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『靖国』

  蒸し暑い1日。朝一番で、『靖国』を見る。
Img_2520  上映を巡る騷動が社会現象になったおかげで、こんな映画には無縁の方まで、劇場に押しかけて、たいへんな宣伝効果だ。通常、この手の映画は、京都ではよくて2週間、下手すら1日1回、1週間で終わっている。
 今回は、長期上映が予想できたので、まずはほかの映画を優先し、公開から1ケ月ほどたっていた。それでも、まだ満席に近く、年配の方が多かった。でもね。はっきりいってマナーがお悪い。というより、慣れてられないのかもしれないなー。上映前の「観衆へのお願い」を、ひとつひとつ声を出し、「禁煙にご協力を、当たり前やんか」などと、ブツブツ言っている、斜め後ろの夫婦連れ。いやな予感。やはり半分をすぎたあたりから、映像が変わるたびに、常にしゃべっている。横の人は、「暑い、暑い。冷房ないなんて信じられん」と、スタッフに詰め寄っていく。「申し訳ありませんでした」。「何が申し訳ないねん」と、ケンカ腰だ。真後ろのおじいさんは、コツコツと貧乏ゆすりで、ぼくの座席を蹴っていたが、終わるとなり大声で一言。「ああ、長かかった」。
 別に、鑑賞中は、そんなに気にならずに観られたけれど、若者や子供の公共マナー云々が取り沙汰されるけれど、案外、お互いさまじゃないのかなとも思うね。そして、これも「老」の姿なんでしょう。明日のわが身の姿を見る思いがして、ちょっと寒け。

 で、肝心の映画はというと、想像以上に面白かった。

 8月15日の靖国神社の様子と、靖国刀の刀匠。撮影時点での関係はすごぶる良好で、何がしかの無言の圧力があったのだろう。終わりの方に、ナレーション無しで流れる、昔のニュース映像やモノクロ写真は、長くて退屈した。

 天皇のため、日本国のための聖戦でなくなった軍人を英霊とし、その250万体近い魂が移された一振りの「刀」が、ご神体だという。そうなのか。靖国神社は、刀がご神体とは、勉強不足でした。 

 8月15日の異様で奇妙な光景。ワンダーランドやね。
 軍服マニア、右翼系の人達の、ここはアキバじゃないのかというほど、次々と軍服のコスプレを誇示する集団が、思い思いのパフーォマンスを行なっていく。かっこいいものには、拍手も起こる。百人斬りの報道を虚偽だとする署名活動の様子も収められる。一般の人達の素朴な肯定的な声も、自然に拾われていく。ここでは支持派の声ばかりだ。小泉支持と星条旗をもったアメリカ人がトラブルをおこす。石原都知事や、小泉元総理も登場する。
 反対派の人達の抗議行動の様子も収められている。念仏者九条の会でお見かけした、本派の僧侶の方が、重要な役割で登場されている。心情的にも、冷静に抗議される姿勢や態度に、いちばん共感できるかもしれない。

 ただ、この内容であれだけ騒がれたのかが理解しがたかった。でも、そこが、靖国問題の靖国問題たるゆえんなのかもしれない。
 小泉さんの記者会見で、中国や韓国、そして国内の参拝反対に、こころの問題で、平和を祈願するのを反対する勢力があることを、「理解できない」を連発されていた。そう、支持派は、反対派を理解不能の非国民、売国奴としか、感情的に拒絶することしかできないのである。靖国神社での追悼集会の最中あらわれた、靖国反対派の青年を、同じ言葉で追い詰め、罵り続けるシーンに、その感情的な態度が露になってきて、面白かった。同時に、血を流しながらも青年がみせる、青臭い反権力の態度までも芝居じみて、滑稽に映ってきた。
 そして、上映中止を決めた劇場があったことも、日本人のことなかれ主義をあらわしている。映画の中、米国人と、反対派が、2度ばかりトラブルを起こし、警察の登場となる。どちらが法的に正しいかではなく、「今日は厄介はゴメンだ」という理屈で、排除されていった。とにかく自己主張より、まわりの空気を読んでことなかれ主義に徹するのである。

 ともかく、敗戦を、終戦としか受け止められなかった日本人の屈折した心理、未熟さが、もろにあらわれる、すべての日本人が避けては通れない場所なのである。

 ここにエントリーした参考図書のご紹介です。→http://karimon.cocolog-nifty.com/blog/2006/08/post_3544.html

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