« 法座で考えたこと | トップページ | 『ファーストフード・ネイション』 »

夜半の嵐

 年忌や月忌参りで、「四苦八苦」のお寺さんにはたいへん申し訳ないが、今年の華光会館の法事は、1月の祥月参り一件と、今日の25回忌の年忌の一件。あとは、お盆にお参りがあるだけだ。父に代わって、25回忌法事を勤めた。このお宅は20年以上ぶりに訪れた。

 25年前、亡くなったのは、かわいくて聡明な13歳の少女だった。4月9日。サクラの季節のことだ。夕暮れの塾に出かけた先での交通事故だ。ひき逃げではなかったが、見通しのよい道路での出来事。運悪く目撃者はなかった。親御さんが、必死に目撃者を探したが、結局見つからず、加害者の言い分が通って、少女の飛び出しという形で裁判が終わったのだった。葬儀の時に、狂ったように泣き崩れた母親の姿が、いまも目に残る。49日法要だったか、出かけた時のままの学習机の上が、痛々しかった。もし、いま、存命だったら、ゆうこの年齢のお母さんになっておられたことであろう。

 年月は流れて、25年が経過した。少女の母親の横には、今年の中学生になったばかりの孫(故人からみれば甥にあたる)男の子が一人、足のしびれをこらえながら、不慣れな勤行についてきてくれた。初めての勤行だという。まもなく、故人と同じ年齢に達するという。しかも、同じ進学校に通っているから、なにか共時的な意味を感じた。

 それにしても、年月とは残酷のものだ。誰の上にも、平等に、同じだけの月日が流れながらも、25年前のまま止まったままの時計もあるのだ。母親と同年代の甥御さんを前に、ご法義というより、どうも感傷的な気持ちになってしまった。 

 ところで、3年前に引っ越された住所は宇治市。ところが進む道は「日野街道」という旧道で、ちょうど、曲がり道に日野法界寺を示す看板があった。伏見区日野と宇治市との境界境らしい。この地は、日野家の領地で、親鸞聖人の生誕の地に近い。ナビにも、法界寺が出ていたので、帰路、少し寄り道をすることにしたが、あまりの近さに驚いた。二百mほどでこんな碑が現れ、ここからもう数百mだった。

Img_2523  ゴミの集積場になっているが、よく観ると、3つの旧跡の看板がある。右が親鸞聖人の生誕地を示すもの。中が日野薬師(国宝の阿弥陀仏もすごいが)有名な法界寺。そして左が『方丈記』(「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」というやつねの著者である鴨長明が隠遁していた方丈の地跡があるという。そうか、この地なのか。ぼくは、3つ目のことはまったく頭になかった。

 藤原氏を祖とする日野氏が、このあたりを所領としていたImg_2527。それが、平安時代後期の(1051年)に、日野資業(すけなり)が、薬師如来を安置する堂を建てたのが、法界寺の始まりとされている。その後、阿弥陀堂も建立され、幼き親鸞さまも拝まれたであろう、有名な阿弥陀仏がまつられている。(右写真)。
 
親鸞聖人が、日野有範の子として、この地に生まれられたのは、承安3年(1173年)ことで、資業から5代目にあたる。
 一方、
鴨長明が草庵で「方丈記」を書いたのは、1212年頃だそうだが、当然、越後~関東生活の親鸞聖人とはすれ違いだ。諸説あるが、わが国では、1052年が末法の初年にあたるといわれている。宇治の平等院も建立され、阿弥陀仏、極楽浄土願生の信仰が盛んになっている。末法に呼応するかのように、時代は飢饉や天変地異、戦乱が相次ぎ、1192年には東国の地で武士の政権が樹立している。

 そんな時代背景が、鴨長明の思想にも影響しているわけである。神官の彼も「往生要集」を手Img_2536 元にもったいたという。もちろん、親鸞様の三時思想、末法思想は、まさに時代Img_2530の空気からも、体験的な必然なのである。

 聞法旅行以来に、久しぶりに誕生院にお参りした。この建物は新しいものだが、ちょっと厳粛な気持ちにはなる。誕生院の幼稚園に、「一子地」と刻まれた不思議な石像(右手)もあった。

Img_2533  境内のサクラが風と共に舞って、きれいだった。まさに、「明日ありと 思うこころの あだ桜、夜半に嵐の 吹かぬものかわ」である。
 今夜の雨で、「散るサクラ、残るサクラも、散るサクラ」であろう。どうも、年忌と、方丈記と、そしてサクラのセットで、今夜は感傷的な無常感に浸っているようだ。

 Img_2525産湯の井戸、胞衣塚(えなづか)から境内を眺める。

|

« 法座で考えたこと | トップページ | 『ファーストフード・ネイション』 »

法味・随想」カテゴリの記事

京都」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 夜半の嵐:

« 法座で考えたこと | トップページ | 『ファーストフード・ネイション』 »