修正会
「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。」
というわけで、2008年がスタートした。
でも、なにが、「明けたのか」、なにが「めでたいのか」も知らないまま、こうして無駄に月日を重ねて、迷っていくんですね。
元日。華光会館でも、お昼から修正会のご法座。浄土真宗に限らず、仏教のどの宗派でも、正月に厳修される法要を「修正会」と申します。あまり世間の方は、ご存じないですが、「しゅうせいかい」ではなく、「しゅしょうえ」といいます。ある同人の方が、「凡夫の身の、何を修め正す会なのか」といわれた方があった。そうでなく、1月の正月に勤まるので「修正会」。旧暦の二月に厳修される場合は、「修二会」なんですね。本願寺派では 、「元旦会」とも申しますが、だいたいそれは早朝など、午前中に勤まるわけで、華光会館は、午後からの法要と法話。それで、創建以来、修正会と称していますね。
今朝も、若い仏青の方と一緒におせちでお祝いしましたが、その際、「なぜ、華光会館では除夜の鐘をならさないのですか」という話題がでた。なんのことはない、梵鐘がないのだから、それは出来ない。「2階の道場の外にあるじゃないですか」。あれは行事鐘といって、法要が始まる直前にお知らせするもの。浄土真宗のお寺でも、だいたい外に梵鐘があり、本堂の脇に行事鐘があります。だから、梵鐘のない華光会館には、除夜会はない。ちなみに、華光会館には、内陣もありませんから、結界もありません。本来の道場形式なんです。寺院の方なら当たり前のことでも、一般の方はご存じないことがおおいです。
華光会館の修正会は、午後1時30分から5時すぎまで。今年、少し寒かったですが、京都は快晴。日本海側が大雪。高山組は、残念ながら欠席となりました。それでも、昨年1月からご縁のできた福井の方は、大雪のなか5、6名お参りくださいました。おひとりが、「道宗さんの心境でした」とおっしゃっていました。また遠く、福岡からも、Aさんが家族での参加。友達や兄弟と連れ添った初参りの方も2名ほどありったり、始めて修正会にお参りくださる方が多かったです。それだけ、この1、2年の間に、深く華光とのご縁ができた方が多いということ。一方で、東海組は、いつもより少なめでした。それで、総数にすると45名ぐらいあって、用意したおかしが足らないほどでした。
ご一緒に「正信偈」をあげ、そのあと、華光節(別名悟朗流)で、「現世利益和讃」を唱和しました。「南無阿弥陀仏をとなふれば…」と何度も、何度も続くと、なにか不思議な気分になります。そのまま言葉だけいただくと少し危険ですが、いつもご聴聞いただいている身には、体験的にもいろいろ味わえるご和讃です。そして、「御文章」をいただきます。そのあとは、ご法話、そして記念撮影や休憩のあと、新春の信仰座談会が残りの半分の時間です(この座談が、世間の修正会とのいちばんの違いでしょうね)。ひとこと抱負や味わいをいただきました。
悟朗先生のご法話は、善導大師の「自策自励」のご讃題。お得意のご文のひとつです(ご本人談)。忙しい、忙しいと生活に追われ、懈怠に流れるうちに、この無常の身は風前の灯火として終わり、六道輪廻を繰り返す。なんのための人生か。なぜ、後生に驚きをたて仏法を聴かないのか。この元気ないまの内に、懈怠に流れることなく、自らいろいろと工夫し、叱咤激励し、しっかり後生の夜明けをさせてもらえようということですね。
昿劫以来の迷いの夜明け、後生の暗闇が明けてこそ、始めて、「明けましておめでとうございます」といえるわけです。
一休さんの歌。「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」が、
「めでたくあり、めでたくもあり」の身にならせてもうわんと意味ないです。
元旦から、要のところをお聞かせいただき、あとの座談会も、皆さんの一言が有り難く、それだけで、時間が40分ほどオーバーしてしまいました。
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