『いのちの食べかた』
皆さんに、お勧めばかりして、やっと見てきました。一切の音楽も、ナレーションも、一言のセリフも(厳密には、職場でのボソボソした会話らしきもはあるようだが、セリフではない)、フリップも、説明も一行もありません。ただ、映像だけの95分。「OUR DAILY BREAD」、つまり「日々の糧」というタイトルが、最初の方に出るだけです。でも、想像以上に、よかったです。
すでにご覧になられた老若の皆さんから、「気持ち悪かった」とか、「食事が食べられんかった」とかの声を聞いていました。せめて映画を見ながらの昼食は避けて、ある程度、覚悟していました。そのおかげか、それほど気持ち悪さや、目を背ける感じはありませんでした。むしろ、その様式美とか、効率化されたSFのようなマシンに口アングリ。大規模農業にしても、ニワトリの確保やヒョコの種わけにしても、その機械化と、これまで見たことのない専用の車やマシンがドンドン出てきます。もう驚きの連続でした。もちろん、畜産だけでなく、農業と、少しだけ魚も出てきます。大規模化された農園も、画面を見るだけではとても美しい。卵を孵化させる工場は、どこかの研究室のようで、整然と美しくもあります。
でも、清潔に消毒された室内は違うですね。もう、ブタにしても、乳牛にしても、またブロイラーの扱いなんかひどいものです。生まれた時ではなく、生まれる前から「いのち」ではなく、「食べ物」として、効率化と生産性のもとで製品化されていく。モノ、いや機械として扱われています。その場で活躍するのは、効率化と、生産性を高め、人出を省くためのマシン。ヒョコ選別ピッチングマシンとか、ブロイラー吸引・収拾・箱詰め車と、見たままを勝手命名するしかないような、すごい機械が出てきます。当然、どの場面も、聞こえて来るのは、動物たちの鳴き声と、すごい機械音ばかりです。ただ、画面からは匂いは伝わらない。暑さなどの熱気も想像するだけ。それが加わるとまたまた別でしょうね。
牛の屠蓄、何度か、『いのちの食べかた』などを、皆さんと音読していたので、だいたい手順がわかりました。「あれがノッキングだなー。あんな狭いところに入るんかー。ああ、一発やな。確かに痙攣しながら落ちていく。大きなー。ああ、トロリーコンベヤーで運ばれて逆さ釣りになったけれど、いつのまにワイヤーが通たんやろー。」。「ウワー、放血で、大量の血だけでなく、ダラダラ、ヨダレ垂れまくるんやなー」。「皮剥きか。確かに手際いいね」。「これが背割りか。きれいに真っ二つね」と、復唱しながら見ていました。思いの外に、オートメーション化されていたことに気づきました。
それにしても、屠蓄場に向かって、豚や牛が追われていいく場面は、なんともいえませんね。そして、仲間が吊るされているを目の前に、自分も狭いトンネルのような場所に追いやられ、ノッキングを受ける。抵抗しようにも動けない。最後に精一杯のイヤイヤと首をふるだけ。そのイヤイヤの姿がなんとも哀れでしたわー。
驚いたのは、人口受精や帝王切開の場面にしても、作業員の淡々とした態度かなー。生まれたばかりのブタを次々の去勢していく時も、その首や、豚足を切る時も、たんたん、もくもくと流れ作業が続いきます(仕事なんやから当然なんだけど)。そして、何度も、彼らが職場で食事とるシーンで出てきます。でも、なぜか、ここでも、もくもくと寂しそうに、時には2、3人で、たんたんと食べている。出稼ぎ風のアラブや、黒人たちの食事の場面もありました。もちろん、これにもなんの解説も説明もつきませんが、なにかを暗示しているとしか思えませんでした。
食べ物に対してキリスト教の影響が色濃く、肉食の歴史が長い西洋と、殺生を戒める日本では、とらえ方が違います。特に、日本の場合は、これに差別の問題がからんできます。穢れや嫌なことは、自分とは切り離したい。そんな不浄なものはけがれた人に押しつけて、蔑んできた悲しい歴史があります。その意味では、ぼくたちは二重の過ちをおかしているわけです。でも、これはオーストリア=ドイツの映画ですから、そのあたりはまた日本とは事情が違います。
飽食は、もう行き着くところまで行き着いてしまって、ぼくたちは脂肪だけを溜め込んで、どこへ行こうというのでしょう。現実、現場をなにも知らずに、「うまい、まずい」とか、「高い、安い」とか、「国産は安全か」とか、あいからわず自分中心に、自分のことをしか考えず、貪り食っているわが身が恥ずかしくなります。泣けてきそうですわー。
ずーっと「いのち」がどこかで「食べ物」になると思っていましたが、違いました。生まれる前から「食品」という工業製品として管理され、大量生産され、大量出荷されていく。そうしないと、ぼくたちの欲望を満たすことは出来なくなっているわけです。
いろいろと考えさせられました。これからも、考えていきたいですね。
『いのちの食べかた』(←公式サイトにリンクしています。映像や解説どうぞ)
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コメント
先生お世話になっております。仕事でなめし皮工場に行っていました。皮を運ぶのに使うんです。大きなジュウタンみたいな皮を機械に入れてなめして平らにしていく工場でした。塩分がとても多いのでボルトなんか超さびさびでした。そのなめし皮の機械の横にプラスチックの箱があってそこに臓器がよく入っていました。最初見た時はびっくりしました。でも数回いくうちになんとも思わなくなりました。感傷にひたると修理に身が入らなくなりケガにつながります。先生の文章を頂きまして、工場のモワットした生暖かい臭いを思い出しました。
投稿: TDM900 | 2008年1月12日 (土) 00:01
戦争の映画や悲しい映画を見ると後で落ち込むので私は映画を殆ど見ません。しかしかりもん先生の映画や音楽に対する感想は興味深いです。この「いのちの食べ方」も機会があれば見ようという気になっています。気付かずにいましたが戦争の映画や悲しい映画を観て落ち込むのに、無数の命を奪って落込みもせず美味しかったで済ましている私とは随分身勝手です。ところで、第二次大戦中の南京虐殺のドキュメンタリー映画がこちらで上映されると一昨日の新聞に出ていました。そちらでは上映の目途がたっていないとか。私はよう見ません。それ以上の虐殺をもする心をかかえている事にも目をつむるのが得意です。
投稿: チャン | 2008年1月15日 (火) 12:57
TDM900さん、チャンさん、コメントありがとう。
そうですね。自分の中にあるからこそ、目を背けたり、(時にそんなものが目立つ人やものを)攻撃したりすることってありますね。結局、受けいれられないんです。自分が…。
でも、事実を事実として教えてもらえうことは、ほんとうは有り難いことです。まずは、知らないとね。あまりにも知らなすぎた。どこかで、のどかな田園や牧畜風景を想像する甘さがありました。
昨日も、このブログを観て、自力整体の先生や、友達が映画を観に行かれたようで、反響が寄せられました。皆さん、とても驚かれているようです。
投稿: かりもん | 2008年1月19日 (土) 00:46