愚痴
今夜は、「それゃ、ちょっと勝手すぎんかー」という、小さなストレスが2件続いて、かなりカッカしたー。それゃ、本人にしたら、その方が都合がよいだろう。けれど、事前の約束は約束で、いわば契約してのだから、自分の都合だけを通されたら、ちょっと虫よすぎませんかとなる。いくら日本語が上手くても、やはり相手はアーリア民族。民族性の違いもあるのかなー。
もうひとつは、精神的にちょっと混乱されているのだろうから、なんとなく分かる気もせんでもない話だが、ぼくとしては、これも腑に落ちん、かなり彼女のひとり相撲のお話。
いやいや、具体的に書かないと、まったく伝わらん話だけれども、馬鹿らしくて書く気にもなれん。それに、どこかで、こんなことでカッカくる自分を、自分で責める気持ちになるから、これもかなわんなー。
といわうけで、同じ気持ちだった連れ合いからも、的確なアドバイスもらい、ちょっと熟慮の結果、「今夜は伝えない」という選択を、自分がした。それで、今夜はここまでにして、すべて流してしまいましょう。
ぼくの性分は、いつまでも引きずるグズグズ性。他を非難し、同時にその自分を責めるパターンは、精神衛生上よくないどころか、まったく建設的じゃない。分かっているのに、直らないのだ。
直らないなら、せめて、せっかくの自分で選んだことは、尊重することにした。
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コメント
>「今夜は伝えない」という選択を、自分がした
そういう選択をされたってことが、よく伝わってきました。
なんの解決にも援助にもなりませんけどね。
あと
>連れ合いからも、的確なアドバイスもらい
ってところがほほえましく、またうらやましくもあったりします。
投稿: MANU. | 2008年7月 8日 (火) 23:19
インド人相手には
「たとえ殺されても自分の意志は曲げない」
というぐらいの強い「押し」が必要に思いますよ。
自分も家電量販店の店員時代に、
インド人相手には苦労しましたが、
「絶対にこっちの主張を譲らない」
ノリでいけば相手が折れる(買わずに帰る場合もあるけど)ので、大丈夫です。
投稿: ネコ丸 | 2008年7月 9日 (水) 00:23
ネコ丸さん>おお、どうしてインド人ってわかってしまのかなー。相変わらず鋭い。でも、華光は、個性的な人の集団ですからね。ぼくもその変わり者の代表ですが、いろいろ人がいますよ。みんな、まわりに気を使いながらも、やっぱり自己中心の塊なので、なかなか困ったもんですが、お互いさまのボチボチですからね。
MANU.さん>コメント、かなりお久しぶりじゃないかなー。ちょっとうれしいかも…。 ほんま、すぐにカッカしたり、クヨクヨしたり、ぼくの感情の起伏は大忙しですわ。
実は、これでも、ぼくなりの「アサーション」の実践です。どうしても、伝える時に、過剰に感情的な自己表現になったり、また我慢して、自分を踏みにじって、自己嫌悪ということもあるでしょう。日本人の場合、我慢しすぎて、爆発し、人間関係を壊すケースも多い。
いい古されているけれど、変えられるのは相手ではなく、自分だけ。つまりは、相手を変えるのではなく、相手とどんな関係を持ちたいのか。その関係性は変えられかもしれない。
だがら、黙っていると、相手には何も伝わらず、解決しないが、伝えても変わることは期待してはいけない。それで、艱難辛苦(?)の実践の末、相手ではなく、自分の立ち位置が変わることで、その関係が改善される方法しかないんじゃないか。その中でしか、適切な自己表現が出来ないんじゃないかなーと考えるようになりました。
人間関係の悪化を恐れ、「我慢し、察してもらえずイラツク」消極的な「伝えない」ではなく、「伝えない」ことの積極的な選択もありうる。それは、どちらの道を選ぼうと、要は自分が選んだことの責任を取ることが出来るという理論に教えられる気がしています。要は、自分のところを第一に考える。
でも、うまくいくかどうかは試行錯誤中。生きているというのは、この連続やものね。昨夜は、引きづらなくてよかった。ちょっと長くなりました。
投稿: かりもん | 2008年7月 9日 (水) 20:54