法蔵さまのお念仏
京都から千葉の柏市へ。25年以上にわたり、無償で、華光会の会計業務に携わり、発展に献身的にご尽力くだされた、永田会計事務所樣に長年のご功績に謝意を述べに窺ったのである。その間に、借家だった境内地の取得、そして会館の再建と大きな事業の度に、さまざまなご支援をくださったのである。
何年ぶりになるだろうか。手元にある12年前からの法座記録には、すでに全林野会館が会場になっているので、その前となる。それまでは、東京支部の法座会場として、事務所やご自宅を提供くださっていたので、よくこの駅は利用していた。諸事情で、主会場が、全林野会館に移ってからも、変わらず施主としてご法座を開いてくださっていた。
記憶にあった駅とは、ずいぶん様変わりしていた。出口を間違ったのか、少し迷った。それでも、便利な世の中になったもので、ネットで検索すれば、目的地の会計事務所まで、最短経路と道順が詳しく分かっていたので、不安に感じることはない。少し早い春の陽気で、到着したころには、汗だらけになってきた。
従業員が30名を超える大きな事務所である。ここで、事務所が休みの日に、ひとり、ひとりが事務机に座って、ご法座をもったことが、いまは懐かしい。さすがに、ここも様子が変わっていた。25年に渡って、華光会の経理を担当してくださっていた担当の方にも、直接、御礼を述べることができた。頭をひねって考えた感謝状も、直接、お渡しすることがあった。
先生のご自宅に移り、お仏壇にもお参りした。まだ新しいご自宅も、中の家財をすべて取り壊しや焼却せざるえない諸事情があり、ここははじめてだった。直接、中国現地から取り寄せられたという、一つ岩をくり抜いた石仏の観音様が立派だった。玄関をあけると、1mほどの誕生仏がお出迎え。こちらは、インドで見つけられたという。少し時間もあったので、食事をとりながら、お話を窺った。はじめてお聞きするお話もあって、すぐに時間はすぎっていた。これまでの華光会や東京支部での、お仕事ぶりや施主としてのお働きはたいへんなものだ。でも、そのことをみなさんに威張ったり、誇るような態度は一切お持ちではなかった。それどころか、家族への法の相続が難しく、ここで仕事を一区切りせねばならなくなったことを、盛んに残念がられ、逆に頭を下げらてくださった。このご法に対する愚直な態度を尊く拝ませてもらった。
そのまま東京支部の法座に向かった。東京の集いも、当時に比べると、顔ぶれが樣変わりしていてる。お参りされる方で、柏でご法座があったことを知るものも、ほんとうに少数になっていた。
遡れば、いろいろな念仏の教えを喜び、その真実を伝えとする種々のご縁が綿々として続いてきているのである。それは、東京支部だけのことではない。華光会そのものもそうである。およしさんしかり、伊藤先生しかり、そのまわりの無数の念部者しかりである。いや、浄土真実の教えの歴史そのものが、そうした遺弟の念力により、いま、ここに届けられてきたのである。お念仏が、人から人へ、口から口へと、途切れることなく届けられ続けてきたおかげで、いま、私の胸にもその真実が至りきて、この私の口から「南無阿弥陀仏」と、名のりをあげておられるのである。
そうなのである。その私のお念仏の本源は、法蔵菩薩の発願に遡るのである。その間に、有名無名の念仏者のお働きが、確かにあったことを忘れて、「おれが、おれが」では、あまりにも勿体ないのだ。
しかし、愚かにも、自分の目先のことしか分からない私には、まったく想像もつかない世界だ。それで、分かったとか分からんとか、有り難いとかモヤモヤするとか、ホンモノ、ニセモノと、自分頭で混乱させてしまう。だから、ただお聞かせに預かるのである。そして、自分が称え、自分が分かるようにうぬぼれ、大きなお働きを、小さな小さな、自分の器で計っている、愚かさに出会うだけなのである。そして、聞けば聞くほど、これがまぎれもない事実として輝きだすのである。
そう、私が称えているのに、私が称えているのではないのだ。それは、時間も空間も超えて、まぎれもなく、親鸞様が直々に称えておられる念仏であり、曇鸞樣が直々に称えられる念仏であり、そして法蔵菩薩の直々のお念仏にほかならないのだから。
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