか。もちろん、おれが、おれがの自我も、自力のはからいも超達者で、智恵のないアタマで、広大無辺のお慈悲を計らいつづけるんですがね。

 みーんなダメになるんです。アッというまです。

 ぼくの方が、身業説法をいただきました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年10月 »