歯痛
壮年の集い、もう19回目。今回ほど、新鮮な顔ぶれはなかなか珍しいね。それに、ご縁の新しい方も多くて、分級座談に不慣れな方も多くて、多少、硬かったと思いましたが、それでも、尊い、有り難いご縁をいただきました。
初めてお参りくださる方も、皆さん、ほんとうに真面目で、真剣な方ばかり。それらの方の方が、まるで菩薩様のようで、尊かった。ネッやある会をご縁にした方も多かったけれど、一方で、お寺のお坊さんや古くから華光と縁える体験的な聞法を大切にするお寺のご門徒さんも初参加くださり、新鮮でした。最初、全体会で、全員で車座になって、参加の動機などを一口ずつ分かちあったけれと、道場狭しと一杯で、やっと座れるほどの盛況ぶり。
それに、初日の京都は、37、4度の酷暑の一日。でも、華光会館は、冷房も完備されて、とても贅沢に聞かせてもらって、なかには、気持ちよくお休みになる方もあるありさま。その姿ひとつでも、「楽したい」の凡夫の、いや私の自性そのもので、ある意味で、尊い気がしましたね。どんな大事な話でも、疲労や肉体的な誘惑には勝てない。そこを叱咤するより、逆に、仏説まことを聴く思いがしました。
座談会は、4グールプだったので、1グループが15、6名と人数も多目。それに2度の全体会と、2度の法話があるので、分級座談の時間は、短めで、ひとりひとりとじっくり関わるというわけにはいきません。特に、初めての方は、非常に緊張されていたので、滑らかに、もしくは構えなく発言するまでには、もう少し時間が必要だったのかなーとも思いましたが、それでも、なかなか有り難い場面もあって、いいご縁だったと思いました。広島カウンセリングで教えてもらった、最後の10分の分かち合いも、なかなか新鮮で効果大でした。
で、お世話の方のご尽力もあり、無事、終了。そうじの間、皆さんをお見送りし、そのあと、1時間ほどの反省会。お世話もたいへんだったので、近所のファミレスで、夕食を食べました。疲れていたので、軽いものを注文。家族で、法座の振り返りなどをして、多少は、疲れているけれど、今回は、法話もなく、分級座談会も短めで、かなり楽だったなと思っていたのだけれど、食事を初めて、10分もしないうちに、何かを噛んだ拍子に、悩を直撃するほどの鈍痛! 右の奥の親不知の神経か何かを刺激したようで、痛い。もう、そうなると、痛いのと、こわいので、食事もノソノソです。一気に、法悦もしぼむ、しぼむ。この変り目、末通られないわが身の姿は、まったく見事の一言。我ながら、大いに感心したなー。たかが歯痛ですよ。ハッキリいって、いのちにまったく別状はない。虫歯ではないので、いまは、ズキズキした痛みは治まっている。でも、ズキーンという、まったく予想していない、突然の痛みがあるかと思うだけで、もう心はそこ一色に支配されてしまう。後は、こわごわ、ドキドキ、おそるそおる、様子みながら、左の歯だけで噛んで食べたけれど、食事した気分になれないわー。
ほんとうに、自性を教えられます。でも、ぼくには、動じない心になるより、こうして、一貫性のない、法悦も自分の都合でしかない、自性のお粗末さ、自己中心の姿に触れることで、ほんとうに仏説まことと味わわずにおれらない。へんな話だけれどね。ぼくには、そこが有り難くて、お念仏させてもらいました。同時に、ちょっとした自分の都合で、コロコロ変わっていくしかない、そんな腐り切っているわが身にかけてくだされた、如来願心の、なんと広大で、尊いことでしょうかね。それだけが、すえ通る真実なんですね。そして、私の側に100%、まったく微塵も,まことがないことが、同時に有り難いじゃないですか。「ああ、明日、歯医者にいかんといかんなー」と、一気に憂鬱な気分にドスーンですわー。それにつけて、「なんと、勿体ないことかね」と、南無阿弥陀仏です。不思議やね。
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コメント
今回は、真宗カウンセリングで学び、おぼろげに掴めてきた事を、まづ、今回の法座で試してみたいとの思いを待って参加しました。その結果私にとってはじめてのすごい事を経験しました。
分級で一緒の一人ひとりが大切な尊重すべき大事な家族、あぁいとしいなーと云う思いになりわたしのこころがまぁるく、温かい気持ちに包まれました。こんな気持ちははじめて味わった事でした。
先生達はいつもこんな思いを味わっておられていたのか、いいな〜と羨ましくもありました。
また、座談では本願のいわれが聞けない悩みを何人かの人が言っておられましたが、帰りの近鉄線のホーム上で「先生の口から出る言葉が念仏のおいわれだったんだね。私は何処かからおいわれが聞こえてくるんだと思っていた。まだ聞こえない、まだ聞こえないと空しく帰っていたんよ、仏様の声なき声が聞こえてくるのを聞くんだと云われた方があったのでそれをずーと待っていた、あぁ〜間違っていた、今度は先生のお言葉を、法話を聞かせてもらうよ」と、あれ程固い暗い表情だった人がうってかわって明るい顔で弾んで語っておられました。聴聞の焦点が見えてきたうれしさが私にも伝わり私がウキウキワクワクです。
こんな思いを味わいに絶対に華光会大会に出席しなければと楽しみです。どうぞ出席出来る環境でありますように!!
投稿: 妙誓 | 2008年7月22日 (火) 10:18
「一気に、法悦もしぼむ、しぼむ。」この件りは有難いと思いました。
私も時々瞬時に頭痛が走ります。脳腫瘍とか脳梗塞の前兆かもしれないと心配し,死にともない,死にともない思いで一杯になります。死ぬ時は来るけれどそれは遠く遠くにおいて置きたい。そして今さえよければ良い。そんな思いしかありません。本当にお粗末です。私は「お粗末やなあ」で終わり勝ちだけれど,かりもん先生はそこから仏説まことと喜んでおられます。この違いは大きい気がします。
投稿: チャン | 2008年7月22日 (火) 14:55
妙誓さん>
お世話になりました。いや~、すごいですね。
学んだこと、気付いたことを、すぐに実践することができる場があるなんて、とても幸せですね。しかも、「できるかなー」が、「できる」になり、結果、成果があったわけですから、何も無駄なことはなっかったです。これは、とてもうれしい報告です。
たぶん、その方だと思いますが、玄関で、「次ぎの京都支部も、そして輪読法座もお参りします」と、にこやかに話てくださったのが印象的でした。
チャンさん>
続けて登場ですね。この有漏の穢身に、とことん執着する、それしかないですから。痛いのも嫌だし、エレベエーターに閉じ込められるのも嫌だしね。
ちなみに、ちょっとした歯の治療は、3分ほどで完了。ほんのちょっとの噛み合わせじゃないかとのことでした。ノビノビになっていた子供を連れて行くきっかけになってよかたですよ。
いまは、なんともないから、まあ、現金なものですよ。
投稿: かりもん | 2008年7月23日 (水) 00:21