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臍(へそ)の緒

 伝道研究会。羽栗行道師の「心身の革命」を輪読している。

 親のご恩徳について、俳聖、芭蕉が登場してくる。紀行文『笈(おい)の小文』からの引用のようだ。芭蕉が、故郷、伊賀上野に9年ぶりの帰省する。これは、前年に亡くなった母の法事もかねた帰郷だったそうで、芭蕉41歳。「すでに老にさしかかり」と、ある解説にあった。そうか、40は不惑、当時はもう老境の入り口だったのか。その時の詠んだ句がこれである。

 「故郷や 臍の緒に泣く 年の暮れ」

 そして、高野山で詠まれたものが、行基菩薩の、「山鳥のほろほろとなく声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」の有名な句を踏まえたものであろう。

 「父母(ちちはは)の しきりに恋し 雉(きじ)の声」

 ぼくも、小さな桐の箱に収まった「へその緒」をみたことはあるが、こんなにも情緒的に、親のご恩徳など感じることは微塵もできなかった。さすが、俳聖、とてつもない感受性なのだろう。

 でも、そんなぼくでも、わが子が生まれた時は別だった。2人の子供とも、へその緒を切らせてもらった。下の子の時は、長女と一緒に切るつもりだったが、3歳だった彼女は怖くなったのか、結局、ぼく一人で切った。青白く光り、すごく弾力があり、強く切った感触が、これを書きながら蘇ってくる。後産では、胎盤も、炙(あぶ)ってもらって、ほんの形だけだが、夫婦で食べた。

 陸上哺乳動物の母親は、自ら臍帯を噛み切り、胎盤を食べてしまう本能があるのだそうだ。一生涯、草しか食べない草食動物も、このときだけは別だ。(『子宮の中のエイリアン』より)。

 子宮は胎児を育てる場所だか、実は、母体は胎盤などを作ってくれない。胎児は自分が育つために必要な環境を、自分で作っていくのである。つまり、母体からの栄養や酸素を受け取り、老廃物を母体へ返す、物質交換の場である胎盤。胎盤から胎児へ酸素や栄養の輸送を行う臍帯(へその緒)。そして、胎児の発育するスペースを確保するたその羊水。そして、もらろん、直接、子宮に宿るのではなく、卵膜に包まれて護らるのである。このどれもが、最初は一つの受精卵から、細胞分裂を繰り返して出来あがってくるものである。

 受精卵が、子宮内膜に着床すると子宮内膜に根を下ろし始め、すぐに母体から栄養を得ようする。まず、母の栄養を奪うのである。ここから、すでに母と子の利害の対立が始まる。子供は、他の誰のためでもなく、自分自身のために発達をとげようとするのである。その間、母親は、自分の摂取した栄養分、呼吸した酸素を、どんどん大きくなっていく胎児に、常に分け与え続けなばならないのだ。栄養が足りなければ、母親の体を損なってでも、胎児の要求がまず満たされていく。たとえば、カルシウム摂取量が不足してくれば、母親の歯や骨からカルシウムが溶けだすことで、胎児の不足分を補っていくのである。

 つまり、ぼくたちは、その出発から、まず自らの身を護ることから始めて、そして母親の都合などお構いなしで、母親から奪うことで成長を遂げていくというのである。

 それは、この世に生を受けてからも同じだ。親のいのちを奪い、他のいのちを奪って、当然だ、当たり前だと大きな顔をしているのが、いま、ここにいるぼくなのである。

 「幸福ということは、親二人のことを思うことです。これを忘れては真の幸福はありません。私達が一生かかって取り入れたものは、決して真の幸福をもたらすものではありません。獲た時は、ちょっとうれしいが、すぐにそのものに依ってまた苦しまねばならぬものばかりであります。真の幸福を与えてくるのもは、私たちの知らぬ間に、自覚のない間に来ているものです。(略) 親の恩がそれです。私のこの身体が全部、親の恩の塊であります。座作進退(ざさしんたい)ことごとく親の恩で可能なのであります。」(『心身の革命』より) 

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