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2008年3月の31件の記事

華光誌完成しました

 華光誌が、やっと完成してきました。
 
ムラ君が頑張って、版下作成してくれました。最初、データーでのやりとりは出来ないとのことで、早めに版下を印刷して渡せました。ところが、写真や網かけの部分があって、アナログ処理できないので、やはりデーターで渡すことになり、少し作業をし直し。華光会館の方が最新バージョンなので、変換で少しトラベルがあったりで(印刷所の問題ですが)発送予定のギリギリになってしまいました。でも、どうやら無事に完成。最初にしては、とてもよく出来ているんじゃないでしょうか。カットや写真もこちらで取り込んだけれど、それなりに写っていて一安心。変換の過程で、予定外の文字バケなどかがないといいのですが…。こちらではチャックできていないので、そこではほんの少しだけ不安かなー。
 表紙は、この1年間だけは、このデザインで。春らいし色になっています。
 
発送は明日の午後からです。2日以降、随時お手許に届きます。
 今は、仏の子供大会の法話集の作業中。ノビノビになっていた序文が、やっとこそ、昨晩、書けきました。思い入れが深い分、あれもこれもで、難しいですわ。しかも本文に比べImg_2433_2 ると堅すぎるけれど、ここは大人向けということで…。これで一応、出揃ったので、あとは校正ですね。これも、ムラ君に版下作ってもらいました。
 今日で今年度は終了。ちょっと肌寒い1日でしたが、西本願寺前の門前町に、きれいなチュウーリップが咲いていたので、一枚。
 明日は、いよいよ、4月1日。
 さて、何が飛び出すでしょうかね。お楽しみに! 

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バースディー・ケーキ

Img_2430_2  カンロのお誕生日会。ささやかですが、お祝いしました。手作りのケーキを造り、子供たちが飾りつけしました。3段重ねで、なかなか豪華ですね。マシュマロでも飾りつけ。8歳になりました。「エイト」のロウソク。

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京都国立博物館

 ちょっと肌寒い1日。でも、春の空気を感じることができた。

Img_2382_2 今朝は、個人カウンセリングを1件こなし、お昼からは仏教青年会の例会。連れ合いが出席する間、今日が8歳の誕生日の子供たち連れて、遅めの昼食をすませてから出かけることにした。

  講習会の時に行った、「公園Img_2389がいい」と子供たちは言ったが、目的地は、東山七条の京都国立博物館最近でこそ、九州にも出来たが、これまでは、東京、京都、そして奈良の3ケ所にしかない国立の博物館だ。いつも特別展の時しかこない。そのついでに常設展も見るが、だいたい前半で力を使い果たして、サアーと流してしまうだけだ。

Img_2397 4歳の子には退屈だろうが、上の子はこんなところが好きそうだ。会館からざっと3キロほど、道さえすいていると10分もかからない。ガラガラ。駐車場も無料。小学生も無料。それどころか、ひとりでも小学生の子供を引率していると、大人にも割引が適用されて、入館料は400円也と、太っ腹。

 博物館のImg_2401所蔵物だけならそうでもないのだろうが、さすが京都である。重文、国宝の仏像や絵巻が、各寺院から多く寄託されて、けっこう、仏像や絵画の展示も変わる。なんといっても、ガンダーラ、インド、そして中国や朝鮮、さらに日本でも、平安、鎌倉など地域や時代を体系的に見られるのが、博物館ならではで、おもしろい。金戒光明寺の「文殊菩薩騎獅像」が、大きくて子供たちも関心(半分、獅子がこわかった)をもっていた。文殊さんが持っている剣は、衆生の無明の闇を切り裂く利剣だろうなー(写真は取れないので、まったく違います。これは外の石仏たち)

Img_2398  やはり下の子は、大きな仏像と、薄暗い雰囲気を怖がった。確かに、四天王や不動明王は恐ろしい顔している。観音さんだって、手や顔がたくさんあって、かなり異形のものもある。それでも、「念珠を忘 れた」と言っていたが、すぐに、「ここから出よう」ということになった。もちろん、仏像・仏画だけではない。縄文や弥生の土器や、着物や磁器などの工芸品もあるのだが、Img_2408薄暗い雰囲気がいやたったようだ。3月なので、雛人形の展示があって、そこだけは喜んでいた。

 結局、外にある噴水とコイに大はしゃぎ。おかげで、二つある小さな庭を散策することができた。石仏や草花、おImg_2420茶室などがあって、楽しそうだった。実は、ぼくも知らなかった。

 見た目だけがきれいなカフェ(中身はがっかり)でお茶を飲み、近辺を少しだけ散策した。すぐ向かえが三十三間堂(これはもっと不気味だろうとパス)と、親鸞様の旧跡の碑。親鸞聖人の身代わりのImg_2407_2そば食い像がある。ところが、「開運・厄徐」の旗が揺れている。天台宗のお寺なら当たり前なのだろうが、どうも、真宗者にとっては嫌悪感がある。同じ仏教、いやそれどころか、日本仏教の母体であるのに、世俗と、出世間ほどの違いを感じてしまうな ー。

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 3時間足らずの小さな旅でした。
 (けっこう石仏あったけど、なんでここも、ロダンなんやろう。洗浄されて、きれいになっていました。すごく考えてますね。)

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『こころの整理学』(余談編)

 『こころの整理学』のことを書いて、思い出した余談を一つ、二つ。

 以前、真宗カウンセリング研究会の40周年を企画したとき、信楽峻麿先生と、増井武士先生の対談を計画した。われながら、すぐ声をかけられる身近な(そういう意味で)安易な人選だなーと思いながらも、なかなかこの組み合わせはユニークだとも思った。仏教(真宗)界の大御所と、独自の心理療法で高い評価を受けている両先生だが、「こころ」を扱うといっても、まったく異なる分野で活躍されているのだ。それでも、真宗にも、カウンセリングにもなにかしらのかかわりをもっておられるので、まったく接点がないわけでもない。それに第一、「いま、こころの悩みにどう応えるのか」というテーマに、ピッタリの人選ではないかと、けっこう納得しました。

 ところが、講演依頼をすると、「一方的な講演ならお断り」とのこと。決められた型通りの一方通行の話など、カウンセリング的でなくつまらないと言われるのである。ああ、この人らしいなーとも思った。それで、講演ではなく、両者が出会うことで生まれる何かを、その場を共有するわれわれも共々に味わえるように、対談を中心に、その後、両者の接点でもある西光義敞先生が加わり、鼎談ふうにフロアーとのやりとりと決めた。おかげで、150名もの講演会でこんな雰囲気になるのは稀だというダイナミックな集いになって、感銘深かった。

 もう一つ余談。その前だったけれど、「お忙しいそうですね」と声をかけると、「いやいや、忙しそうなフリしてるだけなんや」と笑われた。そんなことはないのだろうけれど、いろいろな依頼や雑用で、自分の大切な人生、時間なんかすぐに無くなってしまうもの。その意味では、忙しそうなフリは大事なことだと、いまでは、ぼくもそれを見習うことにしている(ここだけの話やけどね)。

 笑い話のようだけれども、でも、これはかなり大切なことだと思うなー。日本人は、どこかで「忙しい」ことが、自慢というか、ステイタスにするような傾向もある。でも、「心」を「亡くした」状態で、物事にじっくり取り組むことなんか出来ないわけですからね。きっと、どんなに用事があっても、常に、いま、ここでのやるべきことに集中しているのなら、たぶん「忙しい」とは言わないでしょう。たいていは、浮足だって、イライラして、余裕がない状態で、自分を見失う、文字通り亡くしているんじゃないかな。そんな時にには、きっと、聞法なんかも、二の次、三の次ぎになってしまうもうわね。それじゃ、「あんた、誰の人生を生きとるねん」ということになりかねない。

 これに関連して、いろいろと書きたいこと出てきたけれど、今夜はこのあたりで。おやすみなさい。

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『こころの整理学』~自分で出来るこころの手当て~

 増井武士著『迷う心の整理学』(講談社現代新書)を、皆さんにお勧めしていたら、「手Bn590 に入らない」と言われた。品切れだった。それが、別の出版社から、増補版として出ていたのが、『こころの整理学』~自分で出来るこころの手当て~(星和書店)。前半の理論編のところは、前のものとだいたい同じように思えたが(貸し出し中で照査したわけではないが)、後半のワークや事例が増えて、わかりやすくなっていた。特に、ワークの実例に関しては、まどろっこしいほど何度も注意点が繰り返しまとめ書かれている。この「何度も」箇条書きにされているところにも、今日の日本の心理的雰囲気への配慮を感じた。彼の論文や専門書は、かなり難解な代物。でも、この本はとても読み易く、実践しやすい。

 亡くなった河合隼雄先生の評文が出ている。一度、父が、このラインを通じて、河合氏に『仏敵』を渡そうとしたが、残念ながら実現することはなくなった。これは余談。武士さんは、本家のジェンドリンに対してもハッキリ批判する点は批判されるが、河合先生をして、

「なんでも欧米の真似ばかりしたがる日本の学者の中で、自分のアイデアを生かして新しい方法を見いだしたのは大したものと思う。そして、この増井の方法は簡単そうに見えて『人間理解』の本質に深くかかわっているものだと思う」

と述べている。

 簡単な理論を要約してみると、

 人は心の問題や悩みが起こった時に、「なぜ、なぜ」と考えていく。そのために、1)心の問題には原因があり、それを発見すると問題解決に役立つという、因果関係モデルに頼る。それが一見、自然科学的な整合性のある理論だと思うからである。しかし、このことが、実は自分の性格を責め、自分の過去を責め、時に、他人のせいにして、結局、問題を硬直せていく有害なものになりかねないのだという。

 または、2)心の問題に対して、どういう意味があるのか、意味をあれこれ計らう立場もある。しかし、その意味と実際にもがき苦しんでいる体験的事実の実感とは隔たりがあったり、治療者をして、目の前の悩むその人ではなく、理論や意味が優先される傾向にもある。

 それに対して本書の立場は、「心の問題の問題たるゆえんは、その問題とそれに悩む人の関係のあり方によるものである」という、「関係モデル」ないし「体験モデル」というもの。つまり、心の問題は、いくら原因を探求しても、また意味を考えても、死ぬまず起こりつづける。まさに、「臨終の一念にいたるまで、とどまらず、きえず、絶えず」ですわ。でも、悩みは尽きなくても、本人との関係のあり方は、随分と変えることは出来る。つまり、心の問題との「間」が適当に取れて来ると、問題に振り回されなく、適当な距離が保てる。そうすると、自分自身の「自体感」が回復し、「問題」ではなく、「問題に苦しんでいる自分自身」をいとおしみ大切にしようという自己感覚が賦活(簡単にいうイキイキ感ね)する。

 その背景には、心も身体もモノではなく、一定のエネルギーをもって常に行き場求める生命体であり、また自然の一部として尊重していく。(いまは、考えや観念や思想などの人工的な産物に、あまりにも振り回され、しっぺが返しを受けている状態なんですね)。そして、常に「いま、ここにいる、自分」を大切にしていく…というのが感じでしょうか。かなり下手な要約ですわ。

 まあ、あれこれ理屈や頭をグルグルと働かせて、「なぜ?」と、非生産的な原因探しや犯人探しに終始し、常に自分や他人を責めたり、変わらない自分に焦ったり、疲労感に襲われるばかり。そうではなく、「触れないでそっと置いておく」ことで、心のままに、身体のままに、その問題が、問題のほうから動き、収まるべきところに自然と収まっていく。そのためのスペース作り、間作りのあれこれが、具体的に示されていると思います。

 私たちの悩みや心の問題というのは多分に空想的なものなので、だから空想には空想で対処したほうがよいとい一文に、「そうか!」と思いましたね。これだけでも、随分、楽になる感じしませんか?

   ちょっとエピソードを書きかけたけれど、長くなるので、項を改めることにした。

 まあ、詳しくは、本書を読んでくださいな。

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『俺たちフィギュアスケーター』

『俺たちフィギュアスケーター』(原題「BLADES OF GLORY」)

Img_2370   いや、これはいいぞ 。 フィギュアスケートのペア(もちろん普通は男女のペア)に、男子フィギュアのペアが参戦するという、もうこれだけで笑える企画の勝利。抱腹絶倒とは少し大げさすぎるけれど、かなり大笑いした。下ネタ満載、おバカ連発。それでいて、案外、こちらの世界に留まっているので(あまり飛び過ぎると、さむくて笑えん場合もあるからね)、楽しくついていける。

 美しくないのになぜか超アイドル(髪型まで大流行)のジミーは、スケートの力で成り上がり、大富豪の養子として華麗な生き方をしている。一方、対象的なワイルド系(というより、デブ系?)で、セックス依存症のチャズ。常に優勝を争うライバルにして、性格も真反対の犬猿の仲の二人。同じアメリカを代表しながら、国際大会(冬季オリンピックのパロディー)で、同点優勝した。それが、表彰台で大喧嘩の大騒動となり、男子フィギア界から永久追放というし厳しい処置を受ける。その後、スケート界の場末でほそぼそと転落の日々を送る二人だが、ふとしたことから、規則の盲点をつき前代未聞の男子ペアとして復帰することになる……。

 企画のバカさもそうだが、衣装のセンス、音楽、ダンス、そしてなにより男子が男子と組むことで起こるチン技の数々に、北朝鮮がらみの必殺技と、笑いどころが満載。

  それにしても、 こんなバカ映画に、サーシャ・コーエンやナンシー・ケリガン(例の襲撃事件の被害者ね。懐かしい。さて、そのときのライバルの名前、皆さん覚えてますか? 月日の立つのは早いなー)などの新旧フィギャー・スケーター(メダリスト)の大物が実名で出演し、時にバカ演技をするところに、アメリカの懐の深さをみた。日本だったら、まず無視されるか、逆に訴えられかねないわなー。

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同窓会でした

  今日は、信楽ゼミの同窓会ありました。

 毎年ではなく、2年に1度。前回は、先生の80歳と、「教行証文類講義」の全9巻、完成記念を兼ねたパーティーだったので、140、50名ほどの参加がありましたが、今回は、普通のゼミの同窓会。あわせて著作集(全10巻)のうち、「歎異抄」刊行記念。上下2冊で、18,000円也の代物。

Img_2371  大宮学舎の講堂で、「現代真宗倫理私解」と題する、記念講義を拝聴。つい先日、挙式があった会場です。昨年、本願寺教団は宗制を変更し、伝統的な真俗二諦論を否定したけれども、その根拠になっている覚如、存如、蓮如教学は温存している。また、伝統的倫理規範が、ことごとく崩Img_2373壊し、価値観の多様化、複雑化が進む中で、歴史や思想的流れを踏まえることなくして、新しい真宗の生活規範を確立することはできない。そんな状況で、教団、教学としてどんな責任があるのか、また現代の念仏者はどう信心に生きるのか。

 親鸞さまは、一切の原理倫理、規範を語ってはおられない。ただ、「信心のしるし(徴)」に生きることと、「世のいのり」に生きることの二点がある。

 信心のしるしとは、1)まず世を厭う「しるし」があり、それは念仏、信心に基づいた世俗的価値の相対化であり、2)次ぎに往生を願う「しるし」があり、それは念仏に基づく生活、神祇や呪術、世俗的信仰の否定をして、成仏を目標とした生き方をめざすことだと。

 さらに、世のいのりとは、阿弥陀仏の誓願を自分のいのりとして生きること-つまりは、願作仏心で、自己成就(自利)として、仏になるべき身となることと、度衆生心で、他者作仏(利他)で、浄土が映現する社会の実現をめざしていく。

 親鸞さまの思想の深さは、歴史的に相対化されるようなものではない。ただ歴史的制約がないが、具体的に語らない分、個々の念仏者が、自立(自利)と、連帯(利他)に生きることが求められていく。その念仏者の理想は高く、ひとりひとりが、自ら立ち、自らの信心の「しるし」を現す形で、「世の中安穏あれ、仏法ひろまれ」と、身を粉にし、骨を砕いてもご恩報謝する生き方をめざすべきだというようなお話だったような気がします。(たぶん、だいだい)

 あとは、ホテルに移って、パーティーがありました。まったく油断して飲んでいたら、急に、華光会、増井悟朗云々との紹介で指名されました。しかたないので華光会のことコマーシャルしておきました。たぶん2ちゃんねるだったと思うけれど、「S会は蓮如右派。華光会は蓮如左派」ということで、そう紹介しておきました。わかったような、わからんような…。酔っていたので何を話したやら…。

 こういう場に出席すると、本願寺教団のなかでは、完全にぼくは部外者ですね。このゼミの人達は、教団の中では反骨精神のある方が多い(そう親鸞左派やね)、いつのまにか大学教授になり、宗会議員になり、教団の要職につき、そして大寺院の住職に収まっておられて、それなに、教団内で地位を確立されていますね。その意味では、完全にぼくはここでも異端やなー。

 でも、その方が断然面白い。やりたいことありますから、まあこれから面白くなりますよ。

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決算書がスラスラわかる?

 講習会が終わった、翌朝、午前中の三時間を使って、華光の会計状況について、会計士のYさんから説明を受けました。実は、毎月、行事に合わせて上京されていて、その前後に状況説明を受けることになっています。きっちりと、経営実績の報告書を持参してくださって、華光の財務体質や問題点も教えてもらっています。次回は、「真宗法座の集い」の前日になりますね。

 半期の経営計画総括表として、要約した損益(PL)と、貸借対照表(BS)と、キャッシュフロー(間接法)を示して、説明てしもらいました。いままでの先生のやり方よりも、新しいようですね。それしても、この巡り合わせの妙。ほんとうに有り難いことです。確かに、華光会の伝道事業と、利潤追求の経営計画とは、必ずしも一致しないけれど、組織である以上、この世のなか制約を受けるわけですから、責任をもつことも必要になってきます。

 たまたま昨夏に、本屋で『財務三表一体理解法』(朝日新書)を購入していたのだけれど、いまになって繙いています。これがけっこう役に立ちそう。「決算書がスラスラわかる」といのうタイトルだけれど、残念ながらそうスラスラはわからないですが…。でも、これまでの経験でもわかるけれど、最初はちんぷんかんぷんだのたことが、うすボンヤリ分かってきて、それがだんだんクッキリ分かってくれるでしょうから、今回も、じっくり関わっていきましょう。それに、必要に迫られると、人間、案外出来るもんですよ。

 この世のなかのことは、いろいろたいへんですわー

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講習会おわりました

 今年の講習会は、安心論の信心編の3回目で、「信心正因」について。

 といっても、昼は子供を公園に連れて行ったり、町内会の役員改選の立ち会いがあったりで、食事と懇親会、そして、最終日の昼座しか出席できませんでした。

Img_2361 でも、雰囲気はだいたいわかりました。

 いつもは、盛り沢山で講義内容も、今年は少なめ。次回は、「二種深信」だけで、2日間講義が予定されています。

 人数も少なめだったこともあり、皆さんとの交流の時間がけっこうありました。全員が、一口ずつ自己紹介をし、質疑もかなり出ました。それぞれの心境や、もしくは理解に合わせて素朴なものから、深いものまでいろいろでした。また沖縄から初参加の父娘の二人も、とてもなじんでおられて、大感激で帰っていかれました。深いご因縁、華光との関わりがあったのですが、都合で詳しくは書けないのが残念。また機会がみてボチボチ。

 最後に、法然(一願建立)さまと、親鸞(五願開示)さまという法門の立て方の違い、念仏往生と、信心往生の違いについての質問がでました。ぼくも補足でお話したりしたので、短時間でも、「参加した」気持ちになりました。

 いま、ぼくたちが当たり前のようにしていることが、たとえば「乃至十念」が、「十声の念仏」-つまり、念仏が、憶念でも、観念でもなく、称名という声に称えることであり、それが念仏一行での救いになったり、ましてや、信心正因で「信心ひとつで救われる」、しかもその信心は「他力廻向」の信、なんていうことは、仏教の歴史からみると、まったくとんでもない話なわけですね。実は、長い長い仏教、浄土教の歴史の中で、お祖師方の命懸け(文字通り。権力や旧仏教からの弾圧があり、流罪や死罪もあるわけですから)の発揮が綿々と続いてきて、やっといま、ここに泥凡夫の私か救われていく道が、はっきりと示されてきた。それが、いま、ここに届いていることを、この機会にしみじみと味合わせてもらいました。

 その意味でも、いまは、自分の感覚や感じを大切にする時代だし、感傷的、感覚的なお勧めやお説教は聞き易いけれど、一方で、聖教を量りにして、そのために善知識や先達のお導きをいただくことが、肝要だとも思いましたね。講習会は、難しいので不参加と、決めておられる方もけっこうあるけれど、もしそうなら、ご参加いただいて、多角的にご聴聞いただきたいものです。

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『それでもボクはやっていない』

 昨年の日本映画の中、映画賞を総なめにした『それでもポクはやっていない』。あいからず周防監督の着想がいい。起訴された場合の裁判での有罪率99.9%という日本の刑Img_2367_2 事裁判のあり方や、容疑者への待遇、そして痴漢やセクハラなどの物証に乏しく、被害者の供述をある種「是」として進められる取り調べなど、誰もがその立場におかれる可能性がありながら、それでいて普通の生活をしているかぎり、まったく無関心でおれる、刑事や司法の問題点を、丁寧に、面白く取り上げている。それ以上に、エンタテーメントとしても充分、楽しかった。今月始め、テレビでも放映されたので、ご覧になった方も多いだろう。

 1年以上前の映画を、いまごろになって取り上げるのは、映画の問題点を地で行くような、痴漢でっちあげ事件が、先日起きたからだ。

 たまたま、被害者を装ったカップル(被害者と目撃者)の証言があやふやで、食い違ったことから綻びがおこり、でっちあげが発覚したようだ。しかし、当初、警察側は、容疑者側の証言も聞かず、頭から犯人扱いしていたようだ。

 もちろん、従来の女性側が泣き寝入りしたり、勇気をもって告発したばかりに、白眼視されることに比べると、かなりの前進である。卑劣な犯罪に対して、断固たる処置は必要だ。

 しかしながら、どうしても物理的な証拠が少なく、今度は、一方的に被害者の言い分が通る上に、その言い分に基づいた、自白を強要される危険性はかなり高い。争うよりも、認めたほうがかなりの軽罰で終わるからだ。だから、今回のようなケースも起こってくるのではないだろうか。たとえ幸せな結婚生活を送っていても、男性側すべてに痴漢や性犯罪をおこすべき動機があるという前提だからね。

 それに、飲酒運転にしてもそうだが、いったん世論の流れが決まり、厳罰化が加速されていくと、そこが錦の御旗となって、かなり一方的に加害側の容疑者が、社会からも裁かれていく。これまで、街頭で無実を晴らそうという演説に出くわしても、まずうさんくさい眼で見てきた。小さな事件(もしかすると大きな事件でも)は、警察の一方的な発表がマスコミから画一的に報道されている可能性も高いが、それでも、新聞やTVで報道されたことは、真実だと疑問もなく信じてしまうから、ますます厄介だ。

 さらに、自白偏重、自白の強要を改めると共に、密室での取り調べを可視化すべきだという議論も起こっている。これには、まだまだいろいろな意味で抵抗もあろうし、逆に可視化を権力がうまく利用する恐れもたぶんにあるが、早急に改善されるべき問題ではないだろうか。

 まもなく、一定の重大犯罪に関しては陪審員制度が導入されるが、充分な周知、浸透しているとは言い難い。死刑廃止の議論にしても、まったく不十分。ぼくたちが、関心をもっていかなければならない、実に重大な問題点が横たわっているのに、門外漢には難しい問題で、どこかで人ごと、別世界の問題になってはいないか。ほんとうは、みんなが積極的に関心を持たない限り変わることがないのである。

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これから講習会

  これから、講習会です。
 安心編の「信心論」にはいって二回目。前回が、三心一心(信心の相状)、今回は、「信心正因」(信心の力要)というとこ
ろです。実は、もう1回あって、来年は、「二種深信」(信心の体験告白=心相ですね)と続きます。
 「信心」「正因」とは? ここだけに焦点を絞り、いろいろな角度から、この2日間でお聞かせあずかります。他力廻向の信心、さらには「救われるとは」どういうことかなのか。

 真宗の信心の最重要な核心のところです。

 ご参加される方は、お楽しみに。

 申込みのない方でも、また明日だけの参加でもOKですので、ぜひ、どうぞ。

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『ONCE~ダブリンの街角で』

Once_01 『ONCE~ダブリンの街角で~』 まるで音楽ドキュメントのような、とても自然で、リアリティーのある、温かいアイルランドの小作。

 日本で公開されるアイルランドの映画は、反英闘争、IRA、移民(彼らが)をテーマにしてた社会情勢と絡まったものが多い。ちょっと時代が変わったのは、移民を輸出していたアイルランドも、東欧やアジアから移民を輸入される国になったことであろう。

 ボロボロのギターを片手に、ダブリンの街頭に歌う、売れないストリート・ミュージャン。けっして若くない。本業は、年老いた父親の小さな電気修理(掃除機専門)の手伝いで、糊口を凌いでいる。彼の前に、チェコから来た出稼ぎ労働者の若い女性が立ち止まる。本国ではピアニストだったという。

 実は、お互いパートナーのことで、悩み、傷を抱えている。彼女の家に遊びにいく。子供がおり、母がおり、同郷の朋友たちがいる。チェコに夫がいる。

 ふたりが出会ったことで、芽生えるほのかな思い。と同時に、停滞していた何かが動きだしていく。女性にリードされながら、メジャーデビューという夢を実現させようとする男。

 彼と出会ったことで、離ればなれの夫との生活を見直そうとする彼女。

 そして、また偶然出会ったバンド仲間もいい奴ばかり。なにより、男の夢を静かに後押しする、年老いた父親がいい。

 セリフはすくないけれど、アイルランドの風景と、ロマンティックで、切ない音楽が、そのまま映画のストーリーなのである。 最後のエンディングロールを見て、この二人に役名がないことに初めて気づいた。「あれ?」という感じ。「Guy」と「Girl」とだけ書かれていたけれど、そのことが、余計、ドラマを自然なものしているのかもしれない。それは、実際の二人を(売れないどころか、彼はアイルランドでは有名なバンドのリーダー、彼女はチェコのミージシャンで、ブラハで意気投合)、ある種、投影した役柄だからなのかもしれない。

 少し切ないけれど、後味のいい映画です。

 映画館を出たその足でCDショップで、サントラを買ったのはいうまでもない。アコーステックな、やさしい響きがかなりお気に入り。

 「沈みそうな舟で家をめざそう
 まだ時間はあるから
 希望の声をあげろ、自分の選んだ道だ
 きっと君はたどり着ける

 ゆっくりと歌おう君のメロディーを
 ぼくもいっしょに歌うから」
 (Falling Slowlyより)

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もう竹の子ですか

Img_2341 朝、ちょっと町に出た。今日は少し肌寒い。八百屋(有名)の一角に、「竹の子」が売られていた。季節を先取りしているのだろうが、もうこんな季節になったということか。高級料亭用なのだろう。かなりの値がするものばかりだ。

 今日は、講習会の準備のために、京都支部の有志のそうじ。京都近郊の仏青会員が減って、このところ人数も少なめ。ご苦労さまでした。

 そうじが終わったころに、高山から珍しい方が急にお参りくださった。1月に父親を事故で失くされた娘さん。といっても、もうお子供さんもおられる。3月はじめ、お悔やみにお参りさせてもらったばかりで、その御礼も兼ねてのことだった。初めての華光会館だそうで、一緒に勤行し、少しの間でも、お話を窺えてよかった。それにしても、この世の中では、いくつになっても、「親」の存在は大きいと改めて思わされる。それでいて、元気な時はそれがわからない。いくらそう聞かされて、大恩があると言われても、別の感情が動く。それが、別れてから、親不孝の自分に気がつくのだ。どうも、これが悲しい人間の姿のようだなー。

 さて、土曜日からは講習会。ボチボチ増えたけれど少なめ。講義だけなら、飛び込みでもいいので、皆さんも、ぜひどうぞ。

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研究会でしたが…

 夜は、今年度最後の真宗カウンセリング研究会の月例会。雨が強く降っていたが、重い荷物を抱えて龍谷大の深草学舎へ。開始前に、来年度のパンフレットの発送作業を行なった。

 肝心の月例会は3名だけ。毎年、4、5月は多いのに、だんだんと人数が少なくなって、特に12月以降は激減する。冬の夜はおっくうになるものね。でも、ぼくにとっては貴重な機会。今年は、地方法座が重なった時に、1度休んだだけだ。

Img_2343_2  「いかにして援助的関係をつくるのか」の第2章。(今日のところのタイトルもその題)。単に、カウンセリング場面だけでなく、人間対人間の関係が存在するあらゆる領域において、人間の可能性を発展させ、適応を増進させていくための、援助的な対人関係をいかにつくるのか。そのカギになる条件を豊富な臨床経験と、当時(60年初頭)の客観的研究をもとに、平易な、わりと読みやすい文章で論述されている。読みやすいだけに、一人で読んでいると、サラッと読み流しいるところでも、先生方と丁寧に読んでいくと、意味がわからないところや、ひっかかたり、深く味わったりと、たとえその場だけであっても改めて教えられることが多かった。とても面白かったので、来年も、この続き(第3章)を読み進めることにした。

 帰宅してみると、食卓が散乱したままで、誰もいない。「?」は思っていると、長女が書いたメモあり。「おうとさん、おかえりなさい。夜ごはんです。わたしが、ぜんぶつくりました。おかあさんはおねつです。かわいそうに……。ということで、わたしがつくまりした」。なんか、子供の成長にびっくりさせられるなー。もっとも、今夜はお惣菜が買ってあったので、盛っただけだろうが、それでも、このメモひとつでも心強いー。大急ぎで夕食をすませた。まだ、下のことは体がかゆいので、夜中に目を覚ませたら夜泣きする。いつも、連れ合いが寝てくれている。今夜は別にしたほうがいいだろう。すぐ、道場に布団をひいて、子供たちを一緒に寝ることにしたので、かなり早めに床に就いたが、かなり眠い。

 朝になると、熱も下がってすっかり元気になっていた。保育園の母親の集まりに出かけて入った。早めに用心がよかったのだろう。

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親鸞樣、道元樣の遷化の地

 すっかり、春の陽気。昨日が、春の彼岸の入れとはいえ、かなり温かい。

 午後から、映画を1本。四条烏丸の京都シネマへ。これだけ天気がいいと、自転車にのるのも気分がウキウキする。今日観たのは、『ダージリン急行』、インド気分が盛り上がるなー。

Img_2334  ちょっと雨になりかけたが、帰路、道元さんと、親鸞さんの遷化の地を写真に収めた。ご承知のとおり、京都は街中は碁盤の目になっている。(正確には、応仁の乱で焼失した地区の中心に、短冊型の地割にもなっている。いわゆる天正の町割で、東西の短い長方形だ)。十条油ノ小路から、北へ自転車を漕ぎながら、信号にひっかかると、東に走しり、また北へ進む。いつも同じ道とはかぎらないので、どちらかの前を通ることもあるが、まったく素通りの時も多い。だから、山折哲雄先生の本(『親鸞をよむ』)を読まなかったら、両者の位置を意識したことはなかった。

Img_2335 まずは、「高辻通り西洞院通り西入る」の道元禅師、示寂の聖地。道元さんは最晩年、体調をくずされ京都の俗弟子覚念の私宅で療養され、建長5年(1253年)Img_2333 8月28日に、54歳で遷化されている。

それにしても、大宗派の高僧の寂滅の地にしては、驚くほど簡素である。この標柱も昭和55年に記念して建てられたもので、バックもトタン家屋である。(『道元禅師示滅聖地』とある)

Img_2339  そして、その高辻通りから、松原通りへと、一筋だけ下ったところに、親鸞さんの遷化の碑がある。自転車なら1分もかからない。

 いまの五条通より二筋北、松原通りがかっての五条大路であった。いまは、松原京極と名付けられたごくごく普通の商店街。「義経、弁慶ゆかり」と名付けているところに、そのおもかげが窺える。「松原通り西洞院通り東入る薮下町」Img_2338 の光円寺門前。この地で、親鸞さまが亡くなったのは、1262年11月28日(新暦なら、1263年1月16日)、90歳のことである。

 そうすると、皆さんの中には、「ちょっと待ってよ」と思われる方がおられるかもしれない。いや、そう思ってほしい。華光の聞法旅行訪れる、山ノ内の「角坊(すみのぼう)別院」が終焉の地はないのかと。そう、実は、これも東西で、意見が分かれているのである。しかも、すこし複雑なところは、西は「角坊」説だが、東にも、もう一カ所、御池通柳番場角の柳地中学校の一角にひっそりと「遷化の旧跡」(善法院跡)が建っている。連れ合いが出産した病院に近く、出産の前日にもこの前を散歩して、お参りした。何度か探さねばならないほど、ほんとうにひっそりと建っている。

Img_2337 つまりは、親鸞様の遷化の地が、京都には有力なところだけでも3ケ所もあるのだ。もっとも、光円寺によれば、この地で入滅され、後に遺体が善法院に移されたということらしい。(『親鸞聖人御入滅之地』と刻まれている。昨日通りかかった時には、この前が古紙回収の集積地になっていて、ダンポールで少し隠れていた。トホホホ)。また、光円院の地は、「御伝鈔」にある常陸国平太郎が熊野詣の可否を聖人に尋ねるために訪れた場所だとも言い伝えられている。

 真相はともかく、場所もほんの目と鼻の先、年数にしてもほぼ同時期に、世界で通用する日本の二大宗教家にして、思想家が、同じ地で亡くなっている。つまりは、同時期、たとえ重なり合わなくても、そう遠くない時期に、両者はこのあたりに生きてられたのである。

 ほんの一瞬だが、800年間の鎌倉時代のお祖師方の息吹が、身近に感じられた。

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まもなく講習会です

 なまもく、第34回の講習会です。

 担当は、増井悟朗先生。講習会は、華光の先生方の持ち回りでしたが、諸般の事情が重なり、悟朗先生が中心になりました。ご本人も、担当がないほうが楽(準備がたいへん)なので、「今回は…」とおっしゃるのですが、それでいて、当日には、「法話や講義が当たらず残念だった」ということになる。このあたりは、まあまあまあですね。

 見事に、昨年のことは忘れています。いま、ブログのバックナンバーをクリックして、昨年3月のことを調べると、「浄土の荘厳について」と題した講義。そうそう、昨年は、「真宗の基礎・安心編」を一度飛ばして、別メニューでした。連れ合いが、案内のポスティングしてます。

 今年は、參加者が少なめです。いまのところ部分参加も含めても、30名ほど。高山、東海支部からの参加がほとんどありませんね。日高も1名だけ。講習会は「パス」と、敬遠しておられる方も多いかもね。最初から、難しいと決めておられたり、または、続編なのでという方もおられるかも…。

 まあ確かに、やさしくはありません。でも、やわらかいものばかり食べ続けているようでは、なかなか丈夫なアゴが発達しません。第一、皆さんには、けっして、分けのわからない話を聞かされるのではない。悟朗先生の教義のご指南を通じて、広大無辺の弥陀の本願のお心を聞かせていただくわけですから…。単に難しいだけでは終わりません。逆に、分級座談が苦手な方は、チャンスかもね。へんに突っ込まれませんから。

 なお、今回は信心論のうち、「信心正因」についての、詳しい解説があります。他力廻向とか、18願のご文などという、真宗のご信心の要中の要です。これは、ぜひ皆さん聞いてください。いつまでも、悟朗先生の講義が聞けると思っていたら、どちらに無常が迫って来るかわかりませんぞー。

 なお今回、沖縄からのお参りがあります。かなり昔から華光とのご縁のある方のようですが、(悟朗先生の沖縄布教の時でしょうか)、ぼくは初めてお会いします。それだけでも、楽しみです。

日時:3月22日(土)昼1時30分~夜9時30分。(夜は懇親会)

      23日(日)朝9時~夕方4時30分。

テーマ:「真宗の基礎・安心編(6)」のうち、信心論。

受講料:6,000円(1日だけなら、3,000円)

http://homepage3.nifty.com/keko-kai/ivent/2008/details/03/koshukai2008-3.htm

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権化の仁

 広島支部法座。毎月、法座を開いてくださいます。

 だいたい25名~30名ぐらいまでの人数でしょうか。それでも、先月も、今月も、華光同人以外でお参りくださる方が、4、5名はおられます。その方が、少しずつ定着しておられるようで、そこがうれしいですね。

 ほんとうに久しぶりに、「王舎城の悲劇」のスライドをみました。ところが、開始直前にテープが切れてしまって、幻燈(懐かしいね)の弁士をすることになりました。これは、ちょっと予想外。練習せずに、ぶっつけだったのがちょっと残念。でも、時代がへても、親子の軋轢や葛藤、権力争い、そして肉親の情や甘えと、相反する敵対心との相剋は、いまもまったくかわらない。親子が、夫婦にもなったりしますが…。○○家の悲劇は、いまでも、どこのご家庭でもあるわけ。ただ、少々スケールが違うけどなー。

 でも、そのおかげで、弥陀の本願にお救いが、どんな人たちに向けたものであるかが、初めて顕れてくる深い、深いご因縁があるわけです。だから、ここに登場する愚痴の女人も、五逆の悪人も、謗法罪の大罪人もほんとうの低下の凡夫ではなく、還相の菩薩様方が、われわれ泥凡夫の姿となり、弥陀の本願のお目当ての機が、この私であることをまざまざとお見せくださるための大芝居をうってくださったというわけです。

 先月の「唯除のこころ」の流れから、アジャセ王の話題になりました。親鸞さまも、信巻の終わりを割いて、アジャセ王に、ご自分の姿を投影、同一視されています。どんな名医でも治療不可能な病気になぞられて、難治の三病として、1)誹謗正法、2)五逆、3)一闡提(いっせんだい・「世俗的な快楽を追求するのみで正法を信ぜず、さとりを求める心がなくああ、これや、わしのことやね〉浄土に往生することのできない衆生・断善根」、つまり、伊藤先生の『大悲の呼び聲』によるなら、「無始よりそなわる仏性は、いかりの炎でやきつくし」「骨の随までそみつける、罪悪熾盛の凡夫なり、救う手がかりどこにある 出離の縁はさらになし」の身ということですね。

 そのアジャセ王と、殺害した父、ビンバシャラ王や、イダイケ夫人との関係や態度、そしてその言葉も、かなり響くものがあります。そして、自らの罪に畏れ、身体をかけて漸愧され、最後には、釈尊の月愛三昧によって、廻心されて、「無根の信」を得て、新しい永久のいのちに生まれ代わられる姿を味わいました。とても尊いお示しです。

 

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涅槃図

 今朝、一番で、華光誌の版下を渡すことができた。金曜日には完成していたが、印刷所の都合で今日になった。今回はムラ君が大活躍だった。17日(月)の渡し予定だったのだから、最初にしては上々の滑り出しだ。思った以上に、効率よくぼくも動けたので、次回からは、もっとうまくいくだろう。新年号からではなかったが、ぼくが版下製版を始めたときも、50巻2号からだった。月末には完成するが、発送は4月1日になるだろう。

 その後、予約が入っていた個人カウンセリングがあって、2時をかなり回ってから子供たちを連れて、東福寺へ出かけた。

Dainehanzu_2  昨日は旧暦の涅槃会(ねはんえ)。3月14日から16日は、涅槃図の無料のご開帳があるからだ。高校が、この東山の急な上り坂の上にあったので、いつも自転車で駆け上っていた。勢いをつけて一気に走らないと登り切れないほどの坂の連続だ。その代わり、帰路は原付並のスピードが出た。一山越えたお隣の泉涌寺にも,大涅槃図はあるが、今回は、久しぶりに東福寺にした。日頃は内部に入れない、仏殿(本堂)に大涅槃図があった。ここは明治に出火したので、昭和初期の最大の木造建築だという。天井には、堂本印象の描いた龍が睨みをきかせている。さて、涅槃図である。大きい。珍しく猫がいるらしImg_2301_2いが、実物では分からなかった。下の子は、最初薄暗いお堂の雰囲気が怖かったようだが、お涅槃の様子を説明すると、「マンマンちゃん、死なれたの。かわいそうに。なぜ、死なれたの」と、何度も聞いてくる。「お涅槃といって、からだは亡くなられたけれど、そのお心はいまも生きてられるんだよ。七ちゃんのなかに飛び込んでくださったののさまに会わせてもらおうね」と話したが、ポカーッとしていた。

Img_2297 室町期の国宝の三門も特別公開していたので、急な階段を登ってお参りさせてもらった。木造のお釈迦様や十六羅漢に、天井には、迦陵頻伽(かりょうびんが)Sammonrojo や天女などが躍り、柱、梁にも極彩色な華々が施され、見事だった。でも、子供たちは、高い三門からの絶景と、狭い急な階段に大喜びだった。

 初春の温かな陽気で、少し歩くと汗ばんできた。駅前まで歩いて、「五感カフェ ここはなに入った。場所の記憶はあいまいだか、昔はこのあたりにもジャズ喫茶があったが、Img_2326 いまはもうない。ここもナチュラルなオーガニックのお店。町家風、日本調だけれども、朱に統一されたオリエント風でもある空間だ。子供たちは、「恋パフェ」なるものを見つけ、幸せそうに食べていた。

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 昨日から、小さな骨で、我が家は大騒ぎである。

 昼過ぎ、小学校の教頭先生から電話が掛かってきた。「給食のウナギ(小学校の給食が鰻丼かよ!)の骨がノドに刺さったようだが、保健室でも対応できなくて、号泣されてます。これから耳鼻咽喉科(ここはどうかなーという医者だけど、小学校の指定医)に連れて行きます」とのことだった。

 さっそく、連れ合いが、支払いを兼ねて病院に出かけてみると、骨がハッキリ取れたかどうかはわからないが、処置されて、すっかり元気になっていた。費用も、3000円近く掛かった。「たかが骨で大騒ぎして高くつくなー。ゴハンの丸飲みしたらとれるでしょう」との思いである。

 ところが、取れた「はず」が、遊んでいる時は平気なので、時々シクシク泣いて痛がる。取る時に少し傷ができたのかもなーと言っていたが、結局、おやつも夕食も食べない。まあ、明日になればケロッとしていると思っていたが、その原因が寝る前に分かった。病院では、大人が2人ではがいじめに押さえ、無理やりにノドに器具を差し込まれてようで、あまりの怖さと、痛さに、1回目だけで、「取れた。大丈夫」と言ったらしいのだ。でも、それを知られたら、叱られると思って黙っていたらしい。

 結局、今朝、母親が連れ添って3度目の病院に行った。子供にはかなりつらい処置で、大人にはがい締めにされて(これだけでも怖い)、器具を入れられるので、何度も吐いたりしたという。それを何度も繰り返されたが、それでもほんとうに取れたかどうかはわらない。これから先は、全身麻酔での処置になって、この病院では無理だという。ネットでサッーと調べてだけでも、だいたいそのうようだ。またウナギの細い骨が刺さることは珍しくないようで、ゴハンの丸飲みもよくないことがあるらしい。

 はっきりしないまま、憔悴しきった真っ赤な目をしたわが子は、結局、学校を休んだ。「死ぬかと思ったよー」としょんぼりしている。「もう2度とあの病院にいかない」「もう魚は食べない」と、かなり応えたようだ。それでも少し遊んでやると、午後には元気になっていた。いろいろと処置をしてもらったおかげか、それとも吐いたおかげか、どうやら小骨は取れたらしい。時間と共に、明るい普通の彼女に戻った。今度は、ほんとうのようだ。

 やれやれ、お疲れさまでした。

 そして夜。風呂に入ってたら、「お父ちゃん、どうしよう。 魚焼いてる匂いと違うか?」

 そのとおり。我が家では、めったに肉はない。今夜も、案の定、焼カレイだったのだ……。

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臍(へそ)の緒

 伝道研究会。羽栗行道師の「心身の革命」を輪読している。

 親のご恩徳について、俳聖、芭蕉が登場してくる。紀行文『笈(おい)の小文』からの引用のようだ。芭蕉が、故郷、伊賀上野に9年ぶりの帰省する。これは、前年に亡くなった母の法事もかねた帰郷だったそうで、芭蕉41歳。「すでに老にさしかかり」と、ある解説にあった。そうか、40は不惑、当時はもう老境の入り口だったのか。その時の詠んだ句がこれである。

 「故郷や 臍の緒に泣く 年の暮れ」

 そして、高野山で詠まれたものが、行基菩薩の、「山鳥のほろほろとなく声きけば 父かとぞ思ふ 母かとぞ思ふ」の有名な句を踏まえたものであろう。

 「父母(ちちはは)の しきりに恋し 雉(きじ)の声」

 ぼくも、小さな桐の箱に収まった「へその緒」をみたことはあるが、こんなにも情緒的に、親のご恩徳など感じることは微塵もできなかった。さすが、俳聖、とてつもない感受性なのだろう。

 でも、そんなぼくでも、わが子が生まれた時は別だった。2人の子供とも、へその緒を切らせてもらった。下の子の時は、長女と一緒に切るつもりだったが、3歳だった彼女は怖くなったのか、結局、ぼく一人で切った。青白く光り、すごく弾力があり、強く切った感触が、これを書きながら蘇ってくる。後産では、胎盤も、炙(あぶ)ってもらって、ほんの形だけだが、夫婦で食べた。

 陸上哺乳動物の母親は、自ら臍帯を噛み切り、胎盤を食べてしまう本能があるのだそうだ。一生涯、草しか食べない草食動物も、このときだけは別だ。(『子宮の中のエイリアン』より)。

 子宮は胎児を育てる場所だか、実は、母体は胎盤などを作ってくれない。胎児は自分が育つために必要な環境を、自分で作っていくのである。つまり、母体からの栄養や酸素を受け取り、老廃物を母体へ返す、物質交換の場である胎盤。胎盤から胎児へ酸素や栄養の輸送を行う臍帯(へその緒)。そして、胎児の発育するスペースを確保するたその羊水。そして、もらろん、直接、子宮に宿るのではなく、卵膜に包まれて護らるのである。このどれもが、最初は一つの受精卵から、細胞分裂を繰り返して出来あがってくるものである。

 受精卵が、子宮内膜に着床すると子宮内膜に根を下ろし始め、すぐに母体から栄養を得ようする。まず、母の栄養を奪うのである。ここから、すでに母と子の利害の対立が始まる。子供は、他の誰のためでもなく、自分自身のために発達をとげようとするのである。その間、母親は、自分の摂取した栄養分、呼吸した酸素を、どんどん大きくなっていく胎児に、常に分け与え続けなばならないのだ。栄養が足りなければ、母親の体を損なってでも、胎児の要求がまず満たされていく。たとえば、カルシウム摂取量が不足してくれば、母親の歯や骨からカルシウムが溶けだすことで、胎児の不足分を補っていくのである。

 つまり、ぼくたちは、その出発から、まず自らの身を護ることから始めて、そして母親の都合などお構いなしで、母親から奪うことで成長を遂げていくというのである。

 それは、この世に生を受けてからも同じだ。親のいのちを奪い、他のいのちを奪って、当然だ、当たり前だと大きな顔をしているのが、いま、ここにいるぼくなのである。

 「幸福ということは、親二人のことを思うことです。これを忘れては真の幸福はありません。私達が一生かかって取り入れたものは、決して真の幸福をもたらすものではありません。獲た時は、ちょっとうれしいが、すぐにそのものに依ってまた苦しまねばならぬものばかりであります。真の幸福を与えてくるのもは、私たちの知らぬ間に、自覚のない間に来ているものです。(略) 親の恩がそれです。私のこの身体が全部、親の恩の塊であります。座作進退(ざさしんたい)ことごとく親の恩で可能なのであります。」(『心身の革命』より) 

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文化教室PRで、筆休めのつもりが…

 最初の華光会館が完成したものの、借り入れた建築費用の借金返済が続いた。境内地も借地なので、毎月の借地料もかかってくる。内実は、かなりたいへんだったようだ。

 今のような同人会組織などもなく、同人の数も少ない。法座の数も、たいへん少なかった。第一、みんなもけっして余裕がある時代ではない。喜捨に頼るわけにもいかないし、どこかで大きな事業が完成してしまうと、多くの方々はそれだけで安心してしまところがあるのだ。

 本業の収入が見込めないのなら、副業で返済していくしかない。

 一つが、部屋の間貸し、下宿などである。一階は、5家族の住居になっていたことは、以前書いた。それはかなり長い時期で、ぼくでも、住人の方の家族の名前を、全部覚えているほどだ。本山の職員をされていた独居の女性がなくなり、住人でお葬式を出した(兄弟はおられたが)こともあった。2階は、当初は、道場まで仮に区切って、学生さんの下宿にしていた。行事の時だけ、友人の下宿などに移ってもらうのである。

 そして、もう一つが、教室を使っての文化教室である。これが当たった。

 ちょうど、高度成長期にあったて、子供に習い事(まだ学習塾はない)をさせる余裕ができてきたのだ。しかも、ベビー・ブームで子供の数もとても多かった。珠算、簿記、書道、オルガン(ビアノではない)、図画工作、学習補習、母が教えるお茶、お花に、そして英語も教えていたこ時があった。そこから、日曜学校や子供大会へとつながってもいった。

 父も母も、ガムシャラに働いたようだが、おかげで返済も終わった。そのうち、まわりで類似の教室が生まれ、習い事の種類が学習塾やスポーツ教室に変わり、なにより地域の子供の数が減少した。最初は徐々にであったが、見る見るうちに減少していたのだ。何百人もあった書道や珠算の生徒さんが、二桁になり、そして一桁になった。でも、うまいもので、そのころには、本業の布教活動が忙しくなり、同人会組織も出来て、この程度の組織なら、なんとか維持できるだけに充実してきたのだ。現華光会館の再建の折にも、まだ借金せねばならなかったが、副業せずとも、わずか数年で完済したのである。

 当然、今は下宿はゼロ。現華光会館には、そんな部屋もない。そして、文化教室も、結局、父の書道と、姉が教えていたピアノだけが、細々と続いている。全体からみると、微々たる収入しかないが、父が教えられるうちは続いていくだろう。なんか、筆休みで、文化教室のPRのつもりが、とんだシンミリした苦労話になってしまっている。

Img_2282  実は、今日は、そのピアノのおさらい会があったからだ。残念ながら、生徒さんが少ない。でも、日頃の成果を出して、みな上手に弾かれていた。昨年だったか、ピアノの先生が弾かれた「月光」が、感動的だったことを覚えているが、今年は、モーッアルトの「トルコ行進曲」だった。

 書道には、増井自然(悟朗)先生の通信教室もある。もちろん、ピアノに通信はないけれど、大人の部もあるので、もしお近くで関心がある方は、華光会館までお問い合わせください。

Img_2211  そうそう、こんなメリットがある場合も。先日、書道教室の生徒さんである禅僧S君の依頼で、お袈裟に、悟朗先生が揮毫された。それがこの「招喚」。おお、これは値打ちあるぞー。

 それより、S君、そろそろ年貢を修めて、招喚されないとなー。せっかくの文字が泣いてます。 

 

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なぞなぞで、ちょっと筆休め

 子供とフロに入っていたら、「お父さん、これ分かる?」と、なぞなぞを出された。いやー、古典的なのに、見事一本とられた。くやしいー。よし、同じ問題を、仏法大人用に、応用して、皆さんにリベンジだ。

「時代は末法五濁、華光会もとうとう人間相手の商売が成り立たなくなった。

 それで、これからは、パンの世界に教線をのばし、伝道布教することになった。

 あんパン、食パン、カレーパン、ジャムパン、フランスパン、クリームパン、メロンパンにフルーツパン、いろいろなサンドイッチに、焼そばパンも。もうじつにさまざまなパンたちが参集した。

 でも、いくら説教しても、篤い、篤い、ご示談があっても、そこはパンである。なんの反応もない。やはり、仕方ないのかと諦めていた時、たったひとりだけ、反応示すパンが出てきた。おお、なんとすばらしい。でも、話は通じているのに、「南無阿弥陀仏」の一言は出て来ないのだ。」

 さてさて、ここで問題。反応を示したパンは、なにパンかな? 

 ヒント? 

 そうだなー、お説教が聞けたのに、「南無阿弥陀仏」が称えられなかったということは、どういうことかなー。余計、難しくなるかもなー。

 良い子のみんなには、やさしすぎるかもなー

 

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華光誌67巻2号の編集中(2)

  このところ、すっかり春の陽気。今朝も、温かい雨。

Img_2226  昨日、早咲きのサクラを見つけました。仕事の都合で、二次会は欠席したけれど、かなり飲み過ぎました。まあ、おめでたいことですが…。

 華光誌編集は、あと4日間ですね。もう少し作業したかったけどれ、夜は「伝道研究会」がありました。それでも、「聖教のこころ」と、「後記」、そしてウメ1箇所以外はだいたい出揃った感じです。この調子なら、予定どおり渡せそうー

 巻頭言は、昨日ご結婚されたO先生のもの。これで、新進気鋭の若手先生3名が揃い踏み。皆さん、初めてでしょうから、楽しみにしておいてください。

 誌上法話は、先日の東京公演会の小生のもの。「生死を超える教え」と題して、仏教や真宗に関心をもっておられる、初めての方も対象にしたので、突っ込んだ内容ではないけれど、テープおこしをみた段階から、以外にも、まとまった話をしておるなーと感心しておったけれど、おかげで、編集はわりと楽でした。確かに斬り込み足らないけれど、今回はぜいたくはいえません。

 信仰体験記は、2編で共に新規のもの。長いので3~4回の連載になります。対称的な印象ですね。20代の若い女性は、子供大会からのいわば華光の純粋培養。たぶん、華光以外の浄土真宗はご存じないでしょう。そこで、大事に育てられ、また時には厳しく揉まれた、さまざまな法友、友同行、先生方のお言葉がありがたい。

 もうひとりは、青春時代からの30年近くを別の会の善知識を信じ、後生の一大事の解決をスローガンに、誠心誠意を捧げて求めてこられた方の体験記です。本音のところでは、もっと書きたいこともあったでしょうが、そのあたりは配慮もされて、一応、押さえた筆になっています。 

 随想2本に、華光大会(当番記)と報恩講の感想文。そして、かなり誌友通信があります。御礼中心ですが、アメリカの同人の方の文章もかなり加えました。

 4月1日には発行予定ですので、どうぞ、お楽しみに。

 次号は、原稿がないので、ぜひ、皆さんもお願いします。出来れば、法味随想が一番ありがたいですが、法座の感想や誌友通信でもいいです。ぜひ、ぜひ、ぜひに。

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華燭の典

 今日は、華光仏青のメンバーの結婚式でした。

 夫婦でお招きいただきました。仏青の方や、華光の方もかなり列席されていました。

Img_2216  龍谷大学大宮学舎の本館仏前での結婚式。M先生が司婚をされ、「後生の一大事を心にかけて、本願名号を聞信せよ」という内容の尊い表白と、誓いの言葉、そImg_2198して、しっかりご法話(テーマは親ごころ)もいただきました。

 この建物は、洋風に見えて、明治初期の疑似洋風建築の代表的もので、実は木造の2階建て。正面に車寄せを配して、オーダの付いた柱やアーチなど古典主義風の様式モチーフと、伝統的な仏教様式を融和された重文の建物です。なかなか風格というか、趣があります。

 そのあと、披露宴は、東山の高台寺の境内に移りました。背景に、Img_2271 八坂の塔を仰ぎみる、いかにも”きょうとー”という歴史的風致地区なのか、まわりもステキなロケーションでの披露宴でした。しかも、1グループが、ひとつの独立した1つの建Img_2241 物という環境で、とても人気がある会場のようですね。

 どうぞ、これからもお念仏相続麗しく、お幸せに。

 感じたこともありましたが、まあおめでたいことですので、今日は味わいも、ひっかけも、辛口も、なにもなしです。

 (フラッシュを使わず逆光でとった写真。ウェデングケーキ入刀のシーンです)

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3月の輪読法座~三度目の成仏(2)~

 今日の輪読法座は、仏青世代の初めての参加が2名あり、福井からの参加もありました。大人数にはならないけれど、輪読の輪を小さくすると、ワングループで話し合うには、ちょうどいい人数でした。

 前月に引き続き、悟朗先生の誌上法話の『三度目の成仏』の2回目。前回、あまり進まなかったので、いやな予感があったのですが、P6の「五存七欠」~P11の「南無の心」までと、結局、最後まで終わりません。

 別に、大きく脱線するわけではないのに、Mさん、Tさいんを中心に、ぼくもいろいろ絡むものですから、けっこう、いろいろな深い味わいも出まして、まだ3頁が残りました。4月には2号の華光誌が出ますが、ここを飛ばしてしまうにはあまりに勿体ないということで、次回もこの続きから入ることにしました。

 正信偈や、信巻の引文などのお聖教を通して、悟朗先生の深い味わいを聞かせもらいました。ひとつ、ひとつの言葉が重いですね。ああ、ここにも、あの言葉にもと、いろいろと気づかせてもらうことが多かったです。

 また未信の方の、たとえば、「『一劫の覩見』『五劫思惟』という、まったく私には理解できないところを、獲信者は実感をこめて喜んでおられるように思う。ところが、今日の話では、それはまったく私には理解できない、凡夫の身では計らいも超えていて分かるはずがないと喜んでおられたように思う。そこは、ハッキリとわかるようになるんですか」とか、「南無阿弥陀仏にすべての万行、万善が封じこめてあるというのは、南無阿弥陀仏は呪文みなたいなものなんですか」などなどの、素朴な問い掛けや味わいを通して、結局、

「阿弥陀仏が、南無阿弥陀仏に姿を変えなさったところをよく聞かせてもらわないかん。」

「南無の心がこっちに移ってくる。そういう姿に変わってくださる」。「六字の姿をよくよく心得よ」という、蓮如様のお示しを、悟朗先生の言葉を通して、皆さんと味わわせてもらった気がしましす。

 もちろん、途中には、京都支部の名物ご夫妻の、夫婦ゲンカ(犬も食わない)というのか、夫婦漫才(?)というのか、最後には丁々発しての掛け合い法談も、両者エキサイトし、緊張する場面もありましたが、最後は南無阿弥陀仏に摂め取られた気がしました。

 蓮如上人ではないですが、華光誌は、読めば読むほど、「黄金を掘り出すようなご法話」です。どうぞ、皆さんもご参加ください。次回の予告

 日時:4月26日(土)1時30分~5時

 内容:67-1号の誌上法話の続き。67-2号の巻頭言にも進みますので、1号、2号ともにご持参ください。

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インドへ行こう!

 今日は、岐阜の郡上八幡から、急きょ来館される方があった。富山のご法縁でお会いしている。初めての華光会館なので、一緒にお勤めをした。これから、東海や高山との支部ともご縁ができるだろう。

 しばらく後で、インド旅行の相談があった。

 不思議なご縁だ。いつも聞法旅行に使っている同朋観光の担当の方にご相談したら(ここは国内旅行だけ)、「トラベルサライ」の○○さんを紹介された。その直後、東京の法座で、先月仏跡巡拝された方も、偶然、同じ旅行社を勧められた。そこへ、「先生、旅行社決めてますか」と福岡の方。「まだなら、サライの××さんに頼まれたらいいですよ」。いや、あなたまで…。

 ここまで推薦されて連絡しないわけにいかない。すぐに、お電話でお尋ねした。○○さんも、××さんも添乗中。それが電話の方は、「近鉄十条駅のところの建物ですね。では明日にでも」と、電話番号も聞かずに切られた。華光会館を知っておられる様子だ。それもそのはず、△△さんは、千葉のN先生と一緒にインド仏跡を回られて、その時に紹介されて、一度、ここにもあいさつされたというのである。いーや、すみません、まったく覚えていませんでした。そう言われた、今も思い出せない。

 やはり、年末年始は、経費も高いだけでなく、飛行機も、ホテルの予約も難しいという。予定通り、出発は、2月上旬を予定して、11日の休みを挟む予定だ。

1)六大仏跡[誕生(ルンビニー)、成道(ブッダガヤ)、初転法輪(サールナート)、涅槃(クシナガラ)に、霊鷲山、祇園精舎])に、アグラ(タージマハル)を加えた、9日間のコース。

2)第1回目のコースで、六大仏跡に、カトマンズを2泊を加える11日間のコース。

3)第2回目のコースで、六大仏跡に、アジャンタ石窟・エローラ石窟を2泊を加えるコースで11日間。

の3つで、計画を立ててもらうことにした。利用便の都合で、日数が1日増える可能性もあるが、エアーインディアではなく、日航か、タイ航空を使う予定である。

 第2回からもう25年たった。ところが、いただいたインド政府観光局の、「インド仏跡めぐり」のパンフットは、30年前からまったく同じものだった。

 でも、ずいぶん、現地の様子は変わっているようだ。交通も、ホテル事情も、水などの生活の様子も、かなり便利になっているという。インド、中国は、経済成長がめざましい。その分、物価の上昇もあり、インド国内の航空機や大都市のホテルは割高だという。費用はコースにもよるし、人数でも変わっているが、だいたい30万~37、8万円程度になるのではないだろうか。15名の人数で考えているので、20名を超えると、多少割安になるかもしれない。

昨年、総会で発表して以来、もうすでに15名ぐらいの方から、「参加したい」「絶対、参加します!」と、かなりアツイ反響がある。もちろん、まだ計画段階。「参加したい!」と、実際に「参加する」のは、別物であるにしても、とても関心は高いの確か。決定次第、正式な発表をするが、随時、情報は出していく予定だ。また、いまなら、まだまだオリジナルの旅を計画することはできる。六大聖地は外せないとしても、たとえば「サンチー」をくわえることだって出来るかもしれないので、ご要望のある方、情報をお持ちの方は、ぜひ、華光会館までお申し出ください。

 どうですか? 明恵上人の夢。一生に一度、あなたも、思い切って、インド仏跡を巡拝しませんか。 

 旅行社のHP(大阪)は、  http://www.saray.co.jp/

 インド政府観光局のHPは、http://www.indiatourism.jp/

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『ヒトラーの贋札』

 『ヒトラーの贋札(にせさつ)』ドイツ=オーストリア)が、今年のアカデミー外国語映画賞を受賞した。あいからず、ハリウッドではホロコーストものが強いかどうかは知らないけど、ぼくには、「ヘェー」という感じがした。別に面白くなかったわけではないけれど、受賞するほどの強い印象はなかったからだ。

Nisesatsu_01  少し異色の収容所物かもしれないが、エンターテイメント性もってあって、サスペンス風で少しドキドキさせられる。(でも、冒頭のシーンで、結果は分かっているわけですが…)

 物語はこんな感じだ。

 一流の贋札作りの天才、ユダヤ系ロシア人のソロモンが逮捕され、強制収容所に送られてくる。戦局が悪化するなか、独軍は、イギリスのポンド、米ドルの大量の贋札作りを計画する。相手国の経済混乱を狙ったのである。

 極秘の命令で、収容所の秘密施設では、優秀な技能をもったユダヤ人が集めれて来る。うまく任務が完了すれば口封じで殺されるだろうし、失敗しても命はない。ただし、仕事が順調にすすむ限りは、命が保証され、温かい食事と柔らかいベッド、音楽やピンポンも楽しめるのだ。だが、塀一枚向こう側では、ユダヤ同胞たちが地獄のような環境におかれている。生き残るためには、ナチスに協力し働かなければならない。その限りには、収容所の中でも生き残れる。だが、それは自らの家族も同胞も裏切るだけでなく、ドイツの勝利という自らの首を閉めることになりかねない。さてさて、どうする、どうする。

 まさに、ギリギリの選択だね。すぐに結果を出さなければ仲間も殺されるという恐怖もあるが、一方で、職人としてのプライドや達成感もある。ニセ紙幣が、スイスの銀行でホンモノと鑑定されるの知らせが届く、思わずナチの將校たちと、本気で喜びを分かち合ったりもしてしまうところなど、ある種の人間の悲しい性をうまく表現していた。

 もちろん、個人の内部がそうであるように、技能者たちの間でも、さまざまな葛藤が起こる。まず自分が生き抜くことを優先する者(もし非協力や反抗しても処刑され、別の技能者が呼ばれるだけ)、歓待されて積極的に協力する者、そして巧妙にサボタージューしながら非協力を貫こうとする者たちが、自らの命、仲間の命をかけて、ギリギリのところでぶつかりあうのである。

 このあたりの心理の綾は、敵味方入り乱れて、なかなかよかった。

 なかでも、冒頭とつながるラスト。カジノでさんざん豪遊し、散財したあと、静かな夜の浜辺での主人公の背中が、その彼の人生、そして心象をすべて物語っているかのようで、なかなか秀逸だと思った。ここは、味わい深い。

 まあ、こんな感じでしょうか。

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華光誌67巻2号の編集中(1)

 2月中旬から、華光誌の編集作業に入っている。法座を除いて、この10日間が勝負である。

 実は、67巻2号の編集を始めた当初は、前号と同じく、テキストファイルでデータを渡して、それを製版所で組んでもらう予定にしていた。

 以前は、OASYSのDTP機能ワープロを使って、ぼくが自家製版していたが、レザープリンターが故障した。すでにワープロ製品は製造中止で、部品もなく修理ができなかったのである。対応できる機種も入手できず、印刷所を通して、組版を業者に依頼することになったのである。おかげで仕上がりはとてもきれいになったが、費用が5割増し。それだけでなく、ぼくの作業の手間も、2倍になったしまった。タイトル部分以外は、完成しているのだが、残念ながら版下までは造れず、もう一度、テキトスの文字だけにして渡さざるをえなかったからである。だから、校正ひとつとっても2度手間ならぬ3度手間だった。ここで入力したものを校正するだけでよかったのが、いまでは、普通の入力した原稿を3度、さらにルビ用の記号をいれた原稿の校正、さらに業者からあがったもの(しかもここも3校まである)と、校正する手間が増えたのである。

 それが、事情が変わってきた。ムラ君が、"クォーク・エクスプレス"というDTPソフトウェアを使えるようになったのである。実は、2月末では、いままで通りの予定で作業を開始したが、けっこう、彼が上手く作業ができそうなので、今回から、思い切って自家製版することにしたのである。もちろん、これまで同様に入力や編集はぼくがやるが、業者に出さない分、少しずつ、出来次第、レイアウト作業に回せるのがいい。校正も、普通に3度やるだけで済む。OASYSで、一度、ほぼ同じものを造る手間は同じだが、罫線や見出し文字などは、その都度、細かな指示を口頭でできるので、かなり手間が省ける。第一、業者に渡っている間の遊びの7日間がなくなったのが大きい。

 つまり、経費も安く、時間も短く、手間も楽という、いいことづくめ。だが一点だけ欠点がある。それは、プリンターの能力が落ちることである。それで、印刷、製本業者に、データ渡しでの出力をお願い出来ないか尋ねてみた。何度もやりとりしたが、残念ながら、直接の互換性がないらしく、やはり版下渡しになるようだ。ほかに、場合によっては、出力サービスを利用すると、かなりいいものが出来るかもしれないが、まあ、これは次回以降の課題である。

 次号は、とりあえず、新しい版下方式で出してみることにしよう。形式やレイアウトも、これまでの華光誌の形を継承していくつもりだ。

 そうそう、肝心の内容の予告に関しては、また(2)で報告しましょう。

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お雛祭り

お雛祭り。

 「桃の節句」という言葉の響きだけでも、どこかウキウキしてきますね。

 夕食のときに、チラシ寿司と、子供たちが手伝った手作りのデザートを食べて、「今日は楽しい雛祭り」と、娘たちは照れくさそうに一番だけ歌いました。

Img_2188_2   母が嫁入り道具のお雛さま。その前からなのでかなり年季もの。御殿つきで、内裏様とお姫さまが二組あるタイプです。七段かざりですが、もう毛氈をひいて飾ることはなくなって、こうして道場の前に並列にならんでいます。

 一階には、Img_2187 長女が生まれた時に、義母が手作り(そういうキットですが)で組み立ててもらったもの。なかなか心がこもったものです。

 特別なことはなにもないけれど、母から絵本ももらえたし、小さな娘たちは、とても楽しそうでした。

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尊いご縁でした

 高山法座でした。

 会場ひとつ考えても、よくご法座をもっていただけたと思いました。「こんな時だからこそ、ぜひ開かせていただこう」という、皆さんのお心が尊かったです。

 行き、帰りには、火事の現場に寄せてもらったり、お悔やみに窺い共に勤行させてもらいました。おかげで、ぼく自身も、またその役割におていも、気づかせていただくことがありました。

 今回のことは、ほとんどが兄弟や親戚などの近しい関係なので、人ごとでなはく、自分の問題として皆さんは捉えておられました。ずいぶん、法座の雰囲気も違ったきがします。

 明日も、明後日も当たり前のように無事だと(なんの根拠もないのにね))一寸も疑っていないこの迷い身に、次々と真実、無常の理が迫ってきたことを通じて、今生事ではなく、後生の一大事を心にかけてご聴聞するという原点に立ち帰って、発言される方が多かったです。

 でも同時に、どんなことが起こっても、あくまで2人称か、3人称であって、どこかシラーッとした鈍感な自分がいることを味わっておられる方も多かった。

 それが同時に、そんな自分を通して、「仏説のまこと」をしみじみと味わい、ほんとうのことを聞かせてもらったことの喜びを語ってくださいました。

 たぶん、これが普通の方なら、「こんな災難、不幸が続くのは、先祖の祟りか、墓が悪いのか」と、御祓いにいったり、まじないに走ったり、はたまた妙なツボを買わされたりして、なんとか災難を逃れようと必死になるでしょう。

 ところが、突然の事故で、ご主人をなくされた方がおっしゃた。「以前、『私の念仏は空念仏です』と悟朗先生に申したら、『お念仏は空(から)ではありませんよ。あなた自身が空(から)なんです』と言われたんです」と、お念仏されていました。

 そう、実は、私こそが虚仮不実。私のこのシャバの生活こそが世間虚仮。迷いの張本人は、墓でも先祖でもなく、この私自身。お互い悪業煩悩の持ち主なんですからね。この苦の世界ではなにが起こるか分かりませんわー。でも,その虚仮不実の私から、真実の南無阿弥陀仏が飛び出してくださる不思議を聞かせていただくんですね。

 また、「初めて悟朗先生をお招きした家庭法座で、『この立派な家でも、ご因縁でたまたま結ばれているだけ。だから、マッチ一本ですべて燃え尽きてしまったら、何もなくなります」」と、言われたことを、火事の最中にも思い出した」。そして「それは、まさに、わたしの執着の業の火が燃えているのだ」と、たんたんと味わっておられました。

 でも、実際の生活は、ほんとうはそう簡単にいかない。ご家族やご法につながるものも、立派な作品も、生活のあれこれすべてが、一瞬で灰になってしまったのです。いろいろな悲しみや苦しみがあるのも事実でしょう。まさに、凡夫は「つたなく、愚かなもの」なんですね。

 でも、そんな身が、一旦、ご厳粛な因果の道理と、そして広大なご法の前に立ち返らされると、凡夫のはからやい悩みなど小さな小さなことで、大きな大きな法界が躍動する如来様のお働きが、なんとこの空の私をお目当てに、いきいきと働き、功徳がこの身にもみちみちてくださっている。そのことを喜ばずにおれない身にさせていただけた。なんと、尊く勿体ないことでしょうか。

 今回の二日間、十八願の願文を通して、その一点を共に味わってまいりました。

 尊いご縁をありがとうこざいました。

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「本願のこころ」がテーマ

今日から、弥生3月。

それでも、まだ寒いですね。いまは止んでますが、またまた週末に天気崩れましたね。

これから、高山支部法座に向かいます。

今回は、二日間のご法話で、ご本願、十八願のおこころをいただこうと思います。

まず、成就文を通じていただく、本願のこころ。特に、三信のところです。

次ぎに、乃至十念のお念仏について、真宗の意味を考えます。

最後に、唯除のご文を通じて、大悲のおこころに触れたいと思います。

ただ、今日は、ご縁次第で、もう少し取り組みやすい話に変更するかもしれません。その準備はありますが、そのときの顔ぶれをみて考えますね。

交通事故死に、自宅の全焼など、ここ数週間の間で、高山支部の同人の間では、人生の実相を味わう出来事が続いてます。それだけに、今回はご法のご縁が深まっているのではと思います。楽しみにしています。

では。

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