『フランドル』
(前の沖縄のプチ続きね) 実は、いくら聖戦と叫んでみても、古今東西、戦争とは、殺戮に加えて、略奪と、弱者への暴力(殺人)、女性への性暴力が、最大限に発揮されていくものなのだ。人間という動物は、いのちの危機に迫られた極限状態のときほど、身に直結した暴力や性の猛烈な衝動にかられるのだろう。これはもっとも非人間的のようで、実は、もっとも人間の本質の一面を現した、これも人間性の発露だと、ぼくは思っている。
さて、これからはそんな映画のお話である。
『フランドル』は、音楽も廃したなかなか重厚な作りで、そんな人間性の極限を描いている。黄金の穂が揺れるフランドル地方の田舎の地で、(とても無機質な)セックスという形で世の男性を受け入れる(家族は病んでいると精神病院に送り込む)少女と、志願して戦場に赴き、恐怖からの不安や欲望に苛まれて、少年を殺害し、女兵士を集団で襲い、報復におののき、また殺戮を繰り返し、そして仲間を見捨てるなどなどの罪を重ねる(重ねざるえない?)男性。そんな深い傷を負った男女が、女性が男性を受け入れるという形で、この美しすぎるフランドル地方の風景のなかで結びつていくのだ。現代的な設定で、戦場もイラクなどの中東を彷彿させるが、あくまで架空の地の出来事。いわば寓話タッチで描かれるが、センセンショナルであり、それでいて絵画のような美しい作品だった。
現代の私たちが(タブーにして避けているが)ほんとうは避けられず、一旦、箍(たが)が外れるとコントロールが出来ないので恐ろしくもある「性」と「暴力」という、いわば身体(いのち)に直結した根源的なテーマが取り上げられるので、けっこう露骨なシーンもあった。しかし、人間の尊厳とは何なんだろう。その業は人間によって癒されるのかと考えさせられもした。彼女の、自分と男の罪、ひいては人間の業を赦し、受け入れる姿に、宗教的に昇華された愛を見るという評文が出ていた。うーん、ほんとうにそうなのか。これはなかなか難しい問題だと、また考えさせられたが、ある種の寓話的、象徴的な雰囲気で、ちょっと肩すかしを喰らった気もする。まあ、たぶん、そこがいいのだろうなー。
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