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火宅無常の世界

 このところ京都は、毎日、しぐれたり、雪の日の日が続いて寒い。雪は、半日もすればきれいに溶ける程度のものだが、京都市内でこう何日も積雪のある年は珍しい。

 それが、今週末は、一足早い春の陽気。ほんの少しだけ軽装で東京に向かったのに、少し歩いただけで汗ばむほどだ。ところが、翌日になると、天気は一転。台風なみの大風である。7階の会場でも、ちょっとこわいほどの風で、誰かが、「突風か、竜巻か」と言っていたが、実は、春一番。東京都心でも25M以上の風を記録している。

 帰りの新幹線や在来線は、風の影響で軒並み遅れていた。北陸方面では、運休が相次ぎ法座の参加にも影響がでたようだ。そして、京都に近づくと、今度は雪である。出発は春で、途中、嵐になり、最後は雪といった具合で、こう短期間で天候が急激に変わるのも、もしかすると温暖化の影響かもしれない。

 雪の中を帰宅すると、またまたびっくりするようなニュースが待っていた。ある同人宅で出火し、強風に煽られて、自宅兼仕事場が、アッという間に全焼したというのだ。ちょうど、東京では強風のことをみんなで話していた時間のことのようだ。いつもお世話になり、家庭法座も開いてくださっていただけに、一瞬耳を疑った。びっくりというより、ショックだった。今回の会場とは違うが、来週の高山支部法座にも影響が出るだろう。延期になるかもしれないなと覚悟した。それが、火事のお見舞いで、逆に、ご本人様から、「いつもお聞かせいただいているとおりでした。こんな時だからこそ、ぜひご法座を持ちお聞かせに預かりたい。厳しくお導きください」と、おっしゃってくださったお言葉に、涙がこぼれそうになった。まさに「火宅無常の世界」を、身をもって教えてくださったのである。

 ほんとうは、この世で得たものは、実はなに一つとして身につかない。死んで行くときには、すべておいていかねばならないのだ。このからだも、家族も、財産も、執着したがらくたもだ。そのときが必ずくる。そうお聞かせに預かっている。にもかかわらずである。轉倒して、それらのものを我がものと執着している我が身が、一瞬省みられた。ほんとうにガラクタばかりを集めている。それを「惜しい、惜しい」「欲しい、欲しい」と、貪欲を起こし、思い通りいかないと愼恚の心を燃えしている。まったく我が身のお粗末さを恥じ入るばかりだ。でも、愚かにも、それが止められないのも、悲しい凡夫の自性でもある。そして、いちばん大切にしなくてはならないものを大事と思えず、粗末にするだけ粗末にしているのであるから、まさに狂っているとしかいいようがない。

「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもてそらごと、たわごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまこそにおはします」(歎異抄後序)

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