« なぞなぞで、ちょっと筆休め | トップページ | 臍(へそ)の緒 »

文化教室PRで、筆休めのつもりが…

 最初の華光会館が完成したものの、借り入れた建築費用の借金返済が続いた。境内地も借地なので、毎月の借地料もかかってくる。内実は、かなりたいへんだったようだ。

 今のような同人会組織などもなく、同人の数も少ない。法座の数も、たいへん少なかった。第一、みんなもけっして余裕がある時代ではない。喜捨に頼るわけにもいかないし、どこかで大きな事業が完成してしまうと、多くの方々はそれだけで安心してしまところがあるのだ。

 本業の収入が見込めないのなら、副業で返済していくしかない。

 一つが、部屋の間貸し、下宿などである。一階は、5家族の住居になっていたことは、以前書いた。それはかなり長い時期で、ぼくでも、住人の方の家族の名前を、全部覚えているほどだ。本山の職員をされていた独居の女性がなくなり、住人でお葬式を出した(兄弟はおられたが)こともあった。2階は、当初は、道場まで仮に区切って、学生さんの下宿にしていた。行事の時だけ、友人の下宿などに移ってもらうのである。

 そして、もう一つが、教室を使っての文化教室である。これが当たった。

 ちょうど、高度成長期にあったて、子供に習い事(まだ学習塾はない)をさせる余裕ができてきたのだ。しかも、ベビー・ブームで子供の数もとても多かった。珠算、簿記、書道、オルガン(ビアノではない)、図画工作、学習補習、母が教えるお茶、お花に、そして英語も教えていたこ時があった。そこから、日曜学校や子供大会へとつながってもいった。

 父も母も、ガムシャラに働いたようだが、おかげで返済も終わった。そのうち、まわりで類似の教室が生まれ、習い事の種類が学習塾やスポーツ教室に変わり、なにより地域の子供の数が減少した。最初は徐々にであったが、見る見るうちに減少していたのだ。何百人もあった書道や珠算の生徒さんが、二桁になり、そして一桁になった。でも、うまいもので、そのころには、本業の布教活動が忙しくなり、同人会組織も出来て、この程度の組織なら、なんとか維持できるだけに充実してきたのだ。現華光会館の再建の折にも、まだ借金せねばならなかったが、副業せずとも、わずか数年で完済したのである。

 当然、今は下宿はゼロ。現華光会館には、そんな部屋もない。そして、文化教室も、結局、父の書道と、姉が教えていたピアノだけが、細々と続いている。全体からみると、微々たる収入しかないが、父が教えられるうちは続いていくだろう。なんか、筆休みで、文化教室のPRのつもりが、とんだシンミリした苦労話になってしまっている。

Img_2282  実は、今日は、そのピアノのおさらい会があったからだ。残念ながら、生徒さんが少ない。でも、日頃の成果を出して、みな上手に弾かれていた。昨年だったか、ピアノの先生が弾かれた「月光」が、感動的だったことを覚えているが、今年は、モーッアルトの「トルコ行進曲」だった。

 書道には、増井自然(悟朗)先生の通信教室もある。もちろん、ピアノに通信はないけれど、大人の部もあるので、もしお近くで関心がある方は、華光会館までお問い合わせください。

Img_2211  そうそう、こんなメリットがある場合も。先日、書道教室の生徒さんである禅僧S君の依頼で、お袈裟に、悟朗先生が揮毫された。それがこの「招喚」。おお、これは値打ちあるぞー。

 それより、S君、そろそろ年貢を修めて、招喚されないとなー。せっかくの文字が泣いてます。 

 

|

« なぞなぞで、ちょっと筆休め | トップページ | 臍(へそ)の緒 »

今日の華光会館」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 文化教室PRで、筆休めのつもりが…:

« なぞなぞで、ちょっと筆休め | トップページ | 臍(へそ)の緒 »