『裁かるるジャンヌ』
4月30日で日本の上映権利が終了する『カール・ドライヤー日本最終上映』。ドライヤーの無声映画の頂点として、映画芸術の金字塔のひとつだという『裁かるるジャンヌ』。やっぱり、これは見ておかんとなー。ちなみに、カール・ドライヤーを検索すると、電化量販店にヒットする。そうカール・ドライヤーか。そのままやもんなー。
GWの祝日ということもあって、けっこうな客の入りで、それらしき人たちが集まっていた。平日の朝イチなんか、客5、6人なんて閑散とした雰囲気を知っているので、ちょっとうれしい。単館系のこんな劇場が、近所にあるのが有り難い。小学校の隣には、巨大な商業ビルが工事中で、ここにも大手のシネコンが入るらしい。似たようなもの(客が入るもの)しかやらないシネコン乱立のあおりを喰わんか、ちょっとヒヤヒヤしている。
1927年の「裁かるるジャンヌ」。異端裁判を受けるジャンヌ・ダルクの火あぶりまでの一日をとらえた、80年以上も前の作品だ。名声の誉れが高い古い作品のなかには、確かにいい映画だけれど、今の目には退屈という時がある。ましてや、無声映画でしょう。その意味で心配したけれど、驚いた。まったく古さを感じない。いやこれってポスト・モダンじゃないの?という、セットやカットの連続である。いまや無声映画を見る機会がなくなった。たぶん、キートンとかチャップリンなどのドタバタ喜劇以外では、日本で上映されることも少ない。それでも、完全な無声ではなく、音楽が入っているものが多い。それが、出来る限り、原版に近い形ということで、音楽もまったくない。約100分間。劇場の空調の音以外は、ときに誰かの咳払いの音がやけに響く雰囲気で、画面を見る。こんな緊張感の中で、映画を見るのっ て初めてかもしれんなー。よく考えると、100名ほどの人が、物音を立てないように、黙って音のない映像に集中している風景って、ある種、滑稽で、ある種、いまや貴重かもね。
そしてこの映像である。足枷をされたジャンヌが、宗教裁判で教会の聖職者や裁判長の前に、オドオドした表情で引きだされる。「エー、これがジュンヌ・ダルク?」という風貌なのである。そして、このジャンヌのアップが続く。悲しみ、恐れ、憧れ、強さ、エクスタシー・・・。時に凡庸な女性のようであり、時に聖女であり、時にはキリストのようにも見える。結局、なにを信じるのか。神秘体験でもなく、ましてや教会の権威でもなく、ただ「ひとり」ということに立つ彼女。字幕に現れた言葉から、信仰の力(信心ではない)を感じさせられた。「ウーン」と唸ってしまった。
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