『藝州かやぶき紀行』
『藝州かやぶき紀行』 藝州(げいしゅう)と読みます。安芸(藝)の州(くに)の略称です。でも、広島出身の連れ合いに「?」と言われた。日本六十余州というように、古来の国をあらわす慣用的な表現。まだ、「安芸」とか「飛騨」の国名は通用しても、「州」の表現はほとんど使われませんね。かろうじて、一般的に通るのは、「信州」(信濃)、「紀州」(紀伊)、または「上州」ぐらいでしょうか。
さて本題。「西中国茅葺き民家保存研究会」の監修、監督した、かなりマニアックだけれども、広島という土地に根ざし、「土徳」の言葉がぴったりくる温かい作品です。京都ではないが、広島も、ぼくにはご因縁深い地なので、知っている地名が出て来るたびに、うれしくなってきます。熊野町や大和町の職人さん、可部(かべ)や安芸高田市のかやぶきも出て来る。戦前までは、今は新幹線口になっている白島(はくしま)の周りも、かやぶき民家だらけです。それが、高度成長期に激減したものの、いまも住居に使われる広島県内のかやぶき民家の特徴、高齢となっている茅葺き職人たち、その技(わざ)や道具、さらには、山間部と瀬戸内側での技の違いなどなどを、愛情込めて丹念に追いかけていきます。
広島のかやぶき職人さんたちは、西日本に広く出稼ぎに出ている。その後を丁寧に追いかけていく、ロードムービーでもある。すると、その技の伝わり方が微妙に違う。山口県と島根県の県内でも、どの系統の職人がやってきたかで、その伝播が異なるわけです。また、広島と筑豊(田川)との、切っても切れない関係が分かってきたりもする。筑豊が、炭坑で賑やかだったころ、広島出身の炭鉱夫が大挙押し寄せたので、屋根から月が見えるくらいの茅葺きの社宅が作られている。広島から、炭坑への出稼ぎや、アメリカやブラジルに移民が多いのは、ひとつは、真宗篤信地帯では、堕胎や間引きを回避するので、貧しい農村の次男、三男と、男たちが多くいたこと。そして、彼らが熱心に働くことと無関係ではないのでしょう。ちなみに、京都にも出張し、東は滋賀のマキノ町に現存。滋賀県今津町には、広島の親方の弟子がおられて、1軒の茅葺き民家も現存。この家は、追ハイの下見で覚えていたので、ちょっとビックリ。
茅葺きのための「カヤ」を収穫する作業、その村での作業の違い。また見たこともないような独特の道具と、それを造っていた鍛冶屋。そうなんです、農業が機械化し、さらに第一次産業に従事する人口が激減すると、文化や習慣も、どんどん変化していく。「村の鍛冶屋」は、いまでは唱歌の中だけの世界になっている。こうして、生活習慣が変わり、生活文化や様式が失われていくわけです。ほんの40、50年も前のことなのになー。
古い民家をじっくり写されだけで、とても郷愁にかられます。別に住んでいたわけじゃないのにね。
さらに、高齢になった職人たちの、味のある姿。とくに、さまざま角度から、職人の「手」を映し出されるけれど、深い皺と、仕事によって歪んだ指、その味のあるひとつひとつの「手」を見るだけで、感動します。でも、需要が減り、高齢化がすすみ、後継者は必要ないわけです。ところが、京都の美山町の茅葺き集落が登場するけれと、そこでは若い30代、20代、時には大学で建築を学んだ若い後継者が育成されている。でも、職人さんじゃない。建築家というか、アーティストの風情です。このあたりは、なかなか複雑な風景で、おもしろかったなー。
とにかく、高度成長期に急激に、日本で失われていったものが明らかに見えてきます。それは、効率と利便性と、そして利益のみを追求した、当然の結果ですね。いろいろと考えせられます。でも、ただただ好きなものを愛情を込めて撮っているので、へんな押しつけはなし。最後のオチも、なかなかユーモラスした。
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