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2008年4月の28件の記事

『非現実の王国 ヘンリー・ダーガーの謎』

Darger  ヘンリー・ダーガー。ぼくは、初めて聞くアーティストだ。でも、そのポスターの絵に引かれて、カール・ドライヤーの前に見ることにした。『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』

 彼の奇異な生き方が、そのまま芸術作品になっている。子供の時、唯一の肉親、やさしかった父との悲劇の別れから、幼くして天涯孤独の身に。この孤独な環境の中からしか生まれなかった作品群。まさに「非現実の王国」の中に、彼自身が生きている。彼の(他人からみると)ゴミ溜めのようなアパートの一室こそが、彼の唯一の楽園なのでなる。温かさ(黄色の色使いもよるだろう)を感じる色調、ポップなのに凄味が出て、見る者を圧倒する不思議な挿絵の数々。

Img_2586  誰も彼のほんとうの名前が分からない。ターガーなのか、ダージャーなのか。知人も、大家と、隣人と、教会関係者の数名しかいない。もし、万が一、彼が正統な小説や絵画の教育を受けていたら、もし、生前に評価を受けていたら、けっして、これらの作品は生まれなかったはずだ。誰からも指導されず、評価(その存在さえ知られない)されなかったが故に、名も知られず遺される芸術もあるのだ。彼の孤独な生き方そのものが、作品なのだが、いまや、アメリカ現代芸術における、孤高のアウトサイダー・アーティストの高く評価されるのだから、なんとも奇妙な話だ。

Img_2589  1973年、シカゴ。81歳の貧しい独居老人が、静かに息を引き取る。晩年まで、病院の雑役夫として糊口をしのぎ、教会には熱心に通う貧しい男。ところが、彼のアパートには、おそらく史上最長の小説と言われている、15000ページにも及ぶ「非現実の王国で」の原稿と、それをモチーフにして描かれた膨大な絵。さらに、自伝や日常生活、時間毎の天気などが克明に記された膨大な記録が残れされていたという。

Img_2588  映画は、その自伝から、彼の怖ろしく奇妙で、そして悲しく、孤独な人生が語られる。それと対比するかのように、彼が描いた空想の王国が、彼の絵を基にしたアニメーションで浮かび上がってくる。彼が、自室で築き上げた「非現実の王国」。その楽園で、創作したヴィヴィアン・ガールズに囲まれて幸せに暮らすダーガー。しかし、彼が描く少女の裸の絵には、なぜか男性器がついている。何かを暗示しているのではなく、たぶん、生身の女性の裸体に触れたこともなく、女性器に対する知識がなかったのではないだろうか。

 そんな彼が、常に、会話していたのが、神だ。神に裏切られ、神を裏切り、そして懺悔し、恩寵を受ける。キリスト教の信仰を抜きに、彼を語ることはできないだろう。
 ちょっと単調で退屈なところもあったけれど、ラストの「おしまい」という、タコタ・ファニングのナレーションに、グッときてなー。

  いま、チラシを見て知ったけれど、彼の小説の正式名は、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジャリアン戦争の嵐の物語』という、中身も長いが、題名も恐ろしく長いものだー。

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『裁かるるジャンヌ』

 4月30日で日本の上映権利が終了する『カール・ドライヤー日本最終上映』ドライヤーの無声映画の頂点として、映画芸術の金字塔のひとつだという『裁かるるジャンヌ』。やっぱり、これは見ておかんとなー。ちなみに、カール・ドライヤーを検索すると、電化量販店にヒットする。そうカール・ドライヤーか。そのままやもんなー。

 GWの祝日ということもあって、けっこうな客の入りで、それらしき人たちが集まっていた。平日の朝イチなんか、客5、6人なんて閑散とした雰囲気を知っているので、ちょっとうれしい。単館系のこんな劇場が、近所にあるのが有り難い。小学校の隣には、巨大な商業ビルが工事中で、ここにも大手のシネコンが入るらしい。似たようなもの(客が入るもの)しかやらないシネコン乱立のあおりを喰わんか、ちょっとヒヤヒヤしている。

 1927年の「裁かるるジャンヌ」。異端裁判を受けるジャンヌ・ダルクの火あぶりまでの一日をとらえた、80年以上も前の作品だ。名声の誉れが高い古い作品のなかには、確かにいい映画だけれど、今の目には退屈という時がある。ましてや、無声映画でしょう。その意味で心配したけれど、驚いた。まったく古さを感じない。いやこれってポスト・モダンじゃないの?という、セットやカットの連続である。いまや無声映画を見る機会がなくなった。たぶん、キートンとかチャップリンなどのドタバタ喜劇以外では、日本で上映されることも少ない。それでも、完全な無声ではなく、音楽が入っているものが多い。それが、出来る限り、原版に近い形ということで、音楽もまったくない。約100分間。劇場の空調の音以外は、ときに誰かの咳払いの音がやけに響く雰囲気で、画面を見る。こんな緊張感の中で、映画を見るのっJann0 て初めてかもしれんなー。よく考えると、100名ほどの人が、物音を立てないように、黙って音のない映像に集中している風景って、ある種、滑稽で、ある種、いまや貴重かもね。

 そしてこの映像である。足枷をされたジャンヌが、宗教裁判で教会の聖職者や裁判長の前に、オドオドした表情で引きだされる。「エー、これがジュンヌ・ダルク?」という風貌なのである。そして、このジャンヌのアップが続く。悲しみ、恐れ、憧れ、強さ、エクスタシー・・・。時に凡庸な女性のようであり、時に聖女であり、時にはキリストのようにも見える。結局、なにを信じるのか。神秘体験でもなく、ましてや教会の権威でもなく、ただ「ひとり」ということに立つ彼女。字幕に現れた言葉から、信仰の力(信心ではない)を感じさせられた。「ウーン」と唸ってしまった。

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『ミスター・ロンリー』

『ミスター・ロンリー』予告編をみて、これはみたいなーと、京都みなみ会館へ。よく顔を見かける京都シネマのスタッフも見に来ておられた。Lonely

ほんとうのソックリさん芸人が演じているのかと思ったがそうではなかった。テーマは、セレブの物真似をする芸人が、自分探しをするという普遍的なもの。他人を真似し、それをアイデンティティーとして生きる人のことをインパーソネーターと呼ぶそうだ。単なる物真似芸を超えているのである。
パリの街角。マイケル・ジャクソンの物まね芸を披露している青年。決して、容姿がそっくりとは言い難い(だって、ディエゴ・ルナだもの)が、なりきっている。ほとんど人気もなく、街頭芸と老人ホームなどの仕事で糊口をしのいでいる様子だ。でも、そんなときの彼はイキイキしている。ある時、マリリン・モンローのそっくりさん(彼女も、それほど似ていない。だって、サマンサ・モートンだもの)に出会って親しくなる。彼女と、物まね芸人の仲間が集う、湖に隠れ家的な古城の共同体に招待されたマイケル。そこには、マリリン・モンローの夫で、時にヒトラー似の、チャーリー・チャップリン、エリザベス女王とヨハネ・パウロ二世の夫婦、マドンナに、ジェームス・ディーンなどなどそっくりさんがいる。単なる物真似ではない。みんな有名人の名前で呼ばれ、彼らのように振る舞い生きているのである。もっとも、それほど似ていないが、雰囲気はバッチリある(みんな、有名な俳優なので、少しコスプレの風情)。

 セレブのコピーとして、いわば他人として生きているのだ。よく考えるとおかしい。でも、きっと、ぼくたちだってそうだ。自分では自分を生きていると思っているけれど、本当の自分を生きているのか? 往々にして期待されているた役割や肩書を演じて生きているのかもしれないなー。しかも残念ながら、ここは桃源郷ではなかった。夢のような世界はなく、悲しみも苦しみもある。そんな事件がおこる。仮面を生きて誤魔化してみても、その人の本当の自分は傷つき、悲しんでいるのである。

 平行して、南米の某国の修道女たちの空飛ぶ奇跡のエピソードが挿入されている。何か意味がありげで、もうひとつ、ぼくには理解しきれなかった。こじつければいろいろつけることができるだろうが、ちょっとそれも虚しいかなー。
  最初のほうのワクワク感が、ちょっと尻すぼむ感をいだく内容だった。

 ところで、自分を探したかったら、朝起きたときに鏡をみればいいのだ。そこにあなたはいるのだから。何か特別の自分があると思ったら大間違い。自分で、認めらず、受け入れがたくても、いま、ここにいる、自分を聞く以外に、自分なんかいやしないのだ。

 そうそう、もう一言。題名どおり、冒頭、ミスター・ロンリーの音楽が、ひとりぼっちの心情をよく現していて、もの悲しくよかったなー

 Lonely, I'm Mr. Lonely,
 I have nobody for my own.
 I'm so lonely, I'm Mr. Lonely,
 I wish I had someone to call on the phone.
 I'm a soldier, a lonely soldier,
 Away from home through no wish of my own.
 That's why I'm lonely, I'm Mr. Lonely, 
 I wish that I could go back home.
  Letters, never a letter,
 I get no letters in the mail.
  I 've been forgotten, yeah, forgotten,
  Oh how I wonder how is it I failed.
 I'm a soldier, a lonely soldier,
 Away from home through no wish of my own.
 That's why I'm lonely, I'm Mr. Lonely,
 I wish that I could go back home.

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サイコドラマもしくはワールドワーク風

 今回の広島法座は、かなり風変わりな進行になった。

 前半の法話は、本典(教行信証)の「総序」のご文をいただく。ここなら、皆さん、ご法話などで親しみをもっておられると思った。以前から、三哉の文を中心に、書き下し文でそのこころをじっくりと味わいたいと思っていた。そのお心も深かさもさることながら、対語になった格調の高い文章である。参考に、本願寺の訳をつけたけれど、あくまで原文の書き下し文を、一緒にいただきたかった。もとより、難しいと感じる方もあるだろうから、一方的な話にならないように、この中では一番聴聞歴が短く(もっとも華光会館にお参りは皆勤だが)、いつも素朴に分からないことを尋ねてくれる若い女性に、分からない語句や意味をひとつひとつ尋ねてもらう。ところが、逆に言葉の説明が中心になり、知識というか勉強風になった。そのせいで、皆さん難しそうに、下を向かれてプリントと取り組んでおられる。その反応をみて、かなり難しいことを言っている気分に襲われて、ちょっと凹んだ。こんな回に限って、まったく初めて(浄土真宗のお説教なんか聞いたこともない)方がおられる。法話が終わったら、すぐ帰られた方もあった。結局、時間がかかり前半の三部経の心のエッセンスの部分だけで終了。お聖教の読みや解説だけで、いまの自分の生活や日常の話題といって具体的な話がなかったので、皆さんの乗りも悪かった点は、反省材料。
 後の座談で尋ねてみたら、案の定、まるで外国語を聞いているようだと言ってくださる方が多かった。そういうふうに聞かせてもらうと、逆に安心してくる。一方で、深く味わっておられ方もあったし、馴染んでおられる方の反応もお聞きすることができた。でも、日頃、「聖典講座」のテープ聴聞などにも積極的な方でも、案外、基本的なことをご存じない方があって、ちょっとその点は驚いた。

 一言ずつ、皆さんの感想をいただいた後、座談会へ。司会者が、口火を切って、質問された。初心の方に、「後生の一大事って、死んでからのことですか」と質問されて、因果の道理の話になり、それが、「じゃ、良いことをしていったらいいんですね」となってしまったが、どう答えたらいいのかというものだった。

 それに対して、2名の方が、アドバイスをされた。それを聞いていて、なにか物足りなかった。確かにおっしゃっていることは間違っていない。しかし、正解を教えても、「ハイ、わかりました」で終わるなら、意味がない。その話が切れるのを見計らって提案をした。

 サイコ・ドラマ風のロールプレイである。相手の「じゃ、良いことしていったらいいんですね」という初心役をその方にお願いし、説得する側を別の方にお願いした。ここからが、俄然おもしろくなった。それまでの緊張や眠い顔から、身を乗り出して聞かれている方も出てくる。素朴な疑問が出るが、なかなかうまく伝えられず、分かってもらえない。うまくかみ合わないのでなる。少し、行き詰まってきたので、それぞれの立場や気持ちに共感する人が一緒に出ることを促す。でも、なかなか、一歩出て仲間に加わる勇気をもっておられる方はない。それでも、身を乗り出して聞いておられた方が、1人、2人と加わっていかれた。(ちょっとここは、ワールドワーク風)。ぼくも、遠慮せずに「初心側」にまわって、話を聞いて感じたことを、率直に尋ねてみた。「でも、やっぱり、良いことできん、できんと開き直るより、少しでも良いことしたほうがいいじゃないですか。悪い自分なんていうのは、どこかウソみたいだし、暗いですよ。第一、そんな人生でつらくないですか?」。ちょっと、強くつっこむと、うまく説明できずに、逆に窮されていく。

 あっという間に、30分すぎた。感想や説明にはない、具体的な何かが残ったはずだ。

 少しの時間、簡単に分かち合った。この場合、大事なことは、いまここで、どう感じたか、どんなことに気づいたかである。次はこうしようとか、こうあるべきだという答えはいらない。たとえば、「分からそうと、上から説得してしまった」とか、「自分のことを言われるばかりで聞いてもらえなかった」とか、「違う、違うといわれると、とても悲しくなった」とか、そんな感じでいいのである。

 これも、1回きりのことで、次ぎ、また同じことにをしても、あまり意味はない。うまくできる、できないが大切なのではなく、いま、ここで、どう感じたかに焦点をあてて、わが身で聞かせていただくことが大切なのである。勇気をだして一歩出てくださった方もそうだが、取り込んでみておられ方も、そこに焦点をあてながら参加くださっていたなら、有り難い。

 法座終了後も、何名の方から質問を受けた。まったく初参加の方も、何かを感じられたようで、しっかりご質問にお出でになった。用意をしてきた法話をするときよりも、予想不可能で、ライブで展開していく座談や法座をしているときのほうが、イキイキ、リラックスしているぼくがいるなー。

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輪読法座の意義

 朝は、カウンセリングを一件引き受けて、その後、日曜礼拝の先生方の今年度の打ち合わせ会で一緒にランチし、午後から輪読法座へ。

 ところで、普通に、ご法話を聞くのは、内容もさることながら、その声のトーンとか、速さ遅さ、強さ弱さ、音のもつ質、ニュアンスなど、その声から醸しだされる、その人そのものを聞かせていただくところに意味があるわけです。内容を覚えていなくても、その雰囲気に浸って、何かを感じさせられることがある。つまり、聞くことは、バーバル(言語コミニケーション)よりも、ノン・バーバル(非言語コミニケーション)の部分の影響が色濃い。だいたい35%対65%で、ノン・バーバルな部分が優位で、しかも、65%の中身もみても、直接言語に伴うもの(声質とか、音量とかね)よりも、態度や姿勢、目線とかの動作や、間といった言葉にならない部分から聞いていることも多いのだという。もっとも、その片方だけに意味があるのではなく、両者(バーバルと、ノン・バーバル)がうまく混じり合ったところから、深い感銘も生まれるわけです。

 しかも、法話もライブなので1回きりでしょう。言葉の内容を、いくら感銘を受けて味わっていても、話は、もう次ぎの話題に移っていく。録音されたものじゃないかぎり、再生は不可能。だから、普通は、メモ取る。でもね、そんな暇があったら、講師の顔をじっと見て聞いた方が、ズーッと意味があるわけ。第一、獲信云々に、メモなんてまったく役には立たない。だって、次ぎまた役立てよう、自宅に帰ってからみようという姿勢からして、いま、ここで聞いていないわけですから。

 で、輪読法座にしても、わざわざ華光会館まて足を運び、同行と共に輪になり、声に出して読み進めるところに、大きな意味がある。華光誌を読みだけなら、一人でも読めるわけ。でも、わざわざ華光会館に座らせてもらっているわけですから、有り難いね。

 ところが、文章には、いくらご法話を話言葉のまま文章にしていも、その場で聞いていたニュアンスまでは感じることはできない。正確にテープ起こしてもそうなんです。その意味では、迫力に欠く。でも、逆にメリットもある。何度でも、何度でも、繰り返しほんとうに意味がわかるまで読み返すこができる。暗記したり、覚える必要もなく、また戻って確認すればいいわけですから。その意味では、法話ライブの迫力はなくても、ポイント、結び目をはずさず聞かせてもらえるという特典があるわけです。

 今回は、華光誌67-1巻の「三度目の成仏」の3回目。「南無の心~二つのもらいもの」までのわずか3ページ。初めての学生さんが参加してくださいました。その方が、「どこに仏様はおられますか。どこで出会うのですか」と質問された。でも、全部、読んだところに書いてあるわけですね。もう一度、そこを読んで応えると、まったく読んでいないことがわかってくる。ただ、文字をおいかけただけで、読んだ気になっているわけですね。「ああじゃ、こうじゃ」「ああでもない、こうでもない」と、私の哀れな智恵で計らうよりも、悟朗先生の誌上法話を100遍、本気に読む方が、ずっと自分が知れると思いましたね。皆さんも、たった、3頁ほどを、一度、本気になって読んでみてはどうでしょうかね。

 明日は、正木家での広島支部法座です。

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二宮尊徳翁なら

 いま、長女の学級は、学級崩壊寸前のプチ手前。保護者会も、深刻なのものだ。単級なのでクラス替えがない。2、3人の児童なのだが、そのために全体が引きずられている。2年生で、 少し休まないといけない子供も出ている。先生も、しんどくなられて交代されている。それが、6年間続くとなると、厳しいなー。ほかにも、荒れている学年が1つあるそうだか、高学年になって難しいという。その意味で、今年が重要な年である。

 で、今日は、授業参観に出かけた。下の子は、昨晩から少し微熱。用心して今日は休ませたて、一緒に出かけた。子供たちは、まあまあ静か。でも、ちょっと集中がきれると、歩き回ったり、しゃべったりと、1年生Img_2575 の時から相変わらずの雰囲気。参観日で、これなら、日頃はどうなのかなー。昨年最後には、厳しい男の先生を求める声が多かったが、結局、中堅クラスが女の先生が担任されていた。このところ、学校の先生のカウンセリングや相談を受けることが多いので、ご苦労が偲ばれます。

 ↑この人、まだ学校におられんるですなー。ぼくの子供の時は、もっと重々しく、正面の高いところに鎮座していたような記憶が…。いまは、木に隠れて、随分、色白で、軽くなられた気がしますが。なんとかしてくれんのでしょうかね。

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心の傷のお医者さん

Img_2572  母親の誕生日。 3年生になった長女が、お祝いをするという。なにげない会話のなかで、台所に時計(掛け時計)があったら便利だといっていたのを覚えていて、お年玉の中から買ってプレゼントするという。コッソリと二人で買い物にでかけた。シンプルな一番安いも のを勧めたけれど、子供は、これがカッコいいという。特別、高くもなかったので、子供の気持ちを優先して、これにImg_2573決めた。手紙を添えて、プレゼントしたが、送り手自身が嬉々として、楽しいそうである。その意味で、心のこもったプレゼントはうれしい。ぼくは、とりあえず、今日のところは、お花を送ることにした。

 花の上にある標語。わかりますか。長女が二年の時、学校で書いた、自分のキャッチフレーズ。
(クリックして写真を大きくすればわかるか)

「わたしはね、心のきずの、おいしゃさん」。

 そうかー! ぜひ、父ちゃんも治療してもらいたいもんだなー。

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女房は女子大生(2)

  大学院生活が始まって、3週目に入った。10日、17日、24日と、なぜか木曜日は雨が降る。1コマ目からあるので、保育園の送迎に合わせて、連れ合いも学校に送る。保育園から大学院までである。

 今日は、彼女の○○回目の誕生日である。今年はまだ大台前だ。(ウーン、これでわかっちゃうって? でも、彼女、このブログほとんど見ないようですから)

 大学で大阪に出てきている、彼女の甥っ子が、食事に来た。なにかと、食欲旺盛の年齢。学生生活は貧乏で、満足に食べられないようだ。彼女が、親子ほど年の離れたその彼に、キャンパス・ライフを嬉々として語っている。どうも、大学院の男子学生に、かなり若く見られているようだ。「『26歳くらいかな。でも妖艶なので28歳くらいかなと話してたんですよー』と言うんじゃ。正直ものじゃ。ハハッハッハッハッ」と高笑いしている。きっと、22、3歳の男子学生には、母親と比較する以外は、30歳もかなり過ぎた女性の年齢は、未知との遭遇なのじゃないのかーな。みんな、もっと人生経験積みなさい。

 若く見られること、すぐに広島出身と見破られること、そして華光の関係者であること。この三つだけでも、ネタに困らないようだ。若い学生よりも、先生方や社会人の人達と、アッチコッチで、さまざま人間関係を広げている。これも、彼女の特質なんだろう。

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永代経法座前の行事

永代経法要法座の前ですが、今週末も行事が多いです。

1) 26日(土) 1時30分~5時 「華光誌輪読法座」 今月は、これまで3回で終わらなかった67-1号の「三度目の成仏」の終盤と、67-2号に入ります。3階の研修場では、日曜礼拝の今年度の相談会があります。会場は、2階の道場です。新しい方の問い合わせが、2件ありましたから、それも楽しみです。若干、メンバーが固定化していますが、まだ参加したことのない方も、この機会にご参加ください。

27日(日)は、広島、京都、名古屋の3ケ所でご法座。

2) 27日(日) 1時30分~5時 「日曜礼拝」 華光会館の行事ですね。大人も、子供共に参加できます。一部の仏参では、子供も大人も一緒になって、勤行をし、ご法話をお聞きします。そのあと、大人の方は、タップリと座談会です。裕子もお世話しますが、なにぶん、子供の先生不足気味なので、大人の方は別の担当になることもあります。

3) 27日(日) 1時~5時 「広島支部法座」。ぼくは、広島。牛田新町の正木家が会場です。法話は、いま検討中ですが、親鸞様の総序のご文を、共に拝読しようかと考えています。出来る限り、若い方やご縁の浅い方に、疑問点や不明点を尋ねながら、その方たちのペースで、ベテランの方が改めて素朴な問い(ラジカルなものが多い)を考えていきたいと思います。案外、これが有り難いかも。まだ未定ですが…。

4) 27日(日) 1時30分~5時 「東海支部法座」 勝川駅のルネック、いつものところ。悟朗先生。「疑心よさらば」のという昔の華光誌から輪読法話(法座ではない)の予定だそうです。テキストがあるのなら、コピーを配布されると思います。

詳しくは、華光会のHP、右端の「今週法座」から↓

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/top_menu/menu.htm

 ぼくも、26日(土)の午前中に継続的な面談があって、午後が輪読法座。27日(日)が広島と続くきますね。「真宗法座の集い」の余韻が残るなかで、もう永代経法座。その前の今週末ですから気合が入ります。どこかで、あなたにお会いできるますか? 今週無理な方は、永代経でお会いしたいですね。 

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『大いなる陰謀』

Img_2567  雨が多かった4月から、ここ2、3日は、初夏の陽気。日差しがまぶしい。何気ない街頭の風景だが、いっそう花も映える。自転車で二条の映画館まで25分ほど。けっこう汗ばむ。

 『大いなる陰謀』というハリウッド映画。しかも大物3名の競演。おなじみのご都合主義の大作かと思って、一瞬、躊躇したけれど、なかなかの社会派ドラマだったImg_2568_2

  アメリカは政治の季節を迎えている。大統領選挙が近いと、政治色の濃い映画が作られるのだ。これは、監督、ロバート・レッドファード。大物俳優が、ハッキリした政治的立場を表明し、候補者を積極的に支援していく。日本では、名声を得た俳優やタレントが、自らの政治や宗教を表立って明らかにすることはないし、この手の映画もあまり生まれない。

 確かに、政治的な立場が鮮明なので、評価も分かれるところだけれど、知的な会話がつづく社会派ドラマだ。ハリウッド定番の派手なシーンは少ないが、名優3名のやりとり(正確に2人の対決と、1人は若造との対話)が見応えがある。もし、これをダラダラ長時間やられると鼻につくのだろうが、90分とコンパクトなのもいい。

 将来の大統領候補と目される共和党の野心家議員(トム・クルーズ)が、若き日の彼を好評したベテランジャーナリスト(メリル・ストリープ)を呼び、アフガンにおける対テロ戦争の新作戦についての極秘情報をリークしている。泥沼の中東情勢を、自ら立案した作戦によって、一挙に打開をすべく少数の特殊部隊が動かす作戦だ。彼の執務室に飾られる写真や記事の数々だけでも、彼の立場を雄弁に語っている。このリベラル派と、新進気鋭の保守派の、二人の会話がなかなかスリリングなのだ。

 同じころ、西海岸の大学で、リベラルな大学教授(ロバート・レッドフォード)は、最近、授業をサボっているエリート学生を呼び出す。若者の反発に、静かに、しかし激しい議論を展開していく。

 そして同時刻、アフガンの高地では、議員の新作戦が攻撃が始まろうとしている。
 作戦によって、敵地の直中に取り残された2人の特殊部隊員。実は、大学教授の自慢の教え子。優秀な彼らも、マイノリティーの下層出身であるが故に、彼の反対を押して、行動することを選んだのだった。

 スクープを手にしたものの、放送をためらう彼女。それはかつて権力と共に、イラク戦争を支持して、ジャーナリストの責任を果たせなかった反省。そして「作戦のためには手段を選ばない」という彼の言葉に、陰謀の匂いを感じ、言いしれぬ不安感に包まれていく。彼女の涙がいい。それは無力感からか、それとも過去の過ちの反省なのか。やっぱり、メリル・ストリープはよかった。

 別々の3カ所での対話や物語が進行するうちに、徐々に絡み合って、ある種、(ロバート・レッドフォードが感じる)現代のアメリカの数々の矛盾点が明らかになっていくのである。

 見方をかえると、この映画自体が、プロパガンダであり、「大いなる陰謀」であるのかもしれないなー。その意味で、この邦題は、意味深だ。原題は「Lions for Lambs」(勇敢なライオンのような兵士が、ロバのような無能な指揮官の元で戦ったという、第一次体験の故事を下敷きだそうだ。ロバではなく小羊になっているが)

 これは、直接、映画のメッセージじゃなったけれど、やせても枯れても、どんなに軽蔑されても、アメリカは超大国、巨人なのだ。日本なんて、政治的、軍事的にまったく幼児、いや赤ちゃんのような無力な存在だということを感じさせられる。リベラルも、ネオコンも、アメリカのことだけしか考えていないが、それでも、スケールが違うのだ。今後、このアメリカに対抗しえる脅威は、中国だけかもしれない。いつでも、日本が子供扱いされるのが、よーくわかる気がしました。でも、別に巨人になる必要はない。子供だからこそ、見えて来る視点もあるんじゃないかとなーと。

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「真宗法座の集い」雑感

 この2日間。静かに今回の集いを振り返ってきた。全体のグループ、少人数のグループの、あれこれの場面を思い返し、自分の態度を振り返っている。

 安心してご法が求められる場を提供する。その枠組みを慎重に作っていく。それが、今回の集いの趣旨であろう。それが、ひとりひとり大切にしながら、じっくりと関わるという形の集いになったのである。そして今後、このような少人数で、じっくりと関わる法座の形態が、浄土真宗の聞法・求道の場として最重要になることは、いまの世相や人の気質を考えれば明らかなことだ。

 そのためには、まず外観の枠組みが作りが必要だ。時間が守られるとか、互いの約束が守られるといった最低限の枠組み。さらにはお互いの信頼関係が築かれていること。それには、世話人側の姿勢や態度が重要だ。相手を尊敬し、大切に思う態度である。そして案外難しいのが、秘密保持だ。これも信頼関係の程度の問題でもあるが、個人的な感想や流れなどの共有された部分には、目くじらを立てる必要はない。しかし、それが事実だろうが、相手の思い過ごしだろうが、「誰々が、あなたのことをこう言っていた」といった告げ口めいたことは、絶対に避けねばらないは言うまでもない。

 そんな最低限のことでも、まずしっかり枠組みを作ることから、安心感は出発する。

 その意味で、一点だけ、今回の集いの中で、自分自身の態度が不鮮明だった点があったことを反省している。それは、世話人と事務局の線引きがあったにもかかわらず、そこをキッチリとお伝えしきれずに、流れの中でズルズルと進行してしまった点である。もちろん、結果はよかった。そのことを気にかけられた方も、ぼく以外はいなかっただろう。でも、結果云々ではなく、自分自身が一瞬、躊躇したにもかかわらず、内部の中(自分の小ささ)で打ち消してしまった点を反省している。

 ところで、世間には、尊い話を一方的に聞かせてくださる法座の場はほかにもあるだろう。もっとリラックスしたり、癒してくださるような空間もあるだろうし、自分探しや気づきを促進してくれるワークもたくさんあるだろう。しかし、ひとりひとりの後生の解決をめざす、真宗カウンセリングの場を、真に提供するところは、そうざらにはない。その最先端を走っているのが、華光の集いだという自負がある。

 だから、ただ、リラックスして肩の荷が落ちたことが信心でも、新たな自分に出会って号泣したことが信心でもない。そのことも充分に理解している世話人や先生が必要なことはいうまでもない。それに、やさしいとか、厳しいということに意味はない。所詮、それは相対的なもので、ぼくを厳しいと感じるかどうかは、それぞれの人によっても異なるし、また同じ人でも状況によっても異なってくる。

 しかし、よくカウンセリングは、相手を待ったり、「そうそう」となんでも理解的に聞くやさしいアプローチで(いわば方便)、(華光の)真宗のお勧めは、廃立を立てて厳しいもので、究極の救いという、表面的な理屈にとらわれている人が多い。華光の同人が、カウンセリングを学びだして、必ずといっていいほど、つまずく点である。かくいうぼくだって最初はそうだった。でも、これまでの経験と学びによって、自分の中で、両者は分かち難いものになり、いま統合されているといっていい。だから、華光大会のご示談の場面であろうが、真宗法座のスタートの全体会の場面であろうが、ぼく自身の(内面に流れいるものを通して現れる)態度に変わりはない。

 カウンセリングを学ぶことで得たのは、実はそのぼく自身の態度である。そして、その態度は、確かな人間観に支えられている。その意味では、ぼく自身が、いま内面で経験していることと、その表現が一致し、そして、相手との関係において、自分も相手も大切に思い、尊重しようと努めている。その根底には、我も彼も、共に弥陀の本願に願われている凡夫であり、必ずその本願が徹底し、共に喜び合えることを信じさせてもらっているという、本願念仏を根底にした人間観に支えられているのである。

 やさしいアプローチだからカウンセリング、ゆっくりしているからカウンセリング、聞くからカウンセリング。そして、その逆が真宗といのは、まったくナンセンスなのである。むしろ、いま、ここの、私のところに立って、共に聞き合い、念仏を喜びあうだけである。

 だから、聞かせていただく時には、聞かせていただくし、ゆっくり進みたければ、ゆっくり進む。お伝えすることがあれば、遠慮なくお伝えするし、相手の焦点を外さず、迫っていくときは厳しく迫っていく。人数や時間の制約をうける華光大会や永代経よりも、より丁寧に時間をかけて相手とかかわることで、そんな態度の自分を発揮しやすかっただけのことである。

 華光の集いではないが、7月には、松岡宗淳先生と共に、真宗カウンセリング研究会の主催で、広島での真宗カウンセリングワークショップを開く。いまから、楽しみである。

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第6回「真宗法座の集い」(1)

 第6回「真宗法座の集い」が終わりました。

 「期待は喜びを半減する」と教えられたことがあった。前回がこうだったから、今回はこうなる。前がよかったから、今回はそれ以上にと、いまのところを喜びではなく、過去と比較して計っていく。いわば、過去に生きているのである。そうではなく、いま、ここに流れているところのいのちの躍動を喜んでいくのである。

 その意味では、6回とも、まったく違う経過を辿って進んでいる。見事なほどだ。今回だって、最初の全体会の雰囲気も、そしてたったひとりの參加者の発言によって、その流れがかわるさまも充分に味わうことができた。そして、世話人の立ち位置の重要性も認識できた。これまでとは、また違った流れの中で、やはり同じお念仏をじっくり聞かせてもらうことができたのである。

 けっきょく、5グループに分かれた。最大で8名、最少が4名。3グループが5名。ぼくのグループは、ぼくを含めて5名。その5名で、2日間、法話もなく、座談で過ごすことができたが、ほんとうにアッという間に終わった。しかし、それだけに収穫も大きい。日頃あまりなじみのない方もおられて、新鮮な顔ぶりだったが、特に、(このプログも定期的にブリントアウトしてご覧くださっているそうですね)、ある決意をこめて参加された年配の男性との粘り強い関わりができた。たぶん、普段の法座なら、誰かが途中で我慢できずに遮ったり(「そんな口先だけの話はやめろ」とか、「まったくあなたが感じられない」と言ってね)、もしくは流れをかえられていくであろうような、彼の話をじっくりと聞かせてもらえた。しゃべれでも、しゃべれども、理論武装ならぬ、聖教のヨロイがガッチリある。でも、いくら並べても、肝心要のひとつのところが喜べないのだ。その堅いヨロイを丁寧に、ひとつひとつ脱いでもらった時に現れてきたのは、彼の悲しみの姿だった。そして、最後の最後。それが立ち現れてきたときに、今まで聞けなかった南無のこころひとつが、初めて彼に届いたのである。「どうしたら自分の頭が下がるのか。これだけの尊いお示しをきいて、なぜ頭が下がらんのかと戦ってきた。でも、南無のこころ、阿弥陀様が頭を下げてくださっているのを聞いてませんでした。聞き間違いをしていました」。「そうか、そうか」と、小さくお念仏されていた。

 それにしても、聞くという営みは恐ろしい。話すことは、知識や経験で飾ることができる。それでも、その人間のもっている幅みたいものが、表現や態度から滲み出る。ましてや、聞くことをやである。その人の今の人間性がモロに出るといってもいい。そんな中で、誰もが、安心して聞法できる場、聞法に専念出来る場を提供できるのか。実は、そのための枠組み作りが、ぼくたち世話人の仕事なのである。けっして、立派な、みんなが感心するようなお説教やお勧めができることが、大切なのではないのである。

 それで、敢えて、最後にこの一言を付け加えさせてもらおう。

 西光義敞先生。これが先生から受け継いだ、いまのぼくなりの、真宗カウンセリングの答えです。

 今回、全体の大きな流れの中で、また少人数のグループの中でも、そしてまったくぼくが関与していない他のグループも含めて、ぼく自身の態度のところでは、そう言い切れるだけのものを充分に発揮できたし、同時に、それがほんの少しだけであっても、参加の皆さんへなんらかの影響を与え、伝播してたのではないか思えるからである。

 第一弾はこんなところかなー。いまは、疲れました。ゆっくり休ます。 

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『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち)』

Rensekiasama_01  『実録・連合赤軍』~あさま山荘の道程~ 監督、若松孝二の執念ともいうべき、異常な迫力で迫る実録映画だった。190分(3時間10分)が短く感じられる。以前、「突入せよ!あさま山荘事件」という、まったく警察、いや警視庁サイド、いや後藤田長官~佐々氏ラインだけを英雄視した、とんでもない映画があった。もうあそこまでいくと、その権力側だけに偏った潔よさに、アッパレと感心するしかないが、今度は、1972年2月の「あさま山荘」立てこもり事件への道程を、いわば連合赤軍の立場から、その崩壊の軌跡を追う衝撃的な映画だった。

1972年、横井さんが恥ずかしながら…生還し、沖縄が返還された年である。札幌五輪での日の丸飛行体のスキージャンプに熱狂もした。ニクソンが訪中し(映画の中でも、あさま山荘の中でそのニュースをみる)、田中角栄が総理に就任し、日中国交正常化で、パンダがやって来た。ミュンヘンオリンピックでは、血の惨劇が起きている。高松塚古墳の発見もこの年だ。すべて子供心に鮮明に覚えているものばかり。なかでも、あさま山荘事件は衝撃的、テレビに釘付けだった。

 映画は、1960年の日米安保条約に反対する国会デモ隊の記録映像にまで遡り始まる。まさに時代は、キューバー危機、ベトナム戦争、パリの5月革命、中国の文化大革命……と世界同時革命へ胎動したかのような1960年代。日本でも、学生を中心にした安保闘争のエネルギーはすさまじい力を発揮していた。それが、学費値上げ反対運動や大学側の不正事件に端を発した学生運動の激化。安田講堂封鎖、70年安保、三里塚闘争や沖縄返還闘争など、農民や労働者と共に社会変革を目指す闘争は尖鋭しながらも、大学当局のみならず、公安の徹底した取締まりにより、活動家が次々と逮捕されていく。運動は、離合集散を繰り返し、武装闘争は先鋭化し、「連合赤軍」が結成され、崩壊していく。あの時代に、何が起きていたのか。なぜ無垢な若者たちが追い詰められ、同志を手をかけていったのか。そして、失ったものは何かをまさに総括しようという意欲作なのだ。

 中盤。目を覆いたくなるような、革命戦士の狂信的なリンチの場面が、延々と続く。難解なだけの訳のわからんセリフの数々。そして、必ず「自己批判だ」「総括だ」「自己を共産化せよ」などと、相手に迫っていく。閉じられた空間で、言葉が、いつしか体罰や暴力になり、最後は人間の尊厳をそこなう無惨な処刑が待ち受けている。集団リンチを受けても自らが共産化していれば耐えられる、死ぬのは敗北だ。殺したものではなく耐えられないもの責任だという、もうめちゃくちゃな理屈の責任転嫁の世界だ。しかも、高尚な理論ではなく、女性同士のエゴや嫉妬も隠されて絡んでいる。そんな狂気の閉じた世界では、「おかしい」と感じるものを飲み込み、誰ひとり、声を出すことはできない。そうみんな、「勇気がなかったのだ」

 そして、次々と山岳アジトで仲間を殴り殺し続けたあげく、公安に追われて命懸けの雪山超えとなる。そのうち最後の5名が辿り着いたのが、「あさま山荘」だった。妙な話なんだ、ここでぼくはなんかホッとした。山岳アジトの不条理な暴力が支配する異様な緊張感から、外の世界に出られた解放感を感じたのかもしれない。だから、警察との銃撃戦が始まってからの方が、(絶望的な状況なのに)肩の荷が降りて見れた。

 特に、有名な母親たちが訴えるシーンに、心動かされた。山荘の中では、母親の声に、「年取ったなー」とか「きっと近所で村八分になってるな」「おれのオヤジも会社やめんといかん」と、みんなが家族のことをボソボソ話し、全員、涙を流していく。しかしながら、それも世論操作のための権力の汚い手口だと、親子の情に抗うって、親に銃口を向けていくのである。さらに、ラスト近くのセリフ。涙が、ぼくの頬をつたった。

 あまりにも身勝手、あまりにも稚拙で残虐。しかし、現代に欠落している社会変革の熱気や正義感(稚拙であろう)があったのは事実だ。そして、これ以降、日本の学生運動や社会運動は完全に失速し、いまに至っている。

 冒頭、同士殺しの重荷を背負いながら、公安に追い詰められ、猛吹雪の中で、命懸けの山越えをする若者たちの映像。厳しさの中で、その先に見つめていた希望の光りは、果たして灯っていたのだろうか。

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「真宗法座の集い」の打合せ

  週末は、「真宗法座の集い」だ。第6回だが、少数の定員なので、同人の中でも、参加されたことのない人の方が多いだろう。華光大会や永代経とは逆に、出入りを押さえ(部分参加は不可)、顔ぶりも固定して(定員20名)、じっくりと最後までかかわることを目的にしている。今回は、華光会初參加者はいないが、この集いは初参加の方が半数はあるので、新鮮な顔ぶれとなった。どんな動きになるかいまから楽しみだ。

 早い時点で、定員の20名に達した。最後は、同日〆切で定員を超えていた。メールで30分差とか、電話の違いなどもあったので、公平のためにその日の申込み分までを受付けることにした。それで22名と、2名のオーバーである。そこに世話人が4名と、事務方が1名で、合計27名。うまい具合に、男女比も、年齢も(80超~20歳まで)、地域もバラバラである。

 それでも、キャンセル待ちが3名もある。なかには、まったく初めての方をお断りすることなった。すでに何名かお断りした後だ。正直、「せっかくなのになー」と思わった。某会で現役にバリバリ活躍中の方で、華光双書を手がかりに、FAXで「一見は百聞にしかず」で参加してみようということだった。もう少し詳しいご心境などをお尋ねるために電話をかけてみた。すると、こんなことはこれまでは考えられないことだと、ぼくから電話があっただけで感激されている。別に当たり前のことなのにね。よっほど封建的な会なんでしょうね。さらに、今回の集いの趣旨を説明して、一人一人を大切にするために人数を絞っていることもお伝えすると、また驚かれた。これまでの活動は、何名動員できるかと数だけを気にしていおられたという。

 もちろん、お断りするのは忍びなかったけれど、これもまた大事なことだと、丁重にお断りした。快く了解され、次週の法座や永代経に参加される意欲を募られておられたので、またのご縁が楽しみである。

 別に20名に意味があるわけではない。これが25名でも、別に差し障りはない。でも、20名の参加を見越して、世話人を4名(つまりキッチリ分かれれば6名のグループで進行できる)と設定して、皆さんにお約束しているである。公約が守られていることが、信頼のもとになる。ほんとうは、12名以内、ワングループでも進行出来る人数が、ぼくの理想である。ただ、そうなると参加費や断る方も多くなるので、まあこのあたりが手頃かと思っている。

 逆にいうと、ご参加される方は、それだけの条件のなかで、また断られた方もいる中で、自分が参加できることを積極的に生かしてもらいたい。我が儘(わがまま)でいいのであるから、一人一人のご聴聞が進むことを願うばかりだ。そのために利用できるものは、遠慮なく利用すればいいのだ。「聞法」の一点で、参加者の意志も統一されているのだから、その意味では、キッチリ焦点を当てて聞かせていただきたい。

 今日は、朝から、世話人で打ち合わせ。役割の分担と、この会の趣旨、流れの確認をした。不慮の事故で、世話人のお一人が交代となったこともあり、世話人同士が認識を共有できるように確認しあった。まあ、どんな態度で座談に望むのか。どんなところに留意するのかなども話し合った。もちろん、蓋をあけてみない限り、どう動くか分からない。こちららの意図を超えたところに面白さがあるわけだし、基本的にはその流れに添いながら、自由自在に動くことが理想である。そのためにも、充分な打ち合わせも必要なのだ。楽しみだなー。

 明日は、掃除や事務作業などの準備が中心。午後には、会計関係の状況説明を受けることになっている。

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出版

 法話集『後生の一大事』に引き続いて、『念仏の雄叫び』も品切れとなった。第3集の『後生の一大事』は、ぼくが版下をつくり、父が題字を書き、連れ合いが表紙をデザインした、家内制手工業の作品。でも、法話集第2集にあたる『念仏の雄叫び』と、体験記『廻心の体験』は、著作料までいただくとても有り難い条件で、法蔵館から出版してもらえた。しかも、本書を通じてご縁のできた方もあるし、NHKのこころの時代の放映のあとで、この本を調べて、増井悟朗や華光会と連絡を取ってくださった方も多い。
 それで、先日、連れ合いたちが法蔵館に再版のお願いに窺った。ただし、商売としては、売れ行きは必ずしもうまくはいかなかったようで、その後、話を持ち込んでも、いい条件の提示はいただけない。それでも、カタログに出ていることは大事だ。今回は、増補で1~2つ、新しい法話を加えて、再版してはどうかという話を持ちかけ、華光会でも引き受けることを提案している。丁寧に対応していただいた。
 また、その際、他の出版計画にもアドバイスをいただいた。やはり、プロの眼はシビア。それに手厳しい。なにより、商売とし成り立つ(売れる)かどうかが肝要なのだから…。そのために、誰を対象にしているのか。誰れに読ませたいのかがハッキリしないという指摘をいただく。ただやわらかいムードとか、子供向けだけではダメなのである。特に、一般の方は、簡単な仏教用語ひとつがつまずきのもとになりかねない。それに薄い本も(背が目立たない)もダメだという。

 そして、昨日、「仏の子供大会法話集」の出版について、ご相談をした。こちらは法蔵館ではなく、華光向けの自主出版を考えていたが、ある方の話から、華光同人がお勤めの出版社からの発行の線が話題になった。
 同人としではなく、出版者の眼で、いろいろとアドバイスいただいた。中身が違う本だが、まったく法蔵館の指摘と同じで内容だった。「誰に読ませたいのか」、本の統一感がないこと、そして装丁や字体などのコマゴマしたところまでご指摘いただいた。やはり、見た目の冴えない小冊子は難しいという。なるほど、ひとつひとつが納得のいくものだ。

 従来どおり、華光会で自主出版の形で発行するのは楽であるが、そこに何かを加えていきたいのである。その意味では、ほんとうに貴重な提案であった。華光会の登記項目に収益事業を行なうことがあり、その中に出版業も入っている。いまは、同人や誌友以外の方が、華光会HPから本の注文が多い。その意味では、もっと工夫をすることができそうだ。それに、華光誌という宝があり、これまでの出版の実績もある。そこにはさまざまなコンテンツ、ソースがそろっている。それを定期的にまとめるだけでも、かなりのものになる。その意味で、仕事を抜きに、図書コード、JANコード、そして正規の流通に乗る形の手段も、具体的に提案をくださった。いまの華光会では、そう無理な話でもないだろう。もう少し勉強し、ぜひ前向きに検討したい内容だった。

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難中之難

 日、月の九州支部法座、おわりました。

 各日とも、10名ほど。ただ、顔ぶれがかわったので、全員で13名のお参り。新生、九州支部になってから、ジリジリと人数が減っていくので、ちょっと寂しいです。同人は、レギュラーメンバーが固定していることが、今後の課題。そのかわり、お若い方や新しい方の参加される割合は増えていますから、けっして悲観的になることはありません。むしろ、楽しみかなー。会場、開催曜日、呼びかけなどかなり工夫できることがありそうです。今回も、まったく新しい、お若い參加者が、2名もありました。しかも、この二人の方が、いろいろな経験豊かで、自分を手がかりに、体験的にさまざまなことに関わっておられる方なので、なかなか刺激的でした。もしかすると、今後もカウンセリングなどを通じて、聞法が進んでいかれるかもしれません。

 ご法話は、「唯除のこころ」と、華光誌の4月号の輪読を行ないました。

 そににしても「難中之難」です。もちろん、初めて参加された方との関係も、また仏法には心定まっていながらも、獲信したいと力んでおられる方との関係においても、その意味では二重(もしかすると、法席に出席いただくところ入れると三重)に難しいと思いました。

 特に、「超える」とか「離れる」というところです。生死(迷い)を超える。ここが醍醐味でもあるし、またお伝えする最難関。その世界に入ってもらわない限り、分かり合えることはないわけですね。もちろん、人間的に分かり合えることはある。認められることもあるし、その方々からお教えいただくこともある。でも、聞法の焦点はただ一点なんです。この世の経験や知識なんかは虚仮で役に立たん。ただ、私にかけられた「弥陀の本願」を聞く、ここにあるわけですからね。

 後者の方の場合、その意味では、本願を聞かねばならないというところまでは、お育ていただいてきた。でも、難しいのはその一歩先です。たぶん、お念仏の心は、自分の頭やまた気持ちのところでも、ある程度までは理解できるだろうし、想像もできる。納得もできるところもあるでしょう。でも、腹の底に承知しないヤツがおるわけですね。こいつが曲者で、あれこれ計らっていく。まさに自力計度(けたく)の心でね。これが役に立たん、この心に付き合っていても仕方がないと見切りをつけさせていただく、つまり「捨てる」というところに出ないと、せっかく届いている本願を(自分ではそうは思っていないのでまた難しい)、自分が門前払いにしているわけですね。

 そして、前者の場合。まず、ここに参加されたわけですから、よくよくのご因縁のあった6お方。それでも、みんな自分の経験でしか聞けない。当たり前だけれども、これまでの人生の物差しで計るわけ。そして、自分なりに納得したり、都合よく切り取ったり、解釈して取り込んでいく。でも、そんなことでは計らえんほど大きいぞ。もしかすると、自分の方が間違っているのかもと、もうひとつ進んで感じられる方だけが、自分の後生の解決としての聞法に進むわけです。でも、そこまでのお育てを受けられる方は、なかなか稀ですね。なにかしら自分に中に「間違いない」というものをもっておられ、その延長で理解していく。でも、それでは、みんな「生死」(迷い)の中での、夢幻の出来事で終わってしまいますぞ。

 「善知識にあふことも
 をしふることもまたかたし
 よくきくこともかたければ
 信じることもなほかたし」

 「一代諸教の信よりも
  弘願の信楽なほかたし(←第十八願の信心のこと)
  難中之難とときたまひ
  無過此難とのべたまふ」

 それにしても、わが身を振り返ったとき、挫折したり、傷ついたり、絶望しながらも、よくぞ、見捨てられることなく、お聞かせに預かれたものだなーと。まさに如来様の願力の執念です。そして、厳しく、また励ましてくださった善知識や友同行のおかげのたまものだと言ってもいい。勿体ないことです。

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博多しゃぶしゃぶ「あり多」にて

 法座が終わったあとで、博多まで進んで、Y先生の会計事務所に寄りました。会議室を法座会場として提供してださるとのことでした。交通の便利もいいし、会場も手頃な広さで、とても有り難いお申し出です。

Img_2550  そのあと、ご一緒に、博多しゃぶしゃぶ「あり多」へ。いつもいつもご馳走になってすみません。いつもながら、おいしかったー。お店の雰囲気も、従業員の接客も、それに流れているJazzも気持ちいいです。なんといっても、奥様はジャズシンガーなんですからね。

 Yさんとインド旅行の話題。それが、ちょうど獲信した19歳の年末に旅行に出かけたことから、ぼくの信仰体験をお話しました。特に、自力を離れて他力に帰す、お念仏に飛び込んだところを中心に、その前後の一代記(まあ、たった1日と、せいぜい1、2週間のことですが)。こうして聞いてくださる方があると、改めて自分自身も聞かせてもらう気がします。払っても払っても、払いきれない、自分のカではどうしよもない自力心に、二進も三進もいかなくなった時に、「念仏に他力も、自力もないぞ」の一言で、自力に構わず、お念仏に飛び込ませていただいところは、いつ味わっても不思議としかいいようがないです。そのあとの心境の変化も、まさに涅槃経のアジャセ王のお心持ち、あの変化がビッタリきますね。大きな智恵をいただいたとしかいいようがないです。

I_2549  そうそう、「あり多」のコマーシャルでした。博多に旅行や出張のおりには、ぜひ、お寄りください。せめてこれぐらいは言わせてもらわんとなー。残念ながら、男前のお顔はカットしましたので、仕事ぶりは現地でお確かめください。

 検索かけたら、かなりファンの方の記事がありました。ぼくも同感です。http://otubone-pony.com/arita.html

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女房は女子大生(1)

 木曜日から、連れ合いの大学院生活が始まった。

 珍しくかなり緊張気味。何度も、細かな確認してくる。教室も不確定なので、1校時目の30分前には登校するという。それゃなんぼなんでも、誰もいないよと言っていたが、いきなりの雨になった。ナナの保育園(すぐ近く)と合わせて、車で送迎することにした。初日から役員待遇。でも、久しぶりにこんな時間に大学に行くのはかなり新鮮。大宮なので3回生以上なのに、みんな1時間目から遅刻せず、ゾクゾク来ていたのが、かなり意外な感じがした。ぼくなど2時限目でも、必死だったのになー。

 ところが、すぐに彼女から電話がある。なんでも、サイフを女子トイレの個室に置き忘れて、すぐに(その間、3分足らず)取りに戻ったのに、もうなくなったという。まだ1時間目が終わったばかり。この時間、この校舎の女子トイレなんて、かなり限定された利用者しかいなのになー。早くも学生証を紛失。運転免許証やキャッシュカードも盗まれたようだ。教科書購入用に、彼女にしては珍しく大金入りだった模様。なんかこんな時って、ぼくの方が落ち込みますわー。郵便局や学生課と走り回って、夕方には、警察にも届けた。3日たったけれど、なにも出て来ないので、週明けにはいろいろと再発行の手続きが待ってる。

 夕方、ナナを迎えに保育園に行く。知り合いのママさんから、「奥さんが女子大生になった感想はどう?」と、尋ねられた。一瞬、「エ?」と思ったね。知らん人が聞いたら誤解を招く表現だわ。ほんとうに「若い女子大生が女房になった」というのなら鼻の下ものびましょうが、残念ながら、「古い女房はそのまんまなんでねー、どうもこうもありませんわ」と。苦笑い。副園長は、「よく保育園にサイフ忘れてるけれど、ぜんぜんその教訓いきていなー」と、本人を前に笑われた。何度か園から、「サイフ預かってます」と、電話があるのだ。でも極めつけは、送りに行った子供を、そのまま連れて帰ろうとして、「ちょっと、ちょっと、お母さん。子供さん、子供さん」と、先生に呼び止めれたことかなー。サザエさん以上にサザエさんである。

 でも、どの講義は楽しくてしかたないという。夕食には、大学のことを次々興奮気味に話していた。真宗学を中心に、心理療法、英語の関係のものを受講するようだ。ただ選択したゼミが、彼女一人だったという。しかも新設の先生なので、先輩もいない模様。日系の先生なので、英会話も必要な授業なので、真宗学の学生は敬遠するわなー。ちょっといいのか、悪いのか分からないけれど、マンツーマンで学べるなんて、かなりの贅沢には違いない。これも彼女らしく面白い。

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週末は行事目白押し

 今日は、『実録 連合赤軍 あさま山荘の道程』を1本。190分の大作ながら、時間が短く感じるほどの力作。かなり心を揺さぶられた。その足で、龍谷大学の大宮学舎に急行し、シンポジユウムの聴講。国際会議「自我心理学を超えて-心の旅 東と西」をテーマに、今日は、一般公開講演会。テーマがテーマなので、大学や真カ研のお知り合いの顔がチラホラ。また触れたいですか、正直、映画の方が、インパクト大で、講演会ちょっと印象薄まりました。

 さて、今週末は、いろいろと行事が目白押し。

1)父は、東京支部法座(12日(土)13日(日))で、東京の全林野会館。悟朗先生の東京支部法座は、年に1度だけになっていますので、どうぞ、関東周辺の方は、この機会にお参りください。

2)ぼくは、九州支部法座(13日(日)14日(月))です。お寺さんや自営業の方が多いので、ちょっと変則的です。なんでも、真宗カウンセリング関係で知り合った方が、3~4名、部分参加されるそうで、どんなお方にお会いできるのか楽しみです。変わった話はしないけれど、1座だけは、今回の華光誌誌上法話の輪読をしようと思います。初めての方向けに分かりやすいテーマなので、皆さんの反響や様子を見ながら柔軟に進行したいですね。月曜日終了してから、博多に戻り会計士のYさんの事務所を訪れる予定です。

3)裕子も、広島子供花祭り(13日(日))。明日から子連れで広島へ向い、終了後には戻ってくるようです。昨年に引きつづきで、ご縁が広がればいいです。なにも子供さんがおられなくてもかまいません。華光会館の日曜礼拝や日高支部のように大人の方もご参加ください。

4)同じく、13日(日)は、華光会館で華光仏教青年会あります。総会ですが、ちょっと參加者が心配です。ここらで「喝」と、世代交代すすめばいいのですが…。役員、役割なども相談もあります。大丈夫かな…。

 例によって、家内制手工業の、薄利多売の精神で頑張りませんと、けっして裕福とは言えませんからね。どうぞ、東京、広島、福岡、京都、どこかでご縁がありましたら、お参りください。

 すべての法座は、華光HPのトップページから調べられますので、会場や時間などはこちらをご参照ください。(右上の「今週の法座」に4つ並んでます)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/top_menu/menu.htm

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『ファーストフード・ネイション』

Fastfoodnation_01  『ファーストフード・ネイション』予告編を観た以外は、予備知識もないまま、劇場へ。あれ? ドキュメンタリーじゃないんだ。てっきり、バーガー・ショップの裏側を探る、告発ものだと思ってました。しかも、かなり大物のハリウッドスターも出演し、観たことのある顔もチラホラ。脚本家の原作『ファーストフードが世界を食いつくす』というノンフィクションを基にした、群像劇(さまざま登場人物の複数の視点で進行する)。もちろん、実際の企業名は映っても、あくまで架空の企業、架空の話。それでも、実際のアメリカ(資本主義)社会の現実(事実)を告発するインパクトは大だ。米国(日本も含まれる)が抱えている格差社会の現実を突きつけているのだ。

 でも、もし、あなたがファーストフードのハンバーガーが好きで、何度も口にする方なら、この映画は見ないほうがいい。精神衛生上よろしくないもの。知らないまま「おいしいなー」と、小銭で買えるしあわせに浸る人生も、まあ悪くないかもね。

 ストーリーはこうだ。大手バーガーチェーンの幹部が、牛肉パテから大腸菌が検出された。表沙汰になったら大変。社長命令での秘密裏に調査を行なう。契約の食肉加工工場の視察。社員教育も行き届き、明るく、衛生的で、雑菌が混入する余地などない。(こんなこと最近、お隣の国でもありましたなー)。しかし、周辺に生きる関係者などと出会うちに、その恐ろしいからくりが明らかになってくる…。

 命懸けで入国した、メキシコ人の不法労働者をこき使う食肉工場。まさに、3Kの職場。思わずドラッグに逃げるものもいる。効率優先のラインで、事故はしばしばおこる。血みどろになり、悪臭漂う解体作業も、黙々と従事していく。『いのちの食べ方』より、センセンショナルに、屠畜と食肉処理の現場が映し出されている。ところが、そこまで搾取され、劣悪な環境に、不満や怒りを持ちつつも、「お金」という蜜にはかなわない。アメリカン・ドリーム、未来を夢みるからこそ、耐えられるのだろう。

 そして、店舗のアルバイト店員もまた、安い時給で働かされている。その母娘の家庭は、アメリカの白人世帯でも何割かしめる負け組であろう。男を追いかける母は、冷凍食品やファーストフードで娘を育てている。さいわい、娘は、なんとか教育の力で、ここから脱出しようとしている。

 その上に店長がおり、各支店の幹部おり、とても清潔なオフィスには、本社の幹部や社長がいる。一部のものが、膨大な利益を得ている。でも、不正の芽は、トップを含めてどこにでもある。当然、労働ピラミッドの各階層間は、完全に断絶されている。世界最大の外食産業たるファストフード業界を支えているのは、間違いなく最底辺に位置する人々のようだ。しかし、単純に、利潤追求と貧困、大企業と消費者という二項対立的に描かれていないところが、この映画の面白かったところだ。なぜなら、現実もまた非常に巧妙な、かつ複雑なシステムで、問題点が隠蔽され、いっそうの利潤と効率が追求されていくからである。

 安い食品、低価の外食を求めることが、この先、どういう結果を招くかを、ぼくたちは本気で考える時にきている。単に、食の安全性だけではない。弱者へのしわ寄せと、わが身の安全を担保に、大企業は、さまざまなものを飲み込みながら利潤をあげ成長しつづけるのである。以前、日本でも、某企業の肉に、混ざりものがあるという噂がまことにしやかに流れた。あまりにも安いからである。もちろん、それはまったくでまかせであった。牛肉100%には偽りはない。でも、その牛の中身までけっして問われることはない。映画の中で、大物俳優がいっている「焼いてしまえばわかりゃしない」と。そして、化学的な人工の味付けがなされていくのである。

 一方、若い、青臭い環境派の高校生が、行動をおこす。合成飼料で育ち管理された牛たちを牧場から逃亡させ、市民に事態を告知し、喚起を促そうとするのた。ところが、肝心の牛たちが彼らの思い通りにはならない。まったく行き当たりばったり、とてもお粗末な発想と行動である。しかし、「このままなら殺されてしまうぞ。逃げろ」と叫んでも、一旦、囲われ、管理され、当面のエサを確保された牛たちは、まったく無反応なのである。青臭い、幼稚な行動と、そして牛たちの反応。これはどちらも人ごとじゃないなーと思わされた。

 ちなみに、監督は、ぼくの大好きな映画、『恋人までの距離』」と、続編『ビフォア・サンセット』(こちらかなり好き)のリチャード・リンクレイターだった。イーサン・ホークも出てます。なるほどね、面白いわけだなー。

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夜半の嵐

 年忌や月忌参りで、「四苦八苦」のお寺さんにはたいへん申し訳ないが、今年の華光会館の法事は、1月の祥月参り一件と、今日の25回忌の年忌の一件。あとは、お盆にお参りがあるだけだ。父に代わって、25回忌法事を勤めた。このお宅は20年以上ぶりに訪れた。

 25年前、亡くなったのは、かわいくて聡明な13歳の少女だった。4月9日。サクラの季節のことだ。夕暮れの塾に出かけた先での交通事故だ。ひき逃げではなかったが、見通しのよい道路での出来事。運悪く目撃者はなかった。親御さんが、必死に目撃者を探したが、結局見つからず、加害者の言い分が通って、少女の飛び出しという形で裁判が終わったのだった。葬儀の時に、狂ったように泣き崩れた母親の姿が、いまも目に残る。49日法要だったか、出かけた時のままの学習机の上が、痛々しかった。もし、いま、存命だったら、ゆうこの年齢のお母さんになっておられたことであろう。

 年月は流れて、25年が経過した。少女の母親の横には、今年の中学生になったばかりの孫(故人からみれば甥にあたる)男の子が一人、足のしびれをこらえながら、不慣れな勤行についてきてくれた。初めての勤行だという。まもなく、故人と同じ年齢に達するという。しかも、同じ進学校に通っているから、なにか共時的な意味を感じた。

 それにしても、年月とは残酷のものだ。誰の上にも、平等に、同じだけの月日が流れながらも、25年前のまま止まったままの時計もあるのだ。母親と同年代の甥御さんを前に、ご法義というより、どうも感傷的な気持ちになってしまった。 

 ところで、3年前に引っ越された住所は宇治市。ところが進む道は「日野街道」という旧道で、ちょうど、曲がり道に日野法界寺を示す看板があった。伏見区日野と宇治市との境界境らしい。この地は、日野家の領地で、親鸞聖人の生誕の地に近い。ナビにも、法界寺が出ていたので、帰路、少し寄り道をすることにしたが、あまりの近さに驚いた。二百mほどでこんな碑が現れ、ここからもう数百mだった。

Img_2523  ゴミの集積場になっているが、よく観ると、3つの旧跡の看板がある。右が親鸞聖人の生誕地を示すもの。中が日野薬師(国宝の阿弥陀仏もすごいが)有名な法界寺。そして左が『方丈記』(「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」というやつねの著者である鴨長明が隠遁していた方丈の地跡があるという。そうか、この地なのか。ぼくは、3つ目のことはまったく頭になかった。

 藤原氏を祖とする日野氏が、このあたりを所領としていたImg_2527。それが、平安時代後期の(1051年)に、日野資業(すけなり)が、薬師如来を安置する堂を建てたのが、法界寺の始まりとされている。その後、阿弥陀堂も建立され、幼き親鸞さまも拝まれたであろう、有名な阿弥陀仏がまつられている。(右写真)。
 
親鸞聖人が、日野有範の子として、この地に生まれられたのは、承安3年(1173年)ことで、資業から5代目にあたる。
 一方、
鴨長明が草庵で「方丈記」を書いたのは、1212年頃だそうだが、当然、越後~関東生活の親鸞聖人とはすれ違いだ。諸説あるが、わが国では、1052年が末法の初年にあたるといわれている。宇治の平等院も建立され、阿弥陀仏、極楽浄土願生の信仰が盛んになっている。末法に呼応するかのように、時代は飢饉や天変地異、戦乱が相次ぎ、1192年には東国の地で武士の政権が樹立している。

 そんな時代背景が、鴨長明の思想にも影響しているわけである。神官の彼も「往生要集」を手Img_2536 元にもったいたという。もちろん、親鸞様の三時思想、末法思想は、まさに時代Img_2530の空気からも、体験的な必然なのである。

 聞法旅行以来に、久しぶりに誕生院にお参りした。この建物は新しいものだが、ちょっと厳粛な気持ちにはなる。誕生院の幼稚園に、「一子地」と刻まれた不思議な石像(右手)もあった。

Img_2533  境内のサクラが風と共に舞って、きれいだった。まさに、「明日ありと 思うこころの あだ桜、夜半に嵐の 吹かぬものかわ」である。
 今夜の雨で、「散るサクラ、残るサクラも、散るサクラ」であろう。どうも、年忌と、方丈記と、そしてサクラのセットで、今夜は感傷的な無常感に浸っているようだ。

 Img_2525産湯の井戸、胞衣塚(えなづか)から境内を眺める。

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法座で考えたこと

 日高法座では、高齢でお参りができないとか、身内を亡くされた同人を中心に、月忌参りをしている。今回は、法座の前後に7軒のお参り。もちろん、旦那寺はあるので、法事やお葬式は別。その意味では責任がないので気楽といえば気楽。でも、夜のご法座にお参りされる方は目に見えて減ってきたので、こちらがメーンになる日も近いかも…。

 一時は、中止してもらおうかと思ったけれど、いまは、ぼくも楽しみになっている。年に1、2度、ほんとうに待ち焦がれて、いろいろな話を聞かせていただく。それは、ままならぬからだの愚痴だったり、故人への恩愛の情だったり、さまざま。不思議なことに、高齢の老婆の愚痴話なのに、聞いているぼく自身が、なぜか温かい気持ちになり、元気をいただいたりする。異口同音、お念仏に出会った喜びにを涙ながらに話され、一緒に喜びあえるのが大きいのだろう。

 特に今回は、7軒のうち、独居の方を除く4軒で、息子や娘さんが同席されてうれしかった。若夫婦、お孫さんがそろってくださるお家もあり、ぼくとお母さんとの法義話を一緒に聞いてくださり、涙を浮かべておられる方もあった。それでも、夜の大人の法座にはまだ参加されない。翌朝の花祭りには子供さんと参加されている。

 その意味では、どこかまだまだ距離がある。浄土真宗のおみのりは、ほんとうに聞いてもらおう、伝えようとすると、難中の難だ。難行、苦行の聖道門の修行じゃないけれど、一段、一段、はるか彼方の世界。ましてや、相手があまり聞く気がなかったり、義理参り程度なら、その彼我の距離に、時に絶望的になり、くじけそうな気分になることが、正直ある。

 ところが、どこかでなにか飛躍するというか、その距離が一気に縮まる時がある。まさに、横超だ。たとえば、それは外側の機縁(親が死ぬとか、家庭の不幸とか)が引き金になることもある。でも、それは表面的な問題。そこまでに、それまでの内のお育てが必ずあるわけだ。彼の内実で、確実にご縁の芽が育っている。でも、その歩みは、ほんとうに、徐々に徐々に、カタツムリのごとく進んでいるので、なにかその遥かな距離ばかりが気になってしまう。でも、いまは、そのご縁作りの時期、カウンセリングでいうところの、ラポート、信頼関係を構築する時期が必要だと、焦らず、腰を据えて関わっている。

 そんな遥かな絶望的な溝と、同時に劇的な飛躍と、それを促進する目に見えないお育て。そういうことを体験的に現した言葉が、「宿縁」とか「宿善」の有無でしょう。宿世からのご因縁と言わなければ、説明が付かないわけですね。

 とはいっても、どこかで、自分ではなく、相手を動かそうとしているんじゃないかなと。だから、思い通り反応がないと、ガッカリしてしまう自分がいる。相手の表面の変化ばかりに目を向けているわけ。促成栽培や強制は無理だと思っていても、どこかで、動かない相手と同じ視点、同じレベルで物事を眺めていることが多いんじゃないか。それなら、世間の常識的な、聖道門的な一段一段進むアプローチに、こちらも留まってしまうわけですよね。

 そんな時は相手の飛躍を待たずとも、勇気をだして、こちらが飛躍してみてもいいんじゃないかと、最近思うようになった。むろん飛躍といっても、別に特効薬やマニュアルがあるわけではない。

 要は、こちからの積極的な関わりも深い意味がある。そうすると、すぐ威圧的になったり、上からのイメージがあるけれど、むしろ誠実な態度、正直さといったほうがいいかもしれない。相手の立場を尊重するのは当然だけれども、こちらも自分自身を偽ることなく、恐れることなく、正直に開いていっていいんじゃないかなー。相手を尊重するというのなら、自分自身をも尊重し、自分自身を受け入れられない限りは、絶対に、相手のことなど信じることは出来ないものなー。

 そこを根底から支えてくださるのが、「十方の衆生よ」と呼びかけ、「若不生者」のお誓いを立てて下さっている阿弥陀様のご本願なのでしょう。その大悲のお心に願われている、凡夫同士というところで、必ず、響きあえるものが出て来るんじゃないかと思うわけです。日頃、お念仏に出会うことは、自身のあさましい、お粗末な姿に出会うと同時に、この大悲のおこころに涙するわけですからね。その原点に帰らせてもらうだけなんだけども、実際となると、なかなか難しいです。

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日高支部の花祭り

Img_2519  さて、日高支部のある豊岡市日高町は、こんなところです。円山川と、スキー場で有名な神鍋高原などの山々に囲まれています。「子供花祭り」でしたが、道中も、サクラImg_2515が満開で、花ざかり。きれいでした。昨夜は、日本海の新鮮なお刺身と、但馬牛でおもてなしてうけましたが、海のものも、山のものもおいしいところです。

Img_2500  さて、公民館にこんな臨時のお名号をかけてスタート。

 これは、華光会館の古い花御堂です。そこに、子供の一人がきれいに飾りをつけてくれました。細かなきれいなものが、小学校3年生の女の子が作ったものでImg_2501、かどの荒いものが、大人の作とか。ぼくが子供のころ、華光会館の日曜学校でやっていたやり方をそのまま引き継いだお飾りです。誕生仏や金盥は、華光会館と同じ物。故谷本瀧雄さんと一緒に、京都の仏具屋さんで求めたもの

 勤行のあと、子供の「お祝いの言葉」は、支部長さんの深い思いがこめれらた立派な内容。すべての人の幸せを願われたお釈迦様のお誕生の意味が、すべて南無阿弥陀仏の中にこめられて、いま、ここに届いているということを、平易な言葉で述べられていました。有り難かったです。

 DVDアニメ『仏さまのプレゼント』の用意があったので、合わせて新しいDVD『仏教のめざすもの』の冒頭の「華光会とは」を一緒に見てもらったあと、ひとりひとりに「仏さまからのプレゼント、ほんとうにもらいましたか」と、問い掛けていきました。ちょうど、「お祝いの言葉」の内容とリンクする気もしました。DVDと合わせると、かなり長い法話になったけれど、子供たちがあきることなく聞いてくれたので、うれしかったですね。うちと同じ3年生の子供たちには、少し難しかったでしょうが、中学生が5名が、とても素直に参加してくれていたので、ちょっと熱入りました。

 お寺でもないのに、毎年、こうして花祭りをお祝いし続けてくださています。費用もバカにならないし、労力もそうです。最初は、谷本さん宅の納屋から、スタートしました。ぼくも高校生からお手伝い。姉も先生として活躍していたことを思い出します。日高同人の皆さんは、どんどん高齢になられ、死苦、老苦、病苦の話題ばかりですが、それだけに余計、連続無窮のお働きが、途切れることなく、ここまで届いてきていることが、無性に尊く感じらてきました。

 長々のお育て、ほんとうにありがとうございます。

 

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これから日高支部

 これから、日高支部法座に出かけます。
 前回から、9号線ではなく、名神高速、中国縦貫、舞鶴若狭道、そして北近畿豊岡道を経由するルートにしています。いろいろつながってるんだなー。距離はいくぶんか長くなるけれど、高速中心なので、時間は30、40分は短縮されますね。

 6日(日)には、子供の花祭りと、若いママさんたちの分級座談会を予定しているので、こちらも楽しみです。
http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/04/hidaka2008-4.htm

 華光会館では、6日(日)のお昼から、「聖典講座」があります。 http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/04/seiten2008-4.htm

Img_2499 このところ、すっかり温かくなって、春ですね。さわやかな日差しに気分も高まります。ご近所の「枝垂れざくろ」も見事に咲いていました。京都の花なんですが、これはうすピンクというより、かなり鮮やかな紅色でした。

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『線路と娼婦とサッカーボール』

 先週の京都シネマでの出来事。劇場に入ると、M先生が、ぼくを見つけてニコヤカに手を上げられた。「今日はお休みなの?」と思っていたら、お隣に女性の姿。これはこれは、お邪魔?と一瞬思ったけれど、ナナの保育園のお母さんで、最近のお仲間。ここも見てくれているかなー? なかなかぼくとの映画の都合がつかなかったけれど、またご一緒しましょう。それにしても、『線路と娼婦とサッカーボール』なんて、なかなかシブイ映画を見に来てるなー。

Shoufufc_01  映画の舞台は、メキシコと国境を隔てる中南米はグアテマラ。ご存じですか? コーヒーで有名なところ。マヤ文明が栄えていたが、スペインに征服された。だから言語は、スペイン語。映画も、スペインの監督によるものだ。

 世界的にみければ、けっして極貧国でないだろうが、しかし、富の格差は激しく、汚職も横行しているのたろう。 

 単線の列車の線路を挟んだボロ小屋の売春地帯、リアネ(線路)。たった3ドル足らずの報酬で、女たちがからだを売って、生計を立てている。これが、ここを訪れる男たちに払える相場なのである。
  差別と偏見、暴力が渦巻く。警察も賄賂やレイブの加害者である。常に、死とも背中合わせな劣悪な環境の中で、あまりにもたくましく、明るく女性たちが生きている。家族や子供に夢を託している。一方で、男たちのなんとなさけないことか。貧困による無教育、就職難。アルコールに溺れ、暴力や犯罪で刑務所を往復し、ますます貧困、訓練の機会もなく無職、そして暴力……悪循環を繰り返すばかりである。
  娼婦たちが地位向上を求めてデモをしても、一度ニュースなればそれでおしまいである。それならば、娼婦によるサッカーチームを作ろうと努力の結果、実現してしまう。狙いはあたって、マスコミの取材攻勢をうける。ところが、同時に、いわれなき偏見と非難がさらに増す。汗でエイズに観戦したらどうしてくれるのかと抗議が殺到する。新興のキリスト教の牧師だろうか、「悪魔、地獄に落ちろ」と彼女たちを罵倒する。「恥さらし」との怒号が飛び交う。しかも、急造チームは、いつまでも勝ち星はない。

  ところが同時に、支援者やサポータも現れる。しかも、彼女たちも、けっしてくじけたり、負けたりはしない。ますます陽気に練習を重ね、婦人警官とも試合を行なう。とうとう、単なる好奇心を超えて、新たなムーブメントとなり、隣国エルサルバドルにも普及。娼婦チーム同士の国際親善試合まで実現してしまう。その試合に大勝利。意気揚々と帰国となるはずが、現実は、あまりにもあっけない結末を迎えるのである。 この結末の、ひとりひとりの現実のテロップが複雑にのしかかってくる。 

  それにしても、こんな絶望的で、劣悪な環境の中での女性たちの天真爛漫な明るさはなんなのだろう。一方で、深い罪悪に苛まれたり、暴力やレイプ、数々の信じがたいまでの悲劇に見舞われている女性たちの深い悲しみの涙も、カメラはしっかりとらえている。そんな中で、悲劇と暴力で盲目寸前の、年老いた元娼婦の歌声にも心が揺さぶられた。
 彼女たちには確かに護るべきものがあり、そしてそれは、彼女たちのかすかな明るい希望なのかしもしれない。涙でも、悲劇でもなく、そのあまりの明るさに、ぼくは妙に心奪われた。

 これも、いま、ぼくたちが生きている、そしてぼくたちが作り出している、まぎれない世界の現実なのである。 

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ダライ・ラマ14世

 ブラピが主演した『セブン・イヤー・イン・チベット』に、チベット僧が描く「カーラチャクラ砂曼陀羅」http://www.tibethouse.jp/culture/kalachakra.htmlを、高圧的な中国共産党の使節が、土足で横切り踏み着けて破壊するシーンがあった。チベット側からみると、仏教を根底にしたチベット文化を、中国が武力(暴力)で弾圧する現実を象徴するかのようなシーンだ。中国の武力侵攻から、すでに50年近くが経過している。チベットの漢民族化が既成事実として加速することは、武力だけでなく、独自の文化や宗教への弾圧にほかならない。そんな中で、今回のチベットでの武力弾圧である。ミャンマーでの僧侶への武力弾圧の時もそうだったが、仏教徒の端くれとしても、胸が痛む。チベットだけでなく、民族が分断された周辺の中国地域や、周辺の国々へも影響が広がっている。政情不安定なネパールでも動きがあったようだ。
 
ただ、同じように国内に民族分離や独立を抱える国々にとっては、武力弾圧は正当化されるだろう。中国の経済支援を受けたり、経済的に深くつながる国々にしても、「内政不干渉」という建前で、黙殺されていく。しかし、単なる国内の治安悪化という問題ではないのである。民衆の最低限の平和的を求め、自由や独自文化を求め、信仰を護ろうとする声が、権力側の圧倒的な暴力で弾圧されている事実。これを機会に、せめて同じ仏教徒として、目を背けないで関心をもっていかなければ、遠い異国の出来事として、きっと風化してしまいかねない。

 と力みつつも、ちょっとやわらかい話題に移ろう。いま、世界中で一番有名で、かつ尊敬されている僧侶は、ダライ・ラマ14世だろう。もちろん、政治的な文脈で世俗的にも、いろいろと取り沙汰されている部分もあろうが…。

 一度だけ、間近で講演を聞いたことがある。龍大に入学した年ことだから、1980年10月ごろだったと思うが、大宮学舎の講堂が会場。改築前の古い机と椅子だった。けっして広くない講堂は超満員で、通路にも聴衆が座っていたが、さいわい前列に座ることができた。「ひとつの中国」が建前の日本政府の、政治的活動を行なわないという条件での訪日。それで、文化講演だったと思うが、まったく内容は覚えていない。ただ、質疑のことは断片的に覚えている。それまでのムードが少しかわって、中共(中国共産党)との関係についての政治的な質問などにも、やんわりと答えてられた。
 そんな中で、「猊下は、なぜダライ・ラマになられたのですか?」という質問をしたのは、日系開教師で、龍大に留学中だったロンだった。それまでの質問が、どうも段取りの決まったやらせ的に思えていたので、この知り合いの質問には、ちょっと驚いた。しかも、あまりに素朴な質問に、会場からは笑いもおこったが、実は、この答えが一番面白かったので、これだけを覚えている。
 まさに、映画『リトル・ブッタ』の世界だった。なんでも、ダライ・ラマ13世の逝去のあと、湖に彼の名前が浮かんだのを高僧がみつけて、3歳の彼が、さまざまな確認の試験をへて、転生と認められたという話だった。そして、その後の教育や、観音菩薩の生まれ変わりとしての活仏の生活などの話も興味深かった。同じ大乗仏教といっても、随分、日本のそれとは、かけ離れた印象をもったものだ。

 あの時に、活仏に、頭のひとつも撫ぜてもらっておけば、もう少し頭よくなってたかもしれないなー。それぐらいのご利益ありそうでしたが…。

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須磨の水族館へ

 春休み。
Img_2441 大人には、お盆の夏休みや正月休みはあっても、春休みはない。子供たちにとっては、新学年を前に宿題も課題もない、一番、気楽な時である。ただ、保育園には春休みはない。3月最終週から、一足早く新年度になっている。入園式の日も、保育に休みはない。親には有り難いことだけれども、先生方はたいへんだなー。

 Img_2458子供たちの希望で、また水族館へ行くことにした。実は、ぼくも水族館が好きである。中学生のときは、ワンゲルに入って山登りが好きだったが、結婚してから、毎年、沖縄の海にばかり行っている。一度だけ、バリでスキケュバーダイビングをしたが、熱帯の海や魚には、何かこころ弾かれるものがある。
 海遊館は12月に行ったので、今Img_2446回は、神戸の須磨海浜公園へ。ところが、連れ合いが、大学院の単位登録の都合で、急にダメになったが、変更はせずに出発。今回は、ジジー、ババーも一緒だ。二人はかなり早起きして、なんと11時15分には出発した。我が家では、これは画期的な出来事だ。

Img_2479 ガソリンの値下げを確認して給油。この差は、かなり大きいぞー。それにしても、今年にはいってから、あっちでも、こっちれで値上げラッシュ。4月に入ると、拍車が掛かってきて、サイフは痛手だ。そん中で唯一、ガソリンは下がるが、これは政治の混乱によるもので、この先は極めて不透明。結局、庶民は、振り回されていくばかりである…。

 高速一本なので、混雑がなければ、一時間ほどのところ。神戸に入ると阪神高Img_2465速は混雑していたが、それでも、まあまあの感じ。でも、駐車場が春休みで、大混雑。実は、誘導のミスがあったのだが、結局、みんなと分かれて別の駐車場を探すことに。日頃の精進がよいので(←正しくない用法だなー)、すぐに見つかった。分かれたみんなとも、すぐに合流。こちらも、日頃の行いがいいのだろう。

 孫といるときの、父母はうれしそうである。特に、母はなかなかかわいい人で、何を見ても子供たち以上に、いいリアクションをする。「オー」「ハー」「大きなー」「これは、これは」と、素で喜んでいた。

Img_2475  イルカやベンギンのアトラクションもあり、低学年向けの遊園地もあり、海遊館より、こちらの方が、子供連れにあっているようだ。時間一杯、楽しんで、帰路は車の乗車するなり、子供たちは暴睡。目が覚めたら、会館そばの函館市場である。

 そう、水族館のあとで、寿司を食べることにした。
 別に水槽で、「うまそうだなー」と思ったわけではないが、潜在意識に何か影響したのだろうか。なかなかもって、あさましき次第だ。もっもと、イルカも、ラッコも、ペンギンも、ウミガメも、ヒトデでも、アマゾンの熱帯魚も食べるわけではないので、ご安心を。

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入学式

 4月1日 エープリル・フール。

 朝、ナナを保育園に送った足で、カンロを連れて、カットに行く。彼女も、髪を整えてもらった。ぼくも、妙な寝癖がついていたので、その分短くしてもらう。

 お店のパソコンで、龍谷大学の入学式のネットで実況生中継を流してもらいながら、髪を切ってもらう。なんと、便利な世の中になったものか。マンモス大学なので、今日が午前と午後、明日も瀬田で3度、入学式がある。学部も大学院も式だけは同じなので、午前だけでも、2000名はいるようだ。

 4月から、連れ合いが、龍谷大学大学院 文学研究会の真宗学に進学することになったのだ。しかも社会人枠ではなく、一般の枠で合格した。英語が得意とはいえ、頑張ったのだろう。お聖教の分からないところを聞かれたら、指導はした。これで大丈夫?かなーとも思ったが、それだけこちらが学んできたということ。大学院時代、あまりお聖教の勉強してこなっかたが、大学院の入試問題程度なら、けっこう出来ることがわかって、安心した。学部の新入生のお母さんだっておかしくない年代である。ぼくは、正直、今後に不安がないわけではないが、合格して入学した以上は、しっかり学んでもらいたい。それが長い目でみれば、かならずプラスに作用すると、ぼくも信じることにしよう。

 午後から華光誌の発送。京都支部のお手伝い3名が加わり6名で作業。ぼくは、そのあとで、真宗カウンセリング研究会のプログラムと会費請求の発送もやった。こちらは、メール便の手続きが、若干ややこしかった。

 時折、雨が降っているが、自転車でナナのお迎えに行く。車がなかったのでレイコートを着た。4月にしては肌寒い。風も強いが、それでも、あっちこち花ざかりだ。明日が入園式の保育園の園長先生と立ち話。「連れ合いは、今日が入学式なんです」と話す。大学院進学のことは知ってられたので、「そうか。いろいろと活動的ですばらしいなー。でも、家族の理解や協力がないと出来ない話やね」と言ってもらった。

 連れ合いは、手続きが長引いていた。風呂を洗っていると、排水口を詰まりが気になる。ここを本格的に掃除をするのは、年末の大掃除以来かなー。スッキリした風呂で、子供たちと入浴。夕食のあと、1時間ほどかけて、今、ナナを寝かせた。今年からのぼくの日課である。

 ブログも、「サクラと月」の淡い、シンプルなタッチに変えた。春は、始まったばかり。しばらくはこのスタイルで行こう。

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