『それでもボクはやっていない』
昨年の日本映画の中、映画賞を総なめにした『それでもポクはやっていない』。あいからず周防監督の着想がいい。起訴された場合の裁判での有罪率99.9%という日本の刑 事裁判のあり方や、容疑者への待遇、そして痴漢やセクハラなどの物証に乏しく、被害者の供述をある種「是」として進められる取り調べなど、誰もがその立場におかれる可能性がありながら、それでいて普通の生活をしているかぎり、まったく無関心でおれる、刑事や司法の問題点を、丁寧に、面白く取り上げている。それ以上に、エンタテーメントとしても充分、楽しかった。今月始め、テレビでも放映されたので、ご覧になった方も多いだろう。
1年以上前の映画を、いまごろになって取り上げるのは、映画の問題点を地で行くような、痴漢でっちあげ事件が、先日起きたからだ。
たまたま、被害者を装ったカップル(被害者と目撃者)の証言があやふやで、食い違ったことから綻びがおこり、でっちあげが発覚したようだ。しかし、当初、警察側は、容疑者側の証言も聞かず、頭から犯人扱いしていたようだ。
もちろん、従来の女性側が泣き寝入りしたり、勇気をもって告発したばかりに、白眼視されることに比べると、かなりの前進である。卑劣な犯罪に対して、断固たる処置は必要だ。
しかしながら、どうしても物理的な証拠が少なく、今度は、一方的に被害者の言い分が通る上に、その言い分に基づいた、自白を強要される危険性はかなり高い。争うよりも、認めたほうがかなりの軽罰で終わるからだ。だから、今回のようなケースも起こってくるのではないだろうか。たとえ幸せな結婚生活を送っていても、男性側すべてに痴漢や性犯罪をおこすべき動機があるという前提だからね。
それに、飲酒運転にしてもそうだが、いったん世論の流れが決まり、厳罰化が加速されていくと、そこが錦の御旗となって、かなり一方的に加害側の容疑者が、社会からも裁かれていく。これまで、街頭で無実を晴らそうという演説に出くわしても、まずうさんくさい眼で見てきた。小さな事件(もしかすると大きな事件でも)は、警察の一方的な発表がマスコミから画一的に報道されている可能性も高いが、それでも、新聞やTVで報道されたことは、真実だと疑問もなく信じてしまうから、ますます厄介だ。
さらに、自白偏重、自白の強要を改めると共に、密室での取り調べを可視化すべきだという議論も起こっている。これには、まだまだいろいろな意味で抵抗もあろうし、逆に可視化を権力がうまく利用する恐れもたぶんにあるが、早急に改善されるべき問題ではないだろうか。
まもなく、一定の重大犯罪に関しては陪審員制度が導入されるが、充分な周知、浸透しているとは言い難い。死刑廃止の議論にしても、まったく不十分。ぼくたちが、関心をもっていかなければならない、実に重大な問題点が横たわっているのに、門外漢には難しい問題で、どこかで人ごと、別世界の問題になってはいないか。ほんとうは、みんなが積極的に関心を持たない限り変わることがないのである。
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