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次々と…

 お盆が終わって、今日から連れ合いと子供たちが広島へ帰省した。朝、京都駅に送りにいく。どうも世間とは反対のようで、駐車場は迎えの車で一杯だった。

 その間少し待っていただいて、10月の東京講演会のポスターとチラシの印刷の依頼。幸いなことに同人の方が手配してくださるので、大いに助けられる。23日からの東京法座に間に合うようにご無理をお願いした。

 まあ、そこまでは予定どおり。でも、そこから急な来客、電話での信仰相談、カウンセリングの依頼に、メールでの相談などが次々と入ってくる。どうやら日曜日でお盆休みがあけたことが関係しているのかもしれない。

 一般のカウンセリング(相談)の予約がはいったかと思うと、「いますぐ行ってお話したいことがある」という急な来館の方もあって、おつきあいする。この娑婆は生きていくだけでも、ほんとにうたいへんですわー。そうかと思うと、「『仏敵』を読んで、混乱している。(1)獲信すれば、ユチリほども疑いがないのに、なぜ伊藤先生は、信後に不審が起こってくるのですか。(2)華光会では、弥陀の本願をどうといっておられますか」という問い合わせである。すぐにでも来館して話を聞きたいという勢いだったが、とりあえずは電話で丁寧にお答えした。また、同じように、ある会で聴聞していたが、どうもネットを見ていてさまざまに疑問に思う事があるで、直接、お答えいただきたいという匿名での問合わせ。最近、この手の問い合わせが多い。有り難いといえば有り難いが、まだまだ、こ;れらの方々は、いまだ自分のところはお留守になっている。もちろん、その方なりに必死にご聴聞されているので、本人は気付いておられない。しかし、焦点が、まだ外側の組織や会、もしくはそこで説かれる教義という外郭に焦点が当たっていて、自分の「後生の一大事」が遠く遥かであることに気が付かれないないのだ。私のほんとうの正体、物柄はどうか。いくら頭で納得してわかっても、その弥陀の本願が、いま、ここの私にハッキリと届いているところを聞かせてもらわないと、ご聴聞はならないのだ。その意味では、まったく「自分」のところが抜けて、頭でっかちのご聴聞で、「どうしたら、どうたから」の方法だけを追いかけていく。それより、まずは勇気をだして食べみないとね。食べてもいないのに、信後の心配ばかりしてんても始まらないもの。もちろん、それもプロセスとして仕方がないことだろうし、まずは段階をふんでいかねばならないのも百も承知だ。それで、まずは、疑問にお答えしていくしかないのだろう。
 その意味では、ほんとうに華光で純粋培養でお育てを受けてきたものは、ほんとうに幸せだなー。でもね、あまりに恵まれすぎていて、「座談が嫌いだ」の「厳しすぎる」のだの、ちょっと贅沢すぎませんかね? もう少し大切にせんと、御罰を蒙りますぞー。

 そうそう、同朋観光さんからは、9月の山陰の妙好人めぐりの参加状況の問い合わせもあった。〆切が、8月20日と迫っているに、定員どころか、最低実施人数にもまだ達していない。正直、計画段階から苦戦は承知していた。バスの時間が少々長くなるのと、経費もかさむ。2月インド仏跡もある。でも、なかなか個人では訪れにくい寺院が多いし、車中も、仏教詩歌集の唱和や詳細な説明など、華光ならでは楽しみもある。迷っておられる方は、奮って参加してほしい。↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/09/monpouryokou2008-9.htm

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