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智慧、慈悲が円満

 遅くなったが、「同人会ニュース」と、二月の法座案内を発送した。もうお手許に届きだしたことだろう。その法座案内にご文を一行載せた。

「慈悲深遠にして虚空のごとし

 智慧円満にして巨海のごとし」(念仏正信偈)

 真宗のご門徒にとって、いちばん親しみのあるお経は、『正信偈』だろう。もしかすると、華光の皆さんは、短い『讃仏偈』や『重誓偈』の偈文の方が近しいかもしれないが、親鸞様の書かれたものとなると、やはり『正信偈』で、ついで『和讃』か。

 でも、上のご文をみて、「正信偈に、こんな文があったかいな?」と、思われる方があるかもしれない。実は、正信偈には、二種類あるのだ。けっこう、ご存じでない方もおられる。以前、二種類と言うだけで、「ああ、四句目のことろで下がるフシと、そうでないものですか」と、勤行の「行譜、草譜」の節だと思われる方もあった。

 そうではなく、私達に身近な正信偈は、正式には 『正信念仏偈』。「顕浄土教行証文類」(教行信証)の行巻の最後に収めれた偈文である。

 そしてもうひとつは、皆さんが目にされることがないのが、『念仏正信偈』である。こちは、「浄土文類聚鈔」に収められている。

 一瞬、「あれ、同じ?」と見間違うが、念仏の位置が違う。親鸞様がそう使いわけられているのだ。構造的にはだいたい似通っており、まったく同じ文言もあるが、異なる表現もある。今日では、『念仏正信偈』が先攻して造られ、より完成度が高いものとして、おなじみの『正信念仏偈』が製作されたという説が有力である。

 まあそれはともかく、ぼくにしても、なじみという点では、雲泥の差がある。

 で、二月の法座案内のスペースに、ふとこのご文が目に留まり、即決した。

「かくして阿弥陀如来は無量の寿命を持たれ、その慈悲が広大無辺で深いことは、あたかも虚空のごとくであり、その智慧が欠けめなく満ち満ちていることは、あたかも大海のごとくである」。

 智慧、慈悲が円満した、無量寿、無量光の阿弥陀如来のお徳をほめ讃えておられるのである。でも、いくらほめてもほめても、仏様であるお釈迦様が、昼夜違えずに一劫が間、誉め讃えても、誉め尽くせないのが阿弥陀樣の徳なのですかね。でも、それを凡夫ごとくが計らい、疑っているわけですが…。もったいない話です。

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(追伸) 今回の法座案内に、パンチ穴2つがあいている方があるかもしれない。全体で1割強ほどの方。もし、あなたのがそうなら大当たりだ! 

 いえいえ、コピーを終えて、事務所に保管していたものを、子供たちが「ごっこ遊び」で、穴をあけたもの。もう少し大きくあけたもので、小銭を造っていたのでした。油断も隙もないですわー。

 内容にはまったく差し障らないでの、使用することにしました。お許しを!

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コメント

うちに届いたのは「大当たり」でした。
ありがとうございました。

投稿: 蓮華 | 2008年1月31日 (木) 16:27

おめでとう!
蓮華さん、「報恩講」お休みだけなのに、それだけで、ずいぶんご無沙汰な感じしますね。

投稿: かりもん | 2008年1月31日 (木) 23:23

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