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痛ましい事件

  先日の日曜日、秋葉原で悲しむべき戦慄の事件が起きた。 皆さん、どれだけ報道をご覧になられただろうか。そして、どんなことを感じられ、お考えになられただろうか。

 ぼくは、先日の土曜日から、まったくTVを付けていない。それは、たまたまた忙しかったこともあるが、映画館通いを始めてから、テレビを見る癖がなくなったからだ。もともと、典型的なテレビっ子だった。子供が生まれたある日、帰宅してみると、妻が、食堂からTVを動かしていた時には、勝手な行動に腹立てたものだ。それが、いま考えると、不思議にも慣れて来る。妻は、TVなしの生活を理想にしているので、無用の産物だ。ただし、子供は、アニメを1日に1時間(つまり2番組)程度は、見ているが、それ以外のお笑いも、歌番組、ドラマも知らない。

 今回に限っては、ネットでも、このニュース映像は見ていない。ただし、新聞だけはわりと丹念に読んだ。別に、TVやネットが信じられず、新聞がいいというのではない。どうも、これまで、センセンショナルな凶悪事件が起こった場合、短期間に、繰り返し繰り返し、刺激的な映像が映し出される。刺激的で、恐怖や悲しみの現場の映像を見続けることが、現実を直視することとは、まったく関係ないんじゃないか。むしろ、抑止力にならずに、類似事件を再発させる刺激になったり、またはどこかで画一的な方向性へ、意識、無意識の両面から操作され、誰かさんに都合のよい考えが刷り込まれていくために、何か巧みな世論操作に利用されているんじゃないかなーという恐れを、若干抱いているのだ。

 本筋でないようだけれども、案外、たいせつなこともかれないな。

 今回の事件の特徴として、
 秋葉原という現代日本の若者文化を象徴する場所で起きたこと。 
 加害者が、派遣に甘んじててきた「負け組」(←いやな言葉だね)の若者だったこと。 
 そして、携帯から犯行予告ならぬ、犯行前中継がリアルに行なわれていること。
などが上られている。それで、いまの日本社会の若者文化やネット社会、そして格差問題と結びつけて、あれこれ語られているようだ。

 もちろん、個人の資質の問題もあろうが、個人の心理、内面の問題に矮小化するつもりもないが、かといって、あまりに短絡的に、現状の社会状況に結びつけて語るのもどうかとも思わなくはない。

 被害にあわれたの無念さ。その家族、親戚、友人の悲しみ、悲嘆。やりきれなさはどこに行くのだろう。同時に、加害者の、親御さんが泣き崩れて謝罪されている記事が出ていた。どうもその親世代に共感する年齢になったようで、どちらをみても、展望のない、やりきれなさだけが募る。

 阿弥陀様が、法蔵菩薩の時、四十八の願いを立てられた。一切の生きとし生きるものを救いたい、真の安楽の国、わが浄土に生まれさせてやりたいという大きな願いを誓ってくださっている。その第1願が、無三悪趣の願は、
「たとひわれ仏を得たらんに、国に地獄・餓鬼・畜生あらば、正覚を取らじ」。
 第2願は、不更悪趣の願は、
「たとひわれ仏を得たらんに、国中の人・天、寿終りてののちに、また三悪道に更らば、正覚を取らじ」。

 究極の浄土を誓うのに、まずは、衆生の、三悪道という究極の極悪の世界に、それに対する恐れ、不安、その苦しみをを取り除くことからを始まっている、その慈悲心のおこころの深さを味わうばかりだ。それほど、この世界は、痛ましく、苦しみや悩みに満ちているのだ。

 たまたま、今日は、仏青の法話があるが、25、6歳の同世代の皆さんが対象となる。どう味わい、考えておられるのかを、お聞きしながら、共に考えてみたい。車組は、8時すぎに一足早く出発。ぼくもこれから出ます。

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