11月20日
母の誕生日である。
華光大会前で、毎年、本人ですら、済んでから思い出すようである。昨年も、華光誌に忙しくて、プログでも触れていない。大好きなおばあちゃんにと、子供たちがお祝いを考えているようだ。
女性なので年齢には触れない。今年がエトの回りであることで、推測してもらおう。
身内のことで恐縮だが、えらく賢い人である。世間的な知識や学歴ではない。「パリってアメリカか、ロンドンか」というほど、ある種の天然の人だ。でも、この人ほど、賢い人に、今のところぼくは出会ったことがない。
苦労人でもある。でも、威張らず、自慢せず、いつも明るく、ニコニコと、それを見せない賢さがあるのだ。
今年、華光会が創立されて50年を祝ったが、いちばんの陰の尽力者は、母である。そのことを身近に知るのは、もう日高同人などの限られた人になってきた。だから、今回の東京でも、わざわざ日高の古老が参加して、「増井先生に、奥様におめでとうがいいたかった。ありがとうごさいます」と、おっしゃってくださった。
そのときの母は、まだ21、22歳。
毎夜、お札にアイロンにかけるような超几帳面な姑! かなり社会常識に欠け、子供のようなジコチュウの出戻りの例の小姑! 二人を看取り、あの父に使えながら、ふたりの子を育て、借金で出来た華光会館を切り盛りしてきたのである。
若いころは、小さなからだで、かなり無理もしたようだ。だから、ぼくがまだ子供のころ、大きな病気を何度もしている。『親指のふし』にあるが、一時はかなり危ない状態でもあった。いまも趣味も、世間の友人もたず、ご法一筋。華光のことを思い、献身的に父を支え、ぼくを見守り続ける生涯だ。だから、父も母だけには頭があがらないようだ。
ほんとうにたまに、小姑や父に爆発する姿もみた。いつもやさしいく、明るいだけに、ほんとうに滅多にない姿をみると、いちばん怖かった。別に、ぼくが怒られたわけではないが、なんともいえぬ悲しさに、こちらも涙したことも覚えている。
そして、今度は、活動的な個性溢れるお嫁さんの登場である。
ところが、ぼくが結婚して以来、一度も、嫁-姑の双方から、愚痴を聞かされたことはない。別に、うわべでお上手や我慢をしているわけでもない。そんな空気なら、敏感に察することはできるもの。もちろんね。叩けば埃もでよう。一緒に暮らしているんですから。不満や愚痴がないわけではないでしょう。でも、一切、それをこぼさない。
世の中には、わざわざ無理に埃を叩き、煽って問題を作り、大騒ぎする修羅人もいらっしゃる。たぶん、自分の人生が不満の塊なんでしょうね。たしかに、「他人の不幸は蜜の味」で、夫婦や嫁姑がうまくいっていると、映画にも小説にもなりゃしない。うまくいっている話ほど、他人には面白くないものはないね。
でも、本人は、辛酸をなめ苦労してきただけに、その不毛な思いを今度はさせたくないと思ってられる。だから、エライというんですね。やられたから、やり返す人もいるでしょう、世の中にゃ。「私の時はこうだった」って。家の中に、女が二人いて、もめないわけないのだけれど、いまのところ、双方が、ぼくよりかしこい女性である。
その意味では、いくら威張って、知識があり、かしこぶっても、こちらはバカだ。妙なプライドや負けん気があって、間違った相手をやりこめたいところがあるものなー。自分をへりくだり、下がることができないものね。
立派な両親に育てられ、その慈愛の深さに触れるとき、わが身の至らなさが、恥ずかしくなる。嗚呼-
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コメント
おはようございます。尊いお話しを聞かせて戴きました。ありがとうございます。正に「妙好人」ですね。いや、私たちにご法を伝えるためにこの世に生まれて下さった仏さまですね。慈悲の深さを感じます。私ごとですが、かりもん先生のお母様とお袋は同じ年と聞いております。たまにお袋がお母様のことを話してくれたこと思いだし、私がお袋から受けている慈悲に対して、何ひとつしてお返しの出来ぬこの身を恥ずかしく、情けなく思います。「南無阿弥陀仏」とお念仏が、いま、こうして書かせていただいているとき、出てきてくださる不思議に、南無阿弥陀仏さまの大悲を感じさせて戴いています。ありがとうございました。明日から華光大会ですね。おめでとうございます。私もお参りさせていただく予定です。よろしくお願いをします。寒くなりました。皆様によろしくお伝え下さい。
投稿: 稜 | 2007年11月22日 (木) 07:37
連続の登場、ありがとうございます。
こちらこそよろしく。楽しみです。
投稿: かりもん | 2007年11月22日 (木) 17:52
かりもん先生のお母様には本当にお世話になっています。
つい、先日、娘の事でわざわざお電話を戴きました。お元気そうなお声で嬉しかったです。娘は事故に遭い、翌日には背骨の手術の予定が入っていました。結局手術はしない事になったのですが、其の時は、リスクがあるから明日は今生の別れかも知れないと身構えていたものです。かりもん先生のお母様の明るいお声を聞いていて肩肘のつっぱりがとれた気がしました。自性を忘れていたのでしょう。遅ればせながら、「お誕生日、おめでとうございます。どうぞお元気でいて下さいませ。」とお伝えくださいませ。
投稿: チャン | 2007年11月27日 (火) 12:27
チャンさん、再び、WELLcomeですね。
ありがとうごさます。
「おめでどうございます」といったあとからの事故。まさに、無常迅速。おめでたいことが一瞬にして、心配事になるわけですからね。でも、最悪の深刻な事態にならず、なによりでした。どうぞ、お大事にしてください。
投稿: かりもん | 2007年11月27日 (火) 15:21