『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』
『実録・連合赤軍』~あさま山荘の道程~ 監督、若松孝二の執念ともいうべき、異常な迫力で迫る実録映画だった。190分(3時間10分)が短く感じられる。以前、「突入せよ!あさま山荘事件」という、まったく警察、いや警視庁サイド、いや後藤田長官~佐々氏ラインだけを英雄視した、とんでもない映画があった。もうあそこまでいくと、その権力側だけに偏った潔よさに、アッパレと感心するしかないが、今度は、1972年2月の「あさま山荘」立てこもり事件への道程を、いわば連合赤軍の立場から、その崩壊の軌跡を追う衝撃的な映画だった。
1972年、横井さんが恥ずかしながら…生還し、沖縄が返還された年である。札幌五輪での日の丸飛行体のスキージャンプに熱狂もした。ニクソンが訪中し(映画の中でも、あさま山荘の中でそのニュースをみる)、田中角栄が総理に就任し、日中国交正常化で、パンダがやって来た。ミュンヘンオリンピックでは、血の惨劇が起きている。高松塚古墳の発見もこの年だ。すべて子供心に鮮明に覚えているものばかり。なかでも、あさま山荘事件は衝撃的、テレビに釘付けだった。
映画は、1960年の日米安保条約に反対する国会デモ隊の記録映像にまで遡り始まる。まさに時代は、キューバー危機、ベトナム戦争、パリの5月革命、中国の文化大革命……と世界同時革命へ胎動したかのような1960年代。日本でも、学生を中心にした安保闘争のエネルギーはすさまじい力を発揮していた。それが、学費値上げ反対運動や大学側の不正事件に端を発した学生運動の激化。安田講堂封鎖、70年安保、三里塚闘争や沖縄返還闘争など、農民や労働者と共に社会変革を目指す闘争は尖鋭しながらも、大学当局のみならず、公安の徹底した取締まりにより、活動家が次々と逮捕されていく。運動は、離合集散を繰り返し、武装闘争は先鋭化し、「連合赤軍」が結成され、崩壊していく。あの時代に、何が起きていたのか。なぜ無垢な若者たちが追い詰められ、同志を手をかけていったのか。そして、失ったものは何かをまさに総括しようという意欲作なのだ。
中盤。目を覆いたくなるような、革命戦士の狂信的なリンチの場面が、延々と続く。難解なだけの訳のわからんセリフの数々。そして、必ず「自己批判だ」「総括だ」「自己を共産化せよ」などと、相手に迫っていく。閉じられた空間で、言葉が、いつしか体罰や暴力になり、最後は人間の尊厳をそこなう無惨な処刑が待ち受けている。集団リンチを受けても自らが共産化していれば耐えられる、死ぬのは敗北だ。殺したものではなく耐えられないもの責任だという、もうめちゃくちゃな理屈の責任転嫁の世界だ。しかも、高尚な理論ではなく、女性同士のエゴや嫉妬も隠されて絡んでいる。そんな狂気の閉じた世界では、「おかしい」と感じるものを飲み込み、誰ひとり、声を出すことはできない。そうみんな、「勇気がなかったのだ」
そして、次々と山岳アジトで仲間を殴り殺し続けたあげく、公安に追われて命懸けの雪山超えとなる。そのうち最後の5名が辿り着いたのが、「あさま山荘」だった。妙な話なんだ、ここでぼくはなんかホッとした。山岳アジトの不条理な暴力が支配する異様な緊張感から、外の世界に出られた解放感を感じたのかもしれない。だから、警察との銃撃戦が始まってからの方が、(絶望的な状況なのに)肩の荷が降りて見れた。
特に、有名な母親たちが訴えるシーンに、心動かされた。山荘の中では、母親の声に、「年取ったなー」とか「きっと近所で村八分になってるな」「おれのオヤジも会社やめんといかん」と、みんなが家族のことをボソボソ話し、全員、涙を流していく。しかしながら、それも世論操作のための権力の汚い手口だと、親子の情に抗うって、親に銃口を向けていくのである。さらに、ラスト近くのセリフ。涙が、ぼくの頬をつたった。
あまりにも身勝手、あまりにも稚拙で残虐。しかし、現代に欠落している社会変革の熱気や正義感(稚拙であろう)があったのは事実だ。そして、これ以降、日本の学生運動や社会運動は完全に失速し、いまに至っている。
冒頭、同士殺しの重荷を背負いながら、公安に追い詰められ、猛吹雪の中で、命懸けの山越えをする若者たちの映像。厳しさの中で、その先に見つめていた希望の光りは、果たして灯っていたのだろうか。
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