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徳本上人の念仏碑

Img_2092  報恩講の片づけの間に、華光会館の仏間の横の軸を代えました。

 いまは、この3幅。右側から、『正信偈』の「帰命無量寿如来~ 重誓名声聞十方」までの揮毫。そして、左側は、「後生の一大事」ということで、『大経』の五悪段の「大命まさに終わらんとするに悔懼(けく)こもごも至る…」の一節。いのち終わらんとき、後悔と恐怖が入り交じって起こり、わが業にしたがって、悪から悪、苦から苦、冥から冥(くらやみ)へと、悪道に転じていくという一段です。 もちろん、共に増井自然先生の揮毫です。(左クリックして拡大してもらわんと分かりずらいですが)

 でも、真ん中は、「南無阿弥陀仏」は、書ではなく、父が,若いとき採った、徳本上人の念仏碑の拓本(たくほん)です。なかなか、この大きさの拓本は難しいじゃないかと思いますがね。とても力強い、かなり雰囲気のある書体ですね。

Img_2093  徳本上人は、江戸時代の、紀州出身の浄土宗の高僧。浄土教の念仏者でありながら、難行苦行もされた人のようで、平生より、木食草衣、長髪長爪と、お念仏に生きられたようです。徳本行者とも呼ばれ、行実や伝記が残っています。

 なんでも、4歳のときに、友達の不慮の死をきっかけに、母から極楽往生を願うことを聞かされて発心し、修行中に、不思議な老人から、法然上人の『一枚起請(きしょう)文』を授けられ、「ただ極楽往生のためには南無阿弥陀仏と申して、疑ひなく往生するぞと思いとりて、申すほかは別の子細候はず」の一文で、念仏の教えに入られたと言われています。

 でも、不思議なのは、「南無阿弥陀仏と申す称名より他にはない」と聞きながら、どうして、その後も、常に木食(肉食は当然、五穀までも断ち、木の実を生のままで食べる行)や断食などの厳しいご修行を続けられたのでしょうかね。まあ、ここまでくると、後世の泥凡夫がとやかくいうレベルではないのでしょうが…。

 生誕の地、和歌山日高町の徳本上人のHP↓

http://yskasagi.web.infoseek.co.jp/hidakatown-room/hidakatown02.html

 ここに日高町の 念仏碑がいろいろ出ていますが、どれもちょっと違うようですが…。

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