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華光誌新年号

 今日で、11月も終わり。今年も、残すところ1ケ月となった。

 明日から、師走だ。この猛スピードで進む感覚はなんだろうね。

 華光大会の余韻冷めやらぬうちに、このことろ、華光誌新年号にとりかかっている。 新年号は、業者の年内の仕事納日が決まっているので、ちょっと厄介だ。あと、年賀交換を自家製版しているので、本文の原稿渡しの後で取り組む。

 悟朗先生の誌上法話12ページ。体験記と東京法座などの感想文と合わせて、ちょうど40頁になった。華光大会の印象が強くて、子供大会や東京講演会法座の記事を読むと、ずいぶん、昔のことのように思える。これに、年賀が入るので、たぶん60頁ちかい厚さになる。ただし、今年から、年賀交換は別冊にした。個人情報という厄介な問題があるので、同人・定期購読誌友のみに限定するためである。これまたギスギスした世の中になったものだ。

 いちおう、いま、本文39頁分が、ウメや小見出しを除いて出来た。これから、何度か校正し、ルビを入れていく。あとは、聖教が手つかず。華光大会で法話した「本願を信じ、念仏を申さば、仏に成る」という歎異抄12章のこころを味わう予定だ。

 以前に比べると作業に余裕がある。早めから取り組んでいるせいもあろう。いちばん大きいのは意識改革だ。ダラダラ仕事をするより、集中した作業をしている。ただ、その集中のエンジンがかかるまでに時間を要するのが難点。追い込まれないと仕事をしないのは、今も昔も変わらない。新年号の本文渡しを、12月4日の午前に設定した。ならば、5日に設定したら、余裕があるかというとそうでもない。やはりギリギリになる感じがする。

 からだの手入れのために、週一度は、自力整体へ休まずに出かけている。感性が錆びないように、映画にも、週3本は行っている。今週の3本は、なかなかよかった。もっと、ここで紹介したいが、ちょっと書く余裕がない。しっかり書きたいと思って、逆に書けないという自分の完璧癖が、災いしているようだ。サラッとでもいいので感想も綴っていってもいい。読書は、週1冊弱程度か。これは、本の種類にもよる。簡単に進まぬものから、法座の移動の車中の3時間ほどで終わるものまでさまざまななので、一外にはいえない。それらに比べると、CDを聞くことは少なくなった。ほとんど新譜も買っていない。一人で食べる昼食や、お茶の時に聞く。今週は、エリック・ドルフィーの初期のリーダー作品(60、61年のもの)ばかり聞いている。この人が、このところずっと好きだ。

 今夜は、母の誕生を、連れ合いの手料理で祝った。明日の午前中は、ななほの保育園の学芸会に行く。華光誌があったので、今週末に、法座の予定を入れなかった。12月2日の日曜日には、聖典講座か開かれるが、ぼくは華光誌の追い込み。

 そうか。あと3日間しかないのか。いまの進展具合からみると、かなりギリギリになりそうだが、予期せぬことが入らぬ限り、どうにか出来るのではないかなー。

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