仏青研修会初日
京都も、9時すぎきから雪が降り始めて、かなり積もりました。日本列島の広い範囲で、大雪の一日。仏青研修会で、心配もしましたが、皆さん、多少の交通機関に遅れがでたものの、キャンセルもなく、無事に到着。けっこう、知らぬまに人数増えてましたね。
初日は、自己紹介を兼ねた、アンケート式のオリエンテーション。「最近、失敗したことはなんですか」、「
人生で、印象に残る食べ物や食事は?」、改めて聞かれると、けっこう難しいね。ぼくの①は、なかなか今日の法話に取り組めなかったこと。実は、今日だけなく、このところずーっとこんな感じてすね。なーんか、モタモタしていることが多いです。やろうとしても手につかない。どこかで、なんかとなるやろうという経験的な部分も多いのですが…。結局、今日なんか、構想をもったまま、ぶっつけ本番で法話してしまいました。やりたいワーク(体験的学習ですね)もあったけれど、やるべきか、やらざるべきかで迷って、結局、流れのなかでやらない終いでした。これはまたの機会で。なんか、正解や、答えを教えて、それを知っても覚えても意味ないですねらね。聞いている皆さんが、もしくは、法話しているぼく自身が問われて来るのが、ほんとうのお念仏の教えですからね。覚えたり、知っただけでは意味がありません。そんなことを手がかりにウダウダと話させてもらいました。申し訳ない。
3クループの分級座談に分かれて、自己紹介と法話の感想。だいたい10名ずつぐらいのグループに。まったく初参加の方がグループにおられました。皆さんが、それなりに感銘したり、頷いたいり、聞けない自分を披露したりするなかで、その方は、「まったく(言葉はわかるけれど)何を話しておられるのか理解できなかった。皆さんが、頷いたり、感銘ささているのもよく理解できない。ひとり疎外感を感じた」と、不満そうに、まったく正直な表明をしてくだいさました。そして、「『南無阿弥陀仏』って、呪文かなんかですか」…。でも、これはいいですね。正直で。視点を替えたら、いまはやりのKY(空気読めない)ですよ。皆が、有り難がっていたら、お上手でもそれにあわせていくじゃないですか。だいたい、年配の方なら、「けっこうのお話でした」とか「有り難ったですとか、嘘でもいいます。そこを少しつっこんで聞くと、「もっと精進して、煩悩を押さえていくように頑張ります」と、まったく、方向違いなトンチンカンな答えが返ってきて、ガッカリしてしまいます。
でも、この答えはいい。「何も発言できることはない」とおっしゃったが、しっかり答えてもらった気がしましたね。ここから、いくらでも話がつながっていきます。どこで皆さんが頷かれたのか。その心境はどうだったのかを聞き直したり、何をポイントに話をしたのかを、かみ砕いてお伝えすることが出来ました。呪文や呪いでない「南無阿弥陀仏」の意味もお話出来ました。
やっぱり、空気に合わせないで、自分がわからんことは、わからんと伝える。自分が、有り難いと思ったことは、有り難いと言う。自分に正直に、ありのままに話させていただけることが大事ですね。それを、聴き手も、否定しないで受けていくこと。きっと彼女が法話中に、抱いた疎外感も薄れたことでしょう。明日が楽しです。
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