『非現実の王国 ヘンリー・ダーガーの謎』
ヘンリー・ダーガー。ぼくは、初めて聞くアーティストだ。でも、そのポスターの絵に引かれて、カール・ドライヤーの前に見ることにした。『非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎』。
彼の奇異な生き方が、そのまま芸術作品になっている。子供の時、唯一の肉親、やさしかった父との悲劇の別れから、幼くして天涯孤独の身に。この孤独な環境の中からしか生まれなかった作品群。まさに「非現実の王国」の中に、彼自身が生きている。彼の(他人からみると)ゴミ溜めのようなアパートの一室こそが、彼の唯一の楽園なのでなる。温かさ(黄色の色使いもよるだろう)を感じる色調、ポップなのに凄味が出て、見る者を圧倒する不思議な挿絵の数々。
誰も彼のほんとうの名前が分からない。ターガーなのか、ダージャーなのか。知人も、大家と、隣人と、教会関係者の数名しかいない。もし、万が一、彼が正統な小説や絵画の教育を受けていたら、もし、生前に評価を受けていたら、けっして、これらの作品は生まれなかったはずだ。誰からも指導されず、評価(その存在さえ知られない)されなかったが故に、名も知られず遺される芸術もあるのだ。彼の孤独な生き方そのものが、作品なのだが、いまや、アメリカ現代芸術における、孤高のアウトサイダー・アーティストの高く評価されるのだから、なんとも奇妙な話だ。
1973年、シカゴ。81歳の貧しい独居老人が、静かに息を引き取る。晩年まで、病院の雑役夫として糊口をしのぎ、教会には熱心に通う貧しい男。ところが、彼のアパートには、おそらく史上最長の小説と言われている、15000ページにも及ぶ「非現実の王国で」の原稿と、それをモチーフにして描かれた膨大な絵。さらに、自伝や日常生活、時間毎の天気などが克明に記された膨大な記録が残れされていたという。
映画は、その自伝から、彼の怖ろしく奇妙で、そして悲しく、孤独な人生が語られる。それと対比するかのように、彼が描いた空想の王国が、彼の絵を基にしたアニメーションで浮かび上がってくる。彼が、自室で築き上げた「非現実の王国」。その楽園で、創作したヴィヴィアン・ガールズに囲まれて幸せに暮らすダーガー。しかし、彼が描く少女の裸の絵には、なぜか男性器がついている。何かを暗示しているのではなく、たぶん、生身の女性の裸体に触れたこともなく、女性器に対する知識がなかったのではないだろうか。
そんな彼が、常に、会話していたのが、神だ。神に裏切られ、神を裏切り、そして懺悔し、恩寵を受ける。キリスト教の信仰を抜きに、彼を語ることはできないだろう。
ちょっと単調で退屈なところもあったけれど、ラストの「おしまい」という、タコタ・ファニングのナレーションに、グッときてなー。
いま、チラシを見て知ったけれど、彼の小説の正式名は、『非現実の王国として知られる地における、ヴィヴィアン・ガールズの物語、子供奴隷の反乱に起因するグランデコーアンジャリアン戦争の嵐の物語』という、中身も長いが、題名も恐ろしく長いものだー。
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