« 早馬の人 | トップページ | 食わずにはおられなかった »

『「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか』

 M先生から頂いた論文読みました。

『輪廻転生」考(1)~和辻哲郎の輪廻批判』(龍谷大学論集)

『「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか』(龍谷教学)の2本。

 もう爽快!   溜飲を下げる思いで、うれしくなって、興奮冷めやらず。

 言葉の定義や、論理的な展開は、さすがは哲学の先生。たぶん、ご自身でも、書きたいことを書いておられるので筆が走っている(特に、龍谷教学の方が飛ばし過ぎで面白い)思いがしましたが。

 ぼくからみると、こちらがまったく真っ当な内容。でも、残念ながら、最近は、真宗のみならず、仏教界全般に、無我、因縁生(これはそのとおりなんです)、または縁起の法を持ち出して、「輪廻転生」(釈尊以前からある根強いインド思想)の否定こそが釈尊の真意(原始仏教)という説が、大手を振っています。一般向けの新書や、売れ筋の著書は、この手の論法が目立っています。だから、平気で、「死んだらなにもなくなる」から、「死んだらみんなホトケ」、または、それなら「死後があると思った方が幸せ」程度。または、六道をこの世の中のものとして、地獄、極楽だと公言されるの超高名な先生方のご教示が後をたたず、それに感銘を受ける一般の方にもよくお会いします。

 当然、三世因果などは過去の遺物だなー。後生の一大事もしかり。だから、「死後が問題ではない。いま、どう生きるのかに答えているのが仏教の真意」ということで、いつのまにか、生き方の問題、生きることに役立つ仏教になり下がり、昿劫からの生死を超えるとか、離れるという視点がぼやけているのが現状ですね。

 もちろん、これらの述べる「因縁生」の押さえや、巷にあわれる霊魂(アートマン)的存在の否定は、当然、頷くところ。その意味では、いまの私が、「私」と執着しているものは、この大無常と共にすべて滅んでしまうわけ。でも、だからといって、なぜ、その肉体的な死が、同時に何もかもなくなり、そこから、みな入滅や、みなホトケに結びついていくのかが、以前から不思議だったんです。

 これらの主張に対して、釈尊の原始経典をひとつとひとつおさえ、またたとえば、よく一般の方も論拠にされる「十難無記」(無記、つまり死後や霊魂についての質問に、黙して答えられなかったという例のやつです)も、ほんとうの毒矢のたとえの意味を示すなど、するどくメスを入れておられる。

 「輪廻説は、むしろ今現在の生き方に鋭い反省を迫る説示なのであって、死後をいたづらに恐れよとは一言も説かれていない。むしろ、死後はどうなるかは、今どう生きているかによって決まると説き、死後をいたずらに恐れるのではなく、今、この世において善因を造ることに専念せよと終える。真宗でいうなら、凡夫が輪廻を脱却しうる唯一の善因(南無阿弥陀仏)を、「今」いただけと教える現生正定聚・平生業成の教説こそが、その核心である。死後の行く末の問題を、今ここで解決せよ(今、ここで毒矢を抜け)というのが真宗であり、しかるにこの構造そのものは真宗に限らずどの仏教各派でも変わりはない。死後が大問題だからこそ、因果の道理によって、現在こそか重大となってくるのである。」 というくだりと、求道の要点のような註釈の文章も、なかなか痛快でした。

 もしかすると、以前の往生論争のように、新たな論争になるかもしれないほどの内容だと思いましたが、相手にしてもらえたらの話ですが…。でも、これなら、真宗学の専門家のあいだでも、共感や評価され方もおられるのではないかと思いました。

 M先生、ありがとうございました。

|

« 早馬の人 | トップページ | 食わずにはおられなかった »

書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

その論文、すっごく読みたいです。ぜひ、御法座での輪読とご解説をよろしくお願いします。私自身、「死後の世界」という言葉自体が矛盾や非論理性の固まりで、「後生の一大事」の本質にフタをするものだ、と思っていたものですから。

投稿: 原 武司 | 2007年11月 4日 (日) 10:12

原さん、ようこそ。
 そうですね。ぼくも、先生を囲んで、じっくり読んでみたい気がします。
 もしくは、みんなでネットで輪読するサイトを立ち上げてもいいかもしれませんね。

投稿: かりもん | 2007年11月 5日 (月) 00:17

かりもん先生、いちはやく読んで頂いて感激です。大学の紀要論文というものは読者が一人(執筆者)だけといわれているほどのものなのに、すでにかりもん先生はじめ、R大の○○先生、△△大の□□先生のお三人から反響をいただいて、嬉しい限りです。原さんも(私の存知上げてる方でしょうかね?)関心をもっていただいてありがとうございます。今度の伝道研の折にコピーを持参しますので、希望のかたに華光大会の時に配布していただけますでしょうか。輪読会は無理ですが、メーリングリストでの質疑応答くらいならできると思います。追加情報をできれば近日中にMLの方に流すかもしれません。

投稿: Mです | 2007年11月 6日 (火) 23:34

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『「輪廻転生」は「諸法無我」と矛盾するか』:

« 早馬の人 | トップページ | 食わずにはおられなかった »