『殯(もがり)の森』
『殯(もがり)の森』 美しくも、静かな作品だった。しかし、その静謐さは、深い自然のなかで、生死を生きるいのちが渾身の力で息づく強さを感じさせる。風は風として、木々は木々として、水は水として、そして、いのちはいのちとして切り取られ、映像におさめれていく、叙情詩のような作品でもある。
冒頭、風に揺れ、連なる緑の中、美しい茶畑を、葬送の列が静かに続く。
奈良の緑と水が豊かな、 自然のなかにある民家を改造した小規模なグループホーム(認知症の人達が暮らす)が舞台。ドキュメンタリー映画とみまかうほど、登場する老人たちの顔がすばらしい。その自然なふるまいに、熱演と賞されている演技部分も、最初はなにか人口臭くて白けるほどだった。
「生きている実感がない」というセリフに応える、僧侶のお説教も、もしかすると、いつも行なわれているのではないか。「人は死ねばどこにいくのか」の問に、答える老人たちの答えも、それぞれが自然と口に出た、とても素朴な、日本人の死生観の一端を顕していた。
唯一の親愛なる妻を失くした認知症の男性と、子供を不慮の事故で失くし、こころに傷をもった若い介護者。共に、外界にこころ閉ざして、自分の世界に生きていることになった二人が、身で交差する。
亡くなった妻を偲ぶ慰霊の旅が、ふとしたことから、深い原生林に迷い踏み、彷徨う。自然は過酷に変化する。男性が、鉄砲水で溢れた川を渡ろうとする時、「渡ったらアカン」と絶叫する女性。「川を渡る」-生と死を分かつかのような象徴的に映ったシーンだ。
奈良という土地柄もあろう。原生林というのもそうだ。死は、けっして遠い存在ではない。生と死をキッパリ二分化し、畏れるのでもない。ここには、身近な自然に宿る、かけがえのない人々の魂の存在が、画面のうえにクッキリと浮かび上がる。ちょうど緑を渡る風のように。また流れる水の音のように。目には見えずとも確かに感じられるものなのだ。この素朴で、楽天的な死生観は、ある種、日本人のDNAでもあろう。
もし、大方の日本人が、このあまりにも好都合で、楽天的すぎる、不確かな死生観を頼りに生き、死と向き合っているのだとしたら、あまりにも寂しいことだ。
それにしても、日本女性初の快挙! カンヌ映画祭グランプリ(1席はパルムドールなので、2席)という報道は、なんという効果があるのだろう。いつも閑散とした劇場に行列が出来ていた。
もっとも、本来は商業的なヒット作品の類ではない。確か力強いが、静謐な映像美の作品でもあるので、あっちこっちで、イビキの音が……。劇場をでる時、大あくびをしながら出ている人が印象的だった。これは、自宅ではなく、劇場で観たほうが美しいでしょうね。
「殯-もがり-
敬う人の死を惜しみ、
しのぶ時間のこと
また、その場所の意味。
語源に『喪あがり』
喪があける意味、か。」
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