アメリカの同行
今日は、アメリカのカリフォルニアからお同行の来館があった。アメリカ布教でお世話の中心者だったK家一族で、ご家族4名で来館。まだ、お若い方で、日本から嫁がれたご縁もあって、日本語が理解できるので助かる。ご挨拶程度ではなく、ご夫婦とも、かなり真剣に求めておられご様子で、父がご示談することになった。
もし日本に行くのなら、ぜひ、増井先生にお聞かせに預かったらとお勧めくださる方があって、今回の法縁となった。昨日も、奥様だけM家の家庭法座にお参りされていた。がごこれまでも、アメリカの海野大徹先生の念仏セミナーに参加されておられるようだが、ここまで真剣な厳しいご縁は、なかっただろう。
ちょうど、お子さんたちが、うちと同じぐらい年齢なので、ぼくは子守役だ。途中、子供を保育園に迎えに行って帰って来たら、父が、かなり厳しくお念仏をお勧めていた。この時ばかりは、まだまだ元気で、すごい迫力である。側で聞いていて、かなり強引かなーとも思ったが、遠く離れて、またの機会があるかどうかはわからない。連れ合いも、ご主人に英語に訳して、お念仏を勧めている。その間、子供たちも、だんだんと打ち解けて、賢く遊んでくれていた。いつしか、お二人が、お名号の前で、泣きながらお念仏を称えておられる。その姿がなんとも尊かった。
獲信云々ではないかれしれないが、ほんとうの意味で、聞法の緒に付かれたのではないか。聞いても、聞かなくてもいい教えではない。ほんとうに心身をかけて聞くことを身をもって教えていただく。そのことひとつとっても、ほんとうはものすごく有り難いことだ。もちろん、そこに留まるのではなく、そこを超えて聞く教えであるが、そのスタートに立たせていただくまでの、種々の如来様のご方便、ご苦労ひとつをお聞かせいただくだけで、もう頭が上がりませんがね。南無阿弥陀仏。
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