飲み込むように聴く
今日は、大阪支部法座。大阪といっても、会場は奈良の生駒市。これまで中心だった年配の会員さんが奈良在住の方が多く、ここなら、大阪市内や近鉄沿線の京都からも参加しやすいようだ。父がTさんの運転で日高支部に出かけたので、久しぶりに近鉄で。西大寺で乗り換えて、1時間ほどで到着した。
大阪、奈良に加えて、和歌山や京都の方もお参り。久しぶりの顔、いつもなじみの顔に混じって、初めての学生さん風の男性がひとり。なんでも、小学生のころから、「死んだらどうなるのか」ということを疑問に感じていたけれど、そのことにしっかりと答えてくれる大人がなく、それが、大学に入学して、浄土真宗系のサークルに勧誘されて、「後生の一大事」を聞き、それから3年間、聞法(活動?)をされていたのだという。体調を崩して、活動ができなくなり、インターネットを通じて華光会のことを知って、HPの案内で、遠方から、この生駒の家庭法座に参加してくださったのだった。よくよくのご縁。「よくお出でくださいました」。
ご法話を、真面目に聞いてくださる。そして、1年間の聞法のブランクをあったことを、涙ながらに悔いて話してくださる姿が、とても純粋で尊かった。少し「求める」方向の仏縁は作ってもらっておられるので、今度は、「捨てる」ところを聞いていくのだと、聞法の姿勢についてアドバイスする。(これまでは)「どう聞いたらいいのか。方法ばかり求めてきました」と、スッーと聞かれていきました。なかなか、初回からこうなるのはたいしたもんですね。
だいたい、惜しいですよ。これまでの聞法歴や聴聞の歩みがあるもの。自慢したいヤツが、腹におります。それで、「まったく役に立たん」と教えられても、本心は、ちょっとは役に立つと思っているんじゃないかなー。100点は無理、80点も贅沢、まあ、60点もおこがましい。でも、20、30点、いや40、50点くらいはあると思っている。ちょっと軌道修正すればいいのだ程度に聞いているね、本心は! なかには、「いやいや30点も無理です。でも、10点ぐらいはあるでょう」、まあ、なんとみみっちい、中途半端に、自分を評価をしていくんでしょうか。これが、ダメなんやね。0点と聞くだけ。捨てることをを聞くわけ。これまで、身を粉にして聞いてきたことも、何十年も頑張ってきたことも、まったく役に立たなかったと、すっぱり捨てる。ここやね。求めて、捨てたら、転ぜられていくんです。ところが、だいたい「求める」方向ばかりに力がはいっていく。聞き方が足らん! 不真面目で真剣さがたらん。正座して、勤行して、聴聞にはげみ、いのちがけで、もっと真剣に、もっともっともっとと…「求める」方向ばかりに力をいれて、自分の値打ちがお留守になっていくんです。ましてや、阿弥陀様のご本願、願力の働きが聞けるわけないですよ。
つまり、皆さんの本心は、どこかで、どこかでですよ、苦労した方がホンモノ、そんな簡単にわかる信心ではないぞと、自己をかいかぶってるんじゃないですね。ほんとうのところどうですか?
今回は、ある古参の華光同人が、「わしは、飲み込むように聞かせてもらったな。ここ(腹をさしながら)に入った。善知識がなんで、そんなこともわからずに、最初は人の話として聞いていたのに、それが、阿弥陀様の声に聞こえきた。(理屈や頭でなはく)こころで応えさせてもらったなー」との味わいが、なかなか深くてよかった。どうしたらなんかの余地がないなー。いいじゃないですかね、赤子のように、飲み込むように聞かせてもらったら…。
追記:「如来所以興出世、唯説弥陀本願海」のところを、「唯「聴」弥陀本願海」と、自分に引き寄せていただくというあたりを中心にご法話しました。(以前、少しだけ触れているので今回はパス。2007年2月22日の項目をご参照してください)↓
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