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「聞けない」自分か、「聞けない自分」か

  「壮年の集い」に引き続いての、輪読法座の集い。平日なのに、1グループにしては、そこそこの人数集まりした。輪読は初参加の方が6名。女子大生も3名ありました。ほんとうの初めての方は3名で、そのうち、2名はネットからこられた初対面の方。かなり勇気をだして参加してくださったようです。ある会で聴聞され続けていたので、○○秘事(馬鹿らしくて書く気にもなれん!)じゃないかと悩み抜いたそうです。華光会のHPをクリックするのも、勇気がいるんだなー。決断までに、昨夜は眠れんほど悩んだあげく、なぜか引きつけられるように電車に乗っていたそうです。でも、まだ会館の前でためらっていたら、なんと、やはり初参加の大学の先輩に出会って、一緒に来られました。これゃなんともいえないご縁ですね。やはり、すごく硬く緊張されて座っておられたが、皆さんの飾らない率直な発言が、新鮮だったご様子で、徐々にほぐれて、あとはもう、百聞は一見にしかずです。最後は華光双書を購入し、終了後は、お同行さんのお茶会にも出席されてました。

 で、今回は、これまで長年ご聴聞されてきた方の心境の変化をお聞きしました。「でも…」がとれて、心境が開けてきた方、これまでのウソの皮、聞き間違いを懺悔された方など、さまざまでした。その意味では、なんか堅い、固着した、「これでいい」なんという心境だけでは、まったく面白くないですものね。信一念の水際は、火に触れたようにハッキリする。でも、それは、迷いに迷ってきた凡夫の迷情、自力の心を破られる一念ですから、むしろ、そんなところに捕らわれることなく、もっともっと自由自在にご聴聞していけるようになるんじゃないでしょうか。刻々変化してやまない生きた体験、生きたご説法を、いま、いま、ここのところでお聞かせに預かることができる。そんな尊い仏智の耳をいただいたわけですからね。それを死にものにしては、あまりにも勿体ないです。

 もうひとつ。壮年の集いで、「聞けない自分を聞いていってください」と言われた方が、その心境語ってくださいました。でも、まだ、「聞けない」自分という、「聞けない」ところだけを問題にされている。それでは、まだ「聞ける」自分や、「聞かねばならない」自分になていく。つまり、「聞ける」とか「聞けない」とかを問題にしているんです。それでは、知らぬまに自分が抜けていく。そうではなく、問題にするのは、「聞けない自分」の「自分」の方ですね。よく似ているけれど、ここが大違い。「聞けない」状態ではなく、「聞けない自性」を問題にしていくわけですね。
 「聞けない」自分と、「聞けない自分」。わかりますかね?

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