先輩同人の遺徳
華光会の50年を支えてくださった日高(旧・江原同人)の古老、長老の皆様です。
40年前までは、華光の法座の中心の方ばかり。また、親御さんの代、先代の鎌田先生からの念仏者です。
でも、60台半ばで、お浄土に還っていかれた方もおられます。毎回、毎回、病苦、老苦、そして、死苦の厳しい現実をヒシヒシと感じさせられています。
それでも、いまもなお、華光の私達を支え続けてくださることには変わりはありません。
皆さん、小さな(歩いて行ける)地域におられるので、お参りが難しくなった同人のお家を中心に讃嘆に寄せてもらいます。40分~1時間ほどお話が尽きません。
夫を失くされた方が多くなられましたが、妻、
母は強しですね。どんな威張っていても、最後は男のほうがもろいもんです。家族の方にも少しずつご縁がついてきました。一方で、一般のお寺ではないので、同人が亡くなられたら、それでご縁が途絶えてしまうところも多くあります。そのお家の前を通ると、感慨深いです。でも、これもご因縁事です。逆に、つぎの世代の家族の方が一緒に手を合せてくださることもありますら。
今回なら、なんと40年ぶり(もう還暦すぎれらている)に再会した同人の子弟がおられました。ぼくが幼児期の大遠忌法要の話題にもなりました。火傷で頭に包帯をしていたことまで覚えておられました。故人となられた、
北口さん、辻さん、黒河さん、西光先生、吾勝先生など共に追悼し、時間が立つのを忘れるぐらいお話をさせてもらいました。他にも懐かしいお名前が出ました。現実は難しいでしょうが、これを機会に、少しでもご縁が生まれることを願って、お別れしました。
みな、筋金入りの強信な先代からの念仏者です。村を二分した、激しい命懸けの父母の代の念仏相続の話は、ほとんど伝説的でした。その厳しいお念仏を受けついでおられる皆さんが、今回も激しく懈怠の身を懺悔される方がおられました。
妙好人というより、念仏の戦士という力強さがありますね。
皆さん、華光会館誕生以前からのお付き合い。父や母の世代です。それだけに、今回の東京での50周年をわがことのように喜んでくださいました。いまや会館にお参りが難しくてなっても、お念仏を喜び、支えてくださる先輩たち。こうして、お宿をし、ご法座を持ち続けてくださいます。このような先輩同人の遺徳のおかげで、いま、この私の上に、真実のおみのりが届いているのです。この私がご法を喜ばないでどうするのか!です。
溢れ出すご法のエネルギーのおかげで、虚仮不実のわが身にも、同じお念仏の尊い灯火が、明々と灯っている事実を、有り難く味わわせていただきました。南無阿弥陀仏。
(故人のお写真は、ご遺族の了解の上、掲載しております。いずれも、増井自然先生の揮毫の南無阿弥陀仏です)
| 固定リンク
「法座と聞法」カテゴリの記事
- 広島での法事(2023.01.22)
- 大阪での葬儀(2023.01.21)
- 葬儀から報恩講(2023.01.14)
- 名古屋での葬儀(2023.01.13)
- 今月から『死を凝視して』(2023.01.08)
コメント
おはようございます。いつの時代でもお念仏が伝わることは難しいことですね。その中(地域・家族など)に生まれ縁があっても、ご法に出逢うことの難しいことことか。今のこの身のありがたいことを、慚愧の心ひとつ無いこの私にとどいて下さった南無阿弥陀仏。ただ、お念仏をと思います。この口から南無阿弥陀仏と称えることができぬ身体になっても
ただ、ただお念仏ですね。今日のブログコピーさせていただきました。同人の方にお配りしたいと思います。ありがとうございます。
投稿: 稜 | 2007年11月13日 (火) 07:34