『ミスター・ロンリー』
『ミスター・ロンリー』。予告編をみて、これはみたいなーと、京都みなみ会館へ。よく顔を見かける京都シネマのスタッフも見に来ておられた。
ほんとうのソックリさん芸人が演じているのかと思ったがそうではなかった。テーマは、セレブの物真似をする芸人が、自分探しをするという普遍的なもの。他人を真似し、それをアイデンティティーとして生きる人のことをインパーソネーターと呼ぶそうだ。単なる物真似芸を超えているのである。
パリの街角。マイケル・ジャクソンの物まね芸を披露している青年。決して、容姿がそっくりとは言い難い(だって、ディエゴ・ルナだもの)が、なりきっている。ほとんど人気もなく、街頭芸と老人ホームなどの仕事で糊口をしのいでいる様子だ。でも、そんなときの彼はイキイキしている。ある時、マリリン・モンローのそっくりさん(彼女も、それほど似ていない。だって、サマンサ・モートンだもの)に出会って親しくなる。彼女と、物まね芸人の仲間が集う、湖に隠れ家的な古城の共同体に招待されたマイケル。そこには、マリリン・モンローの夫で、時にヒトラー似の、チャーリー・チャップリン、エリザベス女王とヨハネ・パウロ二世の夫婦、マドンナに、ジェームス・ディーンなどなどそっくりさんがいる。単なる物真似ではない。みんな有名人の名前で呼ばれ、彼らのように振る舞い生きているのである。もっとも、それほど似ていないが、雰囲気はバッチリある(みんな、有名な俳優なので、少しコスプレの風情)。
セレブのコピーとして、いわば他人として生きているのだ。よく考えるとおかしい。でも、きっと、ぼくたちだってそうだ。自分では自分を生きていると思っているけれど、本当の自分を生きているのか? 往々にして期待されているた役割や肩書を演じて生きているのかもしれないなー。しかも残念ながら、ここは桃源郷ではなかった。夢のような世界はなく、悲しみも苦しみもある。そんな事件がおこる。仮面を生きて誤魔化してみても、その人の本当の自分は傷つき、悲しんでいるのである。
平行して、南米の某国の修道女たちの空飛ぶ奇跡のエピソードが挿入されている。何か意味がありげで、もうひとつ、ぼくには理解しきれなかった。こじつければいろいろつけることができるだろうが、ちょっとそれも虚しいかなー。
最初のほうのワクワク感が、ちょっと尻すぼむ感をいだく内容だった。
ところで、自分を探したかったら、朝起きたときに鏡をみればいいのだ。そこにあなたはいるのだから。何か特別の自分があると思ったら大間違い。自分で、認めらず、受け入れがたくても、いま、ここにいる、自分を聞く以外に、自分なんかいやしないのだ。
そうそう、もう一言。題名どおり、冒頭、ミスター・ロンリーの音楽が、ひとりぼっちの心情をよく現していて、もの悲しくよかったなー。
Lonely, I'm Mr. Lonely,
I have nobody for my own.
I'm so lonely, I'm Mr. Lonely,
I wish I had someone to call on the phone.
I'm a soldier, a lonely soldier,
Away from home through no wish of my own.
That's why I'm lonely, I'm Mr. Lonely,
I wish that I could go back home.
Letters, never a letter,
I get no letters in the mail.
I 've been forgotten, yeah, forgotten,
Oh how I wonder how is it I failed.
I'm a soldier, a lonely soldier,
Away from home through no wish of my own.
That's why I'm lonely, I'm Mr. Lonely,
I wish that I could go back home.
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