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「三度目の成仏」~唯除のこころ~

 今日の輪読法座は、ちょっとうれしい顔ぶれでした。 聞き始められて楽しみにしていた方が、風邪で欠席になって、ちょっと残念と思っていたら、予期せぬ広島からHさん! そして、このブログで「京都の方で固定している。皆さん、ご参加を!」との呼びかけで、福井からも4名の方が参加してくださいました。遠いところから、有り難いね。別に、毎月、定例の法座では顔をあわせている方々ですが、こんな形で車座になって始めると、改めて新鮮な感じがするから、不思議です。

 今日から、悟朗先生の誌上法話の『三度目の成仏』に入りました。いやー なかなか進みませんでしたね。別に脱線したわけではなくて、言葉の質問ひとつでも、少し詳しく説明すると、次々と疑問が出てくる。お聖教のご文が多いので、ほんとうに読むと疑問が出て来るのが当たり前ですね。法然上人のご和讃が3首から始まるのだけれど、本論とは関係ないのでサアーとしか触れられていない。それで、「この頭陀の行ってなんですか」とか、「ここでの往生三度?」とか(インドの声聞僧、そして中国では善導大師、そしてこのたび法然上人としての往生)などの補足説明をするだけでも、かなりの量になりました。

 そうはいっても、大方は、泥凡夫の身が、広大無辺の仏様のお働きをあれこれ心配し、計らっているようなことですわー。バカやね。そのことも、みんなで有り難く味わいました。 特に、尊かったのは、十八願文のところ。直接、本文で触れておられない「唯除五逆誹謗正法」にひっかかる方がおられた。これをどう味わっていくのか。もちろん、教義のレベルでとらえることも大事ですが、わが身の味わいのところで。食べた味がないとね、またむなしすぎる。その皆さんのお味を聞きながら、改めて「唯除のこころ」の尊さを感じます。勿体ないなー

 唯除-「ゆいじょ」。「ただのぞく」という意味ですね。何を除くのか。すべての衆生を救うと誓われた阿弥陀さまのご本願、第十八願なのに、「ただ、五逆罪のもの、非謗正法(ひほうしょうぼう)のものは除く」とあるのわけですから、これゃたいへんですわ。

 このご文をめぐって、曇鸞さまも、善導さまも、それを受けた親鸞さまも、信巻末に、難化、難治の三病として、アジャセ王の姿をまったく自分の姿として味わっておられます。生きとし生けるものすべてをもらさず救うぞというお誓いなのに、この重罪の者は除かれるわけですからね。

 でも、十九願や二十願にはないんですね。ここもポイントやね。しかも、十八願ひとつでいいはずなのに、「善人になってこい」「念仏を励んでこい」という方便の願を、なぜ造られたのか。さらに、「悪人こそがお目当てだぞ」と念を押せばいいものを、わざわざ「唯除」とまで仰ったのかというわけです。

 あるHPに、「このお言葉は「抑止門(おくしもん)」であり、文字としては「除く」と説かれていますが、実際には「救う」というお誓いなんだ、ということを論理立てて明らかにお示しくださっています。」と、サラッと書かれていました。いや、ここは、そんなサラッとはいかんね。

 ほんとうの一大事じゃないですか。文字通り読んだら、お救いに漏れているんです、この私がですよ。でも、それが大事にならないのは、誰も、自分が「除かれている」とは思っていないからでしょう。口先だけでは、悪人と言います。でも、おおかたは、生活のレベルの浅ましさ程度ですわー。本心は、「やや悪人」、いや「やや善人」か「善人」とドーンと構えて、大きな顔をして生きとる(だから生きて行ける。鈍感力ですね)。ほんとうに、この私が五逆罪の大罪人、仏様や仏法を誹り続けてきた張本人だと、化け物のようなほんとうの姿が知れたら、ひっくり変えるどころじゃすまん。おかしくなって当然やね。でも、わからんのに、口先やアタマだけでは、わかったつもりになって、「死ぬのか怖くて、後生の一大事を解決したい」とか、「獲信をめざす」となんて、ヌケヌケと求道が出来るわけですわねー。救われるのを当然として、法を聞いている。まあ、ズウズウしいね。そんなの無理に決まってるじゃないですか。除かれているのですから。

 「「除く」と説かれていますが、実際には「救う」というお誓いなんだ」、そこに「親ごごろがあるんじゃ」、なんてね。こんなお説教をヌクヌクと聞いているうちは、驚きは立ちませんわー。私の後生の一大事ですよ。昿劫以来の初事ですよ。まあまあ、まあまあ、皆さん、お好きなように…。法座の余韻で、完全に説教モードになっているので、今夜はこのあたりにしておきましょう。

「聴聞は してもおちる。
 せいでも、おちる。
 ここがじごくだ。
 ここがじごくの さだまりばしょ
 ここが浄土の さだまりばしょ」  (才市同行)

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コメント

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かりもん先生がこんな絵文字使うなんて、お茶目ですね~。
今日から「寒中仏青」ですね。行きたい気持ち半分、躊躇する気持ちが半分。やっぱハードル高いなぁ~。
行ったら「得」するのにね。もったいない・・・。
あぁ、私ってあほやなぁ~、行けばいいのに・・・。

投稿: | 2008年2月 9日 (土) 09:20

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