« 週末は東京法座 | トップページ | 摂取して捨てざれば »

『ジャージの二人』~映画の最中に。

 京都シネマで、映画2本。正確にいうと『白い馬』『赤い風船』という、ファンタステックなフランス映画、中編の名作2本と、『ジャージの二人』という日本映画を続けてみたのだがら、3本になる。

  この劇場は、3スクーリンだけれども、けっして大きくないアート系の劇場で、完全入れ替え制。新しくて清潔な感じがする。やや前の真ん中あたりに座る。満席ではないけれど、左右ともに人が座っていて、8割ぐらいの入り。 『ジャージの二人』、映画自体は、脱力系のまあまあながら、いい雰囲気で映画が終わり、エンディングロールが流れ出したところ。前列の座席で、「ガチャン」となにかが落ちる音と、「この人、チカン」との女性の声。「エッ」と、声の方をみると、男性が脱兎のごとく逃げていく。あわわて出口を間違えそうになるが、その間、ほんの十秒足らずのこと。みんな、一瞬のことで、何が起こり、どうすればいいのかが理解できないまま、ただ眺めていた。すると、しばらして、声を出された女性も、立ち上がって追いかけられたが、誰も声を出さない。 

 結局、何事もなかったように映画は終了したが、周りの人達も、「何があったのか? ひったくり?」「いや、痴漢らしいよ」と会話されている。せっかく勇気をだして声をだされたのに、何十名もいる客が、誰も何も答えず、行動にも移せなかったのだから、被害の女性にすれば、見て見ぬふりをされたということにな.る。「出口付近の客が、男を止めてくれなかった」と、受付で話されていた。 

 痴漢といえば、電車と思っていた。それで思い出すのは、その昔、日高法座の帰りの山陰線の急行列車でのこと。4人がけのシートにぼくがひとり。通路を隔てた座席に、若い女性がひとり。空いているのに、酔っぱらいのジイさんが彼女の横にすわり、嫌がっているのに絡みだして、「手相をみよう」と手をとったりしている。彼女は声を出せなかったが、「大丈夫ですか。彼女、嫌がってますよ」と、声をかけた。その時は、痴漢というより、酔っぱらいの迷惑な客で、しばらくぼくにも話しかけてきたが、だんだんと客が乗り合わせて混んできたこともあって、何事もなくすんだ。結局、通りがかった乗務員に通報すると、切符も持っておられず、次ぎの停車駅で降ろされていたという経験がある。

 ただ、映画館は、スクリーンに集中しているし、映画が見易いように、前後の座席の人が見えないような構造になっている。ましてや暗闇だ。逃げる男性の顔もわからず、ただ唖然と見送ってしまうしかない。その意味では、列車の中よりも、劇場の痴漢や置き引きの被害が多いのかもしれない。
  状況が見えない中で、一声聞いた瞬時の判断だけで、離れたところから、「大丈夫ですか」と声をかけたり、出て行く男に、「そこの人、待ってー!」と叫びのは、かなり至難の技だということが、よく分かった。たとえ、出口付近に座っていたとしても、その男性を止めたり、係員に通報できなかっただろう。想定外のことに、瞬時に転機を効かして対応するのは難しいけれど、やっぱり勇気のある一声は必要だ。今後の教訓にはなった。それにしても、被害の女性は当然のことたが、同席しているものにも、不愉快きわまりない事件だ。

 停電になったり、痴漢騷動があったり、今夏の京都シネマはいろいろと起こります。

|

« 週末は東京法座 | トップページ | 摂取して捨てざれば »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

映画(アジア・日本)」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『ジャージの二人』~映画の最中に。:

« 週末は東京法座 | トップページ | 摂取して捨てざれば »