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自分の気持ちは脇に置いて

東海支部法座でした。12月はだいだいお邪魔することにしています。一昨年は、東海地方には珍しい大雪で、たいへんだったことを思い出します。今日も夜は冷えてきましたが、天気はよかったですね。

 法話の冒頭に、皆さんに、法話の聞き方、あとの座談会での発言について、注文をだしてみました。というのは、あと、法話の分かち合いをする時に、「頭が悪いので忘れました」とか、「発言するのが苦手なので」といわれる方が多い。またせっかく共通の法話を聞いているのに、自分の家からもってきた話題を延々とお話される方もある。それはそれでほんとうなんでしょうが、毎回、毎回それではちょっとつまらんですよね。発言が苦手なのも、うまくまとめられないのも、よくわかりますが、今回だけは、ちょっと自分の気持ちは、脇においておいて、どんな内容だったのか、テーマは何か、どこに心が動いたかを聞いていてくださいと、お願いしました。別に、75分ほどの法話中、集中することなんかできるわけないです。いろいろな思いが去来します。当然です。そのいわば雑念をのぞくことではなくて、また起こってくるからダメではなくて、それを当然のこととして、そこと格闘するのではなくて、いわばそこは聞き流していく。「ああ、また脇道それた聞き方しとるなー。では本論を聞いていきましょう」と、また法話に帰っていく。そして、法話をする方も、なにかテーマ、伝えたいことがあってお話しているわけで、いろいろな材料や例話でそこを補強しながら話していくわけですから、その本筋を外さないように聴かせてもらっていくと、けっこう聞けるようになっていきます。

 あとの座談で法話の感想が話せないのは、大方の場合、口下手なのでも、すぐ忘れるからでもなく、実は、うまく理解できていない、枝葉を追って全体をとらえられていない、要は、聞けていないからです。だから、漫然とだまって聞くのではなくて、多少、不自然ぽくみえても、このように焦点を絞って聞き、聞き放しにしないで、再生して発言していくと、またハッキリとポイントやお味わいが浮かんでくる。そして、耳を育てていただくというこも大切なわけです。結局、仏様が、私になんとおっしゃってくださっているのかを聞かせていただくわけですからね。

 で、今回は、そこに意識をもってもらうように、一言注文しておいただけで、法話のあとの一口ふりかえりが、とてもよかったです。皆さん、けっこう聞いておられた。「いつもズレているといわれます」といわれながら、焦点があたった聞き方をされていました。たしかに、不自由ぽいけれど、これを繰り返していくと、自然と聞くことが身につきます。もちろん、若い方と、年配の方では、そのスピードが違いますが、妙な座談の苦手意識で、無駄なエネルギーをつかわなくすむほうがいいものね。それに、聞くことは、己をむなしうして聞くわけですから。自分の思いで満杯なところには、新しいものが入る余地ないものね。

 法話の前の枕だけで、今日は終わってしまったなー。

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コメント

おはようございます。高山法座、東海法座のブログに「聞」の在り方(姿勢)について丁寧に教えて頂きありがとうございます。15日娘と妻の三人で自然学校1泊に参加しました。私は昼3kmの山道を夜は娘と妻も一緒に約2kmの夜間散策にでました。夜間は原則明かりを点けないで喋らず歩く、草花の臭い、足で大地を踏みしめる感覚、目が慣れてくると暗闇が見えてくる。月・星のあかりの力です。先導してくれるリーダーを疑わず信じている。娘はゆったりと先導者に心を任せている。妻は出足は不安か足取りが重く、ただ付いて行かないとである。そして、目が慣れてきた頃から妻の動きも安心した状態になる。13名の最後尾を歩きながら闇の中で呼び続けの阿弥陀様を感じさせていただきました。暗闇を暗闇と気づき知らせていただくことの難しいことを体験し、先生のブログから五体をゆったり、五体に確認しながら「聞く」、任せる、ゆだねてわかる暗闇と、その前を私を見ながら導いてくださる南無阿弥陀仏さまがいることを味わせて頂きました。ありがとうございました。 南無阿弥陀仏

投稿: 稜 | 2007年12月17日 (月) 07:40

 信先生、寒い中ありがとうございました。
「高山」「東海」と2週連続で尊いご縁に会わせてもらい、もったいない事だと思ってます。

「いのちの食べかた」は名古屋では12/8~18までの上映で、私は残念ながら見れませんが、Kさんは今日行って来られたそうです。劇場が今池だったので昼食に「浅野屋」さんに行かれたと連絡がありました。
案の定「気持ち悪くなった」と言われてましたが。

今年ももう少し。年末も年始もただの一日だけど、やっぱり今年を振り返ったりしてしまう今日この頃です。
なので今年最後(?)のコメントなど書いてみました。

投稿: 蓮華 | 2007年12月17日 (月) 23:33

稜さん。いつもながらの滋味深いお味わいありがとうごさいます。なかなか貴重な体験ですね。子供大会のS先生のご法話を思い出しました。真っ暗の中を、ひとり出て行くんですね。後生を照らす灯火に出会わんかぎり、絶対に、この深い深い迷いからは離れることはなかったでしょうね。

 蓮華さん。お世話になりました。あの後、「酔い」のエントリーの通りで、散々な目にあってしまいました。Kさん(いろいろおられるけどなー。新人の方かなー)ご覧になられたんですね。すぐに出かけられて、フットワーク軽いですね。京都は、12月29日から正月にかけての上映。今年最後か、来年1番の映画がこれになる可能性大だね。
>今年最後(?)のコメント
とはいわず、またどうぞコメントくださいな。

投稿: かりもん | 2007年12月18日 (火) 00:34

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