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2008年1月の27件の記事

『ひめゆり』

 先の大戦で、いまだに美談的に語られるものに、「大和」、「特攻」、そして「ひめゆり」がある。それらは、フィクション、ノンフィクションに関わらず、今日までも繰り返し、繰り返し、小説や映像の対象となっている。

 たとえば、「ひめゆり」なら、ひめゆりの塔などに代表されるように、時の清純派スター女優をメーンにした、常に、ある種のイメージで語られている。悲劇であり、たとえ殉国の美談であろうが、または反戦のシンボルにしてもであるが、共に美化されたイメージに縛られている。ぼくも、「ひめゆり」と聞いただけで、反射的に固着したイメージが浮かびあがり、実は、「もういいかなー」と見るのさえためらってしまった。

Himeyuri_01_2  でも、そのことに、もっとも落胆され、悲しんでおられたのは、実は、ひめゆり部隊で生死を境を越えて生き残った皆さんだ。

 『ひめゆり』本作は、彼女たちが、自らの手で、後世の人のために、その体験した真実を語ることだけに焦点をあてた画期的なものだ。しかも、13年もの歳月をかけて証言が集められている。もちろん、膨大な記録のその一部だけが描かれているのだが、丁寧に造られていることは、観ればわかる。

 「戦場動員と看護活動」「南部撤回から解散命令」「死の彷徨」と、時間軸に添った三部構成になっている。いずれも、高齢となった22名の生き残った人々の現地での証言がメーンである。特に、感傷的な音楽やナレーションは入られない。ときおり、沖縄戦の記録映像が挿入されるが、あいかわらず、紺碧の空と、美しい海と、自然豊かな風の音を背景にした、生々しい証言で綴られいる。それでも、もし、あまりにも証言者の気持ちが過剰すぎたら、きっと聞き手は逃げてしまうであろう。しかし、130分間、引き込まれるように観た。

 その意味でも、真実を「語る」ということの重さ、深さと、言葉のもつ力と、恐ろしさを感じた。

 『「忘れたいこと」を話してくれてありがとう』という文字が、映画のチラシにある。実は、60年たったいまも、いまだ癒えることのない大きな傷を背負い、証言が出来ない方も多くおられるのだそうだ。そして、生き残ってしまったという罪悪感にも苛まれいく。それは、いまだ過去の出来事ではなく、現在進行している出来事なのであろう。

 沈黙もまた雄弁であり、重く、深いのだ。

 そして、さらにその苦悩を越えて、語り継がずにはおれないという、禀とした志の高さともいうべきものが、ヒシヒシと伝わってくる。それに呼応するように、ぼくの胸から、涙と共に、さまざまな思いや感情が、フツフツと去来していった。

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智慧、慈悲が円満

 遅くなったが、「同人会ニュース」と、二月の法座案内を発送した。もうお手許に届きだしたことだろう。その法座案内にご文を一行載せた。

「慈悲深遠にして虚空のごとし

 智慧円満にして巨海のごとし」(念仏正信偈)

 真宗のご門徒にとって、いちばん親しみのあるお経は、『正信偈』だろう。もしかすると、華光の皆さんは、短い『讃仏偈』や『重誓偈』の偈文の方が近しいかもしれないが、親鸞様の書かれたものとなると、やはり『正信偈』で、ついで『和讃』か。

 でも、上のご文をみて、「正信偈に、こんな文があったかいな?」と、思われる方があるかもしれない。実は、正信偈には、二種類あるのだ。けっこう、ご存じでない方もおられる。以前、二種類と言うだけで、「ああ、四句目のことろで下がるフシと、そうでないものですか」と、勤行の「行譜、草譜」の節だと思われる方もあった。

 そうではなく、私達に身近な正信偈は、正式には 『正信念仏偈』。「顕浄土教行証文類」(教行信証)の行巻の最後に収めれた偈文である。

 そしてもうひとつは、皆さんが目にされることがないのが、『念仏正信偈』である。こちは、「浄土文類聚鈔」に収められている。

 一瞬、「あれ、同じ?」と見間違うが、念仏の位置が違う。親鸞様がそう使いわけられているのだ。構造的にはだいたい似通っており、まったく同じ文言もあるが、異なる表現もある。今日では、『念仏正信偈』が先攻して造られ、より完成度が高いものとして、おなじみの『正信念仏偈』が製作されたという説が有力である。

 まあそれはともかく、ぼくにしても、なじみという点では、雲泥の差がある。

 で、二月の法座案内のスペースに、ふとこのご文が目に留まり、即決した。

「かくして阿弥陀如来は無量の寿命を持たれ、その慈悲が広大無辺で深いことは、あたかも虚空のごとくであり、その智慧が欠けめなく満ち満ちていることは、あたかも大海のごとくである」。

 智慧、慈悲が円満した、無量寿、無量光の阿弥陀如来のお徳をほめ讃えておられるのである。でも、いくらほめてもほめても、仏様であるお釈迦様が、昼夜違えずに一劫が間、誉め讃えても、誉め尽くせないのが阿弥陀樣の徳なのですかね。でも、それを凡夫ごとくが計らい、疑っているわけですが…。もったいない話です。

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(追伸) 今回の法座案内に、パンチ穴2つがあいている方があるかもしれない。全体で1割強ほどの方。もし、あなたのがそうなら大当たりだ! 

 いえいえ、コピーを終えて、事務所に保管していたものを、子供たちが「ごっこ遊び」で、穴をあけたもの。もう少し大きくあけたもので、小銭を造っていたのでした。油断も隙もないですわー。

 内容にはまったく差し障らないでの、使用することにしました。お許しを!

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国嶋療法と国嶋喜八郎博士

 輪読法座が終わり、1階に戻てくると、国嶋療法と、その創始者である国嶋喜八郎博士についての問い合わせがあった。質問者は、たいへん几帳面な、誠実そうなお方で、メールも、お電話も、とても鄭重なものだった。またご丁寧に経過のご報告までいただいた。

 だいたいの経緯はこうである。

 この方のご縁戚にあたる方が、NHKの「百歳バンザイ」という番組への出演が決まったが、その方の長寿の秘訣は、国嶋博士の「自然良能」にあるという。それで、もう少し詳しく国嶋療法のことが知りたいが、博士の消息などもまったく不明。京都に薬師山の国嶋病院が現存するものの、問い合わせてもまったく無関係だという。著書の出版社等は現存しない。なんとか、その方のご依頼に答えたい。それで、ネットで検索すると、華光会の記事にヒットし、お問い合わせをいただいたらしい。

 そうなのかと、ぼくも確かめてみた。「国嶋療法」で検索する。確かに、いちばんに華光会のHPがヒットする。次が、西光義敞先生を代表者に、仏教文化研究会紀要に掲載された、共同研究をした時の小生の論文のキーワードだった。そして、ぼくのこのプログと、後は、氏の古本がある程度だ。要は、どう転んでも、この点では、まず華光会に連絡するしかないわけである。(きっと皆さんも、思わず検索してしまうでしょうね。ちなみに、ネットでヒットする「自然良能会」はまったく別組織とのことだ)

 ご承知のとおり、華光会の始まりは、まず華光誌の創刊にあると考えていい。第1巻1号は、昭和16年11月15日に出されたザラ紙に印刷されたものである。戦時である。日米開戦までも1ヶ月足らずの緊迫したご時世。正確には、まだ「華光会」ではない。この経緯に関して、『廻心の体験』の序文にあるものが、華光会のHPで「華光の歴史」としてご覧いただける。

それは、昭和十三年ごろから三年間、伊藤師が関係していた、京都の国嶋病院での宗教部が発端であります。当時、国嶋病院は、不治とされていた結核に対して、『結核かくすれば、必ず全治する』の著者、国嶋博士によって、開発された自然良能法による治療を行い、世の注目を浴びていました。伊藤師は、その患者に対して、心身の安静のための宗教指導に当たっていたのです。ところが、はからずも、患者と付添い、ならびに医師などの病院関係者の間に、たちまち念仏の信火が燃えひろがったのであります。治病のための信仰であったものが、信仰のために生命をかける人たちに変わってきたのです。そこで、伊藤師は、病院より身を引くとともに、自宅療養者を含めて、求道者たちの信仰指導と、法味交流のための同朋通信を目的として、『華光』誌を発刊されたのです。」

というわけで、最初、ぼくが対応したが、この話題なら、伊藤先生が去ったあとに国嶋病院で、直接、指導を受けた父の方がいい。なんでも、戦後、国嶋氏が、参議院全国区に2度立候補(共に落選)したときも、「投票したよ」といっていた。これは知らなかった。でも、それより詳しい方がおられる。華光の最古参同人である豊岡のG女史(創刊号から唯一のお元気な方)だ。それで、Gさんを紹介すると、そこから、すぐ国嶋博士のご子息に連絡がついたそうだ。医者を継がれたご次男はすでに逝去されていたが、ご長男はご健在で、「自然良能社」を引き継がれ、いまも京都で活動されているそうだ。

 こうして、伝を辿っていくと、得たい情報にほんとうに行き当たるものだなーと、妙に感心した。ちなみに、このNHKの「百歳バンザイ」は、3月15日の13時50分~14時の間に放送される予定だそうだ。

 先日も、「『三戸独笑』ってどう読むんですか」という、ただ読みだけを尋ねる電話があった。これだけいろいろな情報が溢れるなかで、華光会のHPでしかわからないこともあるようだなー。 どれもこれも、かなりマニアックではありますが…。

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自分を知らされる

  輪読法座も、ちょうど1年を迎えました。

 曜日を固定せずに、平日の午後を中心に、8月は夜から開いたり、土曜日に開催したりもしました。今月は、初の日曜日開催。もしかすると、顔ぶれが変わるかなと淡い期待をしていましたが、蓋をあけてみると、だいたいいつもの顔ぶれ。曜日はあまり関係ないね。参加する人は、いつでも参加してくださいます。今回は11名。でも、逆に、このくらいの人数が話し易い。

 しかし! 今回は、仏青世代の若手の参加が2名。ひとりは、華光会館法座デピューの方もありました。子供の保育園で最近、知り合ったお母さん。この年末に急接近。昨日も、連れ合いと一緒に、カフェでの仏青にも参加。でも、華光会館の行事は初参加だね。こんな人が一人でも、二人でもおられるとうれしいです。

 けっこう、積極的に発言されました。もともと、育った家庭や職場の関係で、浄土真宗とはご縁がある方なので、ご本願が第十八願だとか、世間の自力とか他力とは、ここでの他力廻向は違うことなどの、知識をお持ちでした。なかなかたいしたものです。確かに、いくら聞法の長短や、知識は関係ないといっても、まったく聞いたことがなければ、まず入り口のところで、チンプンカンプンの拒否反応になってしまいますからね。ここまでこられた経過を考えても、なにか深いご因縁を感じています。

 浄土真宗のおみのりは、世間の常識を超えた教えです。世間の常識の信仰である、先祖供養でも、この世の幸せだけを求める現世利益でもない。仏に成るとか、往生という言葉でも、まったく世間の間違った常識とは異なりますね。また「廻向」ひとつとっても、普通は、人間の側から、神仏に善行を振り向けていくことなのに、これもまったく反対。きれいになってこいとも、賢くなってこといとも、立派になってこといとも、正直でこいともいわれない。一切の人間の側の修行や徳を求めておられない。

 ただ、「悪人そのままで出て来い」と仰っている。

 その悪人とは、誰のことか。このわたしひとりが願われている理屈を覚えても、むなしいだけですね。ほんとうに、そこひとつをわが身のこことして喜べる身になったのかどうか。

 今回は、「浄土真宗の座談」という西光先生の巻頭言と、小生の「聖教のこころ」を輪読しました。聞法する場はどこか。どんな聞き方をしていくのか。そしてその要は何かをついて、聞かせてもらったと思いますね。

 まさに、この時間が「浄土真宗の座談」の実践の場でした。

 仰せを聞くのは勉強ではない。覚えて、または雰囲気に酔って有り難くなることでもない。それに、「そのまま聞く」といっても、必ず、聞き間違う。聞き損じる。都合よく聞く。人によっては、わざわざ間違いを強化するために、お金や時間をかけておられる方まである。もったいないなー。一方的な話を、自分の都合で聞くのではなく、その聞いているわたしの間違いを指摘してもらわねば意味がありません。そのためには、どう聴いたのかを、口に出し、聴き合い、語り合う場が大切なわけです。

 わが心の方だけを見つめていても、なにも変わりませんね。

 お話を心に響かそう、感じようとしても、ダメです。自分の心の変化で判断するだけ。

 それより、如来様に照らされた自分を教えていただく。

 如来様に願われている自分の物柄(値打ちですね)を聞かせていただくんですね。

 それを自分で見ていると思っているから、大間違い。そこが崩されていく、揺さぶられていく。それが聴聞であり、座談です。握っていくのではなく、剥ぎ取られていくわけですね。

 それにしても、飾りたい、ほめられたい、自慢したい、立派になりたいの善人指向の塊です。恥じをかくのもイヤやし、バカにされるのもイヤやし、ほんうとは分かりもしないのに、賢こぶったり、分かったようなこと言ったりする。これほど、自分を知らん大馬鹿ものはない。

 でも、いくら言葉を飾り、外面を飾っても、内に、むなしい、むなしい、愚かさ、虚仮不実を抱えているわけでしょう。その大昔から変わらない、伏魔殿、鬼の腹底が、実はお目当てとも知らずに、ますます飾っていく。

 聖教のこころで読んだ、「本願を信じ、念仏申し、仏に成る」というのが、聴聞の要。本願願のおいわれを聞くことですね。なぜ、阿弥陀様が、このわたしに頭を下げ、「救わせておくれ」と叫んでおられるのか。その本願を聞くことは、阿弥陀様に願っている、わたしのほんとうの姿を知らされていくこと。そのひとつに尽きるといっていいわけですね。

 いまは、少し難しくなったけれど、今回は、わりとかみ砕きながら、聞法の要のところをお話させていただけたと思います。ぼく自身にとっても有り難いご縁でした。

濃い、濃い、関西のオバチャンパワー炸裂ですが、皆さんも敬遠せずに、ぜひどうぞ。

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大無常

 いましがた、子供を寝かせていたら、連れ合いのケイタイにメールが入る。

 高山の同人が、交通事故で亡くなったという1行だけのメール。「エ! Sさんが…」。驚いて、さっそく確認の電話をする。

 今朝も元気に、仕事場に向かわれる途中の、突然の惨事。仕事の車を数台連ねた、その先頭車両に乗車。突然、凍結した路面にハンドルをとられた対向車線の車が、Sさんの車につっこんで来たというのだ。ネットで検索してすると、読売新聞のニュースなどでも記事になっていた。だいたい窺ったような内容だ。

 ご本人は、ちょっと聞法に挫折してご無沙汰気味だった。でも、12月には、奥様や、また娘さんやお孫さんと、少人数で語り合う機会をもった。少しずつ、聞法の場にも復活されかけたころのことなので、なお驚きもある。

 あまりに突然のこと。残された遺族には、まだ今は、これが夢か、現実かもわからないほど、なにがなにやらわからん状態だろう。

 お悔やみの言葉を考えながらも、まさに無常の理、そして仏説のまことをしみじみと味わわされた。お前の姿だぞー。お念仏を称えつつ、その思いを文章にして送った。 

 いま、ここで、お念仏申させていただくしかない。「南無阿弥陀仏」

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京都市立青少年科学センター

今日は、仏教青年会。でも、華光会館を飛び出して、外のカフェでやるという。いいんじゃないの。場所は、ブログでも話題にしたことのある五条河原町を下がった、鴨川沿いの「カフェ・エフィシュ」。企画、担当は、禅僧のS君。なんでも、ロジャーズの恋愛観、結婚観をテーマにするという。

 華光仏青と、禅僧と、京都のカフェと、ロジャーズの恋愛観…。

 で、どうなったのだろうかね。

 連れ合いも参加する。最近、急接近の二女の保育園のお母さんを誘って、早めに出かけた。

Img_2059 かわりにぼくが子守り。昼前に、定期的に続けているカウンセリングの面談を済ませて、子供とお出かけ。小学校のお友達を誘って、伏見にある青少年科学センターに出かけた。お年玉がわりに買った「子供図鑑」にあった、「博物館」(科学)の項目をみて、行きたいと言いだしたのだ。別のことを考えていたが、突然、閃いた。近くにいいところがある。本人はまったく知らなかったようだが、ここから車なら15分もあれば行ける。

 子供の時は、よく遊びに入ったものだ。昔は、ウルトラマンのロケが行なわれたほどの最新施設だったが、いまは、老朽化している。最後は、中学校から入ったので、30年以上前のことだ。でも、あんまり変わっていないので、ビックリした。もちろん新しい展示も増えているのだが、昔と変わっていないものもある。ゲーム感覚で理科の科学実験が楽しめる展示も、いくつか覚えているものがあったことに、驚いた。

Img_2054  子供たちは、大喜びだった。決して、広くないのに、1/3ほどのところが見れなかった。でも、よほど楽しかったのか、夕食の時も興奮して、ずっとしゃべっていた。ただ、本気でリアルに動く恐竜を怖がっていた。どうも、大きな鳴き声が苦手なようだ。だいたい、長女は、ぼくに似て、とても怖がりだ。連れ合いのように、好奇心旺盛ではない。怖そうなものは避けるか、友達の様子を見て安心を確かめてからではないと、やらない。

 最後に、久しぶりに本格的なプラネタリウムを見る。こう見えても、高校は天文班で、けっこう立派な反射型の望遠鏡も持っている。たいした腕ではないが、天文写真も自宅で現像までして撮った。でも、それも遠い昔のことである。

 夜には、子供と空を見上げたが、あいにく曇っていた。雪までちらついてきた。

 代わって、星や宇宙の写真集を出してきた。星座に興味を持ったらしい。

 子供たちの笑顔。懐かしい施設で、こちらも久しぶりに童心に返った1日だった。

 明日は、午後(1時30分)から輪読法座だ。1年たって、初めて日曜日に開催する。新規のお参りも、大歓迎だ。

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寒い一日

 ほんとうに寒い1日でした。皆さんは、いかがお過ごしでしたか?

 朝、(七)を東寺の保育園まで自転車で連れて行く。時より晴れ間もあるが、冷たい風と共に雪が舞っている。寒いが、気分は悪くない。珍しく、屋根には薄らと雪が残っている。そのまま、小学校に回り(甘)の授業参観へ。

 担任は、3年目の若い女の先生だった。それが、夏休みの前日、校長名で保護者にプンリトが配れた。「先生は、夏休み中に結婚されます。あわせて、おめでたもわかりました」。「エー!」という感じで、しばらくうわさのネタになっていた。要は、出来ちゃった婚で、ケジメをつけるために夏休み中に入籍してしまえということらしい。それが、昨日またプリントが来て、「明日から産前休暇で、代休の先生が来月から赴任するまでは、学校全体でサポートします」とのこと。とにかく、なにごとも突然である。ただ、難聴クラス(といってもこの学年は1名)が含まれているので、常に担任が2人いる。その子の担当だった、もう一人のベテランの先生がしばらく は担任である。それにしても、このところの小学校の先生の仕事もたいへんだ。1年生の時も、途中で、体調を崩して、男のベテランの先生が交代した。少子化で、単級(1クラス)なので、6年間、クラス替えはない。その代わり、先生だけは、1年間の途中でもコロコロと変わる。これってけっこうブッラクユーモアだなー。

 教室の前の廊下から、なにか騒がしい気配がある。1、2時限目は、「工作」。今日は、どの時間を見学してもいい。そのせいか先客は1名だけで、僕が教室に入ると、まもなく出ていた。次ぎのお母さんが来るまで、しばらく1人で参観する。

 自宅から持ってきた箱やプリンの容器などを使ってのロボット作り。顔見知りの子にいろいろと話しかけた。教材が教材だけに子供たちも楽しそうで、自由にやっている。わが子は、ずいぶん細い、よわよわしいロボットを作っている。足を付けたが、倒れてしまう。重心がずいぶん後ろにあるが、どうやっても立たない。赤ちゃんロボットで、足が短いらしい。

 先生に叱られた子が、「バタッ!」と、ドアを閉め出ていた。でも、誰も追いかけない。課題を終えた子も、自由に歩き回っている。どうも、ぼくが子供のころの学校の様子とは違う。特別、問題がある難しいクラスではなさそうだ。だが、どの家庭も1、2人の少ない子供を、腫れ物に触るように育てている。忙しくて子供に構わないか、逆に過干渉で、過剰に構ったり、すぐにうるさく怒ったりしてしまう親が急増している。そんな子供たちが集う教育現場は、ますます混迷を深めていくだろう。このまま進行すると、逆のバネが働いて、強い力で上から規制され、個よりも、全体の規律や集団性が最重視される教育が復活しかねない。ベストセラーの『国家の品格』ではないが、一部の上に立つエリートをのぞいて、その他大勢は、上からの命令に逆らわず、規律や集団性に優れた従順な兵隊の育成をめざしているのだからね。そんなイヤな雰囲気は、すでに芽生えているのかもしれない。しかも、案外、親の要望と一致するのもしれないなー。

 まあ、考えすぎだったらいいんですがね。

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『サディステック・ミカ・バンド』

Sadisticmicaband_01『サディステック・ミカ・バンド』の、超限定、復活ライブのドキュメン映画を観た。いや、かっこいい! たった70分ほどだが、すごく元気になった。不思議なものだなー すぐに、3枚組のライブのCDと、新作のCDも買ってしまった。すぐ影響を受ける。悪いくせだ。

 すごいことを、ポップに、どことなくキッチュに見せているところが、なんかよかった。怨念というのか、ジッとした湿気が、日本の風土である。ぼくは、そんな音楽も好きだがら、たまには、この楽しい、軽さがいい。

 リーダーの加藤和彦、ドラムが高橋幸宏、ベースの小原礼、そしてギターの高中正義という、タレント揃いのオヤジ4名。最高級を求めるもの、最先端を行く人と、知る人ぞ知る人と、わが道を行くものという個性溢れる四人組。それぞれにお好きな方もおられるでしょう。そこに、ボーカリストとして、娘(もしかして孫)世代の木村カエラを迎えてのライブ。

 新譜を聞きながら、連れ合いは、「いや、やっぱりミカじゃなくっちゃなー」と言っている。実は、ぼくも、カエラはあまり聞いたことはない。でも、それなりにいいなーと思った。かわいいものね。

 加藤は、京都伏見の人で、仏師になるべく龍谷大学に入ったそうだ。この映画のスタッフは、製作(シネカノンの李鳳宇と加藤和彦)、監修(井筒和幸)と、映画『パッチギ』の世界である。表に出ていないが、フォークルやミカ・バンドの歌詞は、作詞家として松山猛が関わっている。パッチギの原案者にあたる松山は、東福寺界隈の人で、ぼくの高校の先輩だ。だから、パッチギの原風景が、よくわかる。どこかで、この近辺の風土が、影響していることになる。それだけでも、身近に感じた。

 音楽にあわせて、インタビューが面白い。メンバーかそれぞれのメンバーのことを語り、音楽のことを語る。

 加藤は言う。何かを創造することは、常に破壊することだ。それがロックだと。確かにね。安定調和に生きていると、安易に流れる。変化や破壊を畏れる。自分が変わっていくことが、けっこう怖かったりする。

 また言う。これだけなんでもありの世の中で、他の人と違うことをしようとするオリジナリティーは、出そうとしても出せはしない。自分が信じることをありのままに表現することこそが、オリジナリティーなのだと。うーん、確かにね。そして、それには、その信念を支えるだけの経験や技術、精神力や音楽性などが裏打ちされての話なんだろうけどね。

 どの世界、どの分野でも、一芸に秀でた一流の人の言葉は、なにか普遍的な事実を語っているように思うなー。

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「同人会ニュース」と、所轄提出資料

 毎年、1月20日前後は、同じ仕事をしている。

 一つが、2月の法座案内と同封する「同人会ニュース」の作製だ。11月の総会の報告(伝道事業と、決算、予算)である。DTP、編集機能がついたワープロを購入したのをきっかけに始めた。当初は、年2回出していた。そのワープロのブリンターが故障したこともあって、このところ年1度だけになっている。それでも、今回が23号目になる。巻頭の法話として、昔の伊藤康善先生の誌上法話を掲載している。昔のものは、誌上法話というより、法味随想、エッセイに近い。だから、長さも手頃だ。今回は、第22巻4号、昭和38年の華光誌から。先生のものでは、晩年のものにあたる。ぼくもすでに生まれているなー。

 このころの華光誌は、とても意欲的だ。カウンセリングとの出会いがあったのだろう。盛んに伝道研究会からの提言が出されている。「法座活動を活発にしよう」という連載も、充分いまに通用する力作だ。ほかに、「問題別カード」という記事がある。仏法に関心のない子弟や家族、友人に依頼して、「なぜ、仏法を聞きたくないのか」「仏教に対してどんなイメージがあるのか」などを調査をしようという試みである。この結果が伝道研究会でも検討されているようだ。ただ、それほどの成果や協力は得られなかったようだが、少しでも、多くの人に、ご法を伝えたいという意欲の現れである。この現状に満足せず、新しい法座や組織を模索する志の高さを、ぼくたちも見習っていきたい。

 さて、校正を直し、カットを張り、午後には近所の印刷所に届けた。いつもは事務所でコピーしていたが、事務の負担を考えて、印刷所に出すことにした。その代わり、少し発送まで時間がかかる。同人の方のお手許には、1月末になるかもしれない。その点をご了承いただきたい。

 夕方からは、所轄官庁である京都府に提出する、宗教法人の役員や会計に関する書類を作製した。総会から4ケ月以内の提出が義務づけられている。この法律は、オウム事件以降、世論の後押しで成立したものである。一部の宗教界からは、強い反発もある。罰則規定(過料1万円也)もあるのだが、以前は、提出拒否している法人もあった。国家権力による、宗教、こころの問題への介入の前兆となる危惧がある。だが、一方で、オウム事件の大暴走の後だっただけに、すんなりと受け入れられた面もある。

 信教の自由と、国家とのかかわりをどうとらえるのかという一面。

 その一方で、宗教法人のお金の不透明さ、違法行為ギリギリの勧誘や、非課税を悪用した金儲けなど、宗教法人を隠れ蓑にした不正や、その被害者が後を絶たないのも事実だ。

 なかには、華光会のように、創立当時から、総会が持たれ民主的に運営され、同人(会員)に、お金の流れを説明しているところも、そりなりにあるだろう。だが、全般的にみると、今日の社会状況には逆流して、これほど不透明な職種もなかろう。

 健全な宗教法人とは何か。それが国家や権力にとって都合がよいという意味だけでは、これまた困る。過去の歴史の過ちを見る限り、一概では語れない難題がここにある。これはまた別の機会で…。

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言葉が痩せる

 昨夜は、水を汲み置きして寝た。

 3年に一度、地下の貯水タンクの清掃を依頼している。作業は、5~6時間ほどで済むが、その間は断水にするからだ。3年に一度、防火器具の法定点検があり、消防署への提出が必要なのだ。同一業者が、消防点検は、貯水タンク掃除も依頼している。

 汲み置きの水だけでなく、風呂のお湯も残しておく。トイレで流す水に使うのだ。でも、この程度の断水なら、あまり不便なことはない。ただ、2、3日これが続くとなると、大きなストレスになるだろう。水、電気、ガスと、生活にかかせないライフラインの恩恵をタップリと受けているのがよくわかる。

 ところで、先日読んだ、辰濃和男著の『文章のみがき方』に、「動詞を中心にすえる」という一節があった。いまは名詞の時代だという。新しい名詞が次々生まれて、それがいつのまにか「○○する」と、「する」をつけて新しい動詞として使われるになり、安っぽく消費されて消えている。生活様式の変化によって、言葉も変化し続けるが、それは身近にあった動詞の衰退を意味している。昔は、日常生活でなじみのある動詞が暮らしの中心にあったのだという。

 確かに、朝を起きてからの作業を考えるとすぐわかる。なんでも指1本で終わる。電気もスイッチを押すだけ。ガスもいまや指1本。昔は水を井戸で汲むとか、それをお湯にするには、火をおこすために、薪も割る必要があった。そこまで大昔に戻らなくても、子供のころは、水道の蛇口をひねり、水を沸かす必要があった。いまは、捻る蛇口もない。指一本で押すだけで、暖かいお湯が供給される。ただ手を近づけるだけで水が出るものもある。暖房も冷房も、リモコンのボタンを押すだけ。トイレに入っても、テレビを見るのも、リモコンを押すだけだ。パソコンも、携帯も、電話も、車のキーも、シャッターもボタン一つで開閉できる。新しいものほど指先一つで事が足りるように出来ている。料理だって、切ったり、捌いたり、焼いたり、蒸したりしなくても、電子レンジで「チン!」で終いだ。

 ほんとうに便利になったものだ。

 そこで生活していると、それも当たり前になってしまう。もう不便な生活に逆戻りはできない。

 しかしだ。錯覚しがちだが、便利になることが、そのまま人間が豊かになることとと、すべて一致するわけではない。

 日本語の乱れが指摘されて、久しい。言葉が痩せていくのは、日常生活の利便性や効率ばかりを求めている私達の生活がやせ細っていくことにほかならない。それは、人間性が貧しくなることとにつながっていくのだろう。よく考えると当然のことだ。

 でも、自分の足を使うのを惜しみ、逆に筋肉が衰えて、ますます不健康になっていくように、自分の脳味噌を使い考えることすら惜しむ時代だ。このままの暮らしを押し進めていくだけでは、いつか取り返しのつかない事態を招くことも、頭の片隅に入れておいていい。 

 ほんの少しだけ不便なことがあって、こんなことを考えた。

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『マザー・テレサ・メモリアル』

「人々は忙しすぎます。何かに夢中で時間がありません。

 互いに微笑みを交わす暇さえないのです。

 食べ物に飢えた人ならば 食べ物を与えれば、その飢えは満たせます。

 けれど孤独な人の心の貧困は、もっと深刻なのです。

 よく見れば 世界中に“コルカタ”(カルカッタ)があります。

 愛への激しい飢え。

 誰もがその苦痛や孤独を、人生で経験します。

 家族の中にもいるかもしれない“貧しい”人々を見出し、

  愛し、 愛を実践に移すのです。」

「すべての人は愛し愛されるために創られました。

 ヒンドゥー ムスリム ユダヤ教徒 キリスト教徒(映画の字幕では、仏教徒の入っていた方もあった)

 人種や宗教の別なく、男性も女性も子供も神の子なのです。

 許すには多くの愛を要します。

 けれど 許しを請うには より多くの謙虚さが必要です。

 貧困を作り出すのは神ではなく 私たち人間です。

 私たちが分け合わないからです。」 

Teresa  20年前ほど前に映画館で見た予告編。たった2分ほどの場面を、鮮明に覚えていた。それが、この映画(『母なることの由来』)だった。世界各地から、彼女を慕い集まった新米の修道女を前に、彼女が慈愛のまなざしと共に、愛の実践の厳しさを語る場面である。

 愛(慈悲)の実践は、生易しいものではない。そこには、どんなものにも耐え忍ぶ忍辱と、何事をも怠らない精進、個人所有を拒み施す布施と、常に静かな祈りと禅定(瞑想)に裏付けられている。まさに六波羅蜜の修行そのものだ。彼女には、その強靱な精神力と共に、常に余裕あるユーモアを欠かさぬ精神が伴い、何事にも畏れない実践力も伴った。しかし、その根底にあるのは、無力の自己を投げ出し、すべてを委ねた神への信仰そのものにほかならない。

 オリビアーハッセーが演じた自伝的映画も、けっして悪いものではなかった。でも、ほんものの力には適わない。さりげない、一見、手垢にまみれた言葉も、珠玉の輝きを放つ。口先だけで、ただただ言葉の軽さ、薄さばかりが目立つ今日にあって、この人の言葉は、重く、深い。 

 ただ、映画としては、新作の2作目は、蛇足に思えた。彼女のインドでの国葬と、彼女の言葉を追ったドキュメンタリー(『母なるひとの言葉』)。肝心の言葉が、ほぼ前作と同じものだったこともあるが、、権力や特別視を嫌う一作目の彼女の言動や生き方を見せられたあとで、華々しい世界各地のセレブや国賓たちの姿と、インド軍の兵士(空砲が鳴り響く)たちが見送る葬儀風景が、皮肉としか思えなかったからだ。

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フリースペースでの法座

 久しぶりの広島支部法座。

Img_2041  新幹線、西へと向かうちに、岡山の手前からで雨になり、尾道、三原とすぎ、長いトンネルを抜けると、急に一面の雪景色。ちょっとビックリ。これが東に向かって、米原や関が原なら珍しくないけれど、西に向かっているのにね。東広島を過ぎて、また長いトンネルを抜けると、すぐに広島駅。ここでは、また雪が雨になっていた。ちょうど、男子駅伝やっていたが、かなり寒かった。

Img_2042  ご法座にしては、ちょっと変わった会場。お寺でも、家庭法座でも、また公共の施設でもないところ。ミーティングやミニシアターにもなる、フリースペースなんでしょうかね。かImg_2044わいい看板がお出迎え。

 狭い穴蔵のようなところに、20名ほど。不思議な密度がある。雰囲気は、悪くはなかったが、どうも寒いので、窓際の皆さんは、ひざ掛けをし、コートを着たまま、長いシートに腰掛けて、ちょっと冬季のスポーツ観戦をするような風情だ。

 広島のカウンセリングの勉強会の関係から、初めての方を含む3名がお参り。さすが、安芸門徒。ご聴聞にも年季が入っている。「どこにお参りしても、ご本願を聞くことの大事さをお説きくださるが、今日の話で、それを『私ひとり』と聞くところが、ボンヤリしていたと知らされました」とのご発言。まあ、たいしたもんです。でも、これからですよ。ほんとうに「私ひとり」と、後生の一大事を心にかけて聞くと、必ず目の色が変わってきますから。

 法話は、歎異抄第12章の「学解往生」の異議。「本願を信じ、念仏申さば、仏になる」-これ以外に、他力のお聖教に示された往生の要はない。しかも、それは、一文不通の泥凡夫のためご本願であり、凡夫が保ちやすい、称えやすいお名号だというところです。新年号の「聖教のこころ」でもいただいた。

 これに庄松さんの、(大経下巻のご文のお心は)、「庄松、お前を助くるぞ」、ここにも、「庄松、お前を助くるぞ」、ここにも、「庄松、お前を助くるぞ」というエピソードを加えました。ここに感銘された方が大方だったけれど、これが、庄松さんのことだけだったらダメなんですね。「かりもん! お前ひとりを助けるぞ」という、阿弥陀様の呼び声が、ほんとうに私ひとりのところで聞こえてきましたかと、皆さんで話し合いました。やっぱり、仏法は、「わたしひとり」と聞かせていただかんとね。人ごとになるし、第一、味がないですわー。

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京都買います

 京都市内初の都市高速道路となる阪神高速8号京都線-上鳥羽出入口~第2京阪道路・巨椋池インターチェンジ間が、今日午後に開通した。記念セレモニーもあったようだ。京都と、奈良や大阪を結ぶ新たなネットワークとなり、2年後には、新十条通(トンネル)が出来て、山科とも結ばれることになる。

 いまは、名神高速道路の上を通り、十条油ノ小路を下がったところに出て来る。華光会館からは1分ほどだ。遠い将来、名神ともつながる計画もあるという。これで、名神や京都南ICが渋滞時には、多少、遠回りになっても、東からなら瀬田、西からならば大山崎から迂回すると、すぐ目の前が華光会館ということになる。

 でも、問題はこれからだ。市内中心部への伸張計画である。なんでも、十条油ノ小路から地下に降りて市内へとつながる計画だそうだ。果たして、京都市内に都市高速が必要なのか。確かに、慢性的に渋滞があり、観光シーズンなんかはひどいものだ。

 でも、前日のエントリーではないが、目先の利便性や生産性のみを追いかけるだけで、ほんとうにいいのか。高速道路は、縦横にネットワーク化してこそ、意味がある。そうすると、これからどんどん開発されていくことになる。莫大な工事費、環境問題、景観問題が、当然起こってくる。 

 お正月、NHKの衛星放送で、「怪奇大作戦」の一挙放映があった。1本だけ観た。亡くなった実相寺監督の作品、「京都買います」である。彼の代表作の一つとして、評価が高い。逝去のおり、京都みなみ会館でも、追悼映画特集があった。その予告は、ウルトラマンが、スペシューム光線を放ちながら「南無!」と叫ぶ(字幕だが)映像で、苦笑した。その際も、この作品があった。いまだに人気があって、熱狂的サイトが多い。コアなマニアなど、わざわざ25分ほどの作品だけで立ち上げられたものもあるほどだ。そんなの知らねえなーという方も、一度、検索して、その熱に触れてみてくださいなー。

 昭和46年の京都。いまなら考えられない、とても贅沢な作品で、さまざなお寺でロケがなされている。この映像を観ても、明らかにいまとは違う。でも、今日の京都をしっかり示唆している。いや、もうハッキリとその芽生えがあったのだろう。子供の時もリアルで観ていた。だけど、音楽といい、アップ、アップのカメラワークといい、その湿った映像といい、(もしくは、その荒唐無稽さといいだ)、特撮ばかりが目につく近頃のテレビでは、お目に掛かれない作品だった。同時に、京都市民には耳の痛い話である。開発か、保全か。京都という世界的な歴史都市。140万の人口を抱えた都市としての役割もある。古くて新しい問題がここにもある。

 未来のために、今からでも遅くないこともある。

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「そろそろ…」~たまにはニュースに誘われて~

 世界経済の中での日本の存在感の低下に歯止めがきかない。日本人としては気がかりなニュースだ。

 国内総生産(GDP)が円安で目減りしただけでなく、構造的な要因もさまざま指摘されている。お隣の中国(オリンピックもある、映画で見た長江ダムなんてすごいわー)やインド、ロシアなどの台頭と、日本の後退とが同時進行で起きていることもあり、このままの状況がつづくと、もうごく近い将来(3、4年後)、中国の名目GDPが日本を追い抜くことは間違いと言われている。日本の構造改革が遅れてしまうと、いわば「第二の英国病」になりかねないと、将来を不安視する声も大きい。

 年末には、2006年の世界の名目、国内総生産(GDP)に占める日本の割合が9.1%となり、24年ぶりに10%の大台を割り込んだというニュースがあった。一時は、世界の18%も占めていたのに、その半分になったわけだ。一人あたりでも、一時は2位だったのが、さらにその凋落ぶりが目につく。(煩わしいので数字はあげませんが)。

 さっそく今日から開会した通常国会でも、担当大臣の経済演説で、「残念ながら、もはや日本は『経済は一流』と呼ばれる状況ではない」と言及したとのニュースが流れた。経済財政政策を担当する閣僚が、経済分野での国際的な地位の低下を明言するのは異例だそうだ。

大田経財相は演説の中で、「2006年の世界の総所得に占める日本の割合は24年ぶりに10%を割り、1人あたり国内総生産(GDP)は、経済協力開発機構(OECD)加盟国の中で18位に低下した」と日本経済の凋落(ちょうらく)ぶりを訴えた。

 厳しい現状分析を披露して国民の危機感を高めることで、国全体が世界に挑戦する気概を取り戻せば、高い経済成長の実現につながるとの思惑があるとみられる。

という内容。

 うーん、でもね、もうそろそろ、右肩上がりでの金、金、金という、これまでの生き方を、真剣に考え直す時ではないでしょうね。1億2千人ほど、小さな国土に、世界の18%もの経済を集めて、このほうがおかしくないのかなー。逆に、ホッとする気もしたね。確かに、いまの経済は厳しい。たいへんな事態になるかもしれない。一方で、いまの自分の暮らしや生活水準も落としたくないのもわかる。だからといって、世界中の富を蓄えて、その金をばらまかないと、相手にしてもらえない国なんて、かなり情けない。しかも、「兎小屋」たら、「エコノミック・アニマル」(妙に懐かしいわー)なんて、小馬鹿にされながら、死に物狂いで頑張ってきたのにね。

 でも、経済だけでなく、日本には、世界に誇るべきこと、胸を張れることがたくさんあるんじゃないのかなー。文化にしても、歴史にしても、日本人の気質にしても、ものづくりや技術にしても…。そして、アメリカでも、ヨーロッパでもない。キリスト教でも、イスラムでもない。このアジアの仏教国、民主的で、平和憲法をもつという中立的な立場での、世界的な役割も、たくさんありそうな気もする。

 ただ、こわいのは、その誇るべきものが、急激に内部から、もしくはその足元から崩れていること。もしくとは、それをつぶそうという動き。日本に生きている人達が、疲れ切っていることのほうが、経済の低下よりも切実に心配かもね。「金、金、金」と浮かれているうちに、みんなギスギスとうるさく、冷たくなりましたよ。ちょっとしたミスや間違いにも怒鳴り、猛抗議。子供から老人まで、みんな疲れ果てて、癒しや安らぎを求め続けています。閉塞感、不信感、わけのわからない不安のみが覆っている。

 日本人の持っていた徳目、勤勉さや慎ましさ、正直さは、どこへ行ってしまったのでしょうかね。

 「国全体が世界に挑戦する気概を取り戻す」なんて、危機感を煽りハッパをかけても、またまた同じ過ちを侵すなら、とんでもないことになりかねない。いまこそ、立ち止まって、これからの世代、さらに次ぎの世代のことも配慮し、世界(地球)の中での私達の生き方を、根本から見直す時期に来ているんじゃないでしょうかー 。ちょっと不自由でも、ちょっと不便でも、また少し貧乏をしても、豊かな、暖かい暮らしがあるような気がします。せっかくの尊いいのちを、ただただすり減らすだけじゃ、あまりにむなしいものなー。

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来年度の真カ研

  暖冬、暖冬と思っていたら、この冷え込み。

 京都も氷点下まで下がり、ずっと雪がチラチラ舞っています。大原の方はかなりの積雪があったようですが、市内の中心部で、積雪があることは珍しくなりました。

 新年度(4月)からの「真宗カウンセリング研究会」のプログラムの相談。

 創始者(?)の、西光義敞会長が亡くなったあと、この研究会がどうなるのか心配でした。離れていかれた方もあります。それでも、松岡宗淳代表のもとで、身の丈にあった研究会の活動を地道に行なっていると、ボチボチと新しい会員さんとの出会いが生まれています。それどころか、現状維持から、少しずつ新しい活動をやっていこうという空気まで出てきました。

 ぼくが担当している、会員や世話人の月例研究会など、西光先生がおられたときより、個々の関わりが深くなっているから不思議です。どこかで、先生に甘えていたんですね。なんとかしてもらえる。いい意味でも、悪い意味でも、先生中心でした。そのことを嫌っておられたのが先生ご自身でした。権威として祭り上げられることに、常に厳しい目をもっておられた。それでも、どこかで甘えは抜けないです。だから、先生が欠席された月など、とても静かな例会だったし、いまと同じ世話人の立場でも、いまほどの熱情もなかった気がします。

 でも、今日あるのも、すべて、先生のお育てのおかげなのですから、ますます不思議で、有り難いことです。

 京都中心の活動ですが、新規に、冬のカウンセリング研修会を、真宗カウンセリングの理論を学習する場として、西光先生の「入門、真宗カウンセリング」の輪読会を立ち上げる計画がでました。また、新たに少人数の「真宗カウンセリング・ワークショップ」の開催も計画されました。また、プログラムには掲載しませんが、アート・セラピー、プロセス・ワークに続いて、年に1度は、ゲストを交えたWSも計画中です。

 さらに、広島では、広島真宗カウンセリング学習会と共催して、「真宗カウンセリングWS」を7月に開催することが、決定しています。ほかにも、東京でも、動きが出てきたし、福岡や大阪などでも、真宗カウンセリングやDPAの冠をつけた集いが芽を出し始めています。

 いやー、どんどん楽しみになってきますね。

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『生物と無生物のあいだ』

1498911_3  昨年読んだ新書の中で、いちばん興味深く、面白かった。

 科学ものとしては異例のベストセラーで、数々の賞も受賞している。

 書評、HPやブログなどでは、「私は文系で、理系には疎いが」というお決まりの枕言葉から紹介されている。でも、おおむね高評。まず、専門外ということで逃げてから、評価が始まるんですね。でも、逆にいうと、専門的知識を抜きにしても、面白いlという証拠。

 真似をするなら、専門外のぼくに、どこまで理解できたかはともかく、ドロドロとした人間ドラマとしての一面もなかなか面白い。どれだけテクノロジーが発展し、科学が発達しても、結局、最後の最後は、それを観察したり操ったりする人間性ということに収斂されてくる。だからこそ、恐ろしく、同時に血も通って来る。

 「何を見て生き物と判断し、何を見て生き物でないと判断するのか?」。ぼくたちは、常に無意識の中で、それを行っている。でも、明確な線引きを記述するのは困難だ。「生命とは何か」という生命科学最大の謎を、分子生物学がどう答えるのか。DNA「二重らせん」構造の前史から、その後のスリリングな展開が、人間ドラマとしても語られる。でも、そこで分かったことは、ほとんど無限で広大な真理のジグソーパズルの、ほんの一つのパーツにすきないようだ。

 「私たちの生命体は、たまたまそこに密度が高まっている、(流れゆく)分子の「淀み」でしかない。しかもそれは高速で入れ代わっている。この流れ自体が「生きている」ということであり、常に分子を与えないと、出て行く分子との収支が合わない。」

 「生命とは、動的平衡にある流れである」

 つまり、「お変わりありませんか」と、1年ぶりに人に出会う。「ハイ」などと答えても、実は、分子レベルでは、われわれはすっかり入れ代わって、お変わりありまくりだという。肉体というものについて、私達は自らの感覚として、外界と隔てられた個別としての実体があるように感じている。しかし、分子のレベルでは、その実感はまったく担保されていないという。

 これゃ、諸法無我、諸行無常に通じるんじゃないの? 

 「ある、ある」と実感を持っていても、たまたま因縁があっての話。しかも、刻々と、一瞬、一瞬に変化してやまんわけですからね。無明であるが故に、そこに執着していくから、迷い続けてきているわけです。

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消化不良でしたが…

Img_2031 「報恩講」、あっという間に終わりました。2日間の行事は早いです。

 皆さんと、お正信偈を、大きな声でお勤めさせていただくのも、有り難いですね。

 最後に、『報恩講の歌』、「和歌の浦曲の、片男波の…』と、大声て唱和しました。

 それにしても、ずいぶん、参加の顔ぶれが変わりましたね。新鮮に感じますが、まだ一年、二年のおつきあいなのに、みなさん、皆勤でお参りされ、今回も積極的にお手伝いくださいました。とても頼もしく思います。20代の方のお参りも多かったです。

 最初のご法話は、なかなか調子よく出発できたのですが、分級座談会は、ぼく的には、完全に消化不良。道場のグループでは32、3名もあり、一人ずつ、法話の分かち合いをしただけで終わってしまいました。あとは、それほど時間がたっぷり取れずに、もうひとつも、、ふたつも盛り上がらないうちに終わってしまいました。もう一押しも、二押しもしたかったかなー。皆さんの反応をまたないで、動いてもよかったのかもしれません。

 「皆さんのように、手放しでよろこべない」という老婆の告白。華光大会からのつながりもある。「いまのままの「『若存若亡』(ご縁にあれば間違いないと思い、ひとりになったり、強信な方のご縁あうと不信がでる)のままでは、口と、耳と、もしかすると手ぐらいは極楽往生お参れできても、本体は、地獄真っ赤さま。ほんとうは、迷いの道か、悟りの道のふたつのうち、一つしか選べない。ならば、いま握っている過去の信、喜びや体験を捨てればいやでも手放しで喜べますよ。それがいやなら、グズグズ言わずに、いまここで、しっかり、しっかり抱きついて、四の五のいうのはやめられたらどうですか」と、申し上げた。ご満座は、悟朗先生のご法話。最後、玄関で皆さんををお見送りしていたら、その老婆が、にこやかに、「何もありませんでした」と、笑顔で仰ってくださいました。そのスッキリしたお顔が、なんとも不思議でしたね。なにか、聞かれるところがあったのかもしれません。

Img_2035_2 さて、まだおひとり会館に残っておられます。夜行に乗車されます。最後まで後片付けしてくださって方も誘って、今夜は、マチャプチャレというお店で食事してきました。ネパール人の手作りダルバートというカレーがおいしかったですね。

 いまから、夜行列車でお帰りになる越後同人を、十条駅までお送りしたら、ぼくももう休みます。その方が、ご自宅につくのは、朝の7時半ごろだそうです。冷えてきました。越後が、大雪でなければいいのですが…。

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報恩講のご縁

 追いかけても、追いかけても、どんなに必死に求め追いかけても、絶対に手にはいらなかった。

 逃げても、逃げても、どんなに必死に逃げ回っても、絶対に離れず逃げきれなかった。

 遠い「存在」なんかじゃないぞー

 信じる「対象」なんかでもない。

 絶対に下がるはずのない頭を垂れてお聞かせに預かるとき、もうすでに届きみちみちていたお呼び声があるじゃないですか。

 「お前、ひとりを救うぞ。どうか、どうか救わせてくれ」と、先に土下座し、わたしの底の底の地獄の猛火に飛び込んでくださっている。

 そのまま聞く。無漸無愧のそのまんま、地獄真ッ逆さまのそのまんま、真実の南無阿弥陀仏とひとつになられせていただく。

 昿劫以来の一大事!

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報恩講

報恩講-親鸞聖人のご苦労を偲び、そのお徳を通じて、阿弥陀様のおこころをお聞かせに預かる浄土真宗でいちばん重要な行事です。

 でも、華光では、3日間や4日間の行事もある中で、2日(1泊2日)しかありません。しかも、法要が4座のうち、3座もあって、法要、法話の後の分級座談会が短い。役員のM先生から何度か提案をいただき、今年からは、法要を昼座だけの2回としました。夜と、朝は、法話の後、分級座談の時間を少し長めにもてるでしょう。

 勤行が変わるので、「差定」も改定。パソコンで作り替えしたけれど、いくら読めても一発変換できない文字ばかりです。けっこう戸惑い、時間かかりました。しかも、仏教用語の読みでは入力はダメなものもある。たとえば、「荘厳」。「しょうごん」と入力してもだめで、普通の「そうごん」ならOK。華光会館を「再建」したときも、「さいこん」と読んでも、「さいけん」と入力しないといけない。金も、「キン」ではなく「コン」。「金剛」とか「金堂」のように認知されているものはいいんですがね。仏教用語は、漢音ではなく、呉音が中心だからなんでしょう。

 法話の教案、材料はいろいろあります。ただ、少し整理が必要ですね。まだもう一息というところ。

 お花、懇親会のお酒、布団などが届きました。掃除も、昼と、これから夜があります。

 夜には、運営委員会の相談もしますが、これは時間厳守で。

 心配なのは、天気ですね。今夜から冷えて、日本海は雪になりそう。京都は大丈夫ですが、豊岡、福井、高山、新潟と、雪国のお申し込みが多い。ある年には、交通がマヒして、1/4ほどの方がキャンセルされたこともありました。

 まあ、これも因縁事ですからね。

 どうぞ、お気をつけてお出かけください。

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祥月命日のお参り

  華光会館には、世間のお寺のような檀家制度はない。

 でも、多少の例外もある。同人の方でお葬式を頼まれたケースもある。そして、4軒だけ、同人でない家庭がある。華光会館創建当時にご近所だった2軒と、その親戚の2軒である。急な葬儀は、多少の差し障りも考えられると、前々号の誌上法話でも触れた。ただし、これまでの長いご縁や、父との関係を考えると、冷たくお断りするこも出来ない。というのも、年1度、お盆におまりいするだけで、月忌も、祥月のお参りもないので、普段は負担になることはないからだ。

 ただ1軒だけ、年1度の祥月命日にお参りするお家がある。そう、今日は、年に一度、たった一度のお参りなのだ。しかも、父の担当だったから、ぼくには関係なかった。でも、そろそろぼくにお鉢が回ってくるようになった。

 昨年は、こちらが忘れていて、「どうなりましたか」と電話。あわわて、ぼくが出かけた。今年は、先方が急な変更。高齢のご主人が、電話をうまく聞き取れずにいたらしい。

 話が、二転三転して、やっとお参りの段取りがついた。

 娘さんと話す。でも、なかなかご縁は結べない。子供の時は、ここに書道も習いにこられていた。『親指のふし』や『仏敵』を勧めてみても、難しいようだ。やはり、亡くなった方(仏さん)の供養のためでしかない。

 お断りしてしまうのは簡単だ。でも、せっかく深いご因縁がついたのである。もう一歩でも、何かが伝えられないか。おまつりのこと、納骨、法名、葬儀の時の写真の奇怪な現象について、いろいろと不安や心配があるらしい。一々に応えながら、その先もお伝えしてみるが、ここはまったく難しい。1年、1、2度の時間では無理なのかもしれない。でも、世間のお寺さんでは当たり前のことかもしれませんが、聞法の焦点が定まった、ある種の聞法エリート集団の華光では、このようなごく普通の死者中心の信仰をされている人と接する機会は、ぼくには貴重なのである。ここでは触れられないが残念だが、いろいろとびっくりするようなお話を窺えた。勉強になります。

 ぼくたちには、まだまだ頑張って、お伝えすべきことが多々ある。力不足だなーと思われました。

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『いのちの食べかた』

 皆さんに、お勧めばかりして、やっと見てきました。一切の音楽も、ナレーションも、一言のセリフも(厳密には、職場でのボソボソした会話らしきもはあるようだが、セリフではない)、フリップも、説明も一行もありません。ただ、映像だけの95分。「OUR DAILY BREAD」、つまり「日々の糧」というタイトルが、最初の方に出るだけです。でも、想像以上に、よかったです。

Inochi  すでにご覧になられた老若の皆さんから、「気持ち悪かった」とか、「食事が食べられんかった」とかの声を聞いていました。せめて映画を見ながらの昼食は避けて、ある程度、覚悟していました。そのおかげか、それほど気持ち悪さや、目を背ける感じはありませんでした。むしろ、その様式美とか、効率化されたSFのようなマシンに口アングリ。大規模農業にしても、ニワトリの確保やヒョコの種わけにしても、その機械化と、これまで見たことのない専用の車やマシンがドンドン出てきます。もう驚きの連続でした。もちろん、畜産だけでなく、農業と、少しだけ魚も出てきます。大規模化された農園も、画面を見るだけではとても美しい。卵を孵化させる工場は、どこかの研究室のようで、整然と美しくもあります。

 でも、清潔に消毒された室内は違うですね。もう、ブタにしても、乳牛にしても、またブロイラーの扱いなんかひどいものです。生まれた時ではなく、生まれる前から「いのち」ではなく、「食べ物」として、効率化と生産性のもとで製品化されていく。モノ、いや機械として扱われています。その場で活躍するのは、効率化と、生産性を高め、人出を省くためのマシン。ヒョコ選別ピッチングマシンとか、ブロイラー吸引・収拾・箱詰め車と、見たままを勝手命名するしかないような、すごい機械が出てきます。当然、どの場面も、聞こえて来るのは、動物たちの鳴き声と、すごい機械音ばかりです。ただ、画面からは匂いは伝わらない。暑さなどの熱気も想像するだけ。それが加わるとまたまた別でしょうね。

 牛の屠蓄、何度か、『いのちの食べかた』などを、皆さんと音読していたので、だいたい手順がわかりました。「あれがノッキングだなー。あんな狭いところに入るんかー。ああ、一発やな。確かに痙攣しながら落ちていく。大きなー。ああ、トロリーコンベヤーで運ばれて逆さ釣りになったけれど、いつのまにワイヤーが通たんやろー。」。「ウワー、放血で、大量の血だけでなく、ダラダラ、ヨダレ垂れまくるんやなー」。「皮剥きか。確かに手際いいね」。「これが背割りか。きれいに真っ二つね」と、復唱しながら見ていました。思いの外に、オートメーション化されていたことに気づきました。

 それにしても、屠蓄場に向かって、豚や牛が追われていいく場面は、なんともいえませんね。そして、仲間が吊るされているを目の前に、自分も狭いトンネルのような場所に追いやられ、ノッキングを受ける。抵抗しようにも動けない。最後に精一杯のイヤイヤと首をふるだけ。そのイヤイヤの姿がなんとも哀れでしたわー。

 驚いたのは、人口受精や帝王切開の場面にしても、作業員の淡々とした態度かなー。生まれたばかりのブタを次々の去勢していく時も、その首や、豚足を切る時も、たんたん、もくもくと流れ作業が続いきます(仕事なんやから当然なんだけど)。そして、何度も、彼らが職場で食事とるシーンで出てきます。でも、なぜか、ここでも、もくもくと寂しそうに、時には2、3人で、たんたんと食べている。出稼ぎ風のアラブや、黒人たちの食事の場面もありました。もちろん、これにもなんの解説も説明もつきませんが、なにかを暗示しているとしか思えませんでした。

 食べ物に対してキリスト教の影響が色濃く、肉食の歴史が長い西洋と、殺生を戒める日本では、とらえ方が違います。特に、日本の場合は、これに差別の問題がからんできます。穢れや嫌なことは、自分とは切り離したい。そんな不浄なものはけがれた人に押しつけて、蔑んできた悲しい歴史があります。その意味では、ぼくたちは二重の過ちをおかしているわけです。でも、これはオーストリア=ドイツの映画ですから、そのあたりはまた日本とは事情が違います。

 飽食は、もう行き着くところまで行き着いてしまって、ぼくたちは脂肪だけを溜め込んで、どこへ行こうというのでしょう。現実、現場をなにも知らずに、「うまい、まずい」とか、「高い、安い」とか、「国産は安全か」とか、あいからわず自分中心に、自分のことをしか考えず、貪り食っているわが身が恥ずかしくなります。泣けてきそうですわー。

  ずーっと「いのち」がどこかで「食べ物」になると思っていましたが、違いました。生まれる前から「食品」という工業製品として管理され、大量生産され、大量出荷されていく。そうしないと、ぼくたちの欲望を満たすことは出来なくなっているわけです。

 いろいろと考えさせられました。これからも、考えていきたいですね。

 『いのちの食べかた』(←公式サイトにリンクしています。映像や解説どうぞ) 

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ボードゲーム~冥加に良い?~

 新春の休み。ほとんど子供と遊んで過ごした。

 卓球ならぬ、ピン球玉転がしゲームをし、4月から小3年になる長女なら少しは出来るかなーと思ってボードゲームを取り出した。こいつが、また日の目をみようとは…。ぼくが小学生時代から保管していたもので、ざーっと35年ぶりだ。この箱、年季が入っている。でも、お札やゲームのパーツ(スペーアにいたるまで)揃っているのが、我ながらすごい! 終わったら、サッと片づけるのがコツ。そのときに、しっかり揃えてしまう。

 半ばあきれ、冷笑しつつも驚愕の眼で見ていた連れ合いが一言。「いまからでも、私との結婚考え直したら…」。確かになー。二人は対極の家庭で育っている。こちらが思っているなら、相手も思っているらしい。

 小学4年生から使っている書道道具(筆だけは変わるが)とカバン。中学時代から愛用する海水浴用のゴム草履に続く、伝説の第三弾だ。さっそく、翌日の保育園ママの集まりに、またひとつ話題提供したようだ。

Img_2011   ひとつがタカラの『億万長者ゲーム』。人生ゲームのようなものだ。4歳の二女が、たびたび事業に失敗したりするのがおかしい。もうひとつは、任天堂の『国盗り合戦ゲーム』。間違っても、ニンテンドウでも、NINTENDOでも、ないなー。現在の本社ビルは、ここから南へ300~400mほどのところ、ゴルフ練習場の向こうに堂々とそびえたっている。でも、これはファミコンが誕生する前のお話。花札や、トImg_2007ランプ、将棋盤の類が主流の商品だったころの製品だろう。その任天堂の製品を印刷していたのが、華光会館のお隣の印刷工場である。しかも明治時代からの付き合いだと聞いたが、なかなか年季の入ったお話。ここも、本社や主流の工場は、任天堂の近くに建っている。

 思いのほか、長女が大喜び。まだ計算も、ルールもおぼつかないが、楽しかったようで、3日連続で付き合わされた。今日も、ねだられたが、やはり年季もののツイスター・ゲームを子供たちに出した。確かに、ニンテンドウDSを与えておくと、親は楽できる。でも、親も子も、一緒に、ワイワイ楽しめるがいいわねー。

ところが、今日、遊びにきた3人のお友達が、3人が3人ともDSを持ってきた。お正月に買ってもらったという。そして、それぞれで遊び、わが子だけ、本をよんでいた。みんなが帰って、長女が一言。「お父さん、ゲームしてたら頭悪くなるの?」

 うーんー。別にゲーム脳は、かなりのマユツバものだけれど、テレビにしても、ネットやメールにしても、ゲームにしても、どれだけ制御、コントロールできるかということでしょう。この手のものは、ダラダラ、ズルズルと歯止めが効かず、結局、時間に追われ、小さなうちから夜更かしてしまうようだ。これは大人になっても、同じことやね。「わかっちゃいるけど、やめられない」のだ。それで、いまのところ、ケイタイにしても、ゲームにしても、低学年のうちから買い与える気持ちはない。なにかと約束させて、取引する気持ちもない。もちろん、将来はわからない。回りの友達をみると少し不愍な気もするが、この点では、夫婦の価値観が一致しているようだ。

 「小さなうちから慣れさせて、免疫力をつけておくのもいいよ」と、どことなく言い訳がましく話す親にも出会ったことがある。でも、小さな時にこそ学び、身につけておく、もっともっと大切なことがあるのだと、ぼくは思っている。

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映画と、『報恩講』〆切と、新年会と。

 朝イチで、映画。途中で、二女を保育園に送ろうと思ったら、雨が降り出した。小雨だが、止みそうにない。逆に、連れ合いに車で、地下鉄まで送ってもらって京都シネマへ。正月の間は、子供孝行(?)につとめて、おとなしくしていた。新春疲れもあるのか、劇場は空いている。この回の客は、5、6人。『サディステック・ミカ・バンド』。超限定の復活ライブのドキュメント。いや、かっこいい! 音楽もいいけれど、インタビューがいいわ。元気をもらい続けた、70分だったね。  

 お昼からは、少しだけ早めの報恩講の仏具のおみがきと、お飾りがあった。

 昔は婦人会(いまはない)の方の担当だったが、いまは、京都支部の同人が、担当してくださる。やはり、会館の近くの女性方が中心であるが、少し遠くからお出でくださる方もあって、今回は3名。

Img_2005  きれいに供物のお飾りがすんだ。当日は、これに打敷に、五具足となる。

 父が、表の看板を準備し、正月の間お供えしていたおかがみの鏡開きもした。

今日は、報恩講の宿泊・食事の申込みの〆切でもある。

 正月休みということもあってか、〆切ギリギリでの申込みが多い。FAXやメールの方もあるが、今日は電話での申込みが多いようだ。30名程度だったが、いつのまにか申込用紙が氏名でいっぱいになって、二枚目に移った。お迷いの方、お忘れの方、今回はやめておこうと決めていた方で、心変わりがあれば、すぐにご連絡ください。食事などが不要の方は、申込みの必要はありません。当日、お気軽にお参りください。

 夜には、恒例の伝道研究会の先生方と、事務方の皆さん、12名が集まっての「新年会」。今年も、いろいろとお世話になります。

Img_2014  定休日のところをコーダル・オンをあけてもらって、手作りの心のこもったご馳走でした。野菜とまめ中心のスープと、七草の玄米が美味。あさましくも、食べ過ぎてしまいます。因果の道理、調子に乗ると、後が苦しい!

 昔は、運営委員会の新年会だった。年に1度だけの慰労会である。支部とは別に、京都の女性の方は、婦人会。京都の男性の方は、運営委員会というように、それぞれお手伝いしてくださっていた。いまの運営委員は、各地域から出てもらっている。それで、華光大会などの大きな行事がないと、全員が顔を合わせる機会が、なかなかない。

 席上、M先生から、年末に急にお亡くなりになった同人の臨終の様子と、最後の方で、先生のご示談で、疑いが晴れて聞く耳をもらわれて、後生に不安がなくなった様子をうかがった。帰宅して、すぐご遺族にも電話し、様子を窺うと、「後生の不安はなかったようです」と、御礼申された。長年、悩んでおられたので、なにかうれしい気持ちになった。

 

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面談

 先日、子供と遊ぼうと思っていたら、個人カウンセリングの申込みがあった。新春なので、急ぎの事務もない。

 どうぞ、いまからでもWELLCOMEですよ。

 カウンセリングといっても、別にかたいものではなく、いろいろとお聞かせいただき、こちらも心に浮かぶことがあったら、遠慮なくお話をさせてもらいます。

 終了直後、また電話がかかってきて、別の方からのお申込み。珍しく連続。

 「では、明日に。どうぞお待ちしています。」

 別に何も出来ませんが、喜んで共に時間を過ごすことは出来ます。

 もしそれで、少しでもお役にたてることがあるのなら、いつでも使ってやってください。

 なんにもならんやと思ったら、いつでも見限ってくだされば結構ですから。

 仏法の上のご示談やご法座とは違うけれど、それでも、その人自身を聞かせていただければ、今生事も、後生事もないと思っています。いやむしろ、理屈やご文だけの仏法のような話よりも、ぼくには尊く思えます。

 みんな、ほんとうに悩み、傷つきながらも、精一杯、生きようとされているんですね。

 それはぼくも同じこと。

 そのことを聞かせていただくだけでも、ぼくにはとても有り難い機会です。

 けっして、それが聞法とは別ものとは思っていませんしね。

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カフカ『田舎医者』

 今年、新春1本目は、珍しくアニメになった。

 カフカ『田舎医者』不条理や、孤独、不安の作家、カフカの作品を、短編アニメでオスカー候補になった、山村浩二の監督でアニメ化された。

 しかも、声優が、狂言師で人間国宝の四代、茂山千作など、茂山家と、作家、金原ひとみの異色の組み合わせだ。

 アニメーションと、狂言と、そしてカフカ。うーん、短い予告編を何度か観たときから、不思議な魅力があった。

Img_2003_2  珍しく初日に劇場へ。どうせなら、舞台あいさつも聞きたかった。いつも閑散としている「みなみ会館」も、今日は満杯。立ち見も出ていた。外から並んだのも、スカパラの舞台挨拶の映画、以来。地元、京都公開ということで、狂言師、茂山七五三(しめ)、茂山 茂のお二人のあいさつがあった。狂言風のあいさつで始まる。伝統を継承しながら、伝統に甘んじることなく、新しい風にも開かれたいる姿勢。米寿の人間国宝が、最先端のアニメとのコラボレーションする。でも、「千作さんは、良くも悪くも、常に千作さんでした」という言葉に、一筋の道を極めた卓越した名人の姿をみた。ある意味、父の姿にだぶる思いもする。

 アカデミー賞にノミネートされた、落語を材料にした『頭山』。ケチな男が、拾ったサクランボをタネごと食べたら、見事な桜の木が頭にはえて来るというやつ。ラスト、なかなかシュールな、ブラックな落ちがつきます。当然、三味線の浪花節語りとの相性もよかった。

 フランス童話が原作という、『年をとった鰐』。哀愁のある、なかなか深い味わいのある寓話やね。よくわからなくもないけれど、淡々と、シンプルな映像で、不思議な魅力を感じしました。

 そして新作の短編が2本。『校長先生とクジラ』は、捕鯨反対のキャンペーンの色合いが強かったけどなー。http://www.yamamura-animation.jp/body_j.html

 そして、最後に、『田舎医者』。

 一筋縄でいかない不思議な絵と、不安定な映像が、マッチしている。なにか、ザワザワする不安感みたいものと、それでいてどこか美しさも感じた。でも、正直、一度観ただけでは、難解で、よくわからない感じもしたが、すごく丁寧に、繊細に、カフカのもつある種の空気を体現した作品なのだということはわかった。きっと、もう1度観たら、もっと楽しめるだろう。でも、今週はもう観れない。未見の『いのちの食べ方』と、『マザー・テレサ』の2作品、そして『サディステック・ミカ・バンド』の4本を観る予定なので…。

『本当の道は、一本の綱の上を通っているのだが、綱が張られているのは高い所ではなく、地面すれすれである。

 それは歩かせるというよりむしろ、つまづかせる為のものの様に見える』

冒頭の言葉の響き、よかったです。人生やね。

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はるか遠くの比叡山

 今年は、修正会のあとは、特にお年始の方もなく、電話も、報恩講の申込みや日程の相談があったぐらいで、比較的な静かな三カ日となりました。さすがに隣の工事もお休みで、寝正月でゆっくりと過ごしています。

 元旦と二日目は、名古屋の姉家族が泊まっていましたが、今日は、昼から、ひとりで、子供二人をつれて、京都駅などデパートに遊びに出かけました。

Img_1993  近鉄十条駅 のホームからみると、華光会館はこんなふうに見えるんですね。小学校の長女は、ここが会館とは思えなかったようです。漢字が難しいですからね。「なんか、みたことのある建物やと思ったわ。屋上にも字が書いているんやね」と一言。隣のビルもそうですが、奥にもマンションが建設中で、比叡山が見えなくなっていました。

Img_2001 ならば、京都駅の屋上から、一Img_1994_3 枚。ほんとうは、京都タワーに登る予定でしたが、京都駅で充分楽しめました。奥に見えているのが(写真をクリックして拡大してもらわないとわかならいけれど、赤⇒のしたが)比叡山です。源信さまも、法然さまも、親鸞さまも、ここでご修行されたわけです。いや、日本浄土教だけでなく、すべての日本仏教のほとんどのお祖師方のご旧跡地。日本仏教の聖地だったところです。

 時代は移り変わりました。

 人間の根機も低下し続けてます。わが身を見れば、よーーくわかります。

 末法五濁が増すばかり。でも濁ったことを自覚できぬほどの迷いの中で、ぼくたちは、凡夫の欲望丸出しにして、人生を謳歌しているわけです。浅ましいことも思わずに…。

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修正会

「明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。」

というわけで、2008年がスタートした。

でも、なにが、「明けたのか」、なにが「めでたいのか」も知らないまま、こうして無駄に月日を重ねて、迷っていくんですね。

Img_1977 元日。華光会館でも、お昼から修正会のご法座。浄土真宗に限らず、仏教のどの宗派でも、正月に厳修される法要を「修正会」と申します。あまり世間の方は、ご存じないですが、「しゅうせいかい」ではなく、「しゅしょうえ」といいます。ある同人の方が、「凡夫の身の、何を修め正す会なのか」といわれた方があった。そうでなく、1月の正月に勤まるので「修正会」。旧暦の二月に厳修される場合は、「修二会」なんですね。本願寺派では 、「元旦会」とも申しますが、だいたいそれは早朝など、午前中に勤まるわけで、華光会館は、午後からの法要と法話。それで、創建以来、修正会と称していますね。

 今朝も、若い仏青の方と一緒におせちでお祝いしましたが、その際、「なぜ、華光会館では除夜の鐘をならさないのですか」という話題がでた。なんのことはない、梵鐘がないのだから、それは出来ない。「2階の道場の外にあるじゃないですか」。あれは行事鐘といって、法要が始まる直前にお知らせするもの。浄土真宗のお寺でも、だいたい外に梵鐘があり、本堂の脇に行事鐘があります。だから、梵鐘のない華光会館には、除夜会はない。ちなみに、華光会館には、内陣もありませんから、結界もありません。本来の道場形式なんです。寺院の方なら当たり前のことでも、一般の方はご存じないことがおおいです。

Img_1974  華光会館の修正会は、午後1時30分から5時すぎまで。今年、少し寒かったですが、京都は快晴。日本海側が大雪。高山組は、残念ながら欠席となりました。それでも、昨年1月からご縁のできた福井の方は、大雪のなか5、6名お参りくださいました。おひとりが、「道宗さんの心境でした」とおっしゃっていました。また遠く、福岡からも、Aさんが家族での参加。友達や兄弟と連れ添った初参りの方も2名ほどありったり、始めて修正会にお参りくださる方が多かったです。それだけ、この1、2年の間に、深く華光とのご縁ができた方が多いということ。一方で、東海組は、いつもより少なめでした。それで、総数にすると45名ぐらいあって、用意したおかしが足らないほどでした。

 ご一緒に「正信偈」をあげ、そのあと、華光節(別名悟朗流)で、「現世利益和讃」を唱和しました。「南無阿弥陀仏をとなふれば…」と何度も、何度も続くと、なにか不思議な気分になります。そのまま言葉だけいただくと少し危険ですが、いつもご聴聞いただいている身には、体験的にもいろいろ味わえるご和讃です。そして、「御文章」をいただきます。そのあとは、ご法話、そして記念撮影や休憩のあと、新春の信仰座談会が残りの半分の時間です(この座談が、世間の修正会とのいちばんの違いでしょうね)。ひとこと抱負や味わいをいただきました。

Img_1978   悟朗先生のご法話は、善導大師の「自策自励」のご讃題。お得意のご文のひとつです(ご本人談)。忙しい、忙しいと生活に追われ、懈怠に流れるうちに、この無常の身は風前の灯火として終わり、六道輪廻を繰り返す。なんのための人生か。なぜ、後生に驚きをたて仏法を聴かないのか。この元気ないまの内に、懈怠に流れることなく、自らいろいろと工夫し、叱咤激励し、しっかり後生の夜明けをさせてもらえようということですね。

昿劫以来の迷いの夜明け、後生の暗闇が明けてこそ、始めて、「明けましておめでとうございます」といえるわけです。

一休さんの歌。「門松は、冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」が、

「めでたくあり、めでたくもあり」の身にならせてもうわんと意味ないです。

元旦から、要のところをお聞かせいただき、あとの座談会も、皆さんの一言が有り難く、それだけで、時間が40分ほどオーバーしてしまいました。

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