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フリースペースでの法座

 久しぶりの広島支部法座。

Img_2041  新幹線、西へと向かうちに、岡山の手前からで雨になり、尾道、三原とすぎ、長いトンネルを抜けると、急に一面の雪景色。ちょっとビックリ。これが東に向かって、米原や関が原なら珍しくないけれど、西に向かっているのにね。東広島を過ぎて、また長いトンネルを抜けると、すぐに広島駅。ここでは、また雪が雨になっていた。ちょうど、男子駅伝やっていたが、かなり寒かった。

Img_2042  ご法座にしては、ちょっと変わった会場。お寺でも、家庭法座でも、また公共の施設でもないところ。ミーティングやミニシアターにもなる、フリースペースなんでしょうかね。かImg_2044わいい看板がお出迎え。

 狭い穴蔵のようなところに、20名ほど。不思議な密度がある。雰囲気は、悪くはなかったが、どうも寒いので、窓際の皆さんは、ひざ掛けをし、コートを着たまま、長いシートに腰掛けて、ちょっと冬季のスポーツ観戦をするような風情だ。

 広島のカウンセリングの勉強会の関係から、初めての方を含む3名がお参り。さすが、安芸門徒。ご聴聞にも年季が入っている。「どこにお参りしても、ご本願を聞くことの大事さをお説きくださるが、今日の話で、それを『私ひとり』と聞くところが、ボンヤリしていたと知らされました」とのご発言。まあ、たいしたもんです。でも、これからですよ。ほんとうに「私ひとり」と、後生の一大事を心にかけて聞くと、必ず目の色が変わってきますから。

 法話は、歎異抄第12章の「学解往生」の異議。「本願を信じ、念仏申さば、仏になる」-これ以外に、他力のお聖教に示された往生の要はない。しかも、それは、一文不通の泥凡夫のためご本願であり、凡夫が保ちやすい、称えやすいお名号だというところです。新年号の「聖教のこころ」でもいただいた。

 これに庄松さんの、(大経下巻のご文のお心は)、「庄松、お前を助くるぞ」、ここにも、「庄松、お前を助くるぞ」、ここにも、「庄松、お前を助くるぞ」というエピソードを加えました。ここに感銘された方が大方だったけれど、これが、庄松さんのことだけだったらダメなんですね。「かりもん! お前ひとりを助けるぞ」という、阿弥陀様の呼び声が、ほんとうに私ひとりのところで聞こえてきましたかと、皆さんで話し合いました。やっぱり、仏法は、「わたしひとり」と聞かせていただかんとね。人ごとになるし、第一、味がないですわー。

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