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『生物と無生物のあいだ』

1498911_3  昨年読んだ新書の中で、いちばん興味深く、面白かった。

 科学ものとしては異例のベストセラーで、数々の賞も受賞している。

 書評、HPやブログなどでは、「私は文系で、理系には疎いが」というお決まりの枕言葉から紹介されている。でも、おおむね高評。まず、専門外ということで逃げてから、評価が始まるんですね。でも、逆にいうと、専門的知識を抜きにしても、面白いlという証拠。

 真似をするなら、専門外のぼくに、どこまで理解できたかはともかく、ドロドロとした人間ドラマとしての一面もなかなか面白い。どれだけテクノロジーが発展し、科学が発達しても、結局、最後の最後は、それを観察したり操ったりする人間性ということに収斂されてくる。だからこそ、恐ろしく、同時に血も通って来る。

 「何を見て生き物と判断し、何を見て生き物でないと判断するのか?」。ぼくたちは、常に無意識の中で、それを行っている。でも、明確な線引きを記述するのは困難だ。「生命とは何か」という生命科学最大の謎を、分子生物学がどう答えるのか。DNA「二重らせん」構造の前史から、その後のスリリングな展開が、人間ドラマとしても語られる。でも、そこで分かったことは、ほとんど無限で広大な真理のジグソーパズルの、ほんの一つのパーツにすきないようだ。

 「私たちの生命体は、たまたまそこに密度が高まっている、(流れゆく)分子の「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ代わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を与えないと、出て行く分子との収支が合わない。」

 「生命とは、動的平衡にある流れである」

 つまり、「お変わりありませんか」と、1年ぶりに人に出会う。「ハイ」などと答えても、実は、分子レベルでは、われわれはすっかり入れ代わって、お変わりありまくりだという。肉体というものについて、私達は自らの感覚として、外界と隔てられた個別としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルでは、その実感はまったく担保されていないという。

 これゃ、諸法無我、諸行無常に通じるんじゃないの? 

 「ある、ある」と実感を持っていても、たまたま因縁があっての話。しかも、刻々と、一瞬、一瞬に変化してやまんわけですからね。無明であるが故に、そこに執着していくから、迷い続けてきているわけです。

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