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紅白の梅

Img_2101  朝、東寺の保育園まで子供を送った足で、散髪へ。

 梅小路公園を通ったら、梅がボチボチと咲きかけていた。まだまだ寒いけれど、暦では、立春を過ぎたものね。

 月並みですが、「梅一輪 一輪ほどの あImg_2100たたかさ」 ですね。でも、どうも、今夜から雪になりそう。雪景色もきれいでしょうが…。近くなので、たまには散歩がてら、見に来ましょう。

 髪はボサボサでしたがImg_2103、カットしてもらって、スッキリ。ちょっとスースーしますね。先客と話していたら、長女と同じ小学校のお母さん。1年下でしたが、単級なので、合同、縦割りの行事も多く、子供のことを知っておられました。いやいや…。連れ合いの「南無阿弥陀仏のこころ」のDVDのジャケットの原画が飾ってありました。

 さて、今夜は「伝道研究会」。残念ながら、風邪やら葬式やらで、欠席も多かったです。羽栗行道先生の『心身の革命』の輪読。別に難しいものではないけれど、罪悪観の見方がとても具体的です。アタマのなかではなく、また高いところからでもなく、実際に求道中の方と接しておられたからでしょうね。当たり前ことなのに、この視点が、いまのお寺や真宗の中には薄いんじゃないかなー。

 たとえば、その一節に、体を車両にし、人生という線路をひた走るを列車に譬えておられる。駅名のアナウンスは前に前に進む。「いまは○○駅でした」とは言わずに、「次は△△、△△」というように、人間も前に前に進む生き物。前に進むためにいのちがあるといわんばかり。ところが、その向かう先はどこなのか。どこに到着するのかを問わないまま、走り続けている。数々、通過してきた、「おしめ駅」も、「洟垂れ駅」も忘れて、その車両も、親からの頂き物ということもしらず、しかも「死」というもっとも嫌な終着駅を見ず、ただ財産や金や名誉だと、ひた走ることが目的になっている人間の実相を、巧みにお示しくださっています。この世の中でもそうなのに、ましてや、三世因果をやですわね。

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