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講習会おわりました

 今年の講習会は、安心論の信心編の3回目で、「信心正因」について。

 といっても、昼は子供を公園に連れて行ったり、町内会の役員改選の立ち会いがあったりで、食事と懇親会、そして、最終日の昼座しか出席できませんでした。

Img_2361 でも、雰囲気はだいたいわかりました。

 いつもは、盛り沢山で講義内容も、今年は少なめ。次回は、「二種深信」だけで、2日間講義が予定されています。

 人数も少なめだったこともあり、皆さんとの交流の時間がけっこうありました。全員が、一口ずつ自己紹介をし、質疑もかなり出ました。それぞれの心境や、もしくは理解に合わせて素朴なものから、深いものまでいろいろでした。また沖縄から初参加の父娘の二人も、とてもなじんでおられて、大感激で帰っていかれました。深いご因縁、華光との関わりがあったのですが、都合で詳しくは書けないのが残念。また機会がみてボチボチ。

 最後に、法然(一願建立)さまと、親鸞(五願開示)さまという法門の立て方の違い、念仏往生と、信心往生の違いについての質問がでました。ぼくも補足でお話したりしたので、短時間でも、「参加した」気持ちになりました。

 いま、ぼくたちが当たり前のようにしていることが、たとえば「乃至十念」が、「十声の念仏」-つまり、念仏が、憶念でも、観念でもなく、称名という声に称えることであり、それが念仏一行での救いになったり、ましてや、信心正因で「信心ひとつで救われる」、しかもその信心は「他力廻向」の信、なんていうことは、仏教の歴史からみると、まったくとんでもない話なわけですね。実は、長い長い仏教、浄土教の歴史の中で、お祖師方の命懸け(文字通り。権力や旧仏教からの弾圧があり、流罪や死罪もあるわけですから)の発揮が綿々と続いてきて、やっといま、ここに泥凡夫の私か救われていく道が、はっきりと示されてきた。それが、いま、ここに届いていることを、この機会にしみじみと味合わせてもらいました。

 その意味でも、いまは、自分の感覚や感じを大切にする時代だし、感傷的、感覚的なお勧めやお説教は聞き易いけれど、一方で、聖教を量りにして、そのために善知識や先達のお導きをいただくことが、肝要だとも思いましたね。講習会は、難しいので不参加と、決めておられる方もけっこうあるけれど、もしそうなら、ご参加いただいて、多角的にご聴聞いただきたいものです。

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