「真宗法座の集い」雑感
この2日間。静かに今回の集いを振り返ってきた。全体のグループ、少人数のグループの、あれこれの場面を思い返し、自分の態度を振り返っている。
安心してご法が求められる場を提供する。その枠組みを慎重に作っていく。それが、今回の集いの趣旨であろう。それが、ひとりひとり大切にしながら、じっくりと関わるという形の集いになったのである。そして今後、このような少人数で、じっくりと関わる法座の形態が、浄土真宗の聞法・求道の場として最重要になることは、いまの世相や人の気質を考えれば明らかなことだ。
そのためには、まず外観の枠組みが作りが必要だ。時間が守られるとか、互いの約束が守られるといった最低限の枠組み。さらにはお互いの信頼関係が築かれていること。それには、世話人側の姿勢や態度が重要だ。相手を尊敬し、大切に思う態度である。そして案外難しいのが、秘密保持だ。これも信頼関係の程度の問題でもあるが、個人的な感想や流れなどの共有された部分には、目くじらを立てる必要はない。しかし、それが事実だろうが、相手の思い過ごしだろうが、「誰々が、あなたのことをこう言っていた」といった告げ口めいたことは、絶対に避けねばらないは言うまでもない。
そんな最低限のことでも、まずしっかり枠組みを作ることから、安心感は出発する。
その意味で、一点だけ、今回の集いの中で、自分自身の態度が不鮮明だった点があったことを反省している。それは、世話人と事務局の線引きがあったにもかかわらず、そこをキッチリとお伝えしきれずに、流れの中でズルズルと進行してしまった点である。もちろん、結果はよかった。そのことを気にかけられた方も、ぼく以外はいなかっただろう。でも、結果云々ではなく、自分自身が一瞬、躊躇したにもかかわらず、内部の中(自分の小ささ)で打ち消してしまった点を反省している。
ところで、世間には、尊い話を一方的に聞かせてくださる法座の場はほかにもあるだろう。もっとリラックスしたり、癒してくださるような空間もあるだろうし、自分探しや気づきを促進してくれるワークもたくさんあるだろう。しかし、ひとりひとりの後生の解決をめざす、真宗カウンセリングの場を、真に提供するところは、そうざらにはない。その最先端を走っているのが、華光の集いだという自負がある。
だから、ただ、リラックスして肩の荷が落ちたことが信心でも、新たな自分に出会って号泣したことが信心でもない。そのことも充分に理解している世話人や先生が必要なことはいうまでもない。それに、やさしいとか、厳しいということに意味はない。所詮、それは相対的なもので、ぼくを厳しいと感じるかどうかは、それぞれの人によっても異なるし、また同じ人でも状況によっても異なってくる。
しかし、よくカウンセリングは、相手を待ったり、「そうそう」となんでも理解的に聞くやさしいアプローチで(いわば方便)、(華光の)真宗のお勧めは、廃立を立てて厳しいもので、究極の救いという、表面的な理屈にとらわれている人が多い。華光の同人が、カウンセリングを学びだして、必ずといっていいほど、つまずく点である。かくいうぼくだって最初はそうだった。でも、これまでの経験と学びによって、自分の中で、両者は分かち難いものになり、いま統合されているといっていい。だから、華光大会のご示談の場面であろうが、真宗法座のスタートの全体会の場面であろうが、ぼく自身の(内面に流れいるものを通して現れる)態度に変わりはない。
カウンセリングを学ぶことで得たのは、実はそのぼく自身の態度である。そして、その態度は、確かな人間観に支えられている。その意味では、ぼく自身が、いま内面で経験していることと、その表現が一致し、そして、相手との関係において、自分も相手も大切に思い、尊重しようと努めている。その根底には、我も彼も、共に弥陀の本願に願われている凡夫であり、必ずその本願が徹底し、共に喜び合えることを信じさせてもらっているという、本願念仏を根底にした人間観に支えられているのである。
やさしいアプローチだからカウンセリング、ゆっくりしているからカウンセリング、聞くからカウンセリング。そして、その逆が真宗といのは、まったくナンセンスなのである。むしろ、いま、ここの、私のところに立って、共に聞き合い、念仏を喜びあうだけである。
だから、聞かせていただく時には、聞かせていただくし、ゆっくり進みたければ、ゆっくり進む。お伝えすることがあれば、遠慮なくお伝えするし、相手の焦点を外さず、迫っていくときは厳しく迫っていく。人数や時間の制約をうける華光大会や永代経よりも、より丁寧に時間をかけて相手とかかわることで、そんな態度の自分を発揮しやすかっただけのことである。
華光の集いではないが、7月には、松岡宗淳先生と共に、真宗カウンセリング研究会の主催で、広島での真宗カウンセリングワークショップを開く。いまから、楽しみである。
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